第5章 美しく青き時代

武者震い

 俺は書店のバイトが始まる前に、亮にこう切り出した。


「あのさ、記事の制作料って俺への報酬と同じくらいだったよな?」


「それかもう少し安いくらいかな。どうした?」


「俺一人で記事を書くんじゃなくて、麻美さんと相談しながら書いてもいいかな。制作料は俺の撮影料から出すから」


「それは構わないけど、お前はそれでいいのか? 実質、タダ働きじゃないか」


「いったん俺の写真に払ってもらえれば、それでいい。俺、いい記事にしたいんだ」


 なるべく一人でもたくさんの人の心を掴めるようなものを書かなければ、意味がない。そう思えた。


「じゃあ、麻美さんにお願いしてみるか」


 携帯電話を取り出した亮を、すかさず制する。


「いや、俺から連絡してお願いしてみる。それが筋だろ」


「そうか?」


「うん。打ち合わせも俺がやるよ。お前の手を煩わせることはしないから」


「そこまで言うなら、わかったよ」


 亮は頷き、さっさと配達に出てしまった。俺としては気を利かせたつもりなのに、亮の顔は渋く、ちょっと拗ねたように見えた。


「俺、何か悪いこと言ったかな?」


 相変わらず、何を考えているのかいまいちわからない。けれど、いいと言ってくれたのは間違いないんだから、あとは実行のみだ。

 麻美さんに電話をかけると、彼女は即座に「いいよ」と答えてくれた。


「今から打ち合わせに行こうか?」


「いえいえ、本当に白紙状態なんで、来週でもいいですか? それまでにとりあえず書けるだけ書きますから」


「じゃあ、火曜日に、写真館にお伺いします。それまでにどんな形でもいいから、埋めてみてね」


 バイトから帰ると、投げ出していたコピー用紙にペンを持って向き合う。

 そして真っ先に、タイトル欄にこう書いた。


『三代目が撮る!』


 なんだか、安直なタイトルだけど、それでも三代目と堂々と書けることがなんだか嬉しく、くすぐったかった。

 俺はありったけの文章力を駆使し、記事を書き上げるために四苦八苦した。寝る間も惜しんで何かに向き合ったのは受験勉強以来かもしれない。


 翌日も、写真館のカウンターで何度も何度も推敲した。そして昼を迎える頃には「これでいけるかな」と思えるほどには記事が出来上がっていた。

 夕方、店の扉が開いた。


「いらっしゃいませ」


 顔を上げた俺は、思わず「えっ」と、声を漏らした。そこにいたのは私服姿の麻美さんだったのだ。いつものスーツ姿とは違い、コートとワンピースにブーツを合わせた出で立ちで、髪もおろしている。彼女が美人だとあらためて思い知った。


「こんにちは。記事の原稿進んでる?」


「あれ、打ち合わせは来週って言ってたのに」


「うん、そうなんだけどね。なんだか気になって、ちょっと寄ってみた。見せてみて」


「あ、はい。お願いします」


 麻美さんは素早く目を通し、「ふぅん」と顎を軽くさすりながら唸った。


「ちょっと、ありきたりかなぁ」


「そうですか?」


「うん、『素敵な笑顔』とか『いつも美味しそうな肉が並ぶ』とか、使い古された言葉すぎて、全然惹かれないし。あと、初歩的だけど店の定休日とか連絡先のスペースもとっておいてね」


「あ、そうか」


 駄目出しの連続に、思わずため息が漏れた。


「私、これからオケの練習があるから、もう行かなきゃならないんだけど、火曜日にまたじっくり話しましょ。ごめんね」


「いえ、こちらこそ、来てくれてありがとうございました。もう少し練ってみます」


 出入り口まで送ると、店の前に麻美さんの車が駐車してあった。後部座席にヴァイオリンケースと譜面台が見える。

 運転席に乗り込む間際、麻美さんがアドバイスしてくれた。


「写真はあれを使うとしても、店の取材はもう一度行ったほうがいいかもね」


「はぁ」


「店の外から見て書いた記事って感じがするのよね。もう一歩踏み出して欲しいというか、憲史君にしか見えてない一瞬が欲しいし、憲史君ならではのオススメポイントがあればいいかもね」


