―気付き―

* みんな、発達障害

「私、いえ、私たちは――みんな発達障害の特徴は持っていると思います」

「水嶋さん、何かに気付いたんだね」

「はい」


 これまで出会ったカナエさん、ユウタさん、ミキさん――。

 皆さんのおかげで、私は気付くことができた。


 最初、カナエさんの件で振り返りをしたとき、金本さんの漠然とした質問に対して私はすごく混乱をしてしまった。


 それってカナエさんと一緒だよね。


 私も単細胞な人間だから、ユウタさんみたいに冗談が通じないことだってたくさんある。


 それに私にも好きなことだってあるし、趣味にも没頭する気持ちは分かるよ。


 こだわりだって、それがあるから気持ちが安定しているんだよね。

 それって悪いことかなのかな。



 みんなは、これまでになかっただろうか。


 友人を作りたいけど、どのように話したらいいか分からなかったことはないだろうか。


 友達にどう返事を返せばいいか分からず、困ったことはないだろうか。


 友達の冗談を真に受けて、喧嘩をしたことはないだろうか。


 とても正直で嘘をつくのが下手で、人を騙せないということはないだろうか。


 秘密や隠し事を持っているのが苦手で、周りに喋っちゃうことはなかっただろうか。


 人見知りをせず、電車やバスなどの集団の中、挨拶をすることはできるだろうか。


 一定のループで生活することに安心感を得ることはないだろうか。


 自分の伝え方と相手の受け取り方の相違があり、「そんなつもりで言ったつもりはない」と思ったことはないだろうか。


 周囲の状況や相手の気持ちが瞬時に、的確に、手に取るようにあなたは分かるだろうか。


 突然困ったことが起きて、頭が真っ白になって、行動が止まってしまったことはないだろうか。


 急な予定変更に戸惑ったことはないだろうか。



 本当にこれらは自分に関係ない話だろうか。


 発達障害者に対して「あなたは障害者。私は健常者」と、果たして言えるだろうか。



 きっと、グレーゾーンの中で私たちは生きている。


 そして何らかの形でグレーゾーンから押し出されるように、障害の枠に当てはめられる人たちが出てくるんじゃないだろうか。


 ――助け合い。


 手と手を取り合って、みんな助け合って生きていくことが大切なんですよね。



「水嶋さん、いい気付きを得られたね」

「はい。これら私の大きな気付きです」


 私はきっとこれからたくさんの患者さんと出会う。


 その人たちひとりひとりのために、私ができることを考えて、関わっていきたい。


 私たちは、誰しもみんな対等な人間。


 私と出会ってくれた方、これから出会う方すべての人に感謝を込めて。






【※以下、主観】


“発達障害”という言葉が広がりを見せるとともに、時折便利な言葉になってしまったのではないかと実感する。


 ある方は、会社で失敗が連続しており『お前は発達障害じゃないか。診てもらえ』と上司に言われ病院を受診した。

 その方が持ってきたのは、A4用紙三枚に渡ってびっしりと書かれた、本人のミスの内容や、できないこと。これは本人が書いたものではなく、上司たちがわざわざ会議を開きたくさんの意見を出し合い作成したという。


 また別の方は、両親とともに受診。

『うちの子供は発達障害』ではないか、という。もうすでに十カ所近い病院を転々としており、『発達障害の診断が欲しい』とのことだった。

 本人の特徴は『仕事をしないこと』だった。仕事に就いたことがなく、従姉妹の店の手伝いをしてお小遣い程度のお金を貰って欲しいものを買うという生活を送っていた。


 この二人は発達障害だろうか。


 どうだろうか。


 結果は――、



 二人とも、発達障害ではなかった。


 会社でのミスが連発していたのは、話を聞くと主語のない上司がやかましく怒鳴りつけることがきっかけだった。

 主語がないため指示が分からず、聞き返すと「お前は頭がおかしいのか!」「お前の耳はどうなってるんだ、耳鼻科に行け!」と言われる日々だったという。

 挙句の果てには、本人を発達障害呼ばわりし、わざわざ会議までして本人の欠点を話し合う場を設けたのだ。


 下の家族は、要は『仕事をしない息子を発達障害に仕立て上げたい』両親だった。

 いっその事、障害のせいにしてしまえばいい。そう思って、十カ所以上の病院を転々としているのだ。

 しかしいずれの病院でも『発達障害ではない』という結果。納得のいかない両親は子供を連れまわしていたという。


 どちらのケースも、本人は受診を望んでいない。


 会社勤めの男性は『行かないと怒鳴られるので』。

 息子は『そうしないと両親が納得しないので』。


 自分たちを正当化して、本人を障害者に当てはめようとするパターンである。


 これは発達障害に限らず、他の精神疾患にも当てはめることが出来る。


『できない』=『障害者』のラインが出来ている。


 上司のために、両親のために本人の支援を行うのではない。


 自分のことを知るために心理検査をすることは進めるが、それ以上のことをしない、つまり、何もしない支援もあるということ。


 健康な人に薬を出さないのと一緒。


 今一度立ち止まって考えてみてほしい。


 発達障害と、グレーゾーンで生きる我々を繋ぐ。

 精神疾患を持っている人と、「健康」な人たちを繋ぐ。

 繋ぐことで、みんながお互いを生かしつつ生活できる道を探る。


 人は、相手のいいところを知ることで、一緒に生きていく道を探すことができるのではないだろうか。




 ★最後に、【発達障害編】執筆にあたり大きな影響を受け、引用し参考にさせて頂いた素晴らしい著者と著作を紹介する。


 ・『ぼくらの中の発達障害』青木省三

 ・『大人の発達障害を診るということ―診断や対応に迷う症例から考える―』青木省三


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