妄想推理で事実はゼロに お題『カレンダー』『夜行バス』『スイカ』
妄想推理で事実はゼロに
お題『カレンダー』『夜行バス』『スイカ』
大学の夏休みを利用して、俺は免許合宿に参加していた。
「おーまいごっど」
神は死んだ。
半ば収容所じみた施設を前にして、俺は早くも心が折れそうだった。
ゆらゆらと揺れる陽炎は、うだるような厚さを嫌でも意識させてくれる。夏真っ盛り、何が好きでこんな山奥で軟禁されなければならないのか。
なにせ教習以外にすることがない。古い施設、まずい飯、何もない田舎と三拍子揃った時点ですでに絶望感が半端ないのだが、更に追い打ちをかけるように、同時期に合宿に参加するメンバーにはほとんど女っ気がないと来た。数え役満である。家に帰りたい。
とは言え、高い金を払って参加しているので、せめて免許だけでも取って帰らないと、何のために参加したのかわからない。
いや、八割方、ひと夏のアバンチュールを期待していたので、まったくもって元は取れていないのだが。
そういった愚痴を、初日に電話で後輩のレイに愚痴ったのだが、当の彼女はゲラゲラと腹を抱えて笑った直後に、「私を差し置いてリア充イベントなんて企むからですよお馬鹿さん♪」という可愛らしい返答がなされた。どうやらリア充イベントをご所望のようなので、今度、無理やり連れ出して、虫だらけの山の中でバーベキューでもごちそうしてやろうと思う。
さて、そんなわけで。
免許合宿も折り返し地点を過ぎた八日目。教習所の教官とも打ち解けはじめ、教習中だけでなく、休憩時間にも雑談を交わすようになった頃のことだった。
俺を担当してくれている教官の一人に、倉木教官というひとがいるのだが、彼と話をしていた時のことだった。
「私は十年くらい前、夜行バスの運転手をしていたんだけどね。そのときに、妙なお客さんをよく見かけててね」
どんな会話の流れでその話になったんだっけか。
確か、昼食の席だった。俺以外にも何人か教習生と教官がいて、不思議な経験を語り合っていた気がする。
倉木教官の言う『妙なお客さん』というのは、こういった話だった。
「私の担当順路は東北から関東までの五時間くらいの区間でね。ルートの中に製鉄所の集合地帯があったから、週末には作業員の人たちがよく乗っていたけれど、そんな顔見知り以外には、ほとんど利用者の居ないようなルートだったんだ。その中で、ある年の二月から三月にかけて、普段見ないお客さんを何度も乗せて、気になったんだよね」
とは言え、利用客の事情なんてものは詮索するものではないし、必要だから利用しているだけで、別段気にするほどのことでもないはずだった。
しかし、倉木教官が気になったのは、その利用客の『荷物』だった。
「一番気になったのは、ボールを持ってきたときだね。大きさ的には、メロンとか、小さなスイカくらいかな。ハンドボールくらいの大きさのボールを、持って乗ってきてたんだ。ほら、サッカーボールを入れるようなボールネットがあるだろう? ああいうのを手に下げていたんだよ。大荷物ってわけじゃなかったから、余計にそのボールが気になってね」
ボールネットは中が見えないようになっていて、中に何が入っているのかがわからなかったそうだ。少し重たそうにしていたそうで、相当重量のあるもののように見えたという。
「そういうボールを持ち込んでくることが何度かあったかと思えば、次の週には剣道とかで使うような竹刀袋を持ち込んだり、そうかと思えば、普通にスポーツバックを持ち込んだこともあったんだ。まあ、ボールの持ち込みの方が多かったんだけどね。いろんなスポーツをしている人なんだなぁと思ったんだけど、でも年齢は五十代くらいで、体格もスポーツをするような感じじゃなかったんだよ。だから気になっていたんだけど、その人、三月が終わる頃には、ぱったりと乗らなくなってしまってね」
