4.うつ症状
ショウコは、やまざと精神科病院の急性期閉鎖病棟へ入院となった。
自殺企図をしたこともあり、まず最初に入る部屋は保護室。泣いて嫌がるショウコに懸命に声を掛ける今田であったが、ッショウコは最後まで抵抗し続けていた。
看護師がショウコの対応をする中、今田は家族の対応をした。入院に必要な荷物や、入院費の話など具体的な説明を一通り行なう。初めての入院に戸惑う家族の気持ちに寄り添った。
「今田さん、妻は……。妻は大丈夫でしょうか」
「旦那さん。不安ですか?」
「ええ、とても。朝はいつも通りの妻の姿だと思っていたのに。実は僕に隠していたなんて……。本当、情けない」
夫は悔しさのあまり、両手拳に自然と力が込められる。
一番責任を感じていたのは夫であった。毎日一緒にいて、ショウコが自殺企図するつい先程まで一緒にいた、なぜそこまで多くの時間を費やしたのにも関わらず気付けなかったのだろうと自分を責めた。もっと無理やりにでも精神科に連れていくべきだった、自分がもっとしっかりしていれば、と。
いろんな思いが夫の全身を巡る。何と言って妻に謝ろう、とそんなことばかり考えていた。
「旦那さん。決して、自分を責めないでください」
「い、今田さん……」
「まずはショウコさんの回復を待ちましょう」
「はい……」
うつ病――。
今の世の中ではありふれた病気のひとつに上がっており、多くの人々に認知されるようになった。
そのためインターネットや本などで、すぐに情報が手に入るようになり、“うつ病チェックシート”などを行なうことで早期発見・早期治療に繋がることも増えた。
うつ病とは
第二章で登場した
要は、大分類の気分障害の中に、うつ病と双極性障害(躁うつ病)があるということだ。
統合失調症や双極性障害(躁うつ病)と同じで、原因は厳密には特定されていない。脳の働きが関係していると言われてはいるが、環境も大きく影響していると言われている。
うつ病の症状は大きく分けて二つある。
精神症状とは――、抑うつ気分、理由もなく悲しくなる、死にたいと思う、何をするのもおっくう、好きなことができなくなる、人と会うのがつらい、頭が冴えない、集中力がなくなる、決断力や判断力が低下する、考えがまとまらなくなる、反応が遅い、または
身体症状とは――、食欲不振、過食、拒食、体重減少、不眠、
上記の症状が出てきて、まず相談に行くのは内科や婦人科という人もいる。
いろいろな病院で検査を行ない、すべての検査で「異常なし」と言われ、最終的に精神科の受診を勧められる人も珍しくはない。
ある程度の症状であれば、「自分で何とかできる」と無理をしてしまいがちだが、無理を重ねるにつれ、症状は重くなり、回復しづらくなる傾向がある。
ショウコはひとりで抱えていた。
『周りの人はもっとしんどい人だっているのだから、これくらいで弱音を吐いちゃいけない』とつらい気持ちをぐっと押し込んで、婦人科の薬を飲みながら何とかしのいでいたのだ。
責任感が強く、まじめな性格のショウコは、これまでも周りに迷惑を掛けないように自分を抑えて生活をしていた。常に周りに気を遣い、誰にでも優しいショウコ。夫はそんなショウコに『自分にだけは甘えるように』と交際していた頃から言い聞かせていたのだが、ショウコからの返事は『ありがとう』だけだった。
その時のショウコの思いは、『こんな私なんかの悩み事に、夫の大事な時間を使わせたくない。これくらい、ひとりで解決しなくちゃ』だった。
ショウコはあっという間に拘束され、鎮静のための点滴を打たれる。涙でぐちゃぐちゃになった顔を左右に振り回しながら、渾身の力を込めて抵抗している。
ただされるがままで声を上げて泣いているショウコの姿を、今田は保護室の外から眺める事しかできなかった。
◆
翌日、拘束を解かれたショウコは保護室の隅の方で体育座りをしていた。
看護師が声を掛けても返事もせず、ずっと顔を膝の中に埋めている状態。
拘束解除時に主治医の荒川が診察を行なったが、その時も何も喋らず、ぼーっとしているという。まるで思考が止まっているような状態。声掛けしても反応はほとんどなく、時々何かを思い出したように涙を流す日々。
主にうつ病患者が服薬する
というのが、今飲んでいる薬は効果が出るのに少し時間を有する、ということもあるが、それほどショウコの状態が悪いということだ。
病棟で用意された食事にはほとんど手をつけず、ずっと布団の上で横になっている。あまりに食事を摂らないため、病棟では毎日体重を測るようになった。入院して一週間で二キロの体重減少。
入浴もひとりでは困難であった。病棟では週に三回、入浴できる時間が設けられている。ショウコはあまりにゆっくりとした動作しかできないため、ひとりで服を脱ぐことすら非常に時間がかかった。シャンプーを手に取るだけで、何分かかっているのだろうか。洗髪するのも、“洗う”というより“撫でる”ように見える。
よくこれまで夫にばれないように生活をして来たものだと、誰もが思った。
家族に本当に迷惑を掛けたくない、その一心で何とか今日まで繋いできたのだろう。その糸が完全に切れてしまった今のショウコは、中身の入っていない空っぽの抜け殻のようだった。
そんな中でも今田は、関係性を作るために改めてショウコの元を訪れていた。
挨拶をしても返事はない。ただ一点を見つめて、呆然としている。
しかし今田は、反応のないショウコに対し「相談員の今田です。ショウコさんの担当をさせて頂きますね」と自己紹介を行なった。
反応はないが、耳には届いていると信じて声を掛け続ける。そして毎日数分、必ずショウコの元を訪れ、声掛けを欠かすことはなかった。
それから二週間後――。
薬の効果か、ショウコが話ができるようになってきた。荒川との診察の時に、少しだけだが、会話をしている姿を今田は確認することができた。
診察が終わった後、保護室に戻るショウコの後を追い、ショウコに声を掛ける。
「ショウコさん、こんにちは」
「……あ。こんにちは」
「少し会話ができるようになったんですね」
「……はい。あの、あなた」
「ああ、はい。相談員の今田と申します。入院中、ショウコさんの担当を――」
「……あ。そうだ、今田さんだ。ずっと、話し掛けてくれていた……」
今田は目を見開く。
それは、嬉しさと驚きなど、様々な感情が込み上げる。
ショウコの耳に、今田の声は届いていたのだ。
今田の賢明な思いは、たしかにショウコに聞こえていた。
「ショウコさん、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「……なんで御礼? よろしくお願いします」
「いえいえ、すみません。またお話ししましょうね」
「……はい」
何一つ表情の変わらないショウコに思わず『ありがとう』と礼を述べる今田。
きょとんとするショウコの傍ら――、今田は『次は“死にたい”だなんて思わせない』と強く決心していた。
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