第1部 企業合併 Sun & Moon Japan Inc.

第6話 転機


 専門学校を卒業した麻耶は、コンビニのチェーン展開を図る、地元の企業から内定をもらった――幼い頃、麻耶が通っていた、二つのコンビニもその会社のチェーン店で、仙台周辺で二、三十の店舗を経営していた。

 大手のコンビニ会社とは縁がなかったものの、内定をもらったときの喜びは一入ひとしおだった――だって、麻耶を幸せにしてくれたコンビニの運営に携わることができるのだから。


 コンビニに就職したことは、麻耶にとってもう一つ大きな意味があった――それは、麻耶が働くことでお母さんに楽をさせてあげること。体調を崩しながら、長い間、麻耶のためにがんばってくれたお母さんに、仕事を辞めてのんびりしてもらいたかったから。


 お母さんは麻耶が四歳のときから昼も夜も働いていた。麻耶を育てながら、お祖父じいちゃんが入院する特別養護施設へ毎月多額のお金を支払わなければならなかったから。

 麻耶が中学に入った頃から、お母さんは過労が原因で倒れることがよくあった。昼も夜も休み無く働いているんだから当たり前。でも、仕事を辞めることなんかできなくて、次の日には何もなかったように笑顔で出掛けて行った。麻耶はお母さんのことが可哀そうでならなかった。何もできない自分が情けなかった――同時に、麻耶の中でお父さんあの人に対する怒りが大きなものへと変わっていったの。


 そんなお母さんのことが見ていられなくて、中学二年のとき、麻耶は高校には行かずに就職することをお母さんに告げたの。


「絶対にダメ。今度そんなこと言ったら承知しないから」


 お母さんから返ってきた言葉は、麻耶が想定したものとは全く違った。

 いつも麻耶には笑顔で接してくれるお母さんが、厳しい表情で麻耶を睨みつけるように言ったの。麻耶は何度もお願いしたけれど、お母さんは頑として譲らなくて、結局、麻耶は地元の高校に進学することになった。でも、奨学金をもらうこととバイトをすることは許してもらえたから、少しでもお金を家に入れることはできた。


 そんな中、麻耶が高校三年生になった年の秋、お祖父ちゃんが病気で亡くなった。

 不謹慎かもしれないけれど、麻耶は心の底から「良かった」って思ったの――これで、お母さんが夜の仕事から解放されると思ったから。麻耶は「こんな生活を続けていたら、お母さんは長くはもたない。お祖母ちゃんみたいに突然死んじゃう」と思っていたから。

 

 状況が変わったことで、麻耶は奨学金をもらいながら専門学校へ通うことになった。

 将来のことを考えたら大学の経済学部か商学部に進学したい気持ちが無いわけじゃなかったけれど、麻耶が通っていた高校のランクは「中の下」。学校で一番になっても国公立には行けそうにないから、大学のことはキッパリ諦めることにしたの。


★★


 就職が決まって、お母さんにもゆっくりしてもらえて順風満帆に思えた。

 ただ、思わぬところに落とし穴があった――それは、麻耶の入社した会社が想像とは全く違っていたこと。同族経営の会社であることは事前に調べてはいたけれど、ふたを開けてみたら、保守的な体質を絵に描いたような、前近代的な会社だった。


 面接を受けたとき、面接官が口を揃えて「自由な社風」なんて言ってたけれど、あの人たちが言っていた「自由」とは一体全体何を意味していたのだろう。

 刑務所で服役している者が「労働のために太陽の下に出る時間が唯一自由な時間」と言っていたのを聞いたことがあるけれど、それは「偽りの自由」。普段、薄暗くて狭い部屋にいる彼らは、陽の当たる、広々とした場所に出ることで開放感を味わっているに過ぎない。

 監視装置が張り巡らされた、高い塀の中にいることに変わりはなく、物理的な活動範囲が少し広くなっただけ。それは、決して自由なんかじゃない。それでも、囚人が「偽りの自由」を自由だと感じることで気持ちが晴れやかになったのは事実――この会社の人間が口にした「偽りの自由」よりはずっと増しだと思った。


