第5話 選択の理由
★
お母さんから聞いた話では、麻耶の家の近くのコンビニは、もともと米を販売していたお店がフランチャイズ契約を結んだらしい。お店の一角に、農業振興のポスターが貼られていて、いろいろな種類の米袋や見慣れない清涼飲料水が置かれているのもそんな経緯があってのこと。
古い作りの小さなお店で、他のお店に比べたら品揃えも少なく、いつ
周りに何もないお店がそこそこ繁盛しているのは、たぶん仙台市と山形市を結ぶ幹線道路沿いに立地しているから。昼夜を問わず、大型トラックが高速道路さながらの猛スピードで疾走していて、ここは、ドライバーたちにとっての「憩いの場」。真っ暗な中、
「嬢ちゃん、びしょ濡れじゃねぇか」
コンビニの軒下で傘についた雨粒を払っていると、後ろから声が聞こえた。
振り向いた麻耶の目に、上下濃紺の作業服に身を包んだ、角刈りで
「――こんな時間にどうしたい? 母ちゃんに怒られて家を出てきたのか? とりあえず店の中に入ってこいつで身体を拭きな」
男は麻耶を店に入るよう促しながら、ディズニーのキャラクターが描かれた、大きなタオルを麻耶の頭にパサッと
「いらっしゃいませ。こんばんは」
自動ドアが開いて来客を知らせるチャイムが鳴ると、女性スタッフの明るい声が麻耶と男を出迎える。ガラス越しに見たときも明るい雰囲気が感じられたけれど、店内に入ってみるとさらに明るい感じがした。たぶん、スタッフの爽やかな声と店内に流れている環境音楽のせい。
託児所に預けられているときも毎日のように近くのコンビニへ出掛けたけれど、同じ系列のコンビニなのに雰囲気が全然違う。
仙台駅のコンビニは店内が広々としていて、いつも会社帰りのビジネスマンや派手な服装をした女の人で賑わっていた。それに対して、ここは、狭い店内に「いかにもトラックのドライバー」といった男たちが溢れている――ただ、どちらも温かい雰囲気が漂っていて心が安らぐ感じは同じ。
「嬢ちゃん、飲めや。
麻耶の目の前にココアの缶が現れる。缶が小さく見えたのは、たぶん大きな毛むくじゃらの手がつまんでいたから――男が気を利かせて買ってくれたもの。
『おじさん、ありがとう! ココアいただきます! 麻耶はすごくうれしい!』
次の瞬間、男の顔から笑顔が消える。
「あなたに物を恵んでもらう理由はありません。余計なことはしないでください――私、
麻耶は男から渡されたバスタオルを無造作に付き返すと、無表情のまま無機質な言葉を返した。感情の欠片も感じられない、麻耶の冷たい態度に、男とスタッフは呆気にとられる。
『やっぱり……男の人にはこうなのね。「あなた」は』
麻耶は「またか」と言わんばかりに心の中で呟いた。
普段、麻耶は笑わない。感情もほとんど顔に出さない。特に、男と接するときは、堅い殻の中に閉じ
最初は、気持ちと裏腹な態度を取ってしまう自分に驚きを隠せなかった。でも、もともとそれは麻耶が望んだことで、「彼女」が麻耶の望みを叶えてくれた結果。違和感は少しずつ薄れて「彼女」に対して心から感謝するようになった。
「ねぇ、お嬢ちゃん? おじさんが『あげる』って言ってるんだからもらっておいたらどうかな? このおじさん、おねえちゃんのお友だちで悪い人じゃないんだよ。お嬢ちゃんのことを心配して言ってくれてるの。雨に濡れて風邪でも引いたら可哀そうだと思っているの」
麻耶の態度を見兼ねたのか、スタッフが麻耶の前にしゃがんで
『いるんでしょ? いるなら返事をして』
思い出したように、麻耶は「彼女」に話し掛けた。
もともとここに来たのは「彼女」に会うため。「彼女」の存在を感じ取ったことで、麻耶は当初の目的を思い出した。
『――前みたいにあなたと話がしたい。出て来て。お願い』
何度も声を掛けた。しかし、「彼女」は答えてくれなかった――「夜のコンビニなら会えるかも」。そんな淡い期待は
「……お譲ちゃん、どうかした?」
目を見開いて口を
