僕のカナデ

オサメ

僕のカナデ

いつもの神社の階段。

一つ年上のカナデは、見慣れない服を着て立っている。


「カナデが中学生なんて、変だよ」

「そうかなぁ」


振り向かずに応えたカナデの声は、不満そうだった。

 上下ともに真っ黒で、赤いスカーフがふわりふわりと揺れるセーラー服。下から見上げる僕には、四角い襟から顔を出している三角形の赤いスカーフが、舌を出して笑っているように見えた。

カナデは本当に、中学生になったんだ。


僕はまだ、小学校の六年生。

今までだって、僕はいつもカナデより一つ下の学年だったのに、今度は通う場所まで変わってしまう。家は隣同士のままなのに、毎朝別々の場所に向かうなんて。

 小学校に上がってから、帰りはもちろん別々だし、一緒に遊んだりもしなくなった。だって、男の僕が女のカナデと遊んでいたら、学校の友達に笑われてしまうから。


 だから僕達は、五時に遊びから帰って来ると、家の近くの神社で落ち合って話をするようになった。子供はもう家に帰っている時間だから、誰かに見つかって冷やかされる心配は無い。


「中学校、慣れたのかよ」

五段ほど前を行く背中へ声を掛けると、カナデは立ち止まって体の向きを変えた。


 くるり、と軽やかに回った拍子に、ひだの付いた長いスカートがふくらんだ。裾が、僕の手をつるりと撫でて、慌てて立ち止まる。いつもズボンを履いていたくせに……調子が狂ってしまう。何だか、顔が熱くなった。


「慣れたよ。ユウくんは、私が学校にいなくて寂しい?」

「寂しくねーよ。今までだって、学年も教室も違ったし、何も変わんねーだろ」

「そうかな」


僕は嘘を付いた。


 朝礼や集会、全校生徒で集まる時には、いつだってカナデを探していたし、見慣れた顔を見つけると嬉しい気持ちになったんだ。今だって、ついついカナデを探してしまうけれど、いくら見回してもその姿は無い。

スキップするみたいにはしゃぐ様子も、揺れる長い髪も、女友達と笑い合う声も。

 毎年楽しみだった運動会も、もうどうでも良くなってしまった。カナデの走る姿はどこにも無いのだから。


「私は、寂しいな。姿を探しても、ユウくんがいないんだから」


 カナデも僕と同じことを考えていた? そんなことがあるかな? カナデは一歳年上だから、僕よりちょっと大人なはずで――きっと僕の考えることは、カナデよりちょっと子供じみたことなんだから。


 カナデが僕を見たまま、後ろ向きに階段を二段上がった。少しよろけたので、慌てて駆け寄って手を伸ばす。腕を掴んで安定させると、カナデは笑顔を見せた。

 くしゃっと笑った顔は、年下みたいなのに……。ドジだし、力も無いし、僕より足も遅いのに、これで年上って言えるのかな。父さんも母さんも、カナデのことを「隣のカナデお姉ちゃん」って言うけれど、僕はそんな風に呼んだことは無い。こいつがお姉ちゃんなんて、変だ。

 小さい蜘蛛が服についただけで、「取って、取って」って、大騒ぎしたりするんだからさ。こっちが面倒を見てやっているんだ。


 僕はまだ、カナデより二段ほど下に立っている。


 もうすぐ五月。夕方の風はまだ冷たくて、カナデのスカーフをあおっている。僕のおでこに先っぽが当たって、くすぐったい。セーラー服に馬鹿にされているようで、ちょっと腹が立った。


「セーラー服なんて、変なの。スカートだし」

中学校のものなんか、好きになれない。カナデを取られてしまったみたいだ。

「変かな? 似合ってない?」

カナデの笑顔が消えてしまった。

「……似合ってるけど」


そう言うと、また笑顔が戻る。カナデは泣き虫だから、僕は気を使っているんだ。不細工な泣き顔は見たくないし、女を泣かせるのは駄目だって父さんに言われたから……それだけだ。


