3.自殺企図の背景
小山田メンタルクリニックの電話が鳴る。
やまざと精神科病院からだ。
「はい、小山田メンタルクリニックでこざいます」
「お世話になっております。こちら、やまざと精神科病院の地域医療連携室の金本と申します。雪凪さんはいらっしゃいますか?」
「はい。お待ちください」
受付スタッフは、電話を保留にするとショウコの対応をしている雪凪の元へ向かう。
わんわん声に出して泣いているショウコ。そんなショウコの手を握り、「もっと早くに気付いていれば」と罪悪感に苛まれている夫とショウコの母親。そんな様子を見ながら、話を傾聴している雪凪。
受付スタッフはその状況に一瞬固まると、雪凪に声を掛けた。
「はい。雪凪です」
『あ、雪凪さん。金本です。すみません、診療情報提供書(紹介状)も無事に届きました。こっちはすぐの受け入れの体制が整いましたので、今からこっちに向かって頂くことはできますそうですか?』
雪凪は一旦保留にして、家族へその旨を伝える。家族の意向は「すぐにでも」。ただショウコだけは「家に帰して」の一点張り。
雪凪はショウコの目線の高さまで腰を落とすと、真剣な眼差しでショウコに話しかけた。
「ショウコさん。申し訳ないのですが、今のあなたの状態で、家に帰すわけにはいきません。あなたの命を守るためにも、一刻も早く入院治療をするべきです」
本人に寄り添い、本人の意向を大事にする精神保健福祉士。
しかし状況によっては、この限りでない。
ショウコの意思を尊重して『じゃあ家に帰りましょうか』と帰してしまったら、いったいどうなるのだろうか。
小山田メンタルクリニックに今日初めてやってきたショウコの命を守るため――、雪凪は、冷静な判断を欠かさなかった。
「では、これ。やまざと精神科病院へ行った時に提出してください。診療情報提供書(紹介状)です。控えはすでにファックスしていますが、こちらは原本になりますので」
雪凪は夫に、診療情報提供書(紹介状)の入った封筒を渡す。
「ありがとうございます、雪凪さん。本当にありがとうございます。小山田先生にもよろしくお伝えください」
夫と本人の母は深々と頭を下げる。
そしてお会計を済ませると、ショウコを連れてやまざと精神科病院へ向かっていった。
雪凪はクリニックから三人が出て行くまで見送ると、やまざと精神科病院の金本へ電話を掛ける。
「あ、金本さん。お世話になってます、雪凪です。今、患者さんそちらへ向かいました。急な依頼なのに、対応して頂いてありがとうございます」
『雪凪さん、色々とありがとうございました。いえいえ、これもすべて患者さんのためですからね』
金本は顔の見えない雪凪に笑顔でお礼を述べると、ゆっくりと電話を切った。
「患者さん、こっちに向かって来られるそうです。入院先は、急性期閉鎖病棟。今田さん、対応をお願いします」
「はい、了解しました」
一気に慌ただしくなる【地域医療連携室】。
小山田メンタルクリニックからやまざと精神科病院までは徒歩十分ほど。のんびりしていたらあっという間の到着となる。
今田は入院に必要な書類を急いでかき集め、準備を進める。
金本はその間、病棟担当の看護師長へ報告の内線を入れた。
「患者さん、向かってきているとのことです!」
「保護室、調整急げ!」
急性期閉鎖病棟内も、バタバタと走り回る看護師たち。
金本も主治医となる医師の元へ走り、一連の流れを伝え、急いで診察の準備を行う。
そうしている間にも、ショウコとその家族はやまざと精神科病院へ到着した。
「いや、嫌だっ」と涙を流しながら嫌がるショウコを両サイドから夫とショウコの母が支える形で来院。ショウコのそんな姿に、待合室で待っている患者が振り返ってしまうほど。
外来でショウコの到着を待っていた今田は、すぐに駆け寄った。
「ショウコさん、ですか?」
「はい、そうです」
夫とショウコの母は「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「受付を済ませたら、すぐに診察を始めましょう。こちらへどうぞ」
今田の誘導に沿って、受付を済ませる。夫の持っていた診療情報提供書(紹介状)を今田が受け取ると、診察室へと入っていく。
そこには主治医、その横に急性期閉鎖病棟の看護師二名、そして今田が立ち会う形となった。主治医の正面にショウコが腰かけるが、太ももに両肘を置き、止まらない涙を拭っている。そんなショウコの後ろに夫とショウコの母が座る形となる。
「はじめまして、ショウコさん。今回主治医を担当させて頂く、
「先生。嫌です。家に帰りたいです。死なせてください」
ショウコの第一声。
顔を両手で塞ぎ、泣きながら死を訴える。
その言葉にショウコの母は、遂に我慢できなくなり俯いて肩を鳴らし始めた。
「ショウコさん。あなたは死にたいと思っているのですね」
「そうです。私なんて、生きている価値なんてない。私が生きているだけで、夫や子供に迷惑を掛けるんです。家事も子育ても本当はやりたくない。身体が重いんです。鉛のような感覚なんです。仕事にも実は行けていない。休みの連絡をする度に『もっと頑張れ』とか『甘えてるんじゃないよ』とか言われる……。違う。違うのに……。きっと夫だって、呆れています。もっといい女性と結婚すれば良かったって思っているに違いありません。もうつらいんです。全部……、つらい。生きている意味が……、目的が……、見当たらない……」
荒川は、ショウコの気持ちを傾聴する。
「診療情報提供書(紹介状)を読ませて頂きましたが、改めてショウコさんのこれまでの生活を詳しく伺ってもよろしいですか?」
荒川は、ショウコの生活歴の聴取を開始した。
・
ショウコ、三十歳。
父、母、姉、弟の五人家族。母はうつ病で治療歴あり。今は定期的にカウンセリングを受けている。
正常分娩。元々まじめで内向的な性格。小学校から気が弱く、友達はほとんどできなかったという。中学二年生の頃に女子グループから、変なあだ名を付けられたり、カバンの中身をゴミ箱に捨てられるなど、陰湿ないじめを受け始める。教室では居場所がなくなり、母が持たせてくれたお弁当はトイレで食べることもあった。家族にはいじめのことを相談しないまま(家族にいじめがばれないように、毎日学校へは通っていた)、高校へ進学。高校ではいじめっ子を離れたこともあり、仲の良い友人が二、三人できたという。
高校を卒業後、大手化粧品会社へ就職。店舗への配属となり、接客を中心に行っていた。二十八歳の頃に現夫と結婚し、息子を出産。妊娠が発覚した時より、不眠、食欲
平成○年○月頃、自分のミスではないクレーム対応をしたことを機に、
平成○年○月、何とか家族に体調の悪さがばれないように生活をしてきたが限界を迎え、希死念慮が強まり自宅で
・
荒川は素早いタイピングでカルテに生活歴を入力していく。
一通りの入力を終えた後、荒川はショウコと家族に向かって告げた。
「ショウコさんはうつ病でしょう。
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