トライポフォビア・ロータスエフェクト お題『蓮の花』『発疹』『ソマリア』
被験体R‐4に関する報告書
担当・■■■■
女性。年齢は十代後半。本名は■■■■。黄色人種。日本より出荷時に、個人情報等は削除済み。アレルギー等なし。過去の怪我により内臓に若干の疾患あり。日常生活に支障はない。その他、身体的な特異点なし。
霊子細胞との適合率47%。27の被験体のうち、最高数値を記録。一ヶ月間に渡る情報圧の干渉実験においても、抵抗値の低下は微小。適合体として最適であると認識。それに伴い、霊子情報の浸透実験に移る。
以下に、各実験における詳細データを記録。
・耐熱実験……レベル1で中止。開始直後より全身の痙攣と絶叫を確認。熱源に対する耐性は常人レベルであると判断。
・耐水実験……レベル3で中止。無呼吸状態で三時間の生存を確認。ただし仮死状態であり、蘇生にかかる時間を考慮すると実用レベルではない。
・耐電実験……レベル1で中止。開始直後に被験体の内臓が壊死したため、蘇生に一週間かける。回復に時間がかかったことから、熱の類とは相性が悪いことが判明。
・耐毒実験……レベル6まで成功。現状最高値を記録。今後、物理実験は全てバイオ兵器を用いたものを中心として行う
・■■……■■■■
・■■……■■■■
・■■……■■■■
・細菌実験……最終プログラムまで成功。生体内において細菌情報を保持し、一体化に成功。続けてVVによる融合実験に移行する。
※ ※ ※
被験体R‐4に関する経過報告
担当・■■■■
VVの融合実験の成功を確認。経過を報告する。
一日目
体調に崩れなし。若干の疲労はあるものの、身体機能に異常なし。
三日目
遺伝子情報に変化あり。ゲノムの一部にVVのものと似通った塩基配列を確認。
被験体の体調に変化はなし。ただし、若干精神不安がある模様。カウンセリングの必要性を検討する。
四日目
被験体に高熱の初期症状あり。頭痛と腰痛をうったえたため、鎮痛剤を投与。
五日目
解熱と共に、皮膚全体に白色の丘疹を確認。頭部から顔面を中心に発生したその発疹は、すぐに化膿して爛れ始めた。それとともに再度高熱を発症。本来のVVに比べて病状の進行速度が早い。生体機能に限界を感じる。
六日目
被験体の体温が五十度を超える。皮膚は焼けただれ、溶け出してベッドの周辺にこびりつき始めた。室内に入るのは危険と判断し、爛れ落ちた皮膚細胞のみを遠隔操作で回収。解析にかけたところ、大部分がVVと同じゲノム情報であることが判明した。
七日目
被験体の肉体の死亡を確認。病室の殺菌消毒を行いつつ、遠隔による蘇生を試みるが、適合していた霊子細胞そのものが壊死しているため、蘇生は絶望的と判断する。
十二時間後、室内から被験体の死体の回収に成功。解剖により判明したことは、被検体は人間としての生体を保っておらず、その大部分はVV細胞となっていたことが判明。つまり、彼女は巨大な病原菌と化していたのだ。
十日目
被験体R‐4の死亡により、人体霊子化計画は大きく進展したが、それらはもはや被験体R‐4とは関係のない内容のため、こちらでは記載しない。それらの詳細については、参照ファイルH‐16、及びW‐22等を参照してもらいたい。
この記録ファイルに続きを記載する理由は他にある。
すでに被験体R‐4の死体は役目を終え、僅かなサンプルを残して廃棄処分を行った。これにより、彼女に関するデータはこの記録のみとなったのだが、研究員Sにより、再利用案が提出されたのでここに記録する。
先に記した参照ファイルを代表として、被検体R‐4の成功事例を元にした霊子融合実験は進んでいるが、彼女ほどの適合率は今のところ存在しない。特に、肉体を苗床としVVを成長させ自身と融合させるほどにまでなった事例は、このまま消滅させるには惜しい素材である。
しかし、すでに被験体の肉体は死亡し、蘇生は不可能であると考えられる。
研究員Sの提案により、その死亡した肉体を媒介とし、新たに霊子細胞を移植し、細胞を増殖させるという案が提出された。研究員七名の承認のもと、その実験を執り行う。
