020 王立ロワル高等学院




 アキエラいわく、学院の子がお高くとまるのは仕方ないそうだ。「王族や貴族に生まれたのだから当然お高いわけよ」と、彼女は鼻息荒く言う。

「でも、大商人の子って関係ないよね! あと、天才だからって入学した庶民の子も、偉そうにする理由ないし!」

「偉そうにされたんだ?」

「そうよ。……それに、貴族の子にも」

 鞄の中から勉強道具を取り出して、ふいに、書字版を睨み付ける。アキエラは悲しげに書字版を撫でた。

「勉強するための紙もないのか、って笑ったの」

「そうかあ」

 それは確かにちょっと、思うところがあるだろう。シウはアキエラの頭を優しく撫でた。

「その子たちはね、生まれが、たまたま運良く上等だっただけ。苦労せずして、勉強させてもらえる環境があったことに、慢心してるだけなんだよ。人生において、本当に必要なオツムは持っていないんだね」

「……シウ君」

 きょとんとした顔をするので、また変なことを言ったかなとシウは焦った。しかし、アキエラはふふふと笑って、小声で「ありがと」と口にした。

 シウも笑顔になって、もう一度アキエラの頭を撫でた。

「可哀想なのは、その子たちなんだ。そんな人間性であることが、どれだけ賤しいことか、気付いていないんだから」

 ね、と言って慰めていたら、

「シウ君って意外にきついこと言うのね!」

 エミナが笑いながら部屋に入ってきた。


 ところで書字版とは、いわゆる黒板の、個人携帯版みたいなものである。

 地球でも、大昔に利用されていた「ロウ引きの板」のことで、先の尖ったペンで書き込んだりする。書き込む場所がなくなるとロウを溶かして綺麗にする必要があるので、面倒と言えば面倒だ。でも、魔法で火属性レベルが一あれば簡単に溶けるから、便利だ。

 反面、貴重な紙を使えないことに、子供たちは引け目を感じるのだろう。

 シウなどは使い勝手が良いため、子供の勉強に書字版は最高の道具だと思っている。

「あたしの頃にも交流会ってあったわー。これみよがしに私服で来るのよね」

「これみよがし?」

 シウが問いかけると、エミナはお茶を煎れながら、振り返って教えてくれた。

「学院は――。あ、三つある学院すべてだけど、制服なのよ。で、庶民は制服買えないから、私服で通うの」

 なるほど、と相槌を打つ。エミナは煎れたお茶をテーブルにドンと置くと、椅子にもドンと座った。

「制服だと、『買えない庶民が可哀想だから私服で来ましたのよ』なんだって!」

 それはまあ、なんと言えばいいのか。シウは苦笑しつつ、お茶をいただいた。

「あの交流会って必要なのかしら。あたしたちをバカにするために存在しているような気がするんだけど」

「そうなの?」

「物珍しげに、これは何あれは何って、あたしたちは珍獣じゃないっての」

「エミナ姉さんってば」

 さっきまで怒っていたアキエラも、エミナの勢いに押されて落ち着いたようで、逆に彼女を宥めていた。

「あいつら、やりたい放題なのよ。そりゃね、中にはしっかりした貴族の子もいるんだけど」

「そうじゃないと、この国の政治は終わりだもんね。悪い人は、悪いから目立つだけだよ。しっかりした人の方が多いんじゃないかな」

 シウが、にっこり笑って言うと、エミナがぽかんと口を開けた。

「……シウ君、あなた、前から思っていたけど、もしかしてエルフか何か?」

「えっ、ええ?」

「だって、大人みたいなこと言うんだもの。歳を誤魔化しているのかと思って。ねえ、アキ」

「うん。お店に来る学校の先生や、冒険者の上級ランクの人みたい」

 まさか人族だよと答えかけたが、エミナがアキエラに、

「やだ、アキ。まさか夜の方の手伝いに入ってるんじゃないわよね。ダメよ。夜はお酒が入るんだから」

 などと注意を始めてしまった。シウは黙って、二人のやり取りを眺めることになった。

「手伝わないよー。お母さんも、成人してたって手伝っちゃ駄目って言ってるし」

「ならいいんだけど。せめて結婚してからよね、酒場の仕事は。大体、男連中って飲みだすと途端に絡んでくるんだもん。お酒飲まなきゃ口説けないんなら、飲むなっていうのよ!」

