042 希少獣の交換




 普段、フェレスは人慣れしていて、余程のことがない限りは愛想よくしている子だ。マイペースだが、得手勝手に怒ることはない。ただ、誰かの悪意あるシウへの態度には、敏感になる時がある。あるいはシウが困惑しているからか、今のフェレスは警戒心も露わにソフィアを睨んでいた。一生懸命、威嚇している。

「にぎゃっ、んぃぎゃっ!」

 なんだか変わった鳴き声で、思わず笑いそうになってしまったが。

 反対にソフィアの顔は引きつっていた。それでも早口で話し始める。

「その子、フェーレースよね? まだ子供でしょう? 三ヶ月か四ヶ月ほどだと聞いたのだけど」

「……五ヶ月になるけど」

 話の先が見えなくて、訝しく思いながらもシウは正直に答えた。

 が、ソフィアの次の台詞に思考が吹っ飛んだ。

「わたしのルコと、その子、交換してちょうだい」

「は?」

「だから! ルコもルフスケルウスよ。希少獣の中でも同じ小型騎獣だから、求めるものは同じでしょう? あなたにその子は、宝の持ち腐れだと思うの。わたしに譲ってちょうだい」

 驚きすぎて頭が真っ白になるとか、目玉が飛び出るなんて比喩表現をよく見かけたが、本当にあるのだと知った。シウが呆然とソフィアの顔を凝視していたら、ダンッと強く、足を踏み鳴らされた。

「聞いているの? あなたには勿体ないわ。この子は特に、将来が期待できそうな優雅な顔立ちをしているもの。フェーレースなんて、ルフスケルウスと同じぐらい使いみちがないと思ってたけど、これだけ美しければいいわ。そうよ、わたしにこそ、必要なの!」

「必要?」

「そうよ。……もう、イライラするわね。何も分かってないくせに。とろくさい返事しないでちょうだい!」

 ソフィアの勢いにだろう、それとも言葉の意味を理解しているのか、フェレスの機嫌がどんどん悪くなっていく。ふーふーと声にならない声で、尻尾も膨らんでいた。なんとか宥めようと、シウはフェレスを撫でる。その間も彼女は言葉を荒げていた。

「こちらは譲歩しているのよ! 交換してあげると言ってるんだから、応じるのが筋でしょう? こんなに親切にしているのに、なんなの? いい加減にして!」

 一際甲高い声に、フェレスがふさふさの尻尾を逆立てて、シャーッと唸る。

「フェレス、落ち着いて。大丈夫だからね。こんな人に絶対渡したりしないから」

「ちょっと! 止めてよ、その子はわたしのものよ!」

 ここまで来ると腹立たしいよりも、恐ろしい。どこまで性格が破綻しているのかと心配にもなるし、何らかの裏があるのではとも考える。シウはフェレスを空間壁で防御してから、彼女へと向き合った。

「交換って言ったけど、ルコに愛情はないの? 君が拾ったんだよね?」

「愛情? 騎獣に? 何、言ってるの、あなた。おかしいんじゃないの」

「……つまり、君にとっては騎獣はただ『騎獣』であればいいんだね」

「あなた、おかしなことばかり言うのね。変な子だわ。ギルドの説明も、もしかしたら間違っていたのかしら。ううん、世間知らずなのね。いいわ、じゃあ、これまでのことは許してあげる」

 ソフィアは、ツンと顎を上げ、シウを見下すように睨みつけてきた。と言っても同じような身長なので、おかしな体勢だ。

「その代わり、その子はわたしが貰い受けます。可哀想だから代わりにルコをあげるわ。有り難いことでしょう?」

「……君、本気でそう思ってるの? えっと、頭は大丈夫?」

 本当に、シウは心配になって聞いたのだが、彼女は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「どういう意味よ! なんなの、あなた! 庶民ってこんなにバカなの? ああ、もう嫌! だから庶民は嫌いなのよ。なんなのよ!」

