5.現実的な支援

「それでは、ここに記載のある内容を拝読して頂いて、了承頂けましたらこちらにサインを頂けますか?」


 今田が先程ぺろっと見せてきた書類には、医療保護入院や、隔離拘束についてのことが書いてあった。小さな字で読みにくく、父は老眼なのか目を細め、書類を遠ざけて必死に目を通している。

 しかし書かれているほとんどのことが、新井や今田が話してくれたことだったため、両親は一通り目を通すと、今田が差し出してくれたペンをとり、署名をした。


「それでは具体的な入院の手続きに入りましょうか」


 今田は書類を受け取ると、それをバインダーに挟み立ち上がる。それに釣られて、両親もカバンを持ち立ち上がった。


「あの今田さん。お恥ずかしい相談なんですが」

「お母さん、どうしましたか?」


 母は自ら言い出した割に、とても言いにくそうな表情をしている。


「カケルの入院にかかる費用、どれくらいなんでしょうか?」


 入院費。これはほとんどの家庭が気にするところである。一般的に「安い」とは言えない金額でもあるため、『長期的な入院はちょっと』と渋る方や、『私たちはお金、一切出しませんから』と頑なに拒否をする家族もいる。


「私たち、あ、夫はまだ現役で仕事をしていますが、そこまで何十万とかかってしまうと……、きちんとお支払いできるかどうか心配で。足りない分は、長男に手出ししてもらうとしても」

「大丈夫ですよ、お母さん。入院費は何十万もかかりません。お部屋代のかかる個室に入らずに大部屋に入れば、入院費(三割負担)と食事代のみ毎月かかってきます。あとうちの病院の場合、入院の最初だけ保証金と言う形で十万円は必要なんですが、何もなければ返金させて頂くものになりますので。それに、今は入院費を抑えてくれる制度もありますよ」

「え、そうなんですか?」

「はい。入院費を抑える制度は二つあって、所得に応じて毎月の上限額が決まる限度額適用認定証げんどがくてきようにんていしょうを発行してもらう方法と、最初全額払ってあとから申請して差額分を返金してもらう高額療養費こうがくりょうようひという制度があります。みなさん最初に払う金額を抑えたい人が多いので、限度額の方を利用する方が圧倒的に多いですね」

「そうだったんですね。とても安心しました」

「申請先は、カケルさんが加入している健康保険協会にお問い合わせしてみてください」

「ありがとうございます」

「他にも何か分からないことがありましたら、お気軽に連絡をしてくださいね」


 を行うことが相談員の主な仕事のひとつだったりする。もちろん心理的情緒的な支援(カウンセリングのようなもの)もしているが、それは当たり前の大前提にあると考える。話を聞くときは傾聴、共感やその他の心理的面接を意識しているので、自然と心理的サポートは行っているという意味で理解してほしい。

 あとは、本人や家族のために実際の生活の部分をマネジメントすることが多い。今回のように「お金」に関する支援。これもひとつの大事なケースワークである。今回は入院費に関することだったが、生活するお金、そもそもの生活費が一切ない人もいる。そういった人は生活保護せいかつほごを申請し、まずは生活の基盤を安定させることから始める場合もある。いろんなケースがあるので、もちろん誰にでも必ずこのやり方が当てはまるというわけではない。

 そのために本人の情報を集め、アセスメントをし、本人にあったやり方を提供する、それが相談員の仕事だ。


 今田は待合室に降りると、残りの事務処理の手続きを、受付の事務職員にバトンタッチし、両親の元を後にした。



 ◆


 今田はカケルの入院対応を終える。時計を見ると、対応開始から約二時間は経過していた。次の面談に間に合いそうなので、今田は書類を取りに【地域医療連携室】へ駆け足で戻る。


「いったいどういう神経しているんですか!」

「いえ、ですから」


【地域医療連携室】の前まで来ると、何やら声が聞こえる。課長の金本と、患者かその家族らしき声。


「なんであんなこと言ったんですか! 私は娘のためを思って、やっとここを探し出してはるばるやって来たんですよ! それなのに『ここでは診れない』ってどういうことですか! 見捨てるってことですか!?」

「いえ。決して見捨てた訳ではないですし、そのような言い方ではなかったと思います。ただ別で精神科に通っているのであれば、そちらに通って頂いた方がいいのでは、という先生のお話だったと思うんですね」


 クレームだ。

【地域医療連携室】では、よくクレームの対応もしている。医者がクレームを対応することもあるが、ほとんどはまずここに不満をぶつけてくるか、「あとは連携室に言