046 ハイエルフ語の祝福




 翌朝、一番に起きたのはシウだ。

 寝ずの番は置かなかった。麓の安全な場所で、周囲に強固な結界を張っているからだ。と言っても、たぶん、ラエティティアの精霊頼みはあっただろう。シウも寝ていても気配は分かるし、キアヒたちのスキルを考えると《気配察知》は使えるはずだ。

 夜に何もなかったのは分かっているが、いつもの癖で見回る。それが終わると朝ご飯の用意だ。のんびり鍋の中をかき混ぜながら、シウがフェレスと遊んでいたら、テントからキアヒが出てきた。

「どんだけ、早起きなんだよ……」

 呆れたような声に、シウは首を傾げた。

「いつも通りなんだけど」

「子供はもうちっと眠れよなあ。ふぁぁぁ……」

 大きな伸びをして、シウの横に座った。

「昨日はありがとよ。焼き肉か? あれ、すっげえ美味かった」

「爺様が三目熊の肉が好きだったんだ。よく狩ったんだよ」

「へえ」

「僕は岩猪の方が好きなんだけど」

「どっちも、おっかねえ魔獣だけどな!」

 ふふふと、お互いに笑いあう。

「討伐は昨日で終わりだよね? ちょっとだけ、薬草の採取をしてもいいかな?」

「いいぜ。王都へ戻るのは、ここを昼過ぎに出ても間に合うだろ」

「ありがと」

「このへんだと、良い薬草があるだろうな。なにしろロワイエ山だし」

「うん。一般的なヘルバ以外に、この辺りにはメディヘルビスやプロフィシバがありそうなんだよね」

「ポーションの基材か?」

「うん。こういうのは多くて困ること、ないからね」

「魔法袋、様様だな」

 集められる時に集めておくと、特殊な材料を見つけた時、すぐにポーションを作ることができる。シウには生産魔法があり、レベル五あるので失敗することもない。

 ついでだから、ロワイエ山にしかない材料もこっそり《探索》しているので、後で採りに行くつもりだ。

 午前中を使えるなら、結構な量を集められそうだと、シウはわくわくしていた。


 チチチと小鳥の囀りが聞こえる。

 他のメンバーはまだテントの中で気持ち良く眠っているようだ。

 不意に、キアヒの気配が変わった。

 どうしたのだろうと、シウが視線を向けると。

「……『かやねーさま』ってのは、お国言葉か?」

 静かな声が返ってきた。


 びっくりして黙り込んだシウに、キアヒは困ったような、だが安心させるような笑顔を見せた。

「お前がさ、前に気絶したことあっただろ? あの時に、寝言で聞いたんだ。シウは、たまに俺たちとは違う言葉を使うだろ。古代語かと思ったが、そうでもなさそうだし」

「……うん」

「ティアがさ。お前の名前、シウの方じゃなくて家名を聞いて、驚いてたんだ。アクィラっていうんだろ?」

「うん」

「ハイエルフ語らしいな」

「……正確には古代語になるみたい。ハイエルフの言葉は古代語が元らしいから」

「なるほど。で、ハイエルフの血を引いてるのか?」

「違うと思うよ」

 シウの答えを聞いて、キアヒは片眉を動かし、訝しんでいることを表情に乗せた。

 仕方ない。とりあえず、シウは自身の生まれについて語った。

「僕の家名は、両親が言い残した言葉を、爺様が『たぶん、名前だろう』と思って付けてくれたものなんだ。シウっていうのも、そうらしい。意味のない言葉だったけど、大事な最後の言葉だから、付けたんだって。僕みたいな田舎者に家名があるのも、そのせいなんだよ」

「そうか」

「僕も最近、王都の図書館で知ったんだけどね。シウっていうのは、文字の一部に過ぎないんじゃないかな。アクィラは鷲だから、子供に与える『祝福の言葉』だったんじゃないかと思ってるんだ。田舎にはそうした言葉も多く残っているよ」

「そうなのか?」

「古代語の本にも、祝福の言葉がよく出てくるし、鷲の意匠も多いから好まれていたと思うよ。僕の勝手な想像だけど」

 生まれ落ちてすぐの子供に、古代語で祝福を与えたのが父。母は、貴族の娘のような格好をしていたと、幼い頃に聞かされていた。

「二人とも人族だったそうだよ。着ている物以外に、身を明かすものが何ひとつなかったんだって。だから爺様は、駆け落ちだろうって言ってた。彼等が逃げてきたなら、僕を身内に引き渡すのは可哀想だからと、引き取ってくれたんだ」

