第3章 ショウコのケース【うつ病】
1.いつもの朝
今日もいつもと変わらない朝。
六時に鳴る目覚ましを止め、長い髪を束ねて顔を洗う。
タオルで顔を拭きながら、化粧台の前に座り、たくさんの化粧品が詰まった大きなケースを開ける。化粧品はたくさん持っているのだが、元々整った顔立ちのおかげで、基本的にはかなり薄化粧。
化粧を済ませ、女性用のグレーのスーツに身を包む。髪は両サイドを編み込んで、後ろでお団子のようにまとめる。
スーツの上からエプロンをつけると、夫と一人息子の朝食を作り始める。
今日は目玉焼きと食パン、ウインナーも数本添える。夫にはあったかいコーヒー。息子は朝食を乗せた皿を目の前に出すと、ウインナーにフォークを突き刺し「がおー」と言って振り回している。
「こらこら」と面倒見の良い夫は、笑いながら息子からウインナーを取り上げ、食べさせる。
そんな姿を見て、幸せだなぁと私は微笑む。
野菜と果物をジューサーに入れた作ったスムージーをコップに注ぎ、タイミング良く音を立て、トースターから飛び出してきた美味しそうに焼けたパンを皿に置くと夫と息子のいるテーブルに置いた。
「最近また痩せたんじゃない?」
「あらそう? スムージーのおかげかしらね」
「あはは。ところで今日のコーヒー、おいしいね」
「ああ、よかった。ありがとう」
そんな夫婦の会話をしながら自分の朝食を摂り始める。
「最近、体調はどう?」と夫に尋ねられる。
「ええ。最近はすごくいい感じ」と私は答える。
「それなら、よかった。けど、あまり具合が悪いようだったら、その、ちゃんとしたところで診てもらうのもひとつの手段だからな」と夫はとても言いにくそうにしている。
「ちゃんとしたところって……」と私は、頭の中では分かっているけれども、夫の口から聞くために改めて口に出す。
「んーと。ここから近いところにあるだろ、あの。や、やまざととか、小山田メンタルとか」
コーヒーを飲み終えた夫は、カップを流しに持っていき、そのまま洗ってくれている。
「そうね。でも、今は婦人科でちょっとしたお薬もらっているし、それもよく効いているみたいだから、心配はいらないわ。それに……、この辺りは私の地元だから、精神科に入っていく姿とか、誰かに見られるかもしれないじゃない。『あそこの奥さんね』とか噂が立っちゃうと、あなたにもこの子にも悪いし」
「そ、そうか」
「ありがとう、あなた。心配してくれているのよね」
朝食を終えた夫は、いつもの時間に家を出る。
夫は私にはもったいないほど優しい人だ。
朝、いつもゴミを捨ててくれる。
息子の面倒もちゃんと見てくれる。
私の体調も毎日気に掛けてくれている。
そんなあなたに、絶対迷惑は掛けたくない。
私は、いつものように夫を見送った。
素敵で理想的で、誰もが羨むような私の旦那様。
今日もお仕事頑張ってください。
そして夫の見送りのあと――、私はいつもの症状に襲われる。
全身が鉛のように重い。
体がだるい。
床に足がくっついているかのように動けない。
気持ち悪い。
吐きそう。
私はトイレに駆け込むと、指をのどの奥に突っ込んで、先程食べたものをすべて吐き出した。
行きたくない。
仕事に行きたくない。
「あ、もしもし……。ショウコです。店長ですか? あの……、今日も朝から吐いてしまって……。お休みを頂きたいのですが。はい……。そうですよね。本当に、申し訳ございません……。はい、失礼します。」
欠席の連絡を入れる。
もう何日休んでるんだろう。
店長に、もう有給残っていないって、呆れた声で『甘え』だと、『迷惑を掛けるな』と言われてしまった。
「まんま?」
息子が近寄ってくる。
私がお腹を痛めて産んだ、私のかわいい息子。
ごめんなさい。
こんなお母さんで。
私はその場にしゃがみ込んで息子を抱きしめると、思いっきり泣いた。しんどい中、いかにも出勤すると見せかけるためにバッチリ決めた化粧がボロボロに崩れ、息子の肩を汚す。
もう趣味だった小説もいつから読んでいないだろう。
食欲がなくなった分、体重だって……何キロ減ったかな。
夫と息子に迷惑を掛けないようにしてきたけど、もう限界。
私は息子から離れると、自室のベッドに潜り込み、頭から布団を被った。
夫にこんなのがバレたら、『結婚しなければよかった』って思われるに違いない。
どうしよう、涙が止まらない。
本当はつらい。しんどい。
本音を言うと、家事も子育てもしたくない。
最低だ、私は。
こんな女に何の価値もない。
なんでこんなしんどい思いをしながら生きていかなきゃいけないんだろう。
もう嫌だ。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
――死のう。
私はその日、自室で首を吊った。
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