「エミナ姉さん……。えっと、あの、勉強しよう? ね?」

 というわけで、アキエラの愚痴から始まった話は途中で終わったのだった。




 夜、シウはフェレスを寝かしつけてから、記録庫の中の本を読む。ここ最近の楽しみだ。この日はあるものを探すために検索から始めた。

 無詠唱の偽装について良い方法がないか、調べたかったのだ。「詠唱の簡略化をした」あるいは「口中で唱えていた」とか? そう考えて、腹話術みたいだと笑う。

 いっそ魔道具を作ってみてはどうだろうか。しかし、それだと子供が持つには高価すぎて、逆に疑われてしまう。

 困ったなあと思いつつも、シウの顔には笑みがあった。こうして考えることが楽しかった。自由だとも思う。

 神様にちょっと感謝してみよう。最初は躊躇ったけれど、転生して良かった。

 その日の夜、久しぶりに神様が夢に現れた。彼女は真面目な顔で「どういたしまして」と一言だけ告げ、消えてしまった。神様らしくないなあと思ったところで、目が覚めていた。なんだか眠った気がしない、朝だった。


 シウが無詠唱についてスタン爺さんに相談すると、彼はあっさりと答えをくれた。

「使える魔法の魔術式を、古代語で体に刺青しておると言っておけばよかろう」

 なにそれ、である。

 シウはびっくりして、高速で記録庫を漁りながらスタン爺さんを見た。

「古代語ならば元より簡略化されておるし、刺青で直接体に描いておれば、発動が短くてすむんじゃ」

「知らなかった! あ、本に書いてる」

「なんじゃ、また便利なやつか。いいのう。わしもそういうのが欲しかった。じゃが、仕事をせんからやっぱりいらんかのう」

 と、「落ち」までつけてスタン爺さんは笑う。

「でも、古代語で刺青なんて、変じゃないかなあ」

「王都にも無詠唱を行う者はおるぞ。お前さんのように、全てというわけにはいかんから簡単なものだけじゃが」

「そうなんだ。あ、刺青って、体の魔素に直接働きかける仕組みなんだ。へえ」

 読みながら喋っているのでおかしなことになるが、スタン爺さんも慣れたものである。

「軍人なんぞが、魔術師に書かせておるぞ。すぐに発動できるようにの」

 嫌そうな顔で言う。スタン爺さんは戦争が嫌いだ。大昔、悲惨な場面に遭遇したことがあると、言葉少なに語ったことがある。シウも前世の記憶があるため、忌避感はある。もっとも戦争が好きな人は、職業軍人以外では珍しいだろうが。

「……じゃあ、騎士も体に?」

「いや、騎士は見た目も大事じゃから、刺青は禁止じゃったかと」

 騎士は綺麗どころばかり集められるらしい。

「代わりに腕輪で代用すると聞いたこともあるの」

「腕輪……。ああ、魔道具のようなものかな」

 それじゃあどちらにしても高くつく。少なくとも、高い物だと思われてしまう。だったらやはり、体に刺青してもらった、がいいかもしれない。そこまで考えていたら――。

「そもそも、珍しい魔法は人前で使わんことじゃよ」

 ということである。


*****


 翌日からも、シウは十級ランクの仕事を選んで受けていた。

 時間の都合が付かないことや、仕事に行った先でお昼をごちそうになることもあり、お弁当を持っていくのは止めた。

 それに、新しく屋台を見付けて食べてみるのもいい。屋台は大抵、当たりだった。これから店を開くんだ! という気概があるからだろうか。味に慢心していない。

 その日も串焼きの店で遅めのランチを食べていた。

 店主が片付け始めているのを眺めながら、柔らかくした肉の一部をフェレスに食べさせていると、若い男の声がした。

「あー、臭い! なんだこの匂いは」

「庶民の匂いでしょう。オルストイ様の美しい服に匂いが移ってしまいますわ。あちらへ参りませんこと」

 シウが振り返ると、制服らしきものを着た少年少女たちが見えた。服の仕立ての良さから、エミナやアキエラの言っていた「学院」の子だろう。

「だが、これから治める者どものことだ。勉強せねばなるまい」

「まあ、さすがオルストイ様ですわ」

 学芸会? と思わず呟きそうになった。

 魔法の詠唱を口にするのと、どちらが恥ずかしいだろう。シウは考えて、どちらもないなあと頭を振る。

 その動作に気付いたのかどうか。少年少女たちがシウに近付いてきた。で、言い放ったのがこれである。

「このように不味そうなものを食べるとは……。どれほど飢えているのか。憐れだ」

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