「良い爺様だったんだな」

「うん」

 しばらく沈黙が続いたが、「かやねえさま」のことは忘れてないだろうなと思い、シウは口を開いた。

「古代語を、今も大事に引き継いで使っている種族は、ハイエルフ以外にもいると思うんだ。そういうの面白いなって思って、読書の趣味ついでに調べてるんだよ」

 ふうと、溜息を吐いて、また続けた。

「『かやねえさま』っていうのはね、『かや』姉さまって意味」

「かや、という名前の女か?」

「うん。……今思うと、まだ成人してなかったんじゃないのかな」

 シウの言葉の言い回しに、キアヒも気付いたようだった。

「……お前の小さい頃に、死んだのか?」

「そうだよ。戦争でね」

 そうか。そう言ってキアヒは黙ってしまった。

 慕わしかった少女は、焼夷弾が原因で亡くなった。

 孤独だった愁太郎を優しく抱き締めてくれた少女は、大人になる前に死んでしまったのだ。

「わりい。変なこと聞いたな」

「ううん。……聞いてもらって良かったかも。かや姉さまのことは誰にも話したことがなかったから」

「良い子だったんだな?」

「そうだよ。僕みたいなのを抱き締めてくれる、優しい子だった。抱き締めてくれたのは、かや姉さまだけだった」

 キアヒは、シウが「孤児」で「孤独」なことを卑屈になって、発言したと思ったかもしれない。だけど、違う。

 愛されない子供はどこの世界にでもいる。そんな子供は、どう育つだろう。

 幼い頃の、小さな世界では、愛が途轍もなく大きな糧となる。

 愁太郎が生きていけたのは彼女のおかげだ。あの時の愛があったから、愁太郎は曲がらずに進んだ。

 今のシウにとっても、『かや姉さま』は大事な存在だ。

 すると、ソッと、抱きこまれた。

「んな、悲しいこと言うなよな。お前のことを抱き締める奴は、たくさんいるだろ」

「……うん、今はたくさんいるね。キアヒも」

 爺様も、小さい頃はよく抱っこをしてくれたものだ。

 最近は抱き締められることはなかったが、たまにラエティティアやエミナが抱き着いてくる。

 スタン爺さんは頭を撫でてくれた。恥ずかしくて、温かい気持ちになる。

 そしてシウは、フェレスを抱き締める。

 大人になると、抱き締めることも抱き締められることもないのだと思った。

 シウは手を伸ばして、キアヒに抱き着いた。

「キアヒも抱っこしてあげるね」

 ぶっ、と吹き出す声が頭上から聞こえたが、無視した。

 ポンポンと、フェレスを宥める時のようにキアヒの背を撫でた。

「どっちが慰められてるんだかな」

 はあ、と大きな溜息が頭上から落ちてきた。


 シウが「ハイエルフ」かどうかを知りたがったのは、ラエティティアにも事情があるからだった。キアヒも詳しくは知らないらしいが、ラエティティアはいつも、「見つけたら保護する」と言っているらしい。

 今回は、シウからハイエルフらしさが見えないので、たぶん違うと思うと言っていたそうだ。でもキアヒは「かやねえさま」という言葉が気になって、シウに聞いたらしい。

 ハイエルフというのは絶滅危惧種のような扱いなので、エルフ族のラエティティアは保護活動をしているのだろう。

 シウとキアヒは話し合って、そういう結論に至った。


 遅寝を決め込んでいる皆を待っていたら、時間が勿体無い。ということで、キアヒがシウの個人行動を許してくれた。危険な場所へは行かないようにと注意を受けて、シウはさっさと出かける。騙すようで申し訳ないが、気配が追えないところで《転移》した。

 そうして、せっせと薬草を集める。中級薬の基材となるメディヘルビスのみならず、上級のプロフィシバまで大量に採取できて、嬉しい。更に山脈のひとつの頂上近くに、最上級のマクシムを発見し、シウは喜び勇んで採ったものだ。

 この時に《感覚移動》が同時に複数起動できることを発見した。シウが採取していると嘘をついた場所を、定期的に「視」ていたのだが、ふと他にも使えるか試してみたのだ。ふたつまでは実験したことがあっても、実際に使ったことはない。更に増やしてみると、慣れるのに少し時間はかかったが、できた。魔力量にもほとんど変化はなかった。

 魔法は、最初の起動に一番魔力を必要とするらしい。

 こういう実験も楽しいものだ。

 戻る時は、ラエティティアに「木の精霊」で見られたら困ると思って工作したが、その必要もないようだった。

 後で知ったのだが、この精霊の伝言も、離れていたら役に立たないものらしい。彼等には「過去」が認識できないそうだ。常に「今」を見ている。それは、生まれては消える儚い精霊の、運命なのかもしれなかった。

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