よく似た不毛な恋心 お題『バレンタイン』


 ※※※バレンタイン小説。例外的にお題はバレンタインのみ。※※※






 わたしが家に帰ると、玄関にはすでに見慣れた靴が置いてありました。


 わたしは慌てて靴を脱ぐと、走るのももどかしく思いながら、転がり込むように居間へ駆け込みました。

 そこには、こたつに入って楽しげにおしゃべりしている、母とあっくんが居ました。


「あ、おかえり、まーちゃん。そんな焦ってどうしたの?」

「ちょっとママ! あっくんが来たならメールしてって言ったじゃん!」


 怒るわたしに、母は「えー? そんなこと言ったっけ?」ととぼけてみせます。


 わざとらしい様子に、わたしは更に頭に血が上るのを感じました。言いました。確かに今朝、言ったのです。だからわたしは、学校が終わってから家に帰るまで、何度もスマホを確認して、できるだけあっくんより先に帰ろうと急いだのです。

 それなのにこの人は、あえてそれを無視して、あっくんとのティータイムを楽しんだのです。ひどい。本当にひどい悪女です。こんな人、母でも何でもなく、ただの敵です。


 母への怒りは収まりませんでしたが、そんなわたしに、横から声がかかりました。


「よう、麻奈美。お邪魔してるよ」

「もー! あっくんも、なんでこんなに早いの! わたしにだって色々準備が……って、ぎゃあああああああっ! それチョコ、もしかしてチョコじゃない!?」


 見ると、お茶請けになっているのは、色んな形のミニチョコでした。

 一口大のチョコは、星型や十字型、ハート型と色んな形が当て、市販品ではありません。見覚えのあるこの形は、昨日わたしが母と一緒に作ったものです。


 それを一口かじりながら、あっくんはニヤッと笑って言いました。


「いやあ、うまく作ったもんだ。佳奈美さんの手伝いだったとしても、十分美味しい。うん、合格だ、麻奈美」

「偉そうに合格とか言わないでよ! こういうのはもっと、ムードとかシチュエーションとかが大事で……。もーッ! ママ!」


 本当はちゃんとラッピングして、ゆっくりと落ち着いて渡したかったのに……家に帰ったらお茶請け代わりに勝手に食べられていたのです。

 ひどいです。屈辱です。しかも面と向かって、合格などと言われてしまいました。こんなの、本命チョコだと思われていない証拠です。


 わたしがキッと母を睨むと、母は「おお怖い」とニヤニヤ笑いながら、お茶のおかわりを淹れに台所に向かいました。


 その後姿を、あっくんがデレッとした顔で見ています。大方、母のお尻を凝視しているのでしょう。ジーンズで形がはっきり見えたお尻は、空手をやっていただけあって肉付きが良いです。でも、近くにわたしという若い娘がいるのに、子を一人産んだ熟女に色目を向けるとは、何事でしょう。年増が好みなのです。あっくんは熟女好きです!


 むー、と口を経の字に曲げながら、わたしはそのまま手も洗わずにこたつに入りました。場所は、あっくんの右斜め前です。それから、ジトッと不満をこめた目で彼を見つめます。


 それに対して、あっくんは不思議そうに見返してきます。


「ん? どうしたん?」

「この年増好き」

「おいこら、どこでそんな言葉覚えてくるんだ」


 慌てたようにワタワタとするあっくんの姿に、わたしはちょっとだけ愉快になりました。多少は意識しているのが確認できただけでも、収穫です。


 あっくんは、わたしの母の妹の子供、つまり従兄弟です。

 あっくんの方が年は上で、今は大学生なので、こうして家に来てもらって勉強も教えてもらっているのです。そのせいか、彼はわたしのことを妹のようにしか思っていないようで、それがとても腹立たしいのです。


 ちなみに、あっくんと母は、同じ空手道場に通っているという関係でもあります。今でこそ週に一回しか行っていないですが、昔は二人共ほぼ毎日行っていました。


 さすがに母が恋愛対象になることは無いとは思いますが、勝手に二人が絆を深めていたという事実が気に入らないので、わたしは必死に張り合うように、あっくんにアピールします。