まあ、不思議といえば不思議な話である。けれど、それだけで言えば、ただ変な客を乗せただけで終わる。
後日談というか、オチというものが用意されていた。
「夜行バスの運転手は五年くらい続けていたんだけど、その頃にちょっとした事件があってね。ほら、覚えてないかい。東北の山中で、白骨死体が見つかったっていう事件……」
人間の腕の一部であると思しき骨が、見つかったという事件。
当時はバラバラ殺人ということで随分世間を騒がせていたのだが、存外早く犯人も見つかり、話題はすぐに収束した。
「はは、まさか、倉木さんはその犯人を、乗せていたっていうんですか?」
「写真に写ってる犯人と、私が乗せた五十代の男は別人だったけどね。でも、あの時乗せていた男のことが、急に不気味に思えちゃってねぇ」
それ以来、夜道をバスで走るのが怖くなって、倉木教官は転職を考えたという。
その結果、今の指導員としての職を得たのだから、人の縁というのはまこと不思議である。
そのあと、特に面白いことも愉快なことも胸がときめくこともなく、免許合宿はつつがなく終了した。
※ ※ ※
天然の牢獄のような合宿所から開放された翌日。
俺はレイの元を訪ねていた。
あの女ときたら、俺が様子を見に行かないと、延々と引きこもってインスタント食品まみれの生活をしているような、純正のヒッキーである。目的さえあれば外出しないわけではないのだが、逆に言えば目的さえなければ外に出ることはない出不精なのだ。
彼女の骨密度のためにも、俺は太陽のもとにレイの柔肌を晒す努力をする義務がある。
そんなわけで、十四階建てマンションの十四階にたどり着いた俺は、鍵を使って扉を開けると、我が物顔で室内にはいった。
「おーい、レイ。飯持ってきたぞー」
大声で聞こえるように言うと、驚いたようなレイの声が響いた。
「え、ちょ、タケ先輩!?」
そレイとほぼ同時に、何やらボコッ、と、鈍い打撃音が響いた。
……いや、何だ今の音。
一瞬ビビってしまって立ち止まった俺に、遠くからレイの声が響く。
「もー! 勝手に入るなって、いつも言ってるじゃないですか! いま手が放せないんで、ちょっと待ってて下さいよぉ」
レイの声は若干反響している。これは――風呂場か?
やれやれ、と頭をかきながら、俺はにやりと口の端を歪める。
「仕方ねぇだろ、お前インターホン鳴らしても、玄関開けようとしてくれねぇんだからよぉ。そんで、今風呂場か? よっしゃ、覗きチャンス!」
「チャンスじゃねぇですよこのお馬鹿!」
レイが叫んでいるが、気にすることはない。
普段は、女扱いする気なんて微塵も起きないような残念な後輩だが、それはそれ、これはこれ。ヒッキーのくせに発育だけは良いのだから、たまには眼福にあずからせてもらっても、問題はないと思うのである!
というわけで風呂場をバーンっと開いたのだが、そこで俺は、身の毛もよだつような事件現場を目にすることになった。
浴室に広げられた、ブルーシート。
一面に飛び散った赤い汁と、砕け散った赤い欠片。
その中央で、無残に割れて中身を覗かせている、球体のブツ。
そして。
スク水を着たレイが――これもツッコミのポイントだったが、今は目に入らなかった――手に赤く染まった――猟奇度の高い――麺棒を握りながら、興奮したように言う。
「やーい引っかかった引っかかった! 全裸かと思った? ざんねん! スク水でした!」
「……いや、何やってんのお前」
「え? スイカ割りですけど」
「…………」
ドン引きだった。
麺棒で乱暴に叩かれたのだろう。スイカの表面は一部が砕けて中身が飛び散り、中途半端にヒビが入っている。うまく割れなかったからか、何度も叩かれたスイカは、ボコボコに穴が開いている。なまじ元の形を保っている分、猟奇度が高い。
これが……スイカ割り?