 パンフレットやホームページでは、「お客さま視点で考える」、「他の会社が真似できないオンリーワンを目指す」、「自由闊達な意見で変わり続ける」、「社員は大切な財産」などと大層な経営理念をうたっているのに、実際やっていることはそれとは程遠いもの――それを真に受けた麻耶は、入社後、そのギャップに苦しみ続けた。


 いくらお客さま視点で顧客満足CSに関する提案をしても、社員のモチベーションを上げるための従業員満足ESを主張しても誰も聞く耳を持たないばかりか、逆に、意見を言えば言うほどレッテルを貼られる――「新人のくせに」、「女のくせに」、「何も知らないくせに」。いつも最後はそんな心ない言葉を吐き掛けられた。


 何度か会社を辞めようと思ったこともある――でも、辞められなかった。

 奨学金を還さなければならなかったし、お母さんに仕事を辞めさせた手前、麻耶の収入が無くなるのは死活問題だった。そして、何より「彼女」と再会を果たすためにコンビニと接点を持っていたかった。

 運営しているのはどうしようもない会社であっても、麻耶はこのコンビニのおかげで幸せになれた。そのことを考えたら、会社を離れるわけにはいかなかった。それは、麻耶自身を否定する行為であって、ひいては「彼女」の存在自体を否定することにもつながる気がしたから。


★★★


 そんな葛藤を抱えながら、三年の月日が流れた。

 麻耶は相変わらずの煙たがられる存在――理由は二つ。一つは、理想を掲げて提案を止めなかったから。もう一つは、男に対して露骨に嫌悪感を抱いていたから。


 でも、悪いことばかりじゃなかった。

 その年の七月、麻耶に「二つ目」の転機ターニングポイントが訪れたの。


 はっきり言って、麻耶たち下っ端には「寝耳に水」だった。

 まさか企業の合併・買収M&Aの波がこんな中小企業にまで押し寄せてくるなんて思いもしなかったから。しかも、驚いたことに、M&Aを仕掛けてきたのはコンビニ業界最大手の「サン&ムーン・ジャパン」。

 麻耶はM&Aの仕組みなんてチンプンカンプンだったから、どうしてこんなどうしようもない企業が標的にされたのかさっぱりわからなかった。会社のみんなも、突然の「黒船襲来」に口々に不安をあらわにしていた。


 後日、担当者からM&Aの目的と理由について説明を受けた。

 それによれば、サン&ムーンは関東から西では圧倒的なシェアがあって、名実ともにナンバーワン。でも、東北地方ではまだ出店らしい出店はしていなくて、ここ数年、進出の機会をうかがっていたみたい。

 サン&ムーンが描いたステップとして、まず東北の中心都市である仙台でマニュアルに沿ったフランチャイズを進めてみて、その結果次第で、更なる進出を検討するとのこと。ただ、「撤退」の選択肢もあったことで、いきなり新規に多額の資本を投下するよりも既存の資本――つまり、仙台周辺で地味にコンビニを展開している、麻耶の会社を利用するのがベターという結論に達したらしい。

 

 正直なところ、サン&ムーンのM&Aのやり方はすごく上手だと思った。

 経営・財務・人事といった、会社を統括したり戦略を立てたりする中枢部門の責任者は、当然のごとくサン&ムーンから送り込まれてきたけれど、それ以外は麻耶たち被合併会社の社員を登用したの。

 それに、みんなが不安がっていた「合理化のための解雇」や「給与の大幅カット」なんていう話も一切なくて、逆に、社員の給与を一時的にアップしたり、売上に応じて給与があがるインセンティブ制を雇用条件に盛り込む提案もあったの。

 それは、麻耶たちが黒船に対して抱いていた、悪しき感情をぬぐい去るのに十分過ぎる「アメ」――ただ、「アメ」があれば必ず「ムチ」があるのは、サン&ムーンも例外じゃなかったの。

 

 つづく

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