032 副執事の登場




 散歩にはまた前回と同じ公園を選んだ。以前と同じ道だからか、ルコの足取りは軽い。

 彼女は嬉しそうで、公園の芝生に到着すると草を食むよりも前に、シウへ体を擦りつけたりフェレスを舐めたりした。フェレスも相手をしてもらうのが嬉しいのか、ころんころんと転がされて嬉しそうだ。にゃぁにゃぁと喜んでいる。

「久しぶりだね」

 よしよしと撫でてあげると、ルコも「きゅっ」と嬉しそうに鳴いた。

 たっぷり撫でると満足したのか、ようやくルコは周辺の草を食べ始めた。フェレスは遊び足りないようだったが、そのうちにあくびをして寝始めた。ルコも少しして、シウの近くへ来て座り込んだ。きゅいきゅい、と小さく鳴いて頭をシウの膝に乗せる。

「ルコも寝る? いいよ。時間いっぱいあるからね」

 優しく額を撫でていると、やがて眠り始めた。

 フェレスはへそ天で寝ている。お腹を冷やしやしないか心配で、周囲を気にしつつ空間庫からブランケットを取り出してお腹にかけてやった。口元がむにゅむにゅ言っているので、寝言でも出たのかもしれない。

 可愛いなあと思いながら、良い天気の下でシウも欠伸をして昼寝を我慢した。


 お昼寝の後もルコの歩きたいように公園を歩かせ、気が済んだ頃合いにシウたちは商家の裏にある厩舎へと戻った。すると、厩舎長が待っててくれと言って、消えてしまった。

 依頼書にサインが必要なので、仕方なく馬たちを眺めて待つことにした。

 しばらくしてやってきたのは厩舎長と、副執事だった。副執事は開口一番に、

「お前をうちの専属にしてやる」

 と言った。横で厩舎長が、「あちゃー」と声を上げ、手のひらで顔を覆っている。

 シウの答えはもちろん決まっている。

「お断りします」

「そうか。では契約書を、ん、今なんと言った?」

「お断りします」

 もう一度しっかり答えると、副執事がびっくりした顔を、徐々に赤く染め上げた。

「我がオベリオ家の使用人になれるんだぞ! 断るとは何事だ!」

「断ってはいけないんですか?」

「そうだ! お前のような子供を雇ってやると言ってるんだ。有り難いことだろう。これだから無学なバカは困る。そうだ、そのバカを教育してやろう」

 シウは驚き、口を開けて呆けてしまった。

 それを副執事は、「感激のあまり言葉が出ない」ものだと判断したようで、ぶつぶつ文句を言いながら契約書を胸元から取り出してきた。ふと気になって《感覚移動》で、視線だけ転移させて覗いてみる。

 内容は「休みは月に一日。食費別。厩舎横に寝室あり……」などと書かれてあった。給与については書いておらず、一時期前世でも悪い意味で流行っていた「ブラック企業」じゃないかと、呆れてしまう。

 副執事は、シウが「契約書を見せてほしい」と言っても手で隠し、署名の欄だけを分かるように指差してきた。ペンまで取り出して、さあ書けと、言わんばかりだ。

「僕は、お断りしました。それと『神の前で教義を説く』わけですが、ご存じの通り契約書はきちんと相手に渡して内容を精査させるべきです。更に、子供への雇用の契約は第三者の立ち合いが必要です。厩舎長はだめです。雇用側の身内に当たりますから」

