第6章 波乱を越えて
対峙
木曜日、役員たちが集会所に出揃ったのは夜の七時だった。
今日から俺が司会となり、亮がサポートしてくれることになっていた。
席に着く前、亮は俺にそっと耳打ちする。
「いいか、今夜は吉川さんを落とせば勝ちだ」
「落とす? 勝ち?」
「あぁ。吉川さんは気分が乗れば頼りになるが、新しいことに手を出すのは苦手でな。今回のフリーペーパーも今までなかったことだから、あまりよくは思ってないはずだ」
「そうなの?」
「多分な。それに、俺が見たところ、吉川さんは記事を一切見せてもらってないことに腹が立ってるみたいだから」
「だって、企画に参加しなかったのは吉川さんの意思じゃないか」
「そうだとしても、気にはなっていたんだろ。けど、自分にはなんの途中経過も知らされないもんだから、仲間外れにされた気分なんだろうさ」
「勝手だなぁ」
「寂しがり屋なんだ。しょうがないさ、そういう理不尽なところがある人なんだよ。それに、否定から入る人だから悪く言われてもカッとなるなよ」
「なんだよ、それ。ここまできたのに」
「言っただろ。冷静になれ。味方につければ心強い存在でもあるんだ。うまくやれよ」
「おう、わかったよ」
なんだか不安が増すばかりだ。大野さんが「じゃ、始めましょうか。憲史君、お願いします」と声をかけてくれたのをきっかけに、司会を始めた。
「お忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。今回から司会進行を担当させていただきます、甲斐です。よろしくお願いします」
緊張で声が上ずり、顔が赤くなってしまった。洋子さんが「頑張れ」と声援を送り、小さな笑いが起こる。
「今回の議題ですが、前回に引き続き、駅ビル対策の件です。それと、フリーペーパーの原稿ができましたのでご報告いたします」
「記事、出来たんだ」
美希さんが歓声を上げる。ところが、やっぱり吉川さんはしかめっ面だった。
「それなんだけどよ、今更だが、本当に意味あるのか?」
耳を疑った。本当に今更だし、亮の言った通りだ。
「あれから俺も考えたんだけどよ、うまくいったとしても、写真館の宣伝にしかならなくないか?」
「そんなことはないですよ。あくまで主役は被写体です。それに、撮影技術を教えるってことは、うちとしてもある意味、商品の安売りと背中合わせだし、それに記事の作成はボランティアです。こちらにもリスクはあります」
「だとしてもだ。そのフリーペーパーでどれだけの集客が見込めるんだ? 市内に配布されても、それを手に実際に来てもらわなきゃならんだろ。記事を見た人には何か割引しますって手は、こっちには負担だぞ」
記事を見ないうちから、何を言ってるんだ。頭に血が上った瞬間、俺の肘をテーブルの下で亮が引っ張っている。
わかってるよ、冷静になれっていうんだろ。そう思ったけど、気分は悪かった。組合員のことを『いくら案を出しても組合員が動かない』なんて陰口叩いたくせに、自分だってそうじゃないか。第一、フリーペーパーの案が出たときに言えばいいのに、どうして今になってこんなことを言うのだろう。
そのとき、亮が軽く咳払いをした。
「もちろん、割引は必要ありません。それに、この記事はその集客率を知るための一歩でもあります。いわゆる実験台かもしれませんが、今回の被写体は自分から希望した人ばかりですし、今問題にすることではないと思いますが」
「そうだけどよ。みんな、駅ビルができるっていうんで、不安なんだ。組合員を動かすには、よほどの出来と反応じゃないと」
テーブルの下で、ぐっと拳を握りしめた。口を開けば、罵詈雑言が鉄砲水のように飛び出てしまいそうだった。
そんな俺を横目で見て、亮が静かに切り出した。
「吉川さんの熱意はよくわかります。けれど、焦ってもしょうがないですよ。できることからやってみませんか」
吉川さんの怒りの矛先が亮に向かった。
「そんなこと言ってもよ、店の存続の危機だろうがよ。ただでさえ昔の賑わいが嘘みたいに寂れて、まるでゴーストタウンだ。お前らみたいに若いもんの言う通りにすれば、昔の人通りが取り戻せるっていうんか?」
洋子さんと美希さんは顔を見合わせ、困り切った表情を浮かべていた。何も言わないところをみると、そういう気持ちがないといえば嘘になるのだろう。大野さんは『やれやれ』と呆れ切った顔で、やりとりを見ている。
拳を握るだけでは抑えがきかず、思わずきつく目を閉じた。
なんとか冷静になろうとしたとき、思い浮かんだのは父親の顔だった。そうだ、俺は父親の代理人だ。ここに父親がいたら、どうするだろう。
思い出せ。父親は何を言っていた? 適材適所? 俯瞰しろ? そうだ、一人で走るな。そして『金底の歩、岩より固し』だ。俺が歩で亮は金なら、今こそ岩より固くなればいい。
ふうっと一呼吸おいて、「吉川さん」と目を開けて声をかけた。
「なんだよ、憲坊」
「吉川さんは、この商店街を通り抜けるのに、何分かかりますか?」
「十分もあればいいけど、それがなんだっていうんだよ」
拍子抜けした顔の吉川さんに、にっこり微笑んで見せた。
「じゃあ、十五分いてもらえるようにしませんか」
「へ?」
「お客さんにちょっと足をとめて店先を見てもらうだけでいい。歩くスピードがほんの少しゆっくりになってくれるだけでいい。そこから始めましょう」
「お前、だからそんな悠長なこと言ってられないって話をしてるんだろうが」
「俺、思うんですよ。商店街の取り組みに、特効薬はないって。だって、性格を知っているはずのたった一人を動かすのにも根気がいるのに、それを不特定多数相手にやろうっていうんだから」