「もー! こんなに近くに、ぴちぴちの女の子がいるんだから、こっち見てよ! ほらほら、制服かわいいでしょ? この辺じゃ制服なんてあんまり見れないでしょ? 男の子はこういうの好きなんでしょ?」

「ぴちぴちってお前……」


 わたしの言葉に、またも「どこで覚えたんだよ」と口にしながら、あっくんは何か言いたげな様子でわたしの方を見ます。


「む、何か言いたげだね。はっきり言ってよ」

「そもそも、凹凸はねぇしツルツルだし」

「地獄に落ちろ!」


 思わず手を出すと、あっくんは「おっと」と言って、軽くわたしの右手を払ってみせます。さすがは空手経験者というべきか、それともわたしが非力すぎるのか。そのあしらい方があまりにも軽いので、屈辱でした。


 なので、抗議するように上目遣いで言います。


「あのね。あっくん」

「うわ、随分しおらしい声だして気持ち悪いな……。今度は何だよ」


 まるでわたしが、毎回変なことをやってるみたいな言い方はやめて欲しいものです。

 あっくんの言葉を都合よく無視したわたしは、こたつから這い出てにじり寄りながら、囁くように言います。


「ほら、今日ってバレンタインデーでしょ? だからわたし、頑張ったんだ。チョコの手作り、はじめてだったんだよ?」


 お茶請け代わりに適当に出されたチョコの山が視界の端に入って、多少思うところはありましたが、でもこの際仕方ありません。食べてもらえただけマシと思いましょう。大事なのは、受け取ってもらって、気持ちを伝えることなのです。


「頑張ったのは、あっくんに食べて欲しかったからなんだよ。だから……ね? このチョコ、本命だから、大切に食べて?」

「お、なら遠慮なく」


 パクパク、パクパク。

 本当に遠慮なく食べ始めましたよこの男。


 あれ? わたし、何か間違えましたか? かなり勇気を振り絞って告白したつもりなんですけれど、全く相手にされていないんですが。


「うん、おいしいな。こりゃ将来、お菓子屋さんになれるんじゃないか? それか、料理上手なお嫁さんかな。はは!」

「……あっくん、なんだかオッサンっぽい」

「オッサン!?」


 ショックを受けているあっくんをちらっと見て、わたしは勢い良く立ち上がります。


「もう! あっくんのバカ! 知らない!」


 最後に捨て台詞を言いながら、わたしは自分の部屋に走っていきました。


 バカ。本当にバカです。乙女の純情を弄ぶ、とんでもないバカです。一世一代の告白だったのに、軽く流すなんて卑怯にもほどがあります。子供扱いするのもいい加減にして欲しいです。




 あんな人、母といい感じになって、不倫して、父にメッタメタにされれば良いんです。

 そしてその後に、わたしに拾われれば良いんです。




 そうです。まだ諦めたわけではありません。

 わたしはあっくんが好きなのです。あっくんがわたしを意識していないのなら、意識するまでずっと付きまとうだけです。わたしはそれくらい心に決めているのです。年の差なんて、覚悟さえあればいくらでも埋まります。



 乙女の覚悟をなめないでもらいましょう。

 この恋は、絶対に実らせるんですから!