 副執事の視線が厩舎長へ行ったのを即行でダメ出しして、シウは続けた。

「さっきチラッと見えましたが、奴隷以下の契約内容でしたよ。神殿への『人権救済申告』に当たります。第一、立派な商家のされることではありません」

「黙れ! ええい、なんとこまっしゃくれたガキだ!」

 副執事は真っ赤になって怒ってしまった。その上、依頼書を破った。厩舎長の顔は赤も青も通り越して真っ白になっている。副執事はカンカンになって叫ぶように怒鳴った。

「ギルドではどんな躾をしているんだ! 来い、ガキ! 俺が躾けてやる」

 それでもシウが動かないと、副執事は手を伸ばしてシウの肩を掴もうとした。

「そうだ、侮辱罪だ! 無礼打ちにしてやる、その後は奴隷落ちだな」

 厭らしげに笑うのでゾッとしてたら、シウの胸元に入り込んでいたフェレスがパッと出てきて肩に乗り、シャーッと威嚇した。

「な、なんだ、こいつ!」

 慌てて伸ばした手を引っ込めた後、副執事は更に興奮した。

「こ、こんな害獣を連れ込んでいたのか! こっちへ寄越せ、殺してやる!」

 唖然としてシウだが、さすがにこの言葉は許せなかった。

 シウは威嚇するフェレスを宥めながら、副執事を睨み付けた。

「あなたのやることは人として最低だ。これがオベリオ家の考え、総意ですか?」

「そうだとも。わたしはここの副執事だぞ!」

「では、オベリオ家に対して、訴えを起こします」

「な、な、なんだと!」

 そこへきてようやく、家人がやってきたようだった。


 壮年の、背筋がピンと張った男性と、護衛らしき男たちが来た。

「一体、何を騒いでいるのかね?」

「レイトンさん! この子供がとんでもないことをしでかしたのです」

 副執事が先を急ぐように、口を開く。

「勝手に仕事を投げ出したり、このように害獣を連れてきたりと、やりたい放題だったのです。それで注意していました」

 喋りながら副執事は落ち着いてきたようだ。先ほどまでの激昂が嘘のようだが、早口なので焦っているのが分かる。シウは彼等がどうするのかを静かに注視していた。

「ところが、逆恨みしたのでしょう。害獣を使って威嚇するなど、全く躾がなっていないので困っていた次第です。騒ぎになったのなら申し訳ありません」

 レイトンと呼ばれた男性が思案げに顎を撫で、シウを見ている。護衛たちは、シウのことをまるで石ころでも見るかのようだったが、彼は違っていた。観察しているようだ。

 副執事がなおも言い募ろうとしているのを、レイトンが優しく手で抑えた。その時の副執事の顔がまた嬉しげで、なんと言えば良いのか、悪役らしい顔付きで笑えてしまう。もちろん、シウは笑ったりはしなかった。レイトンはゆっくりと頷き、口を開いた。

「君の言い訳を聞こうじゃないか」

 それには少しがっかりしてしまったが、シウは応えることにした。

「言い訳はありません。ただ申し伝えたいことがあります」

 言ってみなさいと、レイトンはいまだ鷹揚に構えている。シウは静かに返した。

 まずは一言一句違えずに、副執事の発言を話して聞かせる。一回目の時からの分もだ。途中、何度か副執事の邪魔が入ったものの、やんわりとレイトンに止められていた。

「というわけで、彼はこれがオベリオ家の総意であると仰ったので、僕はこう返しました。『オベリオ家に対して訴えを起こします』、と」

 護衛たちが俄かに顔色を変えていた。更にはレイトン自身の目付きも変わった。

 副執事に至っては折角落ち着いた顔色が真っ赤である。

「そんなでっち上げ! なんてガキだ!」

「黙りなさい、セト」

 レイトンにセトと呼ばれた副執事は、喉を鳴らして黙った。レイトンが続ける。

「しかし、君の言い分には証拠がない。こちらとしては穏便に――」

 彼はセトの暴言をなかったことにしたいのだろう。その判断はよく分かる。が、シウは怒っていた。特にフェレスを「殺してやる」という発言は許せなかった。

「証拠ならありますよ」

 レイトンの言葉を遮り、シウはにっこりと笑って言った。すぐにレイトンが厩舎長の顔を見たので、シウは首を横に振った。

「ここに、証言者を呼んでもいいですか?」

「……良かろう。呼びたまえ。ただし、すぐにだ。いい加減なことを言ったりしたら」

 言いかけた彼の言葉を遮って、シウは声を乗せた。覚えた通信の下位魔法だ。

「(ティア、悪いんだけど来てくれる?)」

 するとすぐに、厩舎横の出入り口にラエティティアが現れた。

「入るわよ」

 そう断ってから、彼女はエルフと分かる姿、つまり小さく尖った耳が見えるように髪をかきあげて入ってきた。

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