浴室に広がっていたのは、スイカ割りなどというリア充イベントの名残ではなく、スイカ殺人事件とでも言うべき、凄惨な事件現場であった。
「いや、お前、スイカ割りって……なんで風呂場で……」
「だって、室内でやると、汁が飛び散って汚れるじゃないですか。だったらお風呂でやったらいいかなーって思って。水着を着ていれば汚れててもいいですし、それに、夏の雰囲気味わえるし、一石二鳥、らっきー、って!」
「…………」
「ふっふっふ。これでとうとう、私も『スイカ割り』をマスターしましたよ! これはリア充検定二級クラスの大偉業ですね。社会復帰どころか、二段飛ばしでリア充の仲間入りですって。ほら、褒めてくださいよせんぱい! せーの! レイちゃんすごい、レイちゃん素敵! レイちゃんサイコー可愛い愛してるぅ!」
つい最近成人したばかりの娘が、スク水姿で片手に麺棒を握り、何やら奇っ怪な動きで踊り始めた。
超馬鹿な後輩による、躁鬱特有のハイテンションを見て、ようやく俺は冷静になれた。
「てめぇ、食べ物を粗末にしてんじゃねぇよこのボケ!」
結構マジギレした。
閑話休題。
俺にしこたま怒られたレイは、自慢のツインテールをしおしおさせながら、お風呂掃除に勤しんだ後、布団にサナギのようにくるまって、ふてくされていた。
「いい加減、機嫌直せよ。お前」
無残に砕けたスイカは、俺の手で切り分けた。無事だった半玉は冷蔵庫で冷やし、バラバラに砕け散った方は、ブロック状にして皿にとり分けている。
俺はレイの前に座り込んだ。
「つーかこのスイカ、どうしたんだよ。随分立派なもんじゃないか」
「買いました」
「買ったって、通販か?」
「いいえ。八百屋さんで。……まるまる一つ、欲しかったんで」
スイカ割りがしたかったんで……と、ボソリとつぶやいた。
躁鬱のうつ状態で放たれた言葉を聞くと、さすがに罪悪感がこみ上げてくる。
彼女はスイカ割りがしたいがために、この炎天下の中で外に出て、八百屋に行き、下手なコミュニケーションを取ってスイカを購入し、家に帰ってきたのだ。その労力を考えると、切なさすら覚える。
「はぁ。悪かったよ。一方的に怒っちまって」
レイの子供じみた願望から来た遊びを、頭ごなしに詰ってしまったのは、ちょっとだけ失敗だったように思えた。
「楽しかったんだよな。それを台無しにしたのは謝るって。すまん」
「……あーん」
「は?」
「あーんしてくれたら、許します」
「…………」
ブロック状のスイカをフォークで刺して、ワガママ娘のご要望にお答えする。
目元は布団で隠したままで、口だけ出すようにしていたレイは、スイカを口にふくむと、幸せそうに咀嚼をはじめた。わかりやすい反応だった。
スイカを口にするたびに、歓喜からか、被った布団が震えだす。そんな行動を何度も繰り返し、少しずつレイは布団から顔を出していった。皿に盛っていたブロックスイカがなくなった頃には、レイの機嫌もなおっていた。
サナギからミノムシに進化したレイは、小憎たらしい笑顔を浮かべながら尋ねてきた。
「それでー。せんぱいは、合宿どうだったんですか? 私に内緒でリア充イベントでも体験してきたんじゃないんですか? うん? うん?」
「てめぇ、初日にした愚痴を覚えてて言ってんだろ」
機嫌が直ったら直ったで、面倒くさい後輩だった。
ありのままを伝えるのは癪だし、かと言って自慢できる話があるわけではない。教習中の失敗談なんかは笑い話にもなりそうだが、さてどうしたものか。
そこで、ふと倉木教官の話を思い出した。
「なあレイ。ちょっとおもしろい話があるんだけどよ」
俺はニタリと笑うと、倉木教官から聞いた話を語って聞かせた。
臨場感たっぷりに、創作を交えて、まるで自分が体験したことのように、じっくりねっとりと。俺の語りのうまさもあって、レイは途中怯えたようにガタガタと震えながら、ミノムシ状態からサナギ状態に退化していった。
そして、語り終わった後に。
「ホラーじゃん!」
大声で怒鳴った。
