2.トキオ
トキオの気分の波は、少しずつ時間をかけて緩やかになっていった。
何かのきっかけで、火山が噴火するように突然躁状態になってしまうこともあったが、きちんと自分の口で主治医の小山田に相談することができるようになっていった。
リワークにもきちんと通所しており、復職に向けたリハビリを行なっているという。
そしてある日の診察。いつものように妻も同席しており、椅子も隣同士に座っている。
何やらもじもじと話にくそうに、トキオは主治医の小山田にとある提案を持ちかけた。
「先生、あのですねぇ。リワークで聞いたんですけど、精神障害者保健福祉手帳っていうのがあるんですよね」
「ええ。ありますよ。それがどうかされましたか?」
「それをね、取得してみようと思っているんですけど、私で取れますでしょうか?」
それは意外な相談だった。
トキオ自らが、障害者手帳を取得したいと申し出があったのだ。
「ええ、トキオさんの病状だと取れると思いますけど、でもどうして手帳を取ろうと思ったんですか?」
「んー、いろいろとね、妻とも相談したんですよ。障害者手帳を持つってことは、言っちゃえば障害者だと認める……って言ったら変に聞こえるかもしれませんけど。私はね、妻に本当に苦労を掛けていると思っているんですよ。自分の時間を犠牲にして、全部私のために使ってくれているんです。なんだかね、妻にももっと楽な生活をさせてあげたいなぁと思うようになりましてね。それと手帳は関係ないかもしれませんけど、手帳を取って、会社にもそれを伝えて、職場内の部署異動とか勤務体制の見直しとか、要望出してみようと思っているんですよ」
トキオはずっと気になっていたのだ。
ずっと自分のそばにいて、自分のために人生を捧げてくれている妻に何かできることはないだろうかと。
そこで会社での自分の体制を見直してもらうことを考えた。そうすることで自分の負担が減った中で仕事を続けることで、気分の波が少しでも安定するんじゃないかと思い、そのためだけに精神障害者保健福祉手帳の希望を申し出たのだ。
「妻もね、了承してくれてね」
トキオの話を聞きながら、妻はハンカチで涙を拭いていた。
「先生、嬉しいです。夫がこんなことを考えてくれていたなんて……。でも正直複雑なんです。私のためにこんな……」
小山田は、優しく笑うとこう言った。
「奥さん。障害者手帳はね、障害者の証明と考えるとつらいことかもしれないけど、困った人がうまく使う制度なんですよ。トキオさんが今後社会でうまくやっていくには必要なことかもしれませんね。トキオさん、本当に奥さん思いのいい旦那さんですね」
妻は小山田の言葉でまた涙した。
トキオはそんな小山田の言葉を聞いて、照れくさそうに笑いながら「何とかやってみるよ」と妻の肩を強く抱きしめた。
さっそくトキオは申請を進めた。
診断書の作成に必要な“日常生活能力の判定”は、以前雪凪が聞き取ってくれたものがあるため、それを参考に小山田は診断書を作成した。
申請を済ませしばらく経ったある日。
そろそろリワークも終わりを迎えるということもあり、トキオは上司とともに小山田の元を訪れていた。復職に向けた診察である。
小山田はトキオの思いを上司に告げた。
復職は可能。だが配慮が必要なこと、体制の見直しが必要なことを伝え、診察の終わりに会社宛に診断書を作成した。
それから数日後――。
トキオは役所に手帳の原本を受け取りに行った。等級は二級。
それを会社にも報告したところ、嬉しい話を聞いた。
部署の変更はないが、業務内容は無理のないように少しずつこなしていける環境を整えた、そして勤務時間を大幅に減らし、体調と相談しながら仕事ができるように考慮したこと。
何より良かったのは、役職はそのままで、給与の変更もないことだった。
トキオはその知らせを聞いて、喜びの表情がこぼれ出た。すぐにスマホを手に取ると、小山田メンタルクリニックへと電話を入れた。
『はい、小山田メンタルクリニックです』
「あ、こんにちは。トキオです」
『こんにちは、トキオさん、どうされましたか?』
「えーっと、ゆ――、雪凪さんはいますか?」
あの時、あなたの言葉がなければきっとここまで来れなかった。
感謝の言葉を込めて、あなたに一番に報告をしたい。
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