007 乗合馬車




 シウが出発することを伝えたら、おかみさんは涙ぐんでいた。二ヶ月近くも滞在していたので、親しく思ってくれたようだ。

「くれぐれも気を付けるんだよ。あんたは小さいし、妙に礼儀正しいし、こんなんで冒険者なんてやってけるのか心配だったけど……。まあ、そこらへんの大人の冒険者よりしっかりしてたからね、大丈夫だろうとは思うけどさ。ああ、でもやっぱり心配だよ」

 シウは苦笑して、告げた。

「ここからは王都に近いし、ミニア領もすぐそこだから安心だよ。大丈夫」

「王都に近いって、あんた。ここからは随分と遠いんだよ」

「僕のいたアガタ町へ行くより、近いよ」

「……聞いたことない名前だね」

「イオタ山脈の麓なんだけど。一応、このコレル街と同じサルエル領内だよ?」

 おかみさんは眉を顰めた後に、目を見開いた。

「イオタ山脈の麓! あんた、あんなところから来たのかい?」

「う、うん、そうだけど」

「あー、そりゃあ、なるほど」

 納得したような、妙な唸り声で頷いているのでシウが首を傾げると、おかみさんは慌てて口を開いた。

「あんな深い山奥の育ちだったら、そりゃあ、そこらへんの冒険者顔負けだね。なんだ、あたしゃ心配して損したよ」

「損……」

「いや、ま、言葉の綾だよ。そうかそうか、それでなのかね」

 先ほどまでの、しんみりとした空気は消え、おかみさんは大きなお腹を叩きながら厨房に入った。よく分からないながらも話が終わったので、シウは部屋へ戻ることにした。


 購入したパンの半分は空間庫に放り込む。保存食にもなるという蜜棒パンや、試しに食べようと思っていた黒パンなどは、持ち歩くリュックに入れた。薬草で作った薬も、保存期間を確認するためリュックに入れたままだ。ここには他に、着替えの服一揃えが入っている。

 山へ分け入る時に必要な鉈は、そろそろ深い森のない街道では必要ないだろうと、空間庫に入れる。代わりにナイフを自作の腰帯に装着した。使い勝手を考えると自作に敵うものはない。身の回りのものはシウが自作するため、今では生産魔法はレベル四だ。

「さて、と。あとは生野菜だけかな」

 空間庫にもあるが、どうせならコレル街で仕入れられる野菜も食べてみたいところだ。

 明日出発するので、その前に朝市で買っていこうと、脳内にメモした。

「フェレスの登録も済んでるし、首輪もした、と」

 迷子になってもシウは探せるので大丈夫だが、飼っている騎獣は登録しておかないと盗まれても証明できなくなる。身分証明を兼ねたギルドカードなので、シウの場合は冒険者ギルドでフェレスの登録を行っていた。そして――。

【忘れ物なし】

 前世での職場安全キーワードを口にして、確認を終えた。




 コレル街を出発する際、シウは初めて乗合馬車を利用してみた。大きな街道沿いなので、毎日のように商売人などの馬車が走っている。たまに個人の商売人や旅人などが、声を掛け合って馬車を借りるそうだ。人数が増えると運賃も安くなるので、門前で誘い合わせる声があって気になっていた。

 親切な人に教えてもらい、ついでにと誘われて数人で乗り合うことになった。

 行先はミニア領のソルレア街だ。大きな街道沿いにあり、コレルからは西方になる。このソルレア街を基点にして、大街道がミニア領都と王都への道とに分かれる。だから往来は多いようだ。

 馬車に乗ると、皆が挨拶を始めた。最初は若い商人のようだった。

「ロナウドだ。俺は領都までの荷運びなんだ、よろしく」

「わたしはトマス、薬師です」

「僕は教師をしてるカカタツです。里帰りして領都に戻るところなんです」

「俺は護衛官で、調べものの帰りだ。おっと、ユータスだ。よろしくな」

 彼が、シウに乗合馬車を教えてくれ、かつ誘ってくれた人だ。次は、老爺だった。

「わしは、孫の結婚式に顔出しした隠居爺じゃよ。ソルレア街に店を持っとるんじゃ。バリアド道具屋というから、縁があったら寄ってくれ」

 老爺の挨拶の後は、最後となるシウに視線が集まった。

「シウです。王都まで働きに出るつもりで田舎から旅してます。こっちはフェレス。うるさくしませんので、よろしくお願いします」

 頭を下げると、皆がうんうんと嬉しそうに頷いた。希少獣の子は珍しさと羨ましさで、可愛がられるのだ。皆の目もフェレスに釘付けだった。

 最後に、

「俺を忘れないでくれよ! 御者のルイスだ。ソルレアまで三日、領都までなら四日か。よろしく頼むよ」

 御者から挨拶を受け、皆が和気藹々とした様子で馬車の旅は始まった。


 ミニア領は王都に近いこともあって、街道は広く、移動の隊商も多い。とはいえ、馬車同士がすれ違うにはギリギリといったところだ。また、深くないとはいっても森や谷もまだまだ続くので、同じ方向の馬車は固まって移動していた。

