打ち合わせ、再び

 気が高ぶって寝つきが悪いと思った割に、いつの間にか爆睡していたらしい。目を覚ますと、時計はすでに九時をまわっていた。


 起き上がると、肩や首が凝ってバキバキだ。けれど、思い切り腕を回して「ようし、行くか」と気合を入れた。


 携帯電話を見ると、麻美さんからメールが届いていた。どうやら、電話をくれたらしいが、俺が出なかったためにメールで連絡してくれたようだった。


『おはようございます。突然ですみませんが、今日の打ち合わせ、場所を変更してもいいですか?』


 そんな出だしの内容だった。読み進めていくと、『十時に大野さんの喫茶店で』とあって、ちょっと冷や汗をかいた。危ない、もう少し寝ていたら間に合わないところだった。


 家を出るとき、店番をしている母親に「じゃ、打ち合わせ行ってくるから、店番頼むね」と声をかけた。

 母親は退屈そうにしていたが、ニッと白い歯を見せて笑う。


「今日は一日中店番してるから、じっくり打ち合わせしてきな」


「いや、そんなにかからないよ」


「やるからには、とことんしておいで。いい記事にしなさいよ」


「なんだよ、いやに元気だな」


 コロッケを渡したときには落ち込んでいたように見えたが、ひと晩たったらいつも通りだ。拍子抜けした俺に、母親がまた贅肉だらけの力こぶを作ってみせた。


「うん、ひと晩寝たらさ、くよくよしててもしょうがないわって思ってさ。腹くくったわ」


「そうか」


 つい、噴き出してしまった。実は母親のこういうところ、嫌いじゃない。


「じゃ、大野さんの喫茶店にいるから、何かあったら連絡してね」


「うん。でもさ、なんで大野さんの店なんだろうね。最初はうちに来るって言ってたんでしょ?」


「あぁ。まぁ、腹でも減ってたんじゃないの?」


「あら、そう」


 母親はがっかりした顔になる。野次馬根性が猛々しいから、麻美さんがどんな人か見たかったのだろう。

 確かにどうして大野さんの店になったのか気にはなるが、約束の時間が迫っている。慌ただしく身支度を調え、喫茶店に向かった。

 喫茶店に入ると、「いらっしゃいませ」と、いつもの渋い声が出迎えてくれた。


「やぁ、憲史君。お連れさんが待ってるよ」


 大野さんは今日も穏やかな笑顔で、物腰柔らかだ。俺も年をとったら、こんな紳士になりたいもんだ。


「いつもの窓際の席にお通ししてあるよ」


「ありがとうございます」


 店の奥へ歩いていくと、麻美さんが俺を見つけて軽く手を挙げてくれた。今日はキリッとしたスーツ姿だった。


「おはようございます。すみません、電話くれたんですね」


「ううん、こちらこそ急に予定変更してごめんなさい」


 そう言うと、腰を下ろした俺に声を落として囁く。


「亮君から聞いたんだけど、この商店街の理事長って大野さんでしょ?」


「えっ、はい」


「じゃあ、打ち合わせはここのほうがいいかなって思って」


「どうしてです?」


「そりゃ、自分の知らないところで記事が出来ていくよりも、一緒に作った気分になれていいかなって思って」


「そうなんですか?」


「うん、まぁ、大野さんがどんな人か知らないけど、なんとなくね。それに、ここのコーヒーは美味しいって評判だから一度来たいなって思ってたの」


 手元を見ると、まだ麻美さんは何も飲んでいない。


「あ、何か注文しましょうか。麻美さんはコーヒー?」


「うん、じゃあ、アメリカンで」


「わかりました」


 カウンターで控えていた大野さんを呼び、アメリカンとクリームソーダを注文した。大野さんが伝票に書き終わったのを見計らい、麻美さんが名刺を取り出して立ち上がった。


「大野さんですね。私、情報誌『たかせっこ』の編集を担当しております浜口麻美と申します。このたびは商店街の皆様にお世話になっております」


「あ、あなたが。これはご丁寧にありがとうございます」


 大野さんが名刺を受け取りながら、慌ててお辞儀をする。


「実は今日は商店街の記事の打ち合わせなんです。突然で申し訳ないんですが、もし差し支えなければ、原稿の段階で大野さんにも目を通していただけたらと考えておりまして」


「そうですか。いや、しかし、年寄りは口出ししないほうがいい気もしますが」


 そう言うと、彼は俺のほうを見た。


「若い人たちが僕ら年寄りには思いつかない方法で新しい風を吹かせてくれるといいなと考えていますので」


 麻美さんがにっこり微笑んだ。


「そうですか。でも、やはり私たちが何かを見逃すこともないとは言えませんし、こちらとしては昔から商店街をよくご存知の方のご意見やご感想があると心強いんです」


「そうですか。では、最後にちょっと拝見させていただきますね」


「ありがとうございます」


「それじゃ、すぐにコーヒーをお持ちしますから、少々お待ち下さい」


 大野さんは朗らかに微笑み、カウンターへ戻っていった。