 ダンッと足を踏み鳴らして怒っている彼女が、段々と怖くなってきた。シウが逃げようかなと考えたところで、遠巻きに見ていた人々の間から警邏隊が出てきたのだった。


 警邏隊の後ろにはダレルがいた。彼が呼んでくれたらしい。シウに近寄ってきて、小声で教えてくれた。

「お前さんと別れた後、騒ぎが聞こえてさ。気になって戻ってみたら、またあの女の子だろ? 慌てて警邏隊を探したら、偶然近くにいたんで呼んできたんだ」

「助かりました……」

「連れてくる間に、簡単にだけど説明したから。ちょうど別の警邏隊もいたんで、そっちには事情を知ってる人を呼んでもらうことにしたんだけど――」

「え、あの時の警邏の人を?」

「その話もしたけど、手っ取り早いのはギルドのザフィロさんだろ?」

 ああ、と納得した。二人でこそこそ話していると、少女の甲高い声が聞こえてきた。

「わたしのフェーレースなのよ! あんな子供に相応しくないわ!」

「ですが、あの騎獣の子は彼が登録しているのでしょう?」

 落ち着かせようと冷静に話しているのは、警邏隊の年配の男性だ。

 しかし、ソフィアは激昂したまま怒鳴り返していた。

「だーかーらっ! ちゃんと代わりの騎獣を与えると言ってるの。どうして分からないの? これだから学のない人は嫌いなのよ」

 どうやら、シウのような庶民だけでなく、警邏隊の人もバカにしているようだ。警邏隊の、若い方の男性から笑顔がサッと消えた。真顔で、まるで能面のようだ。

「あのねえ……。いいこと? 希少獣は高貴な人間こそが持つに相応しいの。ましてや、わたしみたいな魔力量の高い人間には必要な存在なのよ。魔法使いが身を守るためにも希少獣、その中でも騎獣はとても大切なの。これは国益になるのよ? 分かっているの? 庶民が持っていいものではないわ。だけど、ここまで育てたお礼も兼ねて、代わりの騎獣を譲ってあげると言ってあげてるの。お礼こそ言われても、こうして邪魔される謂れはないのよ。お願いだからもう少し考えてちょうだい。いくらバカでも、これだけ説明されたら理解できるでしょう?」

 まくし立てて話すソフィアに、シウのみならず警邏隊の二人とダレルも、ぽかんとするのみだった。


 その後も延々とソフィアの演説(?)を聞かされていたが、警邏隊の増援とザフィロの登場により、場所を移すことができた。向かったのは商人ギルドだ。到着すると、それぞれ別の部屋に通された。その際にも散々揉めて大変だった。煩かったのは、もちろんソフィアだ。

「時間遅くなったけど、大丈夫かな?」

「はい。さっき、連絡を入れてもらいました」

 ダレルが、ベリウス道具屋への伝言を引き受けてくれたのだ。心配して、付き添おうかと言ってくれた彼を、留めておくのも申し訳なかった。

「それにしても、面倒なことに巻き込まれたねえ」

「すみません。見つかっても逃げれば良かったです」

「君のせいじゃないよ。あれから別件でも、オベリオ家には手を焼いていてね」

 ははは、とザフィロから乾いた笑いが漏れる。疲れた顔をしていた。が、

「それよりも」

 と、身を乗り出してきた時には、どこか楽しげだった。ザフィロは笑顔で続けた。

「実は、君がやっていた屋台なんだけど」

「あ、はい」

「誕生祭の後から、問い合わせが多くてね。普段はどこでお店をやっているのか、店を出していないなら出資するとか。出稼ぎならば販売権を買い取りたい、なんて話もあるんだよ」

