number_02:オムライス

 二人の人間が向かい合って座るには、この席は少々窮屈な感があった。椅子もテーブルもこじんまり、二人が互いにやや前へ屈むくらいでたちまち額がぶつかってしまう。そのくらいの狭い領域であった。

 けれど、彼女はひっそり心に想う。むしろこれくらいの距離の狭さがちょうど良いんじゃないか。このひと時の対峙の関係、彼女が自分の兄と向かい合うには、ぴったりだ。

 碌な幅もない、ラウンド型のテーブルには、かろうじて数センチほどの余白を取って、一つの丸い大皿がぴたりと収まっている。彼女は銀のスプーンを左手に、その皿の上にこしらえた一品をじっと見下ろしていた。


「……もう二度と作るものか」


 くぐもった声が聞こえてきた。

 兄の声だ。彼は、幅の狭い座りの淵に踵を器用に引っ掛け立たせた片足の腿に顔をうずめながら唸り続けていた。


 見ての通り、いじけているのだ。


「くっそぉ……なーんでこうも上手くいかないのかねぇ? 卵の料理の神様ってやつは、ほんと酷い奴だよ……今回はさ、ちゃんと卵ケチらないで四つも使っただよ? ……あー、四つも無駄にしてしまった……なのに、どうしてかね。まーた俺は失敗作を作ってしまうわけだ。へっ、もう止めだ。もう絶対に俺はオムライスなんてものはーー」

「いただきまーす」

 呪いの言葉を断絶するかのごとく、彼女はスプーンを皿に向かって振り下ろした。

 打ちひしがれる兄とは対照的に、妹の方は薄情者であった。けして本人の前では口にはしないが正直『胃に収まってしまえば料理の見てくれなんて関係ないね』とすら思っていた。ひと口、ふた口ーー機械的に、そして均等なテンポでスプーンで掬い、口へと運ぶ。


(それこそ、味なんて変わんないじゃない。馬鹿な兄貴ね)

 むぐむぐと、口を動かしながら、彼女はいままで胃袋に処理してきた形の崩れたオムライスの数を数える。が、十個過ぎたあたりで記憶が朧げになる。

「あー、これで二十三回目の失敗だな」

 兄弟の以心伝心か。明確な数を兄が答えてくれたので、彼女は思わずスプーンを持つ手を止めた。

「前回は油が少なくてフライパンの底にひどくこびりついたっけな。今回は油の他にバターもいれて、こびりつかないように気をつけたんだけどなぁ」

「フライパンが古いのよ。こればかりは仕方がなかったんじゃないかしら」

「オムライスを作るたんびに、フライパンを新調しなきゃいけないのか……」

「まさか。大げさよ」と、妹は卵の破けた部分をスプーンでつつきながら言う。兄は膝頭から目をずらした。でも、顔は皿から逸らして下にうつむく。


「ただ俺は普通に、きれいにライスを卵に包ませたいだけなのに」

「そう。なんで失敗しちゃうんだろうね」

「ただ、ただ、おれは絹をやわらかい布地をつくるだけなのに」

「兄貴は不幸者ね」

「おれが手をつけるとボロになってしまう。だから、もう作らないほうが平和だ。その方が幸せなんだよ、きっと」

「ほんに作らないの?」

「……うん」

「二度と?」

「んー……」


「でも、やっぱり作りたいんでしょう」


 兄はその問いにははっきり答えなかった。

だが、時が数分と経つにつれて意欲がふつふつと湧いてきたようだ。ぶつぶつと溢れていた声も徐々に明るさを取り戻していく。「次はライスと少なめに、フライパンはよく熱して、卵が音を立つまで、それから」……そのアイディアを次回までにきちんと覚えていればよいのだが。

 皿の上のオムライスは残すところ、あと二、三回スプーンで運べば終わってしまう。今回も形は凄惨に崩れていたけれど、端の部分はきれいにくるまっている。

 いつか理想にたどりつける日は来るのだろうか。プライドの高い彼の失敗策を食べることのできる唯一の役割もそう長くはないのかもしれない。


 スプーンにはみ出しても、大きな黄色い塊ごと掬う。彼女は口をおもいっきし開けてパクり。一口でそれを片付けた。

「もひほーはま……でした」


END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Novel_Drawing 白月霞 @kasumu_shiroduki96

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る