第17話 巨乳好きは決して小さいおっぱいを軽視しているわけではなくてもしそんなヤツがいるとしたら巨乳好きを名乗る資格は無いと断固言いたい!

 土曜日の午後1時、渡辺君と僕は道徳館女子校近くにある市民文化会館の入り口で、ユメちゃんが来るの待っていた。

 昨日18時半まで、怜奈先生からみっちりかるたの特訓を受けた渡辺君は帰宅した後も個人練習をしていたらしい。 

 ちなみに僕は17時半にあがらせてもらった。

 夕飯の準備があったからね。

「あー、緊張するわー」

 渡辺君はさっきから僕の目の前を、落ち着きなくいったり来たりしている。

「怜奈先生にも特訓してもらったから大丈夫だよ。それに、帰ってからも練習したんでしょ?」

「おうよっ! かるたは、けっこういい試合できそうな気がしてんだよな。て言うか、この待ち合わせのシチュエーション、俺とユメちゃん恋人っぽくね? デートって感じするっしょ?」

 そんな感じ一切しないっしょ……。

 心配して損したよ。

 渡辺君がここまで楽観的だったとは。

 でも、これくらいの方が試合で力を発揮できるかも知れないね。

 ユメちゃんとの会話をシュミレーションしてブツブツ独り言をつぶやく気持ち悪い渡辺君を眺めていたら、道徳館女子校の生徒が2人、こちらに向かって歩いてきた。

「お待たせしてすみません」

 ユメちゃんがペコリと頭を下げる。

「いやいや。全然、今来たとこだから」

 渡辺君がベタなセリフを口にすると、ユメちゃんはニッコリ微笑んだ。

 彼女とは対照的に、スズちゃんの表情は固い。

「何よ? 私が来ちゃいけないわけ?」

「僕、何も言ってませんけど……。」

「そういう目で見てるってこと。バカじゃないの? あとキモイ」

 キモイは余計だ!

 本当に性格悪い子だな。

「ちょっとスズちゃん、ケンカしないの。せっかくかるたしに来てくれたんだから。仲良くしようよ」

「別に頼んでないし。私はユメが凌辱されないか心配でついてきただけだから。フンッ」

 スズちゃん、人を鬼畜扱いするのやめてね。

 ツンツンした態度を改める様子もなく、スズちゃんはそっぽを向いて先に歩き出した。

「渡辺君も有島君もホントにごめんね。スズちゃん、根は優しくていい子なんだ。許してあげてね」

 ユメちゃんが今にも泣きだしそうな顔で謝った。

「いや、こちらこそ。急なお願いを無理に聞いてもらっちゃった感じでごめんね」

「スズちゃんの言葉は全然気にしてないからっ。むしろ気に入ってるくらいだからっ」

 それはまずいだろ、渡辺君。

「フフフ。渡辺君て、面白いね」

「えっ、ホントに? ユメちゃんのカワイイ笑顔が見られるなら俺、いくらでも面白いこと言っちゃうよー」

 幸せそうな渡辺君を見ていると心なしか安らぎを覚える。

 ユメちゃんも楽しそうに笑い、2人の雰囲気がとても和やかなので僕は安心した。

 でも、この場にスズちゃんがいたら絶対言うだろうな。

『バカじゃないいの? あとキモイ』


 僕たちは文化会館2階にある広い和室に移動した。

 ユメちゃんとスズちゃんがバッグからかるたを取り出す。

 えっ! 僕も試合するの? スズちゃんと?

「何ぼさっと突っ立ってんのよ。さっさと並べなさいよ」

「えっと、僕もやるの? 僕はCDを止めたり再生したりする係かなあ、なんて思ってたんだけど」

 鋭い目つきで僕を睨みつけるスズちゃんに恐る恐る尋ねる。

 たった今、蛇に睨まれたカエルの気持ちがよく分かった。

「『読手』の音源はスマホに入れてあるの。操作は試合しながら私がやるから大丈夫だよ」

 張り詰めた空気を和らげるように、ユメちゃんが優しい声で答えてくれた。

 かくして急遽、僕までかるた対戦に参戦するはめとなった。

 僕の隣では、渡辺君が気持ち悪いくらいニコニコしているし、それとは対照的に目の前のスズちゃんは、親の敵でも見るような怖い顔で僕を睨んでいるわけで、『とにかく早く終わって無事に帰れますように』そんな強い祈りを込めながら25枚の手札を並べた。

「では、始めます。よろしくお願いします」

「お願いします」

 正座でキレイな礼をする2人に少し遅れて、僕と渡辺君も礼をする。

 スマホから『読手』が詠む序歌が流れる。

 滑らかで透き通るような声。思わず聞き入ってしまう美しい声……。

 あれ? この声、スズちゃんの声だ。

 かるたを詠むスズちゃんの声ってずいぶんキレイなんだな。

 まあ今のところ、不機嫌な声しか聞いたことなかったからね。

 そういえばかるたを詠むスズちゃんの声って誰かに似てるな。

 凛としてそれでいて優しくて温かくて心地いい。

 いつもよく聞いている声のはずなんだけど、あれ? 誰だっけ?