「なにそれ! ボールってどう考えても人間の頭じゃん! 途中の竹刀袋とかスポーツバックって、明らかに腕とか胴体とか運んでんじゃん! なにそれ怖い、なにそれ怖いぃいい! せんぱい、なんて恐ろしい話をしてくれたんですか!」
「んなこといっても、別にその男が運んでたのが、死体だなんて一言も言ってねぇだろ。倉木さんの勝手な妄想だし、そもそも問題の事件で、犯人が殺したのは一人だけだ。だったら、ボールを何度も運んでた理由にならない」
「……でも、先輩だって、もしかしたらって思ったから、そんな話を私にしたんですよね?」
「まあ否定はしない」
「最低、卑劣、暴漢! この色情魔!」
「人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇよ。お隣さんに聞こえたらどうすんだ!」
なお、このタワーマンションの壁は、家賃相応の厚さである。完全防音。多分隣人が襲われていても気づきはしない。
さて、ひとしきりレイをからかって遊んだ俺だったが、本題はここからだ。
「そんで、レイ。本題だけど。これ、ネタにならない?」
「……謎だけ提供して、謎解きは丸投げなんて、先輩は卑怯です」
布団からヒョコんと顔を出したレイは、ミノムシ状態でのそのそと床を這うと、手元にノートパソコンを引き寄せて、何やらポチポチと操作をし始めた。
「もう一度確認するんですけど、その話って、十年前で良いんですよね?」
「死体が見つかったのは五年前だけどな」
「いえ。多分この場合、死体のことは全く考えなくていいと思うんです」
「ふぅん。その根拠は?」
随分とはっきりと言い切ってくれるので、これは解決が早そうだと思った。
レイはパソコンの画面から目を離さずに答える。
「だってその男性、東北から関東への上り路線に乗ってるんですよ? だったら、白骨死体が東北方面で見つかるのはおかしいですよ」
「あ、そうか」
話のインパクトにばかり気を取られていたが、当然といえば当然の話だ。
その男は、関東に向かうバスに乗る過程で、荷物を目撃されているのだ。その荷物がもし死体だったとしたなら、それは関東に運ばれていないとおかしい。
「あと、常識的な話をするなら、死体って腐りますからね。防腐処理とかしても、頭部だけ持ち歩いたりすれば、さすがに異臭や違和感があると思います。ボールネットに入れた上での防腐処理なんて、限られてますからね」
「なんだよ、夢がないな」
「私にとっては悪夢ですけどね。そんなホラーは、とっとと妄想によって塗り替えて、無害にしてしまいたいです」
オカルト嫌いのレイは、冷めたようにそう言いながら、パソコンを操作し続ける。
「えっと、先輩。その倉木さんの運転してたルートって、わかります?」
「あー。始点と終点くらいは聞いたけど、具体的にはわかんねぇぞ」
言いながら、聞いていた出発点と終着点を伝える。とは言え、十年も経てばルートも結構変わっているだろうから、どれだけ参考になることか。
俺がそう思っていると、さらにもう一つ、レイが確認を取ってきた。
「最後に確認なんですけど、その男性って、二月から三月にかけて現れて、三月末には見なくなった。これで合ってます?」
「合ってる合ってる。俺の記憶違いじゃなかったらな」
「やだ、先輩、若年性健忘症ですか? いいお医者さん紹介しますよ」
「じゃあお前には、いいインストラクターを紹介するぞ」
「結構です」
しばらくタイプ音が鳴り響くだけの、無言の時間が続いた。
彼女の思考活動が終わるまで、俺はのんびりコーヒーを飲んでいた。くそ、インスタントのくせに三千円もするとか、なんだこのコーヒー。俺なんて瓶一つ五百円のばかり飲んでいるというのに。このブルジョアめ。
「ねえ、先輩」
俺があらぬ怒りをインスタントコーヒーに向けていたところで、レイが声をかけてきた。
「インゴットって知ってます?」
「あ? パチスロの台がどうかしたか?」
「……おバカ」
心底バカに仕切った、冷めた目を向けられた。
さすがにダメージがデカかったので、真面目に考えるとする。
インゴット、インゴット……えっと、確か金塊とか、金の延べ棒とか、そういうやつじゃなかったっけ?
