026 ドワーフの仕事
皆が脱力しているので、シウはベッドから身を起こしてフェレスを呼んだ。ベッドの上に乗せられていたフェレスは、みゅうみゅうと甘えるように鳴いて、寄ってきた。
それにしても、アグリコラとは「農夫」という意味がある。シウには、そちらが気になってしまう。農夫に「農夫」という名前を付ける奇妙さに。古代語ではあるが、意味は今でも通じる言葉だった。もっとも、猫という意味のあるフェーレース、猫型騎獣に対して、シウはフェレスと名付けた経験がある。人のことは言えないのだった。
とりあえず、朝食にしようと話が一旦終わった。
食堂まで行くと言い張ったシウに、やはり皆は上げ膳据え膳してくれるそうだ。ラエティティアが好みのパン屋で買い込んできてくれたので、シウはベッドに座って食べる。
「確かに、農夫に農夫って名付けるのはおかしいよな~」
「職業のところに、一応、鍛冶職人と表示されていたんだろう?」
「クエスチョンマーク付いてたけど」
「なんだそれ」
グラディウスが不満そうに返してきた。確かに、なんだそれ、である。シウも初めて見たので不明だ。それにしてもグラディウスは、固いフランスパンのようなものを、肉でも噛み千切るかのように豪快に噛み切って食べている。彼は、黙っていれば本当に好青年風なのに、食べる姿は豪快な山賊のようだった。
「でもまあ、農夫をやってるんなら西地区に行けばいいかな。その向こうが農地だし、住んでるならそのへんだろ」
そうそう。住んでるのはそこだ。シウは心の中で頷いて、念のため脳内地図を引っ張り出してきた。気を失っても、ちゃんとマーキングはされていたようだ。アグリコラは農園と思われる方向へ、歩いて向かっているようだった。
「農夫か……。俺の剣は一体どうなるんだ」
「ま、ま、それは話し合いの結果だろ。まずは挨拶に行ってみようぜ」
グラディウスの心細そうな声を聞くと、可哀想になってきた。彼は自分の剣を心から愛している。剣に名前まで付けているのだ。シウが最初に聞いた時は、思わず笑ってしまった。もちろん、剣には銘というものがあるのだし、物に対して名前を付ける人も一定数いるので構わないのだが。
「トニーが可哀想だ」
「やめろ、グラディウス。せめてトニトルスの剣と呼べ」
「いいじゃないか。トニーで」
「折角の名刀も、お前が呼ぶとバカみたいに聞こえる。頼むから止めてくれ」
「人前じゃなければ、いいんじゃないかしら」
「よくねえよ」
俺がバカになる、とキアヒは口が悪い。ラエティティアはどうでもいいのだろう、肩を竦めて無言になった。キルヒが宥めるように「まあまあ」と二人に笑顔で声を掛けているが、たぶん彼もどうでもいいのだろう。目は笑っていなかった。
探す相手の名前や職業が分かったことで、シウは一旦お役御免となった。
わざわざキアヒが家まで送ってくれたので、心配したエミナが「今日は絶対に家で寝ていること!」と言い出してしまい、眠くもないのにベッドの上の住人となってしまった。
昼間にベッドの上でいると、前世を思い出すので嫌なのだが、これも自業自得だ。
エミナの目がなくなり、シウは少し身を起こしてからフェレスと遊ぶことにした。
「みゅ、みゅっ」
最近は感情が分かるようになってきた。成獣になれば、意思の疎通もできるそうなので楽しみだ。最初になんと喋るのか、気になる。暇なので、フェレスと遊びながら、騎獣についての本を記録庫から探して読んだ。
そこで得たのは残念なお知らせだった。どうも、はっきりと意思を持って喋られる希少獣は聖獣ぐらいのようだ。その他の希少獣は、種類にもよるがほとんど「ただの意思の疎通」であるらしい。中には、長い時を経て賢者のようになるものもいるそうだが。
シウは、ちらりと横目にフェレスを見てみた。彼は、自分のふさふさの尻尾を追いかけて、ぐるぐる回っているところだった。
「みゃ、みゃ、みぅぅ!」
賢者になるのは、無理のような気がする。
いや、年を経れば誰だって大人になるはずだ。たぶん。そう思うシウだった。
猫型騎獣は、希少獣全体の中では、さほど寿命は長くない。それでも、少なくとも人間のシウが、冒険者として働いている間ぐらいは生きられる。お互いに年を取った頃、良い話し相手になれるのではないだろうか。そんな希望を持った。
その為にも、あれこれ読み聞かせるのが良いかもしれない。
考えてみたら、フェレスはシウの子供のようなものだ。唯一の家族といってもいい。
今は絵本を読んでも、赤ちゃんなので理解できないだろう。けれど、大きくなった時に「あれはこのことだったのか」と気付くかもしれない。