 序歌の声に思いを巡らせている間に、かるたを見つめるスズちゃんとユメちゃんの雰囲気が一変していた。

 静かな和室で緊張感と集中力が一気に高まる。

 一首目、3文字目が詠まれると同時に、スズちゃんとユメちゃんは札を払っていた。

 早すぎるっ!

 反応速度が僕らとは全然違い過ぎる。

 昨日の練習で怜奈先生の取りを見たときすごく早く感じたけれど、2人はそれを凌駕するスピードだ。

 こんなすごい相手から札が取れるのだろうか?

 僕は別に構わないんだ。

 1枚も取ることができず、スズちゃんに「バカじゃないの? あとキモイ」と愚弄されたって。

 渡辺君は、どうにかして数枚でも取らないとユメちゃんにいいところが見せられない。

 僕が心配する傍らで、渡辺君は札をジッと見つめて位置を再確認していた。

 かるたでは並べた札の位置を暗記しておくことも重要なポイントだ。

 いつもだったらわざとらしい声を上げ、大きなリアクションをする渡辺君が真剣な表情でかるたに向き合っている。その様子を見て、僕は少し安心すると同時に彼に対して尊敬の念を抱いた。

 今の渡辺君は、かなりいけてる!

 頑張れ!

 心から渡辺君を応援し、そして彼の一生懸命な姿がユメちゃんにも伝わることを祈りつつ、自分自身の試合に集中した。


 試合結果は渡辺君と僕の惨敗だった。

 獲得した札は僕がたったの1枚、渡辺君が3枚だけ。

 実力差は初めから分かっていたことだけれど、ここまで大差でボロ負けすることは予想していなかった。

 昨日は怜奈先生からレクチャーも受けたし、試合の中で動きにも慣れてくると思ったのに……。

 まったく考えが甘かった。

 必死に頑張って1枚取るのが精いっぱいだった。

「くうーっ、やっぱめちゃくちゃ強かったー」

「渡辺君もすごかったよ! 囲い手なんて誰から教わったの?」

 悔しそうに言いながら汗を拭う渡辺君に、ユメちゃんが興奮気味に尋ねる。

「うちの担任が大学の元かるた部でさ、『五字決まりは2枚しかないから、自陣にある場合は囲って守るように』って教わったんだ」

「へー、担任の先生が経験者なんだあ。いいね。そっか、そのおかげで3枚も取れたんだね」

「俺が3枚取れたのは、ユメちゃんが手加減してくれたおかげだよ。だろ?」

「えっ! ええっと……」

 ユメちゃんは困った様子で言葉を濁した。

「俺、サッカーやってるからなんとなく分かるんだ。真剣勝負で相手がどれくらの力出してるか。かるたってさ、文化部なのに体力使うしかなりハードだよな。むしろ運動部みたいな。ユメちゃんと試合してつくづく感じたよ。ユメちゃんに本気を出させるほどの実力は俺には無かったけどさ。ハハハ」