一呼吸置いて、麻耶はスタッフの方へ顔を向けると口角を上げてニッコリと微笑んだの。
「おねえさん、ありがとう。でも、お母さんに『知らない人から物をもらっちゃいけません』って言われてるの。お母さんに怒られちゃうから……じゃあ、麻耶は帰るね」
店内にチャイムの音が鳴り響く中、スタッフに小さく手を振ると、麻耶はコンビニを後にしたの。二人が何か話していたけれど、雨の音でよく聞き取れなかった――たぶん、男と女で、麻耶の接し方が別人みたいだとか言っていたんじゃないかな。
確かに「彼女」はいた。でも、話すことはできなかった――「いつも麻耶のそばにいる」。彼女が言ったことを確認したに過ぎなかった。
麻耶は諦め切れなかった。「希望はまだ残っている」って思った。
麻耶と「彼女」がコンビニで会話をしたのは紛れもない事実。コンビニでなら「彼女」に会える可能性がある――「これから麻耶がコンビニと接点を持ち続けていれば、いつか『彼女』と再会できる」。そう思ったの。
風を伴った雨が降りしきる中、国道を猛スピードで疾走する大型トラックを後目に、麻耶は両手で傘の柄をしっかりと握って、家へ続く坂道を上って行ったの。上り切ったところで後ろを振り返ると、真っ暗な中、コンビニの明かりがはっきりと見て取れた――麻耶には、それが「絶望」という名の淵に微かに灯る「希望」の光のように思えた。
★★
それ以来、麻耶は毎日のように近くのコンビニへ出掛けるようになった。
家から歩いて五分も掛からないものの、真っ暗な夜道には何が潜んでいるかわからない。人気がほとんどない闇の中を、幼い少女が一人で歩くというのは「襲ってください」と言っているようなもの。今考えると、それは無謀を絵に描いたような行動。でも、麻耶は怖いとは思わなかった――「彼女」に会いたい衝動を抑えきれなかったから。
毎回、お小遣いで何か買っていたことでお客さんとして扱ってもらえて、スタッフのおねえさんともすぐに仲良くなった。
男に対しては、子供らしくない、冷たい態度で接するのは相変わらずだったけれど、女の人には愛らしい「営業スマイル」で接した。自分で言うのもどうかと思うけれど、ショートヘアのサラサラの髪を揺らしながら、パッチリとした目で笑い掛ける女の子は見ていて悪い気はしないと思う。
男のドライバーは眉を
ドライバーたちは、仕事の途中で手に入れた土産物やコンビニで買ったお菓子なんかを麻耶にプレゼントしてくれた。でも、麻耶は一切受け取らなかった――ただ、店員のおねえさんからもらったものは、うれしそうに受け取ったから、ドライバーはおねえさんを経由して麻耶に渡すようになった。麻耶はそれを休憩時間におねえさんといっしょに食べたの。
もともと「彼女」に会うために訪れたコンビニだったけれど、いつしか麻耶にとって居心地の良い場所になっていた。残念ながら、「彼女」と話すことはできなかったけれど、一人で留守番をする寂しさを紛らわすことができたし、大人の世界を垣間見ることもできた。
小さな集落だったことから「夜な夜なコンビニに通う小学生」として麻耶はちょっとした有名人になっていたのかもしれない――ただ、それでも良かった。麻耶は夜のコンビニで「彼女」に会えることを期待しながら「幸せな時間」を過ごすことができたのだから。
コンビニは苦しんでいた麻耶のオアシスになった。独りぼっちの麻耶に安らぎを与えてくれた。温かい光で麻耶を照らしてくれた――それは、すべて「彼女」のおかげ。
そのとき、麻耶は改めて思ったの。
『コンビニの仕事に就いて、麻耶がコンビニを素晴らしい場所にするの。そうすれば、きっと「彼女」に会える。そして、麻耶はもっと幸せになれる』
長くなったけれど、これが、麻耶がコンビニを就職先に選んだ理由。
幸せになるために麻耶が選んだ道。
つづく(第1部へ)
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