「はい、正解です。正確には『鋳塊』って訳されるんですけど、要するに貴金属の鋳造品ですね。装飾品として家においたり、換金用に用いたりといろいろ使い方があります」
「あー、インゴットカードってあるな、そういえば。ブルジョアがお祝いとかに送るとかいうの。お前も、実はもらったことあるんじゃないのか? って、さすがにそんなことはないか」
「ありますね」
「死ねブルジョア」
「残念ながらお金持ちだから死ねませーん。貧乏人こそギルティですよ。悔しかったら、玉の輿にでも乗ってみるが良いのです」
躁状態だかうつ状態だか、よくわからないテンションで人をおちょくった後、レイは真面目くさった顔になって、説明を始めた。
「三月末って、何があると思います?」
ノートパソコンの画面上に三月のカレンダーを表示しながら、レイは尋ねた。
ご丁寧にも、それは十年前の三月のカレンダーだった。しかし、それを見ただけで分かるような情報なんて、そう多くはない。
「んあ? イベントってことか? えっと、入試とか、卒業とか、色々あるな」
「おバカ」
「いや今の問いかけで、答えを正確に察しろってのは無理だろ。良いから何があるか教えろって。お前、説明下手なくせにもったいぶる所、悪い癖だぞ」
「へ、下手じゃないもん。場を盛り上げているだけですもん!」
唇を尖らせながら不機嫌そうな顔をするレイだったが、このままでは話が進まないことに気づき、仕方なさそうに答えを言う。
「年度末。確定申告の時期ですよ」
「ん? そう、だな……」
とりあえず頷いたものの、ピンと来ない。
そもそも俺はまだ大学三年生で、社会経験があるわけじゃないから、知識としては知っていても、実感がわかないというのが本音だ。
そんな俺の曖昧な反応を見ながら、レイは「これはあくまで妄想です」と前置きをした。
「状況証拠を組み合わせただけの推測で、ほとんど妄想みたいなものなんで、真実とは限りません。いつもの通り、ただの思考実験の結果ですので、真に受けないでくださいね?」
「わかってるよ。んで、お前の考えた真相は?」
先を促す俺に対して、レイはノートパソコンの画面を操作して、地図アプリを立ち上げる。
「ルートは今もあんまり変わってないみたいなんですけど、町並みは変わってるみたいでした。大きな点として、先輩の話の中にあった、製鉄所の集合地帯っていうのがなくなってます。調べてみたら、今ではかなりの会社が潰れちゃって、廃墟になっているものも多いみたいです」
「ふぅん。それが鍵だったりするのか?」
「そうかなぁと。この潰れた会社の中で、一つ、面白い事業をしていたのが残っていまして」
レイはそう言いながら、今度はインターネットのページを立ち上げる。
それは正確には、ページのキャプチャ画像だった。
元のページはもうすでに存在しないのだろう。室内装飾の一例として紹介されているそれは、確かに面白そうな内容だった。
「インゴットボール。インテリアの一つとしてのサービスらしいですけど、金の延べ棒ならぬ、金の円球。凄いですよね。まるで――」
「なんか、ドラゴンボールみたいだな」
「奇遇ですね。私もそう思いました。神龍が呼べそうですよね」
レイはクスクスと笑いながら、写真へと目を向ける。
金塊をボール状に加工するなんて、どういうメリットがあるのかわからないが、見た目の派手さは十分だった。
「これを、率先して行っていた会社があったみたいなんですよ。潰れちゃってますけど」
「じゃあ何か? 例の男が持っていたボールって、金塊だったって言いたいのか?」
「まあ、そういうことです」
頷いたレイは、「あくまで推測ですよ?」とまた前置いてから、自身の考えを述べる。
