2.連携

 ここはやまざと精神科病院に中にある【地域医療連携室】。

 今日ここにケース対応を終えた金本と今田が、同タイミングで自分たちの席に着いた。


「おつかれさまです、金本さん」

「おつかれさまです、今田さん」


 台詞もほぼ同じタイミング。

 この二人は、やまざと精神科病院に勤めて長い。

 金本に関しては、精神保健福祉士の資格を取得してから初めての勤務先がやまざと精神科病院である。約十五年ほど前から、やまざと精神科病院に勤務し、いろんなケースや病院の歴史を見てきた。

 今田に関しては、約七年前に今の院長と看護師長と、当時の精神保健福祉士課長で面接をした。採用後に、配属されたのは急性期開放病棟。そこを担当していたのは金本だったため、指導を受けたのももちろん金本からであった。今と同じデスクも隣同士。すぐに気が合って、よく飲みに行っていた。


「金本さん。僕、ジムに行き始めたじゃないですか」

「うんうん。それがどうかしましたか?」

「いやー。ジムだけじゃだめなのかと思い始めましてね」

「まさか。女にモテるため、ですか?」

「――はい。ライザップにでも行こうかと」


 今田が真剣な顔で頷く姿を見て、金本は腕を組んだ。


「あのね今田さん。女心はね、筋肉だけじゃ掴めないよ。今田さんせっかくいい顔してるのにモテないのはね――」

「わわっ。金本さん、声が大きいですよー」



 その時――。

【地域医療連携室】に一本の電話が鳴り響く。

 それに気付いたどのスタッフよりも、素早く電話に出たのは金本だった。


「はい、やまざと精神科病院。地域医療連携室の金本です」

『お世話になっております、小山田メンタルクリニックのワーカーの雪凪です』

「ああ、雪凪さん。おつかれさまです」

『おつかれさまです、金本さん』


 電話の相手は、ここから徒歩十分ほどのところにある、小山田メンタルクリニックでワーカーをしている雪凪という女性の精神保健福祉士。


 精神科病院とクリニックで、さほど距離も離れていない二つの医療機関は、よく連携れんけいをとっている。

 小山田メンタルクリニックから入院や精神科デイケアを依頼したり、やまざと精神科病院からは症状が落ち着いてクリニック通院でも問題ない患者を紹介したり、カウンセリングや心理検査の依頼を出したりする。

 地域の会議で会うことも多く、は申し分ないくらいできている。


「すみません、金本さん。すごく無理なお願いだとは思うのですが」

「いえいえ、いいですよ。雪凪さんと小山田先生には、本当にお世話になっていますからね」


 連携がうまく取れており、関係性が出来ていると、あまり関係性の出来ていない病院には相談できないようなことがさらっと相談できてしまう。

 連携が取れれば取れるほど、精神保健福祉士の仕事はやりやすくなる。


「この地域にお住いの三十歳の女性。縊首いしゅ(首吊り)で自殺企図じさつきと(実際に自殺を試みること)されてます。今日これからの入院、いけませんか?」


 金本の顔色が変わる。

 今田はそれを察してか、連携室の他のスタッフに「入院くるよ」と伝言した。


「今日の十時頃、自室で首を吊っているところを母親に発見されました。幸い、吊ってすぐの状況だったようで意識も飛んでおらず、バイタル(脈、血圧など)等問題ありません。慌てた母親が夫に連絡をして、今当院に飛び込みでいらっしゃっているのですが、小山田先生の判断は即入即入院とのことでした」


 金本は、雪凪の言葉を聞き逃さぬようにしっかりとメモに起こす。


「すぐに病棟に確認して、折り返します。ごめんなさい、ちょっと待っててください。その間、診療情報提供書しんりょうじょうほうていきょうしょ(紹介状)が出来ていればファックス頂けるとありがたいです」

「もう出来ています。すぐに送りますね」

「はい、では一旦失礼します」


 入院施設のないクリニックから、精神科病院への入院の手配は、下記のような流れから始まる。


 まずクリニックの主治医の診察を受ける。そこで、主治医が入院をした方がいいという判断、もしくは本人の希望があれば、精神保健福祉士(いなければ主治医もしくは看護師)が入院の手配を行う。


 入院先は、家族の希望、なければこちらが連携を取っている病院、場所などを考慮して決める。


 手配者が精神科病院の地域医療連携室に電話を入れ、簡単な生活歴や、なぜ入院が必要な状況なのかなどを伝える。

 精神科病院はそれを受けると、診療情報提供書(紹介状)を依頼してくる場合がほとんど。診療情報提供書(紹介状)とは、本人の治療経過や処方内容などが簡潔にまとめられたもの。いわば、お医者さん同士でやり取りする手紙のようなものだ。