 再び席についた麻美さんが、「へぇ」と目を細める。


「理解ある人だねぇ。新しいやり方を嫌う先輩が出る杭を打つことも多いのに、いい理事長さんだね」


 商店街のメンバーではない麻美さんの言葉が、なんだか自分のことのように嬉しく思えた。


「さて、では始めましょう」


「あ、はい」


 俺は早速、バッグから記事の原稿と、プリントアウトした写真を取り出して、テーブルの上に差し出した。


「あれ、写真が違う」


「そうなんです。前回のじゃなくて、こっちの二枚を使いたいんですよ」


「へぇ、いい顔じゃない」


 麻美さんは洋子さんのウィンク写真をしげしげと見て「うん、前より断然いい」と頷いた。


「こっちの男の子も可愛いね。コロッケの美味しさが五割増しで伝わるわ」


「洋子さんのお孫さんなんですよ」


「へぇ」


「お孫さんの写真は縮小してでも、なんとか入れたいんです」


「うん、これは入れたいな。文字数とか調整すればいいし」


 麻美さんが記事の内容に目を通している間、まるで面接でも受けているような気分だった。けれど、前の打ち合わせと決定的に違うのは、俺の中に確かな自信があるってことだ。


 三代目として書いた最初の記事は、構図の取り方のコツにしてみた。

 背景をぼかしたり、後ろに奥行きのある道などの景色があると、その先に物語を感じる。今回は洋子さんが客に向かって微笑んでいる写真だったが、相手が客だとはっきり知っているのは撮影した俺だけだ。

 見る人は被写体の視線がカメラではなく、違う何かを追っていると、その先に無意識にでも物語を想像するだろう。


 真正面からカメラを見てもらって撮る写真もいいけど、こういう一瞬を切り取るなら、あえて視線を外す構図も面白い。相手が子どもだと、なおさらおとなしくカメラを向いてもらうのは大変だ。

 上から撮っても、下から撮っても、斜めから撮ってもいいから、もっと自由にトライしてみよう。画面いっぱいに被写体を入れなくても、余白を楽しめばいいし、子どもや孫に『こっち向いて』なんて声をかけてシャッターチャンスを狙うより、思い切ってどんどん撮っていこう。

 そういう初歩的な内容に、洋子さんの魅力や店の売りを挟んだ記事だった。


 本当はライティングとかホワイトバランスのこととか、もっと書きたいことはあったけど、思い切ってカットしてしまった。誰もが一眼レフを持っているわけではないし、わざわざレフ板を用意してまで撮ることのほうが稀だろう。


 俺は商店街の依頼で洋子さんを被写体にしたわけだけど、読む人が「あぁ、こういう魅力があるから、この人を撮ったのか」って納得して欲しかった。俺が洋子さんと本多精肉店を好きな理由をありったけ散りばめたんだ。


「ふぅん、『第一回の被写体は本多精肉店の本多洋子さん。ウィンクスマイルとコロッケの匂いで心も胃袋も掴んでくる看板娘』かぁ。前の記事より堅苦しさが抜けたね。『絶品肉じゃがのレシピも教えてもらえるかも?』って、本当?」


「うん、本当ですよ。スーパーと違って、おすすめの調理法を教えてもらえるのも商店街のよさですから。それに、肉が国産なだけじゃなく、コロッケの材料も高瀬市の農家のものだってことも付け加えて、地産地消をアピールしてみたんですけど」


「うん、いいんじゃない? 私もコロッケ食べたくなってきた。ちょっと手直しはいるけどね」


「あ、そうですか」


 一発オーケーとはいかないのが手厳しい。麻美さんは赤ペンを取り出し、容赦なく誤字脱字や表現を変えたほうがいい箇所にバシバシ書き込んでいった。

 一通りチェックが終わると、麻美さんが俺を見てにやりとした。


「憲史君、これもう一回取材し直したのね」


「わかります?」


「まぁ、写真も変わってたし、それに記事の内容がね、同じ人が書いたと思えないくらい他人事じゃないから。熱意が伝わるっていうか」


 そう言って、仁志君の写真を手に取り、柔らかく笑った。


「この子がさ、大きくなって店を継いでさ、この記事の切り抜きと、憲史君の写真を壁に飾ってくれたら嬉しいよね」


「夢みたいですね」


 想像しただけで、胸がじんとなる。麻美さんは写真から窓の外に視線を移した。


「今の商店街ってさ、はっきり言って、私から見ると灰色なわけよ」


 突然、現実的な話題に切り替わり、戸惑いながらも「あ、はい」と応える。


「でもさ、亮君や憲史君みたいに若い世代がこうして商店街で頑張ってさ、新しい色合いが生まれたら、すごく嬉しいし、それにわずかでも協力できたら、感動的だよね」


「あ、ありがとうございます」


「それはこちらが言うことだわ。今回の取材で、この商店街の未来が楽しみになったから」


「楽しみ、ですか?」


「そう。憲史君たちの世代はまだまだ青臭いかもしれないけど、だからこそたくさんの可能性と美しさを秘めてると思うわ。そういう人たちが新しい時代を連れてくる。高瀬市の商店街も捨てたもんじゃないって、そう思えるようになったの」


