にちじょう

鈴科欅

第1話


「くしゅん!」


 もう4月なのにそっと吹き込んできた風はまだ肌寒かった。冬ももう終わりでそろそろ春なのに。温泉上がりのぽかぽかあったまった身体が少しずつ冷めていくのを感じる。


「うー」


 ボクは優しくも冷たい風から逃げるように、敷いてあったお布団に潜りこんだ。ひんやりとした感触を我慢しながら丸まっていると、ぬくぬくと柔らかい感触が身体を包んでくる。


「はぁ……ふぅ……ん、ぁぁ」

「こーらー」


 身体を包んでいく柔らかさ、内側から広がっていく暖かさに揺られて、うとうとしはじめてきた意識に聞きなれた彼女の声音が響いてきた。


「んー なぁに?」

「もう。いつも髪を濡らしたままお布団に入るのを止めなさいって言ってるでしょ?」

「だってぇ。この濡れた感触が気持ちいいんだもん」

「だってもなにもないの。ほら、髪を乾かすから」

「えー もうお布団暖かいもん。ぬくぬくしている」

「だーめ」


 お布団に潜ったまま振り向けば、しっかりものの彼女はちょっぴり眉を顰めてボクのことを呆れたように見つめてくる。

 お布団に包まったまま起き上がれば、しっかりものの彼女は『呆れた』と言葉にして小さく笑った。


「……全く。ほら、後ろを向いて」

「はぁーい」


 もぞもぞと背中を向けると、ごーごーと機械から吹く暖かい風が髪を撫でていく。時々くすぐったく耳を擽るときもあった。ボクの髪を撫でる彼女の手は優しくて、柔らかくて暖かくて、気持ちいい。

 ゆっくりと少しずつ、段々とまた眠気がこみ上がってきた。


「ん……ぅ、くちゅん!」


 うつらうつらと瞼が上がらなくなってきたと同時に、少し冷たい風がまた吹き込んできた。

 急なボクのくしゃみに『きゃっ』と彼女が驚く。


「……風邪? だから、濡れた身体をちゃんと拭きなさいって言ってるのに」

「違うよ。まだ寒いから……」


 心配そうな彼女の声音を聞くと、何だか悪いことをした気分になってしまう。

 そんなことを考えていると、機械の音が止まった。『よし』と満足そうな声音が聞こえてくる。


「はい、終わり。熱くなかった? 痛くなかった?」

「ん……大丈夫。ありがとう」

「どういたしまして。でも、暑くないの? 夜はまだ寒いけど」

「ちょうどいい」

「本当に?」

「だって、何も着ていないもん」

「へぇー……え? えぇぇぇ……」


 そう。ボクは何も着ていなかった。


「何しているのよ……」

「何って。何もしてないけど?」


 着るように身体を包んでいた布団を広げると、彼女は『止めなさい!』と叫ぶように慌てて広げた布団を閉じた。ぽかぽかぬくぬくと暖まった身体を撫でる冷たい風が本当に気持ちいい。