とても良い思いつきのように思えて、シウは紙を取り出して絵本を書こうとした。
書こうとして、そして、諦めた。書く都度からフェレスが邪魔をするのだ。
それに、どうやらシウには、物語を生み出す能力がないようだった。ならばと記録庫を漁ってみたのだが、よく考えれば脳内に表示されるものだから書き写す作業が必要だ。
「……今度、キルヒに頼んでみようかな」
複写魔法が初めて羨ましいと思ったシウである。
ラエティティアが家に来てくれたのは二日後のことだ。
面白いことに、エミナが挙動不審だった。
最初エミナは、「超絶美少女が来た!」と興奮して離れに走ってきた。それから、「案内するのを忘れてた!」と言って慌てて店に戻っていき、シウを唖然とさせた。
更に、エミナとっておきの紅茶を煎れてくれたのだが、珍しくもカップをかちゃかちゃと音を立ててテーブルに置いていた。その後もそわそわした様子で、部屋にやって来る。やれ、おやつだなんだと、まるで邪魔するかのように。
呆れたスタン爺さんに連れて行かれるまで、エミナはおかしかった。
後で聞いたところ、一緒に店番をしていたスタン爺さんが「おや、エルフとは珍しいものじゃ」と呟いたことから、ラエティティアの正体を知ったようだ。エルフに対して、ものすごく憧れのあったエミナが、大興奮したということだった。
ラエティティアの用件といえば、もちろんドワーフのことである。
「無事見つかったわよ」
「良かったね」
でもねえ、と溜息を吐く。
「彼、『わしは農夫だ、鍛冶なんてやらねえだ』の一点張りなのよ」
「……それはまあ、なんというか」
「その上、グラディウスが泣いてうるさくて」
あの青年が泣くのだろうか。想像してみたが想像できない。ラエティティアの大袈裟な比喩なのだろうと、シウは頭をふるふると振った。
「なんだか頑ななのよね。『農夫だから農夫をやるんだす』とか、訳わかんないわ」
「一応、『鍛冶の神に愛されて』いるんだよね?」
「近くにいたドワーフの人たちに聞いてみたら、確かにかつては鍛冶屋にいたそうよ。ロワルじゃないけれど。こちらには親戚を頼って来たみたいね。農夫をやりたくて、っていう理由らしいけど」
親戚のドワーフもどうしていいか分からず、困っているそうだ。
彼等も鍛冶屋や物造りの店をしている。だからだろう、余計に惜しいのだ。一族の誉れとも言える『鍛冶の神プリームスが祝福を与える』というギフト持ちが、農夫になると言い張っていることが。
ふと疑問に思って、シウはラエティティアに質問した。
「ドワーフって、農夫になっちゃいけないの?」
彼女は真顔になって、あら、と口を開けたまま考え込んだ。
「……そういえばそうねえ。なってはいけない、ってことはないんじゃないのかしら」
「本人が望んでるんだから、それでいいよね」
「ギフトを持ってるからって、従う必要もないわね」
ただ、問題は。
「グラディウスが煩いのよねえ」
彼等が、わざわざロワルに来たのはグラディウスの剣を直すためだった。
「そんなに修理が難しいの?」
「扱える人はいるのだけれど、少し癖があるようよ」
「癖?」
「一部にヒヒイロカネが使われているらしくて、その名の通り《雷》を通すことができる名剣なの。だから万全の備えとして『鍛冶の神様』に直してもらいたいわけ」
そんなすごい剣を、貧乏貴族の大家族で軍隊上がりの食い意地が張ったグラディウスが、どうやって手に入れたのか。シウが妄想を繰り広げていると――。
「顔に出ているわよ、シウ」
「だって」
「グラディウスは、確かに黙っていたら騎士風の剣士だものね。名剣を持っていても、不思議じゃないぐらいの」
ラエティティアは肩を竦めて、教えてくれた。
「軍隊にいた頃、怪我をした他の兵たちとともに見捨てられたそうなの。いつの間にか一人になって、山の中で彷徨っていたら庵を見付けてね。そこにいた老剣士が、グラディウスの食べっぷりが気に入ったとかで、弟子にしてくれたらしいわ。で、彼の死の間際に、これをやるってトニトルスの剣を渡されたとか」
「……世の中には親切な人って、意外と多いんだね。爺様も僕を拾ってくれたし」
育ての親のヴァスタを思い出してしまった。生まれたばかりのシウを、拾って育ててくれた。何の見返りもなしにだ。
「うーん。山の中で隠遁してるというところに、共通点があるわねえ。老境に差し掛かって、子供もいない。そこに、たまたま見つけた人間がいて、後を継がせようとしたってとこじゃないの?」
ラエティティアは、シウのような感傷に浸らないようで、とても現実的であった。
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