吉川さんがぐっと押し黙った。すかさず、畳み掛けるように、でもできるだけなだめるような口調で言う。
「昔に戻ろうとするから、歯車が合わないんじゃないかなって思うんです。時代も人も流れて変わってるんだから、昔と同じには戻れないでしょう。新しい盛り上がり方を目指さないといけないんじゃないでしょうか」
「大きなことを言うな」
激昂した吉川さんが立ち上がる。
「今まで何をしたって、どうにもならなかったじゃないか。今の時代、大型店にコンビニ、ネットショッピングがありゃ、買い物が済むんだぞ。わざわざここに来てもらうのがどんなに大変か。第一、憲坊は商店街をずっと離れてたくせに、何をわかったような口をきいてんだ」
「えぇ、そうです。だけど、外から商店街を見たからこそ、わかることもあると思うんです」
「若い者は何も知らんから、そんな夢みたいなことを言えるんだ! このフリーペーパーの記事だって、失敗したらどうするんだ。金と労力と時間を割いて、何にもならないなんて、馬鹿げてるだろ!」
とうとう吉川さんが怒鳴りだした。洋子さんは渋い顔をし、美希さんは気まずそうに下を向いた。大野さんは首の後ろを掻いて、ため息を漏らす。
けれど、亮だけはまっすぐに吉川さんを見つめていた。そして驚くほど静かな声でこう言った。
「えぇ、何も知りませんよ。知るわけがないんです。だって、俺たちはこれからなんだから」
「なっ」
二の句が継げないでいる吉川さんに、亮が微笑む。
「失敗したって、しょうがないです」
亮はいつもの口癖で、淡々と言った。
「失敗したらどうするって? ただの失敗になんかしません。必ず何かを学び取って次につなげます。俺たちにそのチャンスをください」
本当のことを言うと、亮の『しょうがない』はあまり好きじゃなかったけど、このときばかりはとてつもなく心強かった。
そのとき、亮は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「おい、亮!」
「ちょっと、亮君、何やってんの!」
みんながぎょっとしていると、彼は声を張り上げた。
「お願いします。みなさんの力を貸してください!」
吉川さんが唖然として、亮を見ている。
「吉川さんの仰る通り、みんな不安だと思います。でも、それは俺も憲史もそうなんです。それでも組合員を動かそうと思ったら、役員の俺たちがまずまとまらなきゃいけないと思うんです」
胸の奥がじんと熱くなった。そうだ、父親は一人で走るなとも言った。亮は俺の父親と同じ志を持って、肩を並べて歩いてきてくれていたんだ。そう思うと、感謝しかなかった。
気がつけば、俺も立ち上がり、テーブルに頭をぶつけそうなほど深いお辞儀をした。
「俺からもお願いします。道がないなら、俺たちが作ります。けど、俺たちは経験不足だし、至らないところも沢山あります。そんなとき、みなさんが背中を押してくれたら、組合員の人たちも後を追って道を踏み固めてくれると信じてるんです!」
きっと、父親ならこう言うはずだ。そう思いながら、最後に絞り出すように言った。
「ここにいる一人一人の力が必要なんです」
長い沈黙があった。亮と並んで頭を下げ続けながら、半ば祈るような気持ちで言葉を待った。
やがて、声を上げたのは、大野さんだった。
「いいんじゃないかな」
俺と亮が頭を上げると、大野さんはその顔に清々しいものを浮かべていた。
「失敗を考えないのは若さだ。だけど、この商店街に必要なのは、そういうものじゃないかな。それに、最近『人が街を作る』って言葉を耳にしたばかりでね」
麻美さんのことだ。思わず目を見張った俺に、大野さんが目配せした。
「人が街を作って、その街に人が集まる。大勢の人を商店街に呼ぶより先に、まず僕たちに会いたいと思ってくれるかじゃないかな。そのためには、僕たちがここにいるんだよと、まず知ってもらう最初の一歩を踏み出すことも必要じゃないかな」
再び部屋がしんと静まり返り、誰もがきゅっと唇を結んでいた。
「本当はもっと早い段階で、そうするべきだったのかな。いくら不安でも、小さくまとまることで得られる安心感に浸っていたのは、単なる怠惰だったかもしれない。僕は憲史君や亮君を見て、そう思ったんだけどな」
洋子さんが「そうよねぇ」としみじみ頷いた。
「結果的には何もしないで愚痴ばっかりだったのは、臆病になっていたのかもね」
美希さんが、そっと吉川さんに声をかけた。
「ねぇ、吉川さん。私たちさ、まだまだ若い者には負けないじゃない?」
「あ、あぁ」
おどおどと答える吉川さんに、美希さんがガッツポーズを取る。
「じゃあさ、がむしゃらに、やってやろうよ。ただ黙って駅ビルに客を取られるよりさ、なんでもいいから動いてるほうが気が楽だよ」
みんなが一斉に吉川さんを見つめた。彼は気まずそうに一人一人に視線を返し、最後に俺をじっと見つめた。
「あぁあ、だんだん親父そっくりになってきやがって。しゃあねぇな。憲坊んとこが儲かったら、うちのパンの売り上げになるしな」
すると、美希さんがふっと噴き出した。
「吉川さんったら、甲斐さんがいなくて寂しいのね」
「そんなことねぇよ!」
「あら、そう?」
尖っていた空気がもう丸くなっている。ぽかんとしている俺の腕を、亮が小突いた。その顔は、今までになく晴れ晴れとしたものだった。
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