「ええ?」

 ビックリしてしまった。確かに昼時は忙しかったが、たった二日の出来事だったのに。シウがそう言うと、ザフィロはにこりと笑った。

「レシピが目新しかったし、先を見る商人の目に留まったんだろうね」

「そういえば、何度も買いに来てくれる人が多かったような」

「目端が利く者が、商売を成功させるんだよ」

「すごいですねえ」

 などと、のんびり話していたら、女性が部屋に入ってきた。

「冒険者ギルドから、担当の方がお見えになられました」

「あ、通してくれる?」

 ザフィロが気軽に答えると、女性に案内されてクロエが入ってきた。ザフィロが呼んでくれたらしい。お互いに視線だけで挨拶をしてから、クロエがシウの前に座った。

「お疲れ様だったわね」

 心の底からの優しい言葉だった。


 簡単な事情聴取が終わると、時間も遅いということで食事へ行くことにした。

 クロエが奢ってくれると言い出したのだ。シウと約束していた話を、有言実行するらしい。ついでというとなんだが、その場にいたザフィロも誘って三人で行った。

 彼女のお勧めの居酒屋は、子供がいても全く問題ないらしく、賑やかで流行っていた。仕事中の彼女はストイックな雰囲気だが、プライベートでは明るい店が好きなようだ。

 居酒屋での話題は、「面倒くさいのに絡まれて可哀想だったね」が三割、残りは「シウのレシピをどうするか」についてで、とても盛り上がった。

 シウはお店をやる気はないし、屋台を出したのも「お米の美味しさを広めたかった」からだ。美味しいと言ってもらえて嬉しかった上に、このお米に合う料理をレシピとして広めたいと思ってくれる人がいるのは、有り難い。

 それをどうやれば一番上手くいくのか、三人で考えた。

 クロエもザフィロも仕事人間らしく、シウが提案した「入札方式はどうかな」に大変乗り気だった。彼等からも提案があって、ああだこうだと楽しい時間を過ごした。

 最終的に、お店にレシピを譲渡するのが良い、ということになった。入札方式はこちらの世界でもあるが、ある一定のルールに則った方式は珍しいらしい。シウとしては、できれば「お米の美味しさを知っている、あるいは知ろうとする」相手がいい。また、入札価格には上下のラインを設けてもらいたい。常識的な感覚を持った人が良いからだ。

 話のついでに、フランチャイズ方式のことも説明する。ザフィロが凄い勢いで食い付いてきたので、シウの覚えてる限りの、メリットとデメリットについて話した。

 そのせいで帰宅が遅くなり、心配した二人が送ってくれた。一応、シウは断ったのだ。でも、まだ子供だからと押し切られた。

 そして二人は、帰りの遅いシウを待ち構えていたエミナから、「小さい子を遅くまで連れまわすなんて!」と怒られたのだった。




 翌日は、ギルドの仕事を休むと決めていた日だったが、シウはいつも通りの早起きだ。

 本宅にお裾分けのパンを持っていくと、エミナがもう待っていて、そわそわしている。今日は午前中に、ラエティティアたちが来ることになっていた。魔法袋について、交渉することになっているのだ。終われば、勉強会をすることになっていた。

「エミナ、ちょっと早くない?」

「いいの! それより足りるかしら……」

 お茶菓子を用意したり、飲み物の確認を何度も行ったり、エミナは恋する乙女のようだ。その姿を、スタン爺さんは呆れて見ている。シウもちょっぴり苦笑いだ。

「シウや。先に食べるかの」

「うん、そうだね」

 シウは野菜サラダを用意したり、朝はあまり食べないスタン爺さんの為に、飲みやすいスープを出した。シウも一緒に食べる。シウは食べ盛りなのでたくさんだ。それを見たからか、エミナは朝ご飯を食べてきているはずなのに、シウの作ったパンを食べていた。

「……太るぞ」

 ぼそりとスタン爺さんが呟いていた。エミナは聞こえていないようだったので、シウがフォローのように答えた。

「大丈夫だよ。えっと、胚芽入りで栄養はあるけど、カロリーは抑え目にしてあるから。中身もみっちり詰まってないし。それに、エミナは若いし、代謝も早いと思う」

「相変わらず妙な知識を持っておるのう」

 二人でぼそぼそと小声で会話し合った。

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