以降、データ更新なし
※ ※ ※
痛い。
熱い。
いたい、
あつい、
痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱いいたいあついいたいあついいたいあついいたいあついいたいあついいたいあついいたいあついいたいあついいたいあつい苦しい辛い嫌だやめてもう駄目なの苦しいの助けて嫌だ駄目があぁあががあがががらだがががががgらだあkjgkぁじゃkっlkj
全身を炎で焼かれた。
喉奥に水を注ぎ込まれた。
数十秒の間電流を流された。
意識が飛んだはずなのに、気がついたら痛みが私を襲っていた。そのたびに違う痛みが違うところから与えられた。何も考えられなくなった。ただ痛みだけが外部からの刺激となった。言葉を忘れた。喉から溢れるのは声にならない叫びだけだった。思考なんてまともに働かなかった。次の瞬間には新たな種類の痛みが与えられ、それに身体がビクリと反応した。先程腕がなくなったのを見た。次に見たときには腕がついていた。その間に何時間経ったかわからない。わからないが、失われたはずの腕が戻ってきて、その腕にまた刃物がおろされた痛みだけはわかった。声が漏れた。まだ喉は無事に働いていた。その絶叫によってまた刃物が振り下ろされた。今度は一度ではなかった。二度、三度、四度と振り下ろして、ようやく切断された。痛いということを忘れた。身体だけは、失った腕を求めてビクッビクッと反応している。切断面から吹き出す血潮はすぐに止まった。痛いってなんだっけ。コマ送りのように目に映る景色が入れ替わり、気がついたら腕がもとに戻っていた。また刃物が。いたい? いたいの? これが痛いの? 身体が震える。でももうわからない。痛いってなんだっけ。これが痛み? 痛い、ああ、痛い。わからない。わからくなった。わからなくなっちゃった
少し前まで、朝起きたら学校に行って、友達と遊んで、塾に行って、家に帰ったら母親の小言に追われながら勉強して、そしてたまに帰ってくる父親と団欒をして、そんな毎日だったのに、なんで私はこんなところにいるんだろう。父親の会社が倒産して、家がなくなって、知らない人が押し寄せてきて、無理やり羽交い締めにされて連れ去られて、気がついたらこんなところで、考える暇もないくらいに痛みを覚えている。
「切断耐性レベル3まで成功。しかし、これ以上の耐性は望めないと判断する。また、被験体の痛覚情報に以上を確認。速やかに回復措置に移る」
何を言ってるの。
ねえ何を言ってるの。
ずっとずっと、わからないことばかり。
ねえ、あなたたちは何? 何をしているの。教えてよ。私の身体で何をしているの――ッ!
何度も皮膚をあぶられた。何度も水につけられた。何度も電気で焼かれた。何度も腕を切り落とされた。何度も内臓をいじられた。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も痛くて苦しくて熱くて辛くてのたうち回って叫んで喚いて助けを求めて遺体の苦しいのやめてよ助けて寄っていったのに誰も何も少しも助けて何てくれなくてだから私は耐えるしかなくて耐えるのも限界で何も考えられなくなってそれなのに感じなくなった痛みがまた襲ってきてなくなったはずの腕とか内臓とかがいつの間にかもとに戻っててまた焼かれてあぶられて絞められて剪められてえぐられて削られて痛いのもうやめてよなんでなんでなんでなんでわたしがわたしがわたしがこんな目に――
気がついたら、暑かった。
体中が熱を発していた。室内はむっと湿気で呼吸も苦しくて、ヒュウ、ヒュウっていう音だけが喉からこぼれていた。
身体が溶ける――そう思ったら、本当に溶けていった。
ドロリと指先がゲル状になって、ボトンと地面に落ちた。そのまま腕、足、内臓、そして、目も鼻も耳も落ちていって。
とうとう私は死ぬことができた。
■■■■■■■
――あ、れ?