 だけど、彼女が顔を真っ赤にしているのを見て、ボクもなんだか恥ずかしくなってくる。


「だから、くしゃみが止まらないのよ。大体、何で着てないの?」

「温泉。服を脱ぐとつるつるで気持ちよかったでしょ?」

「え? ええ、そうね」

「だから、お布団も服を脱いだまま入ると気持ちいいのかなって」

「……」

「……」

「……で、どうだったの?」

「それがね。最初はいつもより冷たいんだけど、暖かさを直に感じられていつもより気持ちよく感じるんだー」

「へ、へぇ……そうなんだ」


 本当にぽかぽかぬくぬくして気持ちいい。

 そう思っていると、彼女の様子が少しおかしかった。


「どうかした?」

「え? う、ううん。どうもしてないわ」

「そう? 入ってみる?」

「……え?」

「本当に気持ちいいよ? やってみたら?」


 空気は少し冷たい。もしかしたら寒いのかもしれない。

 そう思って誘ってみると、彼女は小さく頷いたあと、顔をほんのり赤く染めながら恥ずかしそうに服を脱ぎ始めた。

 何だか、ちょっとボクも恥ずかしい。


「うぅ……さ、寒い」

「ほら。早く入って」


 ボクは入ってと言いながら、抱きしめるように彼女を布団で包んだ。

 冷たさが直に全身に伝わってくる。だけど、彼女の身体は柔らかくて、ふわふわしてて、良い匂いがした。


「ぁ……ふぁ……ん、ぁ。あったかい……」

「でしょ? でも、こっちは冷たい」

「し、しょうがないでしょう? さっきまで外に居たんだから」


 一人では大きくて広く感じるこの布団も、二人ならちょうどいい。

 力の抜けきった彼女の声音と吐息が耳から頬まで擽ってきて、何だか変な気分になってくる。


「でも、何か変じゃない?」

「え? 何が?」

「服も着ないで抱き合うなんて」

「そうかなぁ?」

「うーん」

「だって、今はお風呂入るときも裸でしょ? 服は脱いでるし」

「いや、それはそうだけど」


 ぶつぶつ何かを呟いている彼女をそのまま抱きしめたままごろんと転がった。ごろごろとお布団の真ん中まで辿り着く。

 『またしわになる』だの小言で呟いてる彼女を更にぎゅぅっと抱きしめた。冷たかった身体は暖かくなりはじめていて、ふわふわしてて柔らかくて、彼女の香りが鼻を、彼女の吐息が耳を擽ってる。


「暖かいね」

「そうね」

「声が何か変。のんびりしてる?」

「そうね」

「眠い?」

「そうね」

「そろそろ寝ようか?」

「そうね」

「一緒に寝る?」

「そうね」


 力を緩めて彼女の顔を覗いてみると、すっかり目が閉じていた。規則正しい寝息がボクの首筋を撫でる。

 ちゃんと寝る準備をしようかどうか、ちょっとの間だけ考えた。ボクは彼女から離れて布団から這い出る。身体の暖かさが抜けきらないうちに早足で窓のカーテンをしっかりと閉じに行く。カーテンの隙間から見えた夜の風景はすっかり春の様子だった。

 戻ろうと振り向けば、彼女が布団を開いて待っていた。ボクは小気味よい早足で布団へ戻っていく。

 彼女は瞳を閉じきっていて、すっかり眠っているようにも見えた。

 電気を消して布団へ潜る。暗くなった室内。目の前には綺麗に整っている彼女の顔。


「寝てる?」

「…………ん、ぅ」

「明日は何しようか」

「ふぁ……ん」

「たまにはゲームを一緒にやったり?」

「すぅ……すぅ」

「……ボクのこと、好き?」

「好き」


 その言葉と同時にぎゅっと抱きしめられた。ボクもぎゅぅっと抱きしめ返す。

 優しく髪を撫でられる感触に、ボクも段々と眠くなってきた。心地良い微睡に意識が傾いていく。


「おやすみ。キタキツネ」

「お、おやすみ……ギンギツネ」


 今は吐息がかかり合うほどに近く、これからもきっと誰よりもずっと一緒にいるギンギツネ。

 触れ合っている身体が、重なり合うのを閉じかけている意識が感じている。

 暖かい感情に包まれて、ボクは眠りへ沈んでいく。その途中で、淡く、緩やかに、ボクの唇に何か柔らかいものが重なった気がした。

 その感触は眠気に支配されている意識でもはっきりと感じられた。

 どうにかなってしまいそうなほど恥ずかしくて、でも幸せがいっぱいに広がっていってる。


「好き……よ……キタ、キツネ」


 やけに柔らかく反響していくその声音を聞きながら。

 明日も幸せだといいな。と想いながら抱きしめた。幸せを伝えるように優しく。離れないように強く。抱き返してくれたギンギツネの気持ちを受け止めながら。

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