 隊商には護衛もついているので、乗合馬車としては、そのおこぼれに与ろうと後ろを走っている。隊商もいつものことだと分かっているのか、特に文句は言ってこない。

「馬車って楽だなあ」

 シウが思わず独り言を漏らすと、周囲から笑いが起こった。

「はは、田舎からずっと歩きだったのかい?」

 教師のカカタツが話しかけてきたので、シウは、

「そうです」

 と頷いて、膝の上のフェレスを撫でた。同乗者たちもその動きを微笑ましく見ている。みぅー、みぃっ、と鳴いているが、小さい子猫の甘えた声はうるさく感じることもない。とにかく愛らしい姿に皆が目尻を下げていた。

「希少獣は知能が高いって聞いたけど、そういう姿を見ると、まるっきり子猫だよね」

 ロナウドが面白そうに覗き込んでいる。

「希少獣に詳しいのかい?」

「俺は生き物は取り扱わないんだけど、専門の業者もいるからさ。寄り合いなんかで聞くんだ」

 カカタツとロナウドが話をするのを、周りは相槌を打って聞いている。ただし、視線はフェレスに集中していた。フェレスはとにかく元気いっぱいに、うみゃうみゃ鳴いてはシウの膝の上を飛び跳ねている。

「調教するのも簡単だって。でも、拾って育てた人間には負けるらしいけど」

 シウは、あれ、と首を傾げた。

「もしかして、取り引きされたり?」

「そうそう。結構売り買いされるもんよ」

「そうなんだ」

 拾ったら幸運だと思っていたが、それを売り払うものなのかと、ちょっと悲しく思う。シウの気持ちが顔に出たのか、バリアド爺さんが口を開いた。

「田舎の村じゃとな、育てるにも金が必要なんじゃよ。一人前になりゃあ、仕事もできるから金も儲けられるかもしれんがの。それまでの育児や躾が大変なんじゃ」

 そこに、あまり喋らない薬師のトマスが、

「貧乏だと、てっとり早く金が入る方法にしか目がいかなくなるものなんですよ」

 と、しみじみ言う。護衛官のユータスも頷いていた。

「田舎だと希少獣が手に入ったからって、仕事替えする場も能力もないしな」

「というわけで、専門の業者もいるってわけ。新しく増やしたい場合は俺にご連絡を!」

「営業かよ、ははは」

 ロナウドの冗談にユータスが楽しげに笑う。

 シウは、なるほどやっぱり自分は知らないことや思い込みだけで考えている部分もあるなと、改めて認識した。


 それからも旅は順調に進んだ。ソルレア街に到着する前夜は、旅人たちが宿泊地にしている広場で最後の野宿となった。

 乗合馬車の中では全員寝ることができないので、それぞれ寝袋やテントなどを使う。

 隊商も同じ広場にいるので明かりが点けられており、明るくて安全だ。

 シウは、少し離れた場所に小さ目のテントを張った。フェレスが煩くすると悪いからと、毎回皆の誘いを断っている。その代わりではないが、晩ご飯の時には蜜棒パンを差し入れた。これにはとても喜ばれた。御者のルイスは店の名前まで聞いていたので、戻りの便で買いに行くのだろう。こうしたやり取りも、乗合馬車ならではだと思う。

 食後はすぐ休むと言って、テントに引っ込んだ。フェレスを寝かしつけて、いつものように《空間壁》を作る。これで誰も入ってこれないので、続いて転移を行う。

 最近はレベル上げのため、毎晩、森の中に転移しては練習を繰り返していた。旅の最初はのんびりやっていたが、そろそろ王都に近付くのだと思うとやはり緊張する。どこでバレるかも分からないし、なるべくなら隠しておきたい。なので、隠蔽魔術を覚えるべく連日練習しているのだ。


 いつものように、少し離れた森の中で練習していると《全方位探索》に引っかかったものがある。

(《感覚移動》)

 先に視覚聴覚だけ転移させてみると、誰かが襲われている様子が分かった。

(《転移》)

 移動先には狼型魔獣ルプスが多数おり、それらに囲まれるよう、壊れかけた馬車が立ち往生していた。

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