 手配者の口頭での情報と、手配者側が作成した診療情報提供書(紹介状)を基に、精神科病院側では入院の受け入れが決まる。


 もちろん確実に受け入れしてくれるとは限らない。内科の疾患(糖尿病など)を持っている患者は、精神科病院単科たんか(総合病院のように様々な科が集まっている病院とは違い、精神科だけの病院)の病院では診ることが困難、という場合もある。また、病名で断られる場合もある。あとは断られるとはまた違うパターンなのだが「とても入院が混んでいて、一ヶ月以上先になりそう」と言われることも(その場合は、本人や家族に伝え選んでもらう)。


 そして入院をするためには、大前提として受け入れ先の精神科病院で一度診察を受けてもらう必要がある。

 診察を受けたその日に入院。診察を受けた入院する日は別日で調整。診察を受けたものの入院には至らず通院を継続する、などのパターンがある。

 そして改めて本人や家族の同意が得られた時に、入院治療が開始される。


 以上が、入院施設のないクリニックから精神科病院への一般的な入院手配の手順となる(※もちろん、例外はたくさんあることを理解して頂きたい)。



 ◆


「今やまざと精神科病院へ入院の手配をしましたので、病院さんからのお返事まで少しお待ちいただけますか?」


 雪凪は処置室で待機している、本人の夫と本人の母、そして真冬に冷たい冷水でも浴びたのかというほど全身が震えてながらベッドで横になっている本人、ショウコに声を掛ける。


「本当にすみません、予約制だと知らずに突然押し掛けたのにも関わらずここまでして頂いて……」と夫が雪凪に頭を下げる。


 今回本当に偶然が重なっての早期発見であった。

 近くに住んでいた本人の母が、これから仕事に行くはずだった本人の代わりに可愛い孫の面倒を見るために本人宅を訪れた。それはショウコが踏み台から足を外した本当に直後だった。「今日も仕事を休む」とショウコが母に連絡をするのを忘れていたことで、今回の発見に至った。


 母は娘の名前を叫びながら、ショウコを救出した。泣きながらショウコに抱き着く母親。ただならぬ気配を感じたのか、ぎゃん泣きする息子。

 母はすぐに夫へ電話し、本人とともに小山田メンタルクリニックへ駆け込んできたのだ。


 しかし飛び込みでクリニックへやってきた家族に突きつけられた言葉。

 ――『完全予約制』。家族は血の気が引いた。何とか来院したにも関わらず、言われた言葉は「完全予約制となっておりますが」という一言。

 全身の力が入らないショウコは、夫に抱きかかえられるように立っており、未だ「死なせて」と呟いている。


 受付がショウコの家族を対応している中、別件の対応を終えた雪凪は受付内へと入ってくる。


 その時、雪凪は見逃さなかった。

 ショウコの首についた、赤くうっ血した跡を――。


「小山田先生に確認するので、待って頂いて」と、すぐさま受付に指示を出す雪凪。そして「すべてマニュアル通りに対応するのは精神科で働く者としてやることじゃない。患者さんの状況に応じて判断して」と付け足す。


 雪凪は診察の合間に小山田へ報告を行い、当日予約として診察を行う方向となった。

 まずは雪凪は(※トキオのケース【双極性障害(躁うつ病)】、<2.違和感>参照)を取る。生育歴、生活歴、現病歴を聞く。


 その時に、三年ほど前からうつ症状があったこと、精神科には偏見があり婦人科で薬をもらっていたこと、婦人科の主治医や夫からは精神科の受診を勧められていたことなどが分かった。

 また、ショウコの母親もうつ病患者で、現在治療中。症状はかなり安定してきており、カウンセリングを受けているということを聞くことができた。


 インテーク中、ショウコから話を聞くのは難しい状況であった。ずっと全身を震わせながら、終始泣いているのだ。「お願い、死なせて」「もう生きているのもつらい」と言いながら、夫にしがみつき、死を懇願している。


 雪凪はインテークを終え、すぐに小山田に報告をした。

 再診の途中で始まった、ショウコの初診の診察。予約通りに来院した患者は、一時間以上待つ形となった。


 そして、診察室の扉が開いて小山田が雪凪に出した指示は、「早急に入院の手配を頼む」という指示だった。

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