 そのとき、麻美さんが大野さんを呼んで、記事を差し出した。


「これ、どうでしょう?」


「拝見します」


 大野さんは恭しく言い、俺の隣に腰を下ろした。

 文章を追うごとに、「ほう」とか「うん」と漏らしながら、大野さんは記事を読んでくれた。そして顔を上げると、俺を見て「これ、憲史君が?」と尋ねた。


「あ、はい。どこかおかしいところ、ありました?」


「いえ、ね。ただ、正直なところ、憲史君がここまで洋子さんを知ってくれているとは思わなかったから」


「え? でも、ガキの頃から知ってますよ」


「いや、そうだろうけど、なんていうのかなぁ。今までより、ずっと商店街を身近に感じてくれてるのかなって気がしたもんで」


 どきりとした。確かに、この依頼を受けていろいろ知るまでは、みんなのことを『熱意も才気もない、そのくせ誰かのせいにしたがる』無気力な人たちだと一括りにしていた。なんだかそれを見透かされたようで、変な汗をかいた。


 同時に、病室で父親が『まずは、みんなを知ることだ』と言った意味がわかった気がした。だって、目の前の大野さんは今までになく嬉しそうな顔をしていたからだ。


「この写真がね、すごくいいんだ。僕は前の写真より、こっちの洋子さんのほうが断然綺麗だと思う。これは、商店街をよく知る人しか知らない顔だものね。それに、こっちの写真はお孫さんだろ? どんな宣伝文句より効果抜群だよ」


 自分の写真を手放しで褒められ、照れ臭くなった。あんまりデレっとするのもカッコ悪いと思って唇を噛んでいると、大野さんが気付いて「おや」と目を細める。


「本当にお父さんにそっくりになって」


「えっ?」


「その癖、お父さんと同じだね」


「あの、前も同じこと言ってましたよね? その癖って、なんでしょう?」


 質問してから、「英知にも言われたんです」と、付け加えた。

 すると、彼は唇を指差してにっこりした。


「お父さんも君も、照れ隠しで唇を噛む癖があるんだ」


「あ、そうなんですか?」


「商店街の事業委員会でね、亮君が撮影者に憲史君を推薦したのは知ってる?」


「まぁ、依頼は亮からでしたから」


「あのときね、亮君は君のことを『人を惹きつける写真を撮ることのできる男です』って言い切ったんだ。それを聞いてね、君のお父さんはずっと同じように唇を噛んでた。きっと、嬉しかったんだね」


「そうだったんですか」


「それだけじゃないよ。憲史君が東京にいる間、『カメラマンになったらしい』とか『便りがないから元気だろう』って君のことを話してくれたときもだ。言葉では言ってくれないかもしれないけれど、君を誇りに思ってるんだなって思ってたよ」


 俺はきつく唇を噛んだ。でも、それは照れ隠しのためじゃない。うっかり泣きそうになったからだ。東京に行ってしまった俺の身勝手さを、あたたかく見守ってくれていたんだ。連絡がなくても、里帰りしなくても、信じてくれていた。だから、帰って来たとき、『お疲れさん』のたった一言で迎え入れることができたんだと、今更になって知った。

 涙をこらえて俯いた俺に、大野さんがねぎらってくれる。


「いい記事になりそうだね。ありがとう」


 すると、麻美さんが俺の肩を軽く叩いて「連載はあと二回あるんだから、よろしくね」と笑った。そして大野さんに向かって、こう言った。


「私、他の商店街の広告も受け持ったことありますけど、新陽通り商店街はすごいですね。熱意のある若い世代がいるって、それだけでとても恵まれてるし、理事長も後進にとても理解があるし。この商店街は、すぐにとはいかなくても、少しずつ変わっていくんじゃないかって気にさせられました。だって、人が街を作るんですもの」


 それを聞いて、大野さんが深く頷いた。


「そう言ってもらえると、私まで嬉しいです。もし好評なら、私の店も憲史君に書いてもらおうかな」


 思わず、麻美さんと顔を見合わせて破顔した。

 なんだか、今すぐに父親に報告したい気分だった。やっぱり、俺は将棋の『歩』だ。だからこそ、こうやって一歩ずつ進んでいこう。そう思うと、清々しい気持ちだった。

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