私は死んだ。
死んだ、はずだった。
そのはずなのに、私はまだ、ここにいる。
どろどろになった身体を懸命に動かしながら、私はここにいる。
「成功だ! とうとう被験体R‐4が再生したぞ!」
白い服を着た悪魔がそんなことを言っていた。
――ああ、そうか。
成功か。
そしてまた、私は失敗したのだ。
死ぬのに、失敗したのだ。
私の目の前で、何人もの白衣が興奮したように作業をしている。彼ら全員が私に注目している。こんな私に。ドロドロのぐちゃぐちゃの私に。注目して、そして、食いつぶそうとしている。
気がついたら、私に手足がついていた。
新しくできた手足で、一歩、また一歩と歩く。白い部屋の端まで行き、ガラス越しに見ている白衣の悪魔たちを直視する。この数メートルの距離を、ちょっと前までの私は歩くことができなかった。でも今なら、今の私なら、この先に行ける。
無造作に払った腕が、ガラス窓に触れる。
その瞬間、ガラス窓にポツポツと黒い粒がわき始めた。それらはすぐに肥大化し、大きな穴を生む。そして、奥の無菌室へと、大量の細菌が送り込まれた。
そこからは、大パニックだった。
逃げ惑う研究者と、それらを尻目に堂々と闊歩する私。
私が歩いた場所には、シミのような細かい穴がいくつも生まれていった。嫌悪感を抱くような黒い粒の集合体。ツブツブした穴がどんどん辺りを侵食していって、人間や動物、無機物や有機物を問わず、何もかもを覆い尽くしていった。
あてもなくさまよいながら、自分が誰だったかを思い出そうとするのだけれども、うまく思い出せなかった。少し前までは、なんだか人間だった気がするんだけれども、その時の記憶が酷く曖昧だった。まるで、記憶の中に穴が開いている用に、ぽっかりとわからなくなっていった。時間が立つごとに、その穴は増えていく。まるで虫食いのように、私の人間だった記録は失われていく。
それとともに、私の意識は黒い粒と同期していった。粒というか、穴というか。その穴の集合体こそが私で、私という存在は穴の集合体になってしまった。ツブツブした嫌悪感と恐怖を撒き散らす災厄。やがて、私という存在に、名前があることを知った。
トライポフォビア。
集合体恐怖症というのが、今の私だった。
※ ※ ※
「随分と、ひどいものね」
研究所跡地にたどり着いた退魔師・錦野エリカは、嫌悪感を隠そうとせずに顔を歪めていった。
しかし、その反応も仕方がないだろう。
彼女の目の前に広がる光景は、極小の黒い粒が所狭しと敷き詰められた、異形の空間だったからだ。
地面も、廃墟も、木々や花々、はては生き物に死体に至るまで、その黒い粒がついていないものはない。精神的嫌悪感を覚えるその光景は、見ているだけで背筋に怖気が走る。
「蓮画像っていうんだっけ、こういうの。見てるだけでゾワゾワするんだけど」
「気をつけろ、エリカ、横からくるぞ」
後ろから返された声に、エリカはすぐに反応する。
彼女は地面に手をつくと、霊力によってその場の地面を隆起させてみせた。
次の瞬間、横合いから襲ってきた黒い粒の群衆を、土の壁で防御することに成功した。
黒い粒の群衆は、隆起した土を侵食すると、そのまま食いつぶすかのようにボツボツと穴を空けていった。まるで粒自体が意思を持っているかのように捕食するさまを見て、エリカは不快感を隠そうとせずに言う。
「きっもちわるい。今まで見てきた霊子災害の中でも、トップクラスに悪趣味ね。ねえイッサ。いい加減気持ち悪いから、さっさと根源を探してよ」
「大丈夫だ。もう見つけてる」
エリカの言葉に、相方である霊媒師・小堀イッサは淡々とした声で答える。彼はそのまま、迷いなくまっすぐに廃墟へと歩いていった。
二人は、研究所だった廃墟の中を歩く。屋内にしても、そこらじゅうにびっしりと黒い粒で埋め尽くされていた。目を逸らそうにも、三百六十度、四方八方全てがそんな光景であるため、精神的圧迫感がひどかった。
こんなところはとっとと離れようと、イッサとエリカは足早に研究所の奥を目指す。
魔力の根源――この黒い粒の大本は、研究所の一室に鎮座していた。
それは少女の形をしていた。
全身が発疹に覆われていて、表情を伺うことすらできない状態だった。半透明のその姿は、今にも消えそうな様子である。
「もう霊子災害としての寿命が近いみたいね。まあ、それは良いとして……。イッサ、気持ち悪いから、早くやっちゃってよ」
エリカが周囲の地面を隆起させて結界を作る。
その間に、イッサは手に持っていた機器を開きつつ、少女の形をした病原菌を検分する。しばらくとかからずに、イッサは結論を出した。