「じゃ、もう一試合する? 今度は私、ホントの真剣勝負だよ」

「えっ!? いいの?」

「うん。次は1枚も取らせないよー」

「おっし! 望むところじゃー!」

 ユメちゃんと渡辺君はすごく楽しそうに、そして子供みたいに無邪気に札を並べ始めた。

「ユメ、私先にあがらせてもらうね。また月曜日、学校で」

「うん。スズちゃん、付き合ってくれてありがとう」

 スズちゃんはユメちゃんに声をかけると、かるたをバッグにしまって和室から退室した。

 僕も2人に挨拶して和室を出ると、自販機コーナーのそばにあるベンチにスズちゃんが腰かけ、持参した水筒を口にしているのを見つけた。

「何よ? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。もじもじして、キモイ」

 彼女のところへ駆け寄ったものの何と声をかけてよいものか迷いつつ、愛想笑いを見せる僕にスズちゃんは無表情で静かに言った。

 ホントこの子は言いたいことキッパリ言うな……。

「えっとその、なんて言うか……ありがとう」

「はあ? あなたにお礼言われる筋合いなんて無いけど」

「2人のこと、そっとしといて上げてくれてありがとう。それから、渡辺君のこと、バカにしないでくれてありがとう」

「……」

 スズちゃんは何も言わずに再び水筒のコップに口をつけてから立ち上がると、そのまま出口に向かってゆっくり歩き始めた。

「あの、駅まで一緒にいいかな?」

 追いついた僕をちらりと見たスズちゃんは、肯定するでもなく否定するでもなく小さなため息をつき、ツインテールの長い黒髪をファサッと片手ではらい、そのまま並んで歩き出した。

 これは『気乗りしないけれど、同じ方向だから仕方ないわね。好きにすれば。キモイ』といったところだろうか。

 ユメちゃんが言うように、彼女は優しい人なのかも知れない。

 口の悪いところに目をつぶれば背も高くて美人だし、もっと話してみたらいいところがたくさん見つかるのかも。

 何より、渡辺君がユメちゃんと仲良くなるきっかけができて本当に良かった。

 僕らのことを良く思わないスズちゃんも同席したから、一時はどうなるかと冷や冷やしたけれど、こうして彼女も気遣いを見せてくれたわけで、作戦は成功したと言っても過言じゃないはず。

 あとは渡辺君の腕の見せ所だね。

 彼が張り切り過ぎると大いに空回りするから心配だけど、ユメちゃんはそれさえも優しく微笑んでくれそうないい子だから大丈夫かな。


 ずっと黙って歩いていたスズちゃんが口を開いたのは、駅までの道のりを半分ほど来たところだった。

「ユメが楽しそうにかるたするとこ見たの、久しぶりよ。あんな風に笑うのも……」

「そうなの?」

「真面目な子だからね。中学では主将だったし、高校に入ったら今度は1年生エースとして期待されて、けっこうなプレッシャーだったのよ。本人は一言も泣き言を口にしないし、いつも笑っていてそんな素振りすら見せないけれどね」

 スズちゃんが静かな声で淡々と語る。

 怒ってないスズちゃんと話すのは初めてだな。

 彼女の横顔がすごくキレイで一瞬見とれてしまった。

「ユメちゃんはすごいんだね。僕はてっきり、スズちゃんの方が強いのかと思ったよ」

「はあ? なんでよ?」

「口悪いし、顔は怖いし」

「あんたね、それかるたと関係ないでしょ!」

 スズちゃんが眉を吊り上げて抗議する。

「でも、スズちゃんはキレイだと思うよ。特にかるたをしている時、なんて言うか神秘的な美しさだったよ」

「ば、ばば、バカじゃないのっ。よくそんな恥ずかしいセリフ、平気で言えたわね。キモイ」

「そう? ホントにそう感じたんだけどなあ。真剣な姿って心を打つものがあると思うんだよね。僕は部活とかやったことないから、余計にそう感じるのかも」

「……まあ、褒められて悪い気はしないけど。ってあんた、何ニヤニヤしてるのよっ。キモイ」

「痛っ。ちょっと痛いって」

 顔を真っ赤にしたスズちゃんが僕の背中を連打した。

 細いのにけっこう力あるんだな……。

「……あんたも、試合中の表情良かったわよ。今みたいに頼りない感じじゃなくて。真剣勝負の私から1枚取ったんだから、十分すごいんじゃない」

「あ、ありがとう」

 今度は僕の方が照れくさくなってしまった。

 まさかスズちゃんに褒められるとは思ってもみなかったから。

 僕らは互いに顔を見合わせて微笑んだ。

「俺には随分と冷てーのに、そいつには優しいんだな」

 急に声をかけられて驚いた。

 振り向くと、一昨日の学ラン男子が仲間を引き連れて立っていた。

 おいおい、この前より人数増えてないか。

 1,2,3……8人もいる!

「行くわよ!」

「おわっ」

 スズちゃんが僕の腕を引っ張って足早に歩き始めた。

「行かせるかよっ。この前はよくも俺に恥かかせてくれたな。今日は付き合えよ」

「痛っ。ちょっと、放しなさいよ!」

 学ラン男子がスズちゃんの腕を強く掴んで僕から引き離した。

「ちょっと、乱暴はやめ――」

 横腹に激痛が走り、僕はその場にうずくまった。

 イッテー!