※ ※ ※




 捨てぜりふを吐いて出ていった麻奈美を、俺は苦笑いしながら見送った。

 すると、入れ替わりで佳奈美さんがお茶を持って戻ってきた。


「もう、あの子ったら、台所まで声が聞こえてたよ。最近ませちゃって、困ったもんね」


 お茶を二人分置いて、佳奈美さんは正面に座る。そして、こたつの上に置いたチョコの山から、一つ取って口にする。


 それを見ながら、俺は苦笑いをする。


「っていうか、これやっぱバレンタインチョコじゃん。麻奈美ちゃん、かなり怒ってたけど大丈夫かよ。なんか、はじめての手作りらしいけど」

「へっ。手作りったって、あの子がやったのなんて型にチョコ流し込むだけだぞ。テンパリングとか全部あたしがやったんだから、ほとんどあたしの手作りだっての」


 蓮っ葉に言い捨てる佳奈美さん。娘の姿がなくなったことで、素が出てきている。空手道場で見せるような乱暴な態度。頼れる姉御肌って感じだ。


 そんな彼女は、ひらひらと一口大のチョコを手で弄びながら、ちらりと流し目で俺の方を見てくる。


「そういや、アキは知ってたっけ? まーちゃんが私立の小学校受けた理由」

「は? いや、聞いたこと無いけど。佳奈美さんの教育方針とかじゃないの?」


 急に何を言い出すんだろうと首を傾げていると、佳奈美さんはクスクスと笑いだした。


「それがさー。私立なら、、ってあの子自身が言ったの。『年上の男の人は制服が好きだから』とか言ってね。まったく、何処で知ったんだか」

「……変なドラマ見せるの、やめた方が良いんじゃない?」

「見せてねーよ。勝手に見てくるんだ」


 娘の前で見ること自体が悪いとは思わないんだろうか、この人は。最近妙に変な言葉を覚えてくると思ったら、このガバガバ教育のせいのようである。


 俺が麻奈美の将来を案じていると、改めた様子で佳奈美さんが聞いてくる。


「で? アキ」

「なんすか?」

「手作りはともかく、あの子の告白はマジなんだけど、そこんとこ、どう思う?」


 本命チョコ、と言ってきた。

 こないだまで幼稚園児だった女の子が、随分ませたことを言ってくる。


 それが正直な気持ちだったので、俺ははっきりと本音を口にした。


「俺の本命は昔から佳奈美さんだし」

「あはは! その様子じゃ、全く脈なしみたいだね。いやあ、我が子ながら、可哀想に」


 可哀想に、などと言いながら、どことなく楽しそうに言う佳奈美さん。普通に性格が悪いと思う。

 というか、仮にも小学生の娘を、大学生に勧めるような言い方するのはどうかと思うのだが。


「だいたい、小2の女の子の告白を受けろとか、無理に決まってんじゃん。俺ロリコンじゃないし」

「でもほら、年齢的には十歳差だろ? あたしと旦那がそれくらいだから、将来的にはそんな変でもないと思うけど」

「じゃあ、八歳差の俺と佳奈美さんも有りじゃない?」

「お? なんだ? 随分今日はしつこいじゃない。はは、そんなに口説かれるのは女冥利に尽きるけど、本気で口説くつもりなら、まずうちの旦那を通すようにな」


 おっと、切り札が来られた。

 佳奈美さんの旦那は、通っている空手道場の師範代だ。彼の名前を出されたということは、これ以上の冗談は許さないという牽制でもある。


 せっかくのいい気分だったが、あんまりこじれさせても仕方ない。

 俺は肩をすくめながら、更にチョコを口にした。


 テーブルに置かれているのは、一口大のチョコで、星型やら十字型やら、色んな形がある。その中で、ハート型のチョコを手に取る。


 微妙に形のはみ出した、不格好な形のチョコだった。作ったのが誰かわかりやすいそのチョコを口にし、小さく笑いながら俺は天井を見上げる。


 間取り的に、ちょうど真上辺りに麻奈美の部屋がある。

 小学二年生の、ちょっとませた女の子。思えば、俺が佳奈美さんと出会ったのも、ちょうどあのくらいの年齢だった。



『佳奈姉ちゃんは、俺が結婚してやるから!』



 ふいに、こっ恥ずかしい記憶を思い出して、俺はクッとくぐもった笑い声をこぼした。


「まったく。互いに不毛だよなぁ」

「ん? なんか言ったか、アキ」

「いや。こっちの話」


 同じ空手道場に通っているから、結婚した後も良く顔を合わせた。娘が生まれた時には、その子の面倒を見るという理由をつけて、新居に出入りするようになった。


 叶わぬと知ってても、せめて会える口実を作って、少しでも一緒に居られたらと思って。



「ま、せいぜい頑張るんだな」



 他人事のように言いながら、俺は同じ不毛な恋心を抱く女の子を応援するのだった。




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三題噺 西織 @nisiori3

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