第一話3  Croquette

 というわけで少女とともに廃墟に帰ってきたのであった。


 廃墟と言っても実際は元集合住宅だったものだ。そのため比較的住みやすい物件であり、数多の浮浪者が住み着いている。

 稀に浮浪者同士で取り合いになる事もあるのだが、アサヒに関してはバックにイレイザーを持っているほどの働き先があることもありあまり喧嘩を売られる事も無かった。


「おうアサヒ……なんだそいつ?」


 踊り場で手製の囲碁にいそしんでいた連中から声をかけられる。

 すっかり暗くなったのにも関わらず貴重な手持ちガス灯を灯してまで囲碁をやる物好きのおっさん達だ。 石はプラスチックなどではなくその辺のコンクリートの欠片などを削った物だし碁盤の木目もなんだか間隔がおかしい。ルールもちゃんと分かっているのか怪しい物だ。


「行き倒れ」


「ほーん、あまり構いすぎんなよ。じゃあ今日は打たねえのか」


「あぁ、わりぃ」


 まあ、アサヒも物好きな人間の一人だった。


「にしてもお前はいっつも行き倒れ拾ってくるよなあ」


「いつもじゃねえよ……」


「じゃあ2人に1人か? ハハ」


 からかうように中年の男に言われ、アサヒは無言になる。対し少女は話には特に興味も無いようで碁盤の石を一つ一つなぞるように見ていた。


「あれ、藤村さんって行き倒れは拾わないとか言ってたような?」


 碁盤の周りに集まっている中で一番若いと思われる少年が首を傾げた。


「ありゃな、嘘だ。拾うって言ってると逆に寄ってくるからな」


 中年男は少年に向かって振り向きながらガハハと笑った。


「おい、よそ見してていいのか? お前の番だぜ」


「あっ……おい! 二手打ちしただろ!?」


「してねえよ、一手前すら覚えてねえのか」


「おまえここが生きるのには二手は必要だっただろが!」


「読み違いだろ!!」


 ぎゃあぎゃあと喚きだす大人たちとわらわら集まってきたギャラリーを横目に、アサヒはボロボロに朽ちた踊り場の階段を上り南京錠を開けて部屋に入った。

 少女は囲碁の様子を興味深げに眺めていたが素直にアサヒについて部屋に入る。ロウソクをつけて南京錠を内側からかけ直すとアサヒは息をついた。


「ふう……」


「……二手打ちだった」


 か細い声で少女が呟く。それに対しアサヒは少し驚いた表情になった。


「打てるのか」


「……多分。それよりコロッケ」


 その解答にアサヒは違和感を覚える。そういえば母の影響で妹ともよく碁を打ったものだった。アサヒはいつもぼろ負けしていたのだが。


「……お前、名前は」


「コロッケ」


「……」


 しょうがなく新聞紙でできた紙袋からコロッケを一つ出して渡す。すると少女は貪るように一気に食べ、アサヒをちらりと見た。


「……」


 無言でもう一個渡す。袋を覗くと残りのコロッケは一個。少女を見ればもうその手の中にコロッケは無く、餌を待つ犬のような目でこちらを見ていた。


「……これは俺の」


「……」


「はあ……」


 諦めて袋ごと投げてよこした。

 それもあっという間に食べ終えて少女は息をついて微かな笑みを浮かべた。

 不意の表情に少し驚いたが、とりあえず非常食だった缶の乾パンをボロボロの段ボールから取り出すと、彼は壁にもたれかかるように座り込んで少女を見据えた。


「で、名前は? コロッケはもうないぞ」


「……ない」


「あぁ、コロッケはもうない。これは俺の夕飯だからやらん」


「違う、名前が無い」


 先程とは打って変わって無表情のまま、無機質な声で彼女は言った。


「名前が無い?」


 まあ珍しい事ではなかった。

 親に名前をつけてもらえない子供などこの元島国には五万といるのだ。ただ、彼女ほどの年齢で無いのは少し珍しかった。大抵自分でつけてしまったりするからだ。


 当然ながら彼の妹には名前がある。つまり妹ではなかったのだ。他人のそら似である。

 少しの落胆を覚えつつもなんだか気が抜けてしまったアサヒは軽い口調で提案する。


「うーん……じゃあアレだ、なんか無いと面倒だから名前を決めよう。そうだなあ……真っ白いからシロなんてどうだ?」


 日の丸シャツの同期、シゲが聞いていたら間違いなく「犬かよ!」と突っ込んでいたネーミングセンスだった。

 少なくとも人間につける名前ではなかったのだが、少女はまんざらでもなかったらしく頷いた。


「俺はアサヒだ。よろしくな」


「ん」


「で、シロ。お前はどうしてあんなとこで倒れてたんだ?」


 そこで少女は首を傾げた。


「……おなかが減って」


 軽く呆れながらアサヒは半笑いでもう一度質問する。


「そりゃそうだろうよ……質問変えるわ、どこから来たんだ?」


「西東京」


 彼女の言葉を理解し、彼の半笑いの顔が硬直するまで一瞬もかからなかった。

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