 いきなり殴るとか、悪役にもほどがあるだろ!

「おいおい、1発でダウンとか弱すぎじゃね? 今日は仲間もいねえみてーだしな。1人じゃ何もできねえくせに、女に声かけてんじゃねーよ。こいつは俺の女だっ」

「動物の糞以下の男にこいつ呼ばわり筋合いは無い! 勘違いもそこまでいくと笑えてくるわね。1人じゃ何もできない寂しがり屋さんはアンタの方でしょっ!」

 スズちゃんが大声で罵倒する。

「んだとっ! ちょっとばかし顔がいいからって調子乗ってんじゃねーぞっ」

「きゃっ」

 逆上した学ラン男子がスズちゃんのYシャツを掴み、ボタンを引きちぎった。

 胸元のはだけたスズちゃんがうずくまる。

「おいおい、見ろよこの女。胸にパッド入れてたぜ。さんざん偉そうなこと言って俺をバカにしてたくせに、自分はパッド仕込んで巨乳のふりしてやがった」

「……」

 嘲笑する学ラン男子の足元で、スズちゃんは胸を覆い隠して体を震わせながらうつむいている。

 今にも泣きだしそうな表情だ。

「Dカップはあるかと思ったのによ。巨乳だと期待させやがって。ほらよ。お前の大事なおっぱい、返してやるよ。」

 学ラン男子が拾い上げたパッドをスズちゃんに投げつけると、彼の仲間から大きな笑いが起こった。

 聞いていてこんなに腹の立つ笑い声は、僕の人生で初めてだ!

「ちょっと待て! お前は間違ってるんだよっ!」

「はあ?」

 横腹を押さえながらスズちゃんの前に立ち、男と対峙する。

 背の高い学ラン男子は上から僕を睨みつけた。

「Dカップは巨乳に入らないだろっ! 巨乳はFカップからだっ!」

「……」

 学ラン男子の沈黙の後、しばらくして彼の仲間たちの爆笑が聞こえた。

「やべー。そいつマジあほだわ」

「誰基準だよっ」

 もちろん僕基準です!

「超うけるんだけどー」

 仲間につられて僕の目の前の学ラン男子もお腹を抱えて笑い出した。

 よし、今がチャンスだ。

 僕は振り向きながら後ろのスズちゃんに、逃げるよう合図を出した。

 僕と目を合わせたスズちゃんが、首をブンブンと横に振る。

 怖くて立ち上がれないのか、それとも僕を気遣って逃げることができないのか……。

 こうなったら覚悟を決めるしかない!

「あともう1つ。お前の間違いを教えてやるよ」

「は? まだ、とっておきのギャグがあんのか?」

「お前が巨乳好きなのは勝手だが、胸の小さい子を見下していい道理なんて1つも無いだろっ! 傷つけていいわけないだろっ! お前は巨乳好きの風下にも置けない、いや、動物の糞の末端にすら許されないクズやろーだよ」

「お前、マジぶっ殺す!」

 学ラン男子は言うが早いか、僕の襟首を掴んで仲間たちの輪に放り込んだ。

 転がった僕に蹴りの嵐が襲い掛かる。

 顔、肩、腕、背中、そして足、全身にひどい激痛が走った。

「やめなさいよっ! お願いだからやめてっ!」

 遠のく意識の中で、スズちゃんの泣きそうな声が聞こえる。

 ああ、僕全然ダメじゃん。

 スズちゃんを守ろうと思ったのに、一瞬で倒されてるし……。

 せめてこの隙にスズちゃんが逃げてくれたらいいんだけどね。

「だあっ!」

「わあっ!」

「なんだてめえっ」

「おわっ!」

 あれ? 蹴りの嵐がやんだ。

「よお、翔平。今日は不良を倒す依頼でも受けたのか?」

 顔を上げると、僕の前に手を差し出す狩野君が立っていた。

 手を握ると、狩野君が力強く引き起こしてくれた。

「狩野君! どうしてここに?」

「ああ、練習試合の帰りだよ。翔平がリンチにされるのが見えたんで、少し急ぎ足で歩いてきたんだ」

「ははは。そこは走ろうよ」

 冗談を言う狩野君の傍らで、不良グループのうちすでに4人が倒れている。

 すごい!

 ほんの数秒の間に、4人も倒してしまうなんて。

 さすが、リン校柔道部の1年生エース!