「難しいですね」


「お行儀よくしなくていいよ。ハメ外しちゃってね」


 ケラケラと笑う麻美さんに、驚き呆れながらも、つられて噴き出した。


「前から思ってたんですけど、麻美さんっておっとりしてるように見えて、してないですよね」


「よく言われるけど、そうでもないのよ」


「へぇ」


「本当だって。亮君に聞いてみてよ」


「亮とは仲いいんですか?」


「うん、まぁ、楽器は違うけど、オケの練習ではよく一緒にいるよ」


「そうなんですか。なんだかあいつが女の人とリラックスして話してるの、初めて見た気がしてびっくりしました」


「そうね、亮君はちょっと心を開くのが苦手だもんね」


「うん、でも、いったん開いてしまえば、とことん懐くんですけどね」


 それを聞くと、麻美さんがふっと唇の端に笑みを浮かべた。


「……本当にね」


 麻美さんは「それじゃ、またね」と言い残し、去っていった。

 車が角を曲がって見えなくなると、記事の原稿と再び向き合う。

 やれやれ、前進したようでちっとも進んでない。力なく頬杖をついていると、写真館の電話が鳴った。


「はい、甲斐写真館でございます」


「もしもし、憲史君?」


 電話の声は洋子さんだった。


「あ、洋子さん、こんにちは。どうしました?」


「あのね、ちょっと言いにくいんだけどね、お願いがあって」


 嫌な予感が走る。出来たばかりの記事に目を走らせ、「なんでしょう?」と恐る恐る尋ねた。


「この前の写真ね、なかったことにして、もう一回撮り直してくれないかな」


「えっ」


 思わず大きな声を上げてしまった。


「あの、どうしてですか? なにか気に入らないことでもありました?」


「いや、私はあの写真、とっても好きなんだけどね」


 そう前置きしてから、彼女はもじもじと言葉を続けた。


「あのさ、孫に見せたらね、こんなの『ばぁば』じゃないって、泣かれちゃったの」


「へ?」


「僕のばぁばはこんな顔してない、こんなばぁばは嫌だって言って、きかないんだよ。イヤイヤ期だからかなぁ。ごめんね」


 思わず「あぁ、そうかぁ」と深いため息が漏れた。やっぱり、わかる人にはわかるんだ。あの写真の笑顔は誰に向けられているかってことが。

 あのときの洋子さんは常連客に微笑んでいるように見えて、客なんて見ていなかったんだ。だって、フリーペーパーで写真を見られたときの人の目ばかり気にしていたんだから。子どもには勝てないと思うと同時に、本当に申し訳なく思った。


「いえ、洋子さん、謝るのは俺のほうです。本当にすみません」


 電話だというのに頭を下げ、俺は心から詫びた。


「こちらからお願いします。どうか、お孫さんが喜ぶ写真を撮らせてください!」


 俺の勢いに驚いたようで、洋子さんが「いや、なに、やめてよ憲ちゃん、謝らないでよ」と慌てている。


「私もさ、言い出しっぺのくせに何もしてないし悪いなとは思っててさ。せめて写真代はちゃんと二枚分払うからさ」


「いえ、一枚分でいいですよ。だって、そもそもお孫さんのために、洋子さんはこの案を出したんでしょう?」


「えっ、うん、まぁ」


「じゃあ、俺の仕事はお孫さんを喜ばせるまで精一杯やらせてもらいます」


「憲ちゃん、ありがとうね」


 洋子さんはどこかほっとした声でそう言った。俺に再撮影を頼むのが憂鬱だったのだろう。


 撮影の時間を取り決めてから、最後に「お孫さんに会うときと同じ格好をしてもらえますか?」と言うと、彼女は声を上げて笑った。


「そりゃ、いつものスッピンにTシャツとスパッツだわ」


「じゃあ、いつもの洋子さんで」


 思わず噴き出すと、彼女は恥ずかしそうに「わかってるわよ」と答える。


「吉川さんにもからかわれたけどさ、見栄はって年甲斐もなく、よく見せようとした自分が恥ずかしくって。孫に言われるとこたえるわぁ」


 電話を切ると、記事に大きなバツを勢いよく書き込む。


「仕切り直しだ」


 顔も知らない洋子さんの孫に、心の中でもう一度詫びた。そして、チャンスをくれたことに感謝した。


「いいもの撮ってやらぁ」


 胸の高揚が抑えきれず、俺は初めて、武者震いというものを知った。

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