たぶん、少し先の、みらいへ

糾縄カフク

たぶん、少し先の、みらいへ

 XXXX年X月X日

 恐らくは人類最後になるであろうこの日記を、私は病室から書いている。


 サンドスターの飛来と、セルリアン増殖に伴うヒトの種の滅亡。

 それは正確には「情報の統合による、単一個体以外の完全消失シグナルロスト」とでも言えるだろうか。とどのつまり、この私は私であって、同時に本来の私では無い。


 フレンズ化と呼ばれる、ジャパリパーク特有の動物の変態。しかしそれらは総じて「一つの種につき一つの個体」であって、同一種における複数体のフレンズ化は確認されなかった。


 なぜ? という問いだけは残ったものの、元来がパークという種の見本市を謳っていたがゆえに却って好都合と、それ以上の深い追求は為されず、むしろ発生したセルリアン対策に全力が注がれる事となる。


 だがあの日、全職員に避難命令が出され、私がパークを離れたあの日から、世界はサンドスターによって「ノアの方舟」に晒された。


「個体を除く種の消失」すなわち「ヒト」は、文字通り「ひとりぼっち」になってしまったという訳だ。――おそらくは今この地球には、私以外の人間は存在しない。


 理想郷の実現、或いは皮肉にもそうだろう。

 今や地上のどこからも戦争は消え、環境の破壊は二度と起こらず、それぞれがひとりぼっちのフレンズによって恙無く過ぎている。かつて病院と呼ばれたここも蔦が生い茂り、ソーラーパネルを媒介とした予備エネルギーによって、辛うじて稼働しているだけに過ぎない。


 思えば早く気づくべきだったのだ。フレンズの外貌が何故メスであるのか。オスとはそもそも、種の保存の為に生み出された、闘争を前提とした存在でしかない。だが種の保存それ自体をサンドスターが請け負ってくれる以上、オスそのものは最初から不要。――それゆえに後に残るものは、世代の交代こそはあれ、交配や食物連鎖からすら解放された平穏な社会だ。しかもあらほましき事に、彼女たちには人間の、言ってみれば善性だけが選りすぐって与えられている。


 ヒトは、憐れみ、残酷を知り、涙を流し誰かを助ける。しかしその一方で平然と同胞を傷つけ、時に不条理とすら思える殺戮を行う。その不完全なヒトの、まるでポジティブな側面だけを抽出したかの様に賜与されたフレンズへの特性は、最早その世界では流血沙汰は起き得ないのだと囁いて憚らない。殊勝な誰かがそう祈ったのか、いと高き神様が仕組んだのか。或いはただの偶然に過ぎないのか。いずれにせよ、結果だけ見ればそうなのだ。




 だから私は、寂寥だけを感じつつも、きっとあの島はうまくやっているのだと微笑んでいられる。せいぜい惜しむらくは、もう動かなくなってしまったこの足の所為で、逃げてきた島の、閉ざされた病棟から抜け出せないという一点だけ。


 必ず戻るよと告げた私を、今でも彼女は待ってくれているだろうかと、走らせるペンを置いて、窓から吹く潮風に思いを馳せる。


 確か調査の結果では、フレンズ化は動物のみならず、物や機械にも作用する可能性があった筈だ。特に絶滅危惧種に至っては、自身が孤独であった記憶すら有している。つまり、つまりだ。想いが篭った何かからなら、フレンズは生まれ得る。そして、何かを覚えていてくれる――、かも、知れない。




だとすれば、或いは。

もしかすると、きっと。


あの日、パークを去ったあの日。

たった一人乗った観覧車で飛ばされた、私の帽子。


あれはまだあの場所に、形を留め、残っているだろうか。

もしそうだとするならば――、願いが叶うとするのならば。


「失われた、輝き、あの頃。また、会いたい、会える。再現、偽りでも――、それでも」

 セルリアンの女王が最後に呟いた言葉を、思い出した様に私は反芻する。


 カコ博士の輝きを反映した悲しいカオナシ――、セルリアン。サンドスターと引き換えに生み出された副作用的な何かであるとしか、今の私には推論が出来ない。だけれど今は、あの彼女の言葉を、思い出さずには居られない。


 全ての命は有限で、あの頃はもう二度と訪れず、ゆえに、恐らくは、だから、尊い。――にも関わらず、ヒトは求めてしまう。強欲であるがゆえに、寂しい存在であるがゆえに。


 すうと息を吸い込んだ私は、静かに手折った紙飛行機を、ジャパリパークのあった方角へ向け、ゆっくりと飛ばす。それは私が、初めてあの子に折ってあげた、思い出の折り紙。


「すごーい!」と、無邪気にも驚いてくれた彼女の笑顔が、瞼の裏に蘇って、随分と忘れていた暖かい塩水が頬を伝う。


 ――みんな元気かな。


 サーバルちゃん、私のこと覚えていてくれるかな。


 ああ、もう一度行きたかったな。


 思いが去来して、書きかけの日記にポタポタと染みを作っていく。


 時間が来たんだな。何となくだけど、そう思う。


 人間の側に現れる、あの黒い影がにょきりと顔を覗かせる。


 ――こんにちは、カオナシくん。だけれどもう、私には輝きは無いけれどねと内心で返す。


 だけれどそれでも。少しでも残った私の輝きを覚えていてくれるのなら。


 この思いをどうか。


 未来の、誰かへ。


 みらいの記憶を引き継いだ、あなたへ。




*          *




 やがて誰も居なくなった病室に吹き込んだ一陣の風が、かつて居た誰かの書いた日記のページを、パラパラとめくり空に舞い上げた。

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