「おいっ! 仲間が1人増えたからっていい気になってんじゃねーぞっ。こっちはまだ4人――」

「どわあっ!」

 学ラン男子が話し終える前に、狩野君はさらにもう1人を投げ飛ばした。

「これであと、3人な」

「ざかんなっ! いけっ」

 学ラン男子の合図で2人が狩野君に襲い掛かる。

 狩野君は慌てる様子もなく、一瞬で間合いを詰めると2人の制服の袖を掴み、あっという間に足払いを決めた。

 コンクリに体を打ち付けた2人は苦しそうな声を上げ、立ち上がることができない。

「あと1人な」

「クソがっ!」

 学ラン男子が狩野君に殴りかかる。

 狩野君がその拳を叩き落す。

 何度パンチを繰り出しても、その拳が狩野君に届くことは無かった。

「柔道に打撃技が無くても、さすがに素人のパンチは当たらねーよ。あと、柔道は投げ技だけじゃねーから」

「グッ……苦しい」

 狩野君が学ラン男子の襟を締め上げる。

「こいつらに二度とちょっかいは出さないと誓え」

「ち、誓うから……放して……し、死ぬ」

「破ったら今度はマジで殺しに行くからな」

 狩野君が手を離すと、学ラン男はその場に崩れ落ち、ゲホゲホと苦しそうにせき込んだ。

 そして仲間を引き連れ、逃げるようにしてここから去って行った。

 あっという間の出来事だった。

 狩野君の強さを今のストリートファイトで改めて実感した。

 背は僕よりも低いのに、素早くて力強くて、なんてカッコイイんだ。

 男の僕でも惚れちゃいそうだよ。

「ケガ、大丈夫か? 病院行くか?」

 狩野君が僕の制服の汚れを払ってくれた。

「大丈夫。狩野君が来てくれなかったら、今頃天国に行ってたけどね。あ、地獄かも知れないけど。本当にありがとう」

「それだけ冗談言えたら心配ないな。じゃ、俺先行くわ。しかし翔平は、巨乳以外興味無いのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだな。この面食いめっ」

 狩野君はおどけて僕に軽くタックルすると、笑いながら歩いていった。

 ん? 面食い?

 狩野君、完全に勘違いしているなあ。

 月曜日、また変な噂にならなければいいのだけれど……。

 心の中で苦笑いしながら、僕はうずくまるスズちゃんの前に腰を下ろした。

「何よあれ? 『巨乳はFカップから』って。あんたも、私のことバカにしてるんでしょ」

 スズちゃんが涙目で僕を見つめる。

「してないよ。だって僕、スズちゃんがパッド入れてるの、知ってたもん」

「ふぇ? ど、どうしてっ?」

「うーん。巨乳好きも僕くらいのレベルになると、天然か盛ってるか、さらには人工かどうか分かるんだよね。スズちゃんの場合、パッドを入れてDカップくらいなんだけど、歩いてるときの乳揺れが不自然だったんだよ」

「あんた、バカなのか凄いのか分からないわね。でも確実にキモイ」

 呆れ顔のスズちゃんの視線が冷たい。

「誉め言葉として受け取っておくよ」

「プッ、フフフ。でもあんたのおかげで助かったわ。ありがとう」

 吹き出したスズちゃんは、笑顔で頭を下げた。

 僕のおかげ?

 それは違う……。

 助かったのは、狩野君が来てくれたおかげだ。

 僕は何もできなかったのだから……。

「カッコよかったわ」

 スズちゃんがポツリとつぶやいた。

「ああ、彼、クラスメイトの狩野君。スポーツ推薦でリン校に入った柔道部の1年生エースなんだよ」

「えっと、彼じゃなくて……」

「えっ?」

「なんでもないわっ。ほら、行くわよ」

 聞き返す僕の両手を掴んで立ち上がったスズちゃんは、心なしかほんのりと頬を赤く染めていた。

「スズちゃん、ちょっと待って」

「なによ?」

 僕は脱いだブレザーをスズちゃんにかけてあげた。

 破れたYシャツのまま電車には乗せられないからね。

「あ、ありがと」

「どういたしまして」

 照れくさそうにお礼を言うと、スズちゃんは肩にかかるツインテールの髪をそっと払った。

 フワッとすごくいい香りがした。

 あれ? この香り、誰かと同じ香りだ。

 誰だっけ?

 かるたを詠むスズちゃんの声、それにこのいい香り、僕の知っている誰かに似ている。

 僕はそんなことを考えながら、駅までの道のりをスズちゃんと並んでゆっくりと歩いた――。

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