女郎蜘蛛の天敵 お題『本棚』『インスタグラム』『女郎蜘蛛』



 蜘蛛の写真ばかりを投稿するアカウントがありました。


 インターネット上で写真を共有し合うソーシャルメディアサービスで、ユーザーは自由に写真を投稿し、また他のユーザーの写真を見ることができるといったSNS。写真が趣味でなくても、ネット上のいろんな写真を見るだけでも、十分に楽しめるサイトであるため、気が向いたときに見ては、気に入った写真に『いいね』というコメントを送っていました。


 その中で、蜘蛛の写真ばかりを投稿しているアカウントがあったのです


 生きている姿を写したものもあれば、針を刺して標本にしてある写真もあって、バリエーションは豊富でした。

 特に多いのが女郎蜘蛛のもので、体長三センチはある蜘蛛が、ピンで止められて飾られていました。黒と黄色のまだら模様には不思議な魅力があって、何故か目が離せなくなってしまってずっと見ていることが多かったです。


 その日も、そのアカウントに女郎蜘蛛の写真の投稿がありました。今回は生きている姿で、一メートル近い巣を張っている様子の写真です。


「うわ、お兄また蜘蛛の写真見てる。キモ」


 以前、スマホでその写真を見ていると、通りかかった従妹の乃衣にそんなことを言われたことがあります。


 現在、大学生になった僕は、下宿先で伯父の上に住んでいます。

 昔よく遊んだ従妹とも一つ屋根の下になったわけですが、無邪気な子供時代ならいざしらず、お互い成長した今はどこか気まずく、よそよそしい関係ができていました。かけられる言葉といえば、こうした嫌味くらいなもので、まあ仕方ないかなと諦めています。


 その時の従妹は、そのまま足早に自室まで駆けていきました。少し過剰反応な気もするが、蜘蛛が好きだという女はそう居ないでしょうし、仕方のない反応だとはおもいます。男であっても、節足動物の持つ独特の光沢や質感が苦手という人は多いですし。


 ただ、僕の場合は、昔のちょっとした経験のおかげで、苦手意識というのが殆どないというのが理由として大きいのだろうと思います。


 ここから話すのは、そのきっかけとなった、五年前の夏の話です。




※ ※ ※




 あれは、僕が中学一年生の頃。夏休みのことでした。


 父は仕事柄転勤が多くて、どうしても家空けることが多かったので、僕は幼い頃から祖父の元に預けられることが多かったんです。

 祖父は寺院の住職で、僕に色んな話をしてくれました。この世の中には、妖怪や怪異、化物の類がいて、それらは人間の認識によって存在を得る。そうした存在を、ミュトスと呼ぶのだと、僕は教えられました。


 そうした話は面白かったものの、ミュトスを実際に見たことがあるわけではなかったので、やっぱり眉唾な話でした。


 祖父が言うには、霊感は基本的に誰もが持っているのできっかけがあれば見えるそうなのですが、霊能がない場合はミュトスと干渉ができない、という話でした。

 実際、僕はあの夏にミュトスと遭遇し、それ以後、少しだけ空想の世界よりの視点を持つようになりました。


 話を戻しましょう。

 中学一年生の夏休みの話でしたね。


 夏の間だけ寺に預けられた僕は、暇を持て余していました。

 祖父のもとに来るのは半年ぶりくらいでしたが、寺暮らしが楽しかったかというと、単純に暇で仕方がなかったんです。だから、中学に上がってもまだ祖父のもとに行かなきゃいけないと思うと、嫌な気持ちが大部分を占めていました。


 近くには同年代の友達もいないし、遊ぶ場所もほとんどない。

 唯一、お盆の間だけは従妹の乃衣が来るので一緒に遊んでいましたが、それ以外では、ずっと一人だった記憶があります。


 その日も、やることがなくて一人でよく遊びに行っていた滝壺で水浴びをしてました。滝壺と言っても、五メートルくらいの小さな水場で、そんなに規模の大きいものじゃないです。

 今なら危ないって言われそうですけど、僕はいつもそこで滝口から滝壺に飛び降りて遊んでいました。そうして、ひとしきり泳いで疲れたところで、自ら上がって一息ついていたときでした。


 一人の女の子が、こっちを見ていました。


 女の子と言っても、その時の僕からすれば随分なお姉さんでした。多分、高校生くらいだったんじゃないかなと思います。

 白いワンピースに大きな麦わら帽子っていう、なんていうかいかにもな感じの清楚な女の子でした。彼女はじっと、水遊びをしている僕を木陰から覗いていました。


 ええ、きれいでしたよ。

 やっぱり、そういうものなんですかね。とにかく、その女の子がすごくきれいだったんで、僕はドギマギしちゃって、見られているのをわかっていながら無視してまた泳ぎ始めました。そうすると、しばらく経って女の子が水辺にまで近づいてきて、僕に話しかけてきたんです。


「ねえ。楽しい?」


 声をかけられた途端、僕は泳ぐのをやめて、女の子を見上げました。

 照りつける日差しに、日陰を作りながらこちらを見下ろす女の子の姿は、思春期を迎えたばかりの僕には少々目に毒でした。

 話しかけられても、コクコクと頷くことしかできなくて、今思うと本当に情けない反応だったなと思います。でも、女の子からすると、そんなことはあまり関係なかったみたいで、ニコッと可愛らしく笑うと、そのまま水の中に飛び込んできました。


「楽しいなら、私も遊ぼ」


 女の子は、決して活発な子といった印象ではなかったです。

 どこか不思議系の子で、普段は物静かな様子なのに、急に行動的になって僕を驚かせるといったことがよくありました。水の中に飛び込んできたときも、ニコニコと笑って浮いているだけで、僕に対してことさらかまってくる様子もありませんでした。そんな彼女の距離感が、僕にとって心地よかったというのはあって、それから毎日、その滝壺での密会のようなものが始まりました。


 その女の子は、名前を名乗りませんでした。

 僕も、彼女に対して名乗った記憶はないので、互いに名前を知らないまま、ひと夏の交流をしたのでした。


 彼女とは、色んな話をしたはずなんですが、その話の内容も殆ど覚えていません。まあ、他愛のない話ばかりだったと思います。おそらく彼女がミュトスだったとしたなら、それこそ厳格でも見せられていただけなのかもしれないので、そこに大した意味はないでしょう。


 そうこうするうちに、お盆になって、従妹が家族と一緒にやってきました。


 お盆期間になると、例年なら従妹と遊んでいたのですが、その夏の僕は問題の女の子と密会をしていたので、いまいち従妹と遊ぶ気になれませんでした。

 従妹は今でこそちょっと気まずい関係ですが、当時はよく慕ってくれたので嫌いではなかったのですが、あくまで兄妹のようなものでした。年上のミステリアスな女の子に比べたら、まあ優先順位は下がりますよね。


 というわけで、従妹の目を盗んで毎日のように滝壺に遊びに行っていたんですが、そのあたりから、なんだか体調が悪くなっていくのを感じました。

 めまいや倦怠感のようなものが日に日に積み重なっていって、最初の二日は外に出られていたのが、三日目にはついに寝床から出ることができなくなっていました。


 熱もなければ、風邪の症状があるわけでもない。ただ、身体が重くて動かなくて、まともに食事も取ることができないという状態でした。

 従妹や家族が毎日看病してくれたんですが、それでも一向に良くなりません。祖父などは「これはミュトスの仕業だ」と言って、必死にお祓いをしていましたが、原因がつかめないせいか、解決にはいたりませんでした。

 そうして、盆期間が終わって家に帰る日が近づいても、僕は倒れたままでした。


 そんな日が続いた、最後の夜のことでした。

 僕は夢を見ました。


 夢の中でも、僕は同じように布団に寝かせられ、あたりには御札が貼られ、注連縄で結界が作られていました。

 そうして厳重に守られていた僕の寝床に、一人の女性が入り込んでいました。


 顔を隠す程に長い黒髪と、血の通っていない真っ白な肌をした、和装束の女でした。そいつは確かな足取りで襖を開けて室内に入ってくると、幾つもの御札を破り捨て、注連縄で区切られた空間を両断して僕の元に近づいてきました。


 何分夢の話なので、僕は恐怖を感じる余裕もなく、ただ目の前でとんでもないことが起きているな、としか認識できませんでした。だから、そいつが僕の体の上に馬乗りになって、腕を伸ばして首を絞めようとしても、うめき声一つも上げることが出来ない。まな板の鯉じゃありませんが、とにかくされるがままでした。


 そのときでした。


 空いたふすまから、一つの影が飛び出してきて、僕の上に乗っかった女を突き飛ばしました。それが、あのワンピースの女の子でした。彼女は必死の形相で和装の女を組み伏せると、その喉元に噛み付いて攻撃をしていました。そのまま喉元の肉を噛みちぎると、すぐにまた別の場所に噛みつき、何度もそれを繰り返しました。

 和装の女もただではやられないとでも言うように、ジタバタと抵抗して、やがて取っ組み合いになりました。


 最終的には、何度も肉を噛みちぎられてたまらなくなったのか、和装の女が室内から逃げ出しました。それで、戦闘は終わりでした。


 残ったのは、全身血まみれになったワンピースの女の子だけでした。彼女もまた、体中に切り傷をつけられていて、立っているのが精一杯と言った様子でした。そんな様子で彼女は、よろよろと僕に近づいてくると、寝ている僕のそばに座って、そっと顔を覗き込んできました。