「うん、やっぱりそうだ。早めに帰ったほうが良い、エリカ」
「え? なんだって?」
「やっぱり、これ天然痘だ」
「ふぇ? 天然痘?」
イッサの言葉に、目を見開いて驚くエリカ。
「それって、確か百年近く前に根絶されたんじゃなかったっけ?」
天然痘という伝染病は、紀元前より人類に猛威を奮っていた伝染病であるが、二十世紀後期に撲滅されている。1977年にソマリアでの自然感染を最後に、自然界での天然痘ウイルスは根絶されたというのが定説だ。それ以後は、一部の研究機関がサンプルを保存していた以外は、事実上存在自体がなくなっているはずだった。
それから百年以上経った現代において、そのウイルスのバイオハザードが起こっているというのは信じがたい話だった。
「そもそも、天然痘でこんな黒い粒ってできるの? これ、地面とか無機物にまでびっしりと敷き詰められてるのよ」
「そっちは副産物だ。多分彼女――えっと、羽須美蓮華さんって言うのか」
じっと少女から目線をそらさずに、イッサは言う。
「この人が、死んで霊子災害になって得た能力。……本人は、『トライポフォビア・ロータスエフェクト』って言ってる」
小堀イッサは、消えかけの少女と交信しながら、その内情を探っていく。彼は霊体と感覚を同調する異能を持っており、それによって少女の体験したことを探っていった。
そこでわかったのは、『トライポフォビア・ロータスエフェクト』という能力。
霊子生体となって蘇った彼女は、自分が死んだ時の感覚を周囲に拡散するという能力を得ていた。体中に無数の発疹が出来、それが穴となって崩れ落ちていく感覚。それはまるで、美しい蓮の花が、その根っこのように穴ぼこになるかのように。その感覚を周囲に押し付けるのが彼女の使命であり、命や名前、記憶、心まで奪われた彼女に残された最後の方向性。
イッサは、そのまま彼女の記憶へと埋没していく。
霊子災害となって、研究所を滅ぼしたこと。
その前の、人間だった頃の実験という名の拷問の日々。
ただの少女だった日常生活が、淡く崩れ去った時の絶望感。
遡りながら、その事実の一つ一つに、イッサの心が削れていく。それでも、それを味わった等本人よりはマシだと思いながら、イッサは歯を食いしばってその記憶の本流に耐える。
だって、それこそが自分に課された使命なのだから。
「――大変、だったね。蓮華ちゃん」
フラフラになりながら、イッサは懸命に意識をつなぎとめ、少女に語りかける。
「辛かったよね。苦しかったよね――仇は取るから、安心してね」
一通り事実を照合し終わったイッサは、小さく呪文をつぶやくと、魔力を逆流させて少女の残された霊子生体を粉々に砕いた。
それとともに、彼は電池が切れたようにその場に倒れ込む。
「わ、ちょ、ちょっと。いきなり倒れないでよね」
「ごめん。ちょっときつかった。けど、これでだいたいわかったよ」
エリカに支えられながら、よろよろと立ち上がったイッサは、その瞳の奥に色濃い恨みの炎を燃やしながら言った。
「撲滅されたはずの天然痘――それを、流出させた組織がいる」
「流出って、そんなのどうやって」
「分からない。けど、それを使って、この研究所では、非道な実験をしていた」
根絶され、治療ができるようになった天然痘。
それを、まるで復権させようとでもするような実験の数々を行っていたのだ。
「調査続行だ、エリカ。悪いけど、もう少し付き合ってもらう」
「はぁ。ま、私もこれで終わるとは思ってなかったけどね」
呆れたように、エリカは肩をすくめてみせる。
「で、次はどこに行くの? ちゃんと検討はついているんでしょうね」
「蓮華さんの記憶の中に、見たことある研究者を見つけた。多分どこかに死体があるから、そこから情報を得る。そっからだ」
まっすぐに目的を見据え、イッサはこれからの予定を語る。そこに迷いなどはない。あるのはただ、今背負った少女の人生に対する復讐心のみである。
正義ではなく、復讐心。
それこそが、小堀イッサが戦う理由だ。
そんな偏執的な相方の様子に、エリカは悲しげに目を伏せる。しかし、すぐにそんな様子は振り払い、胸を張っていつも通りイッサを元気づけるように言った。
「はいはい、わかりましたよー。惚れた弱みだからね、どこまでも付き合うよ」
「ありがとう。愛せるよう努力する」
生真面目そうな顔で愛を語るイッサに、エリカは顔を赤くして不機嫌そうにそっぽを向いた。
霊媒師・小堀イッサ
退魔師・錦野エリカ
二人は今日も、恨みにかられた怨念たちの代わりに、復讐を決行するのだった。
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