「お金ではなく、金塊を持つメリットって、換金率の高さなんですよね。他の貴金属に比べて、金ってのは値崩れしづらいんです。だから、資産を別の形で所有するという意味では、うってつけなんですよ」
「なんとなく想像はできるけど、でも、それを小分けにして運ぶ意味はなんだ? そもそも、その金塊の出処はどこだよ」
「それなんですけど、もしその金塊を購入したお金が、不正なものだったとしたら、どう思います?」
「不正って、例えば?」
「例えば、費用と偽って計上した、純利益の一部とか」
「?」
イマイチピンときていない俺に、レイはわかりやすく言い直してくれた。
「要するに、脱税ですよ。売上をごまかすために、施設費用だとか機材費用だとかの名目で、この製鉄会社に依頼して、資産の一部をインゴットに変えた、っていうのが私の妄想です。もちろん全部じゃなくて、あくまで一部だと思います。だらこそ、その一部を運ぶために、夜中にコソコソと夜行バスなんかに乗って運んだんです」
「……でも、それならどうして、二月から三月までで、それ以降は顔を見せなくなったんだ?」
「確定申告をしてしまったから、それ以上の資産の移行に意味がなくなったからですよ。純利益をごまかしたいから費用を多く申告したい。なら、その目的が済めば、あとはそんな危険を犯す必要はありません」
どうです? と。
レイは楽しそうに笑った。
「目のつけどころとして、インゴットボールってのが面白いと思うんですよ。だって、金の延べ棒とかプレートとかだと、まだお金っぽい感じがしますけど、ボール状にされたら、こんなのただのインテリアじゃないですか。まあ、見る人が見たらバレるかもしれないですけど、表面に色でも塗ったら、いくらでも誤魔化せそうですし」
「そっか、ボール状以外でも、竹刀袋やスポーツバックで持ち歩いたことがあるのは、いろんな形状のインゴットを運んだから、ってことか。現金化のことを考えたら、ボールだけってのは難儀だからな」
「ま、あくまで妄想ですけどね」
レイはいつの間にか、かぶっていた布団から身体を出して、ミノムシから蝶に変態していた。愉快げに床をゴロゴロしているヒッキーは、俺を見上げながら言う。
「どうです? 即興にしては、それっぽい理由でしょう」
「そーだな。正直俺には、もうそれが正解にしか思えなくなった」
「細部の詰めはまだまだ甘いですけどね。本格的にミステリにするなら、十年っていう期間の長さはちょっと現実的じゃないですし、もうちょっと論拠になる伏線を貼らなきゃいけないですし。あと、もう一段階オチがほしいですねぇ」
持ち上げた足をプラプラ動かしながら、レイは楽しそうに話の構想を練り始める。
この時の彼女は本当にイキイキしているので、見ていてこっちも愉快になる。ネタの提供のし甲斐があるというものだ。
白野レイは、小説で生計を立てている。
この社会不適合者が、唯一社会とつながりを保てる職業。彼女が引き篭もりであってニートではないと主張する唯一の理由。そんな彼女の小説に惚れ込んだからこそ、俺はこうして、彼女のもとに通い続ける。
なんでも良いから、彼女の役に立ちたくて。
レイは俺にとって、女性である前に、小説家である。
だから、俺は。
「真っ先に俺に完成原稿を見せてくれよ、妄想探偵さん」
妄想推理は、事実をゼロにする。
しかして、彼女の描く虚構は、そのゼロを一にするのだ。
推理ですらない妄想を、ゼロから一にするこの作家のことが好きだからこそ、俺は彼女の世話を見続けるのだった。
END
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