 その表情には、安堵の色がありました。

 安心して気が抜けたのか、女の子はバタリとその場に倒れ込みました。それとともに、僕の意識も薄れていったのです。


 夢はそこまでです。

 次の日、僕はそれまでの一週間が嘘のように、全快していました。身体の重さもなくなり、食欲もいつものように戻りました。あまりにも元気になったもので、周りは訝しげに僕を見ていました。

 むしろ、看病をしていた家族たちのほうが憔悴しているくらいで、従妹に至っては、僕と入れ替わりに怪我をして寝込んでしまったという話でした。


 ちなみに、僕が目を覚ました時、布団のそばには、大きな女郎蜘蛛の死骸がありました。


 まるで戦った後のようにボロボロで、身体を這いずって外に出ようとしたところで力尽きたような死に方でした。家族はその大きな蜘蛛の姿に嫌悪感を覚えていましたが、夢の記憶があった僕は、霊能を持っている祖父にその話をしました。


「こりゃあ、『絡新婦じょろうぐも』に助けられたんだな」


 祖父が言うには、僕には何か大きな霊力を持つミュトスが憑いていたそうです。

 それは、生きたまま生気を吸い取り、衰弱死させる類のミュトスということはわかっていましたが、具体的な正体まではつかめていたかったそうです。


 祖父の予測では、おそらくそれは別の絡新婦だったのではないかという話でした。絡新婦というミュトスは、美しい女に化けて男を取り殺す妖怪として有名です。そんな絡新婦に目をつけられた僕は、危うく衰弱死する所だったのです。


 それを、僕が交流していた絡新婦――ワンピースの女の子が、命を張って追い払ってくれた、というのが、祖父が僕に語ってくれた内容でした。


 にわかには信じられない話ですが、夢で見た内容と、枕元の蜘蛛の死骸を考えると、あながち間違いではないのではないかと思えました。


 僕が蜘蛛に対して苦手意識を持っていないどころか、好意のようなものを覚えているのは、女郎蜘蛛に対してあのワンピースの女の子を見ているからだと思います。もちろんそれはただの幻想のようなものだとは思いますが、それでも僕は、あの夏のひとときを過ごした女の子に対して、今でも感謝の気持ちを抱いているのです。


 これが、僕が五年前の夏に体験したことの全てです。




※ ※ ※




「うわ、お兄また蜘蛛の写真見てる。キモ」


 飛馬ひうま乃衣のえは、嫌悪感を隠そうともせずにそう吐き捨てると、身を翻して居間から出ていった。

 そのまま階段を駆け上がり、飛び込むようにして自室に入る。


 扉を閉めると、そっと息を殺す。無音の空間で、僅かな物音も立っていないのを確認すると、そっと息を吐いて、「ふふ」と僅かに笑い声をこぼす。

 兄のように慕った、従兄の反応を思い出して、乃衣は機嫌良さそうに鼻歌を歌い始めた。


「ふふ。ふふふ。あはは。お兄、あんなに愛おしそうに見ちゃって。ほーんと、可愛いなぁ」


 大好きな従兄。自分にとって唯一の男性だった従兄。子供の頃から、他に異性を意識する相手はいなかった。一年に一回、夏だけ会える最愛の人。そんな人が、自分の思い通りになっていることが、乃衣の気分を一層よくさせた。


 彼女は部屋に置いてある大きな本棚に近づく。

 仰々しい本棚は、元は寺の御神木を使った木材で作ったものだ。余っている木材があることを知った彼女が、祖父に頼み込んで作ってもらったものなのだが、その効果は絶大だ。


 神聖な力が宿るとされている御神木には、空想を強めたり、封じ込める力がある。

 乃衣は本棚の奥から、一つの分厚い本を取り出す。


 それは、標本だった。

 色とりどり、様々な種類の蜘蛛が採集された標本。それは、主に女郎蜘蛛が多い。


「私のお兄に手を出した泥棒蜘蛛には、お似合いの姿よね」


 パシャリと、乃衣は写真を撮る。それは、インターネット上の写真投稿サービスによって、世界中にさらされる。


 それは復讐だった。


 あの日、従兄を手に入れられるはずだった所を、邪魔をされた復讐。その時の蜘蛛は死んでしまったが、こうして同じ種類のものを集め、封じることで、もととなった空想そのものを縛り付ける、呪術のようなもの。


「ああ、今度こそ、お兄は私が手に入れるんだから。だから――邪魔なんか、するんじゃないわよ、お馬鹿な蜘蛛さん」


 そう、乃衣は――男を滅ぼす美女のミュトス、飛縁魔ひえんまとなった少女は、恋敵のミュトスを前にケラケラと笑った。


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