 いつだったか、僕が転んで膝小僧を擦りむいた時、カナデは大声で泣き出したことがあった。痛いのは僕なのに、カナデが泣くなんて馬鹿みたいだって言ったら、母さんに「カナデちゃんは優しいから、ユウが痛くて可愛そうだって泣いているの。馬鹿なんて言ったら、カナデちゃんに嫌われちゃうぞ」って言われたっけ。

 そんなの知ってるよ。女がみんな、優しくて大人しいわけじゃないんだ。クラスの女子はうるさいし、全然優しくないからね。


 カナデが特別なんだよ。そう思っているのは、僕だけじゃないんだ。カナデは、同じクラスの男に告白されたことがあるんだよ。本人に聞いたわけじゃないけど、噂になっていた。その男が振られたみたいだって聞いて、僕はいい気味だって思った。

 でもその夜、ちょっとモヤモヤしたんだ。どうしてカナデはその男を振ったんだろう、誰か好きなヤツでもいるのかなって。


「もうね、これからは部活で遅くなるから、五時にここには来られないよ」

「いいよ、別に。今までだって、約束してたわけじゃないし」


僕はまた、嘘を付いた。


 この時間も、もう無くなってしまうんだ。

僕は、夕方が大好きだった。赤くなる雲も、冷たくなる風も、お腹が空いちゃうことだって、好きだったんだ。全部、カナデとのこの時間を思い出すから。


 ジャンケン、ポン!

 チ、ヨ、コ、レ、イ、ト


 何回もやった遊び。自分たちの声がどこからか響いてきそうだ。あの頃は、カナデより前に出ようと頑張っていたけれど、いつの間にか、カナデの少し後ろを歩くだけになった。

 神社までの長い階段を上って、降りて。そんなにおしゃべりするわけじゃないけれど、いつも少し前を上るカナデの姿を見ているだけで楽しかった。長い髪が風に揺れたり、白い指先が寒さで赤くなっていたり、走って来た額から汗が伝ってきたり。色んなカナデを覚えているんだ。


 部活で遅くなって、誰か別の男と一緒に帰って来たりするのかな。中学生になったら、たくさん告白されたりするのかな。それは嫌だけれど、僕にはどうしようもない。一年経てば同じ中学校へ上がれるけれど、それでも一学年下の繰り返し。


 どこからか、おいしそうな匂いが漂ってくる。野菜炒めみたいな匂い。外はまだ明るいけれど、夕ご飯の支度が始まっているんだ。僕は少しそわそわした。だって、今日こそカナデに渡さなくちゃならないものがある。

 母さんが、「カナデちゃんに入学のお祝いをあげたら?」って、僕に五百円くれたんだ。祝う気持ちは無かったけれど、カナデに何かあげるのはいい考えだって思えた。


 僕は、ピン留めを買った。カナデは、長めの前髪をいじるのがクセだから、それを僕のあげたピン留めで上げてしまえば気分がいいような気がした。だってさ、いつも通りに手を持っていって、前髪がなければ、僕のピン留めが頭に付いていることを思い出すだろ? 毎日、何回も。

 買ったのは一週間も前だったけれど、まだ渡せていなかった。顔を見ると恥ずかしくなってしまって、ポケットで何回も握った紙の袋は、しわしわになってしまっていた。


「あっ、ユウちゃん、ここから中学校の桜が見えるよ」


少し背伸びするように、遠くを見るカナデ。そこに風が吹いて、前髪を撫で上げた。白いおでこが見えて、僕の胸の辺りがぎゅっとする。


 今日こそ、渡してしまおう。これ以上握っていると、袋が破れてしまう。汗で湿ってしまったかもしれないけれど、僕は男だから、そんな小さなことは気にしない。


「カナデ……入学の、お祝い」

唇が引っ付いて、喉が硬くなって、大きな声が出せなかった。


 こちらを向いたカナデの前に、拳を差し出す。不思議そうに首を傾げるカナデの手を引っ張り、手のひらにくしゃくしゃになった小さな袋を押し当てた。


「くれるの?」

「うん」

カナデの手にあるそれは、ゴミのように見えた。


「開けていい?」


黙って頷くと、カナデは袋を留めているテープをはがし始める。くしゃくしゃになっているから、大変だろう。破ってしまえばいいのに、袋をのばしながら丁寧にテープをはがすんだ。その間、僕の心臓はドキドキ鳴るし、耳や顔があつくなってくる。


 早くしろよって言いたいけれど、上手く声が出せそうにないし……やっぱり贈り物なんかするんじゃなかったかな。


「わぁ……、綺麗、すごく綺麗だね、ユウちゃん!」


ようやく出て来たピン留めは、カナデの指につままれて、夕空に高々と掲げられていた。


 ピンクの花の飾りが付いたピン留め。半透明の硬い花は、空の下で飴玉みたいに光っていた。


 カナデは器用に指を動かして前髪を右側に寄せると、すっかりピン留めで上げてしまった。おでこが全部見えると、顔全体がすっきりして、ちょっと大人っぽくなったようだ。そんな顔でセーラー服を着ていると、やっぱり中学生に見えてしまうんだ。

 何だか、面白く無い。


「似合うかな?」

カナデがしゃがみ込む。


 目の前に、カナデのつむじと、ピン留めが見えた。下から見上げるカナデの黒い瞳。瞬きをするたびに、長いまつげから音が聞こえてきそうだ。


 そっと、ピン留めの花に指を付けてみる。そのまま、髪を一房優しくつかんで、手をすべらせた。手のひらに、つるつるした感触が滑り、毛先にくすぐられた後、僕の手は空になった。


「似合う、よ」

「ありがとう、嬉しい。大事にする」

そっと、ピンクの花に触れるカナデ。


 しゃがんだ膝はスカートですっかり覆われているけれど、白いふくらはぎが見えていた。スカートが短い中学生もたくさんいる。カナデも、少ししたらそうなるのかな。


 立ち上がったカナデから、シャンプーみたいな匂いがした。いつからこんな風に、いい匂いがするようになったのかな。僕とは違う匂いがするって気が付いたのは、何歳の時だっただろう。


「ねぇ、ユウちゃん、横に立ってよ」


カナデの手が伸びて来たけれど、僕はその手をパシリと叩いた。女と手を繋ぐなんて、恥ずかしいことは出来ない。カナデは少し、頬を膨らませた。


 同じ段に立つ。


悔しいけれど、カナデのほうが背が高い。


「ユウちゃん、知ってる? うちのママって、パパより一つ年上なんだよ。大人になると、一歳差なんか、なくなっちゃうんだって」


「……へぇ」


差が無くなる? 本当かな? 


 でもさ、無くなるだけじゃ駄目なんだ――僕は、カナデより背が高くなりたいし、大人になりたいんだから。


 カナデの顔を見ると、鼻の頭の上に、何かくっついていた。どこから飛んできたのか、薄いピンクの桜の花びら。もしかしたら、中学校から来たのかもしれない。そう考えると、少し腹が立った。


 手を伸ばすと、カナデの目が僕の指を追って、真ん中に寄り目になった。面白い顔だ。僕が吹き出しながら花びらを取って見せると、カナデは僕の指に息を吹きかけた。


 花びらが飛んでゆく。


 僕のあげた花のピン留めは、ちゃんとカナデの頭に付いている。花びらみたいに、飛んで行ったりはしないんだ。

 カナデだって、僕の知らないどこかに飛んでいくわけじゃない。


「制服のスカート……あんまり短くするなよな」

「……うん」


頷いたカナデの頬は、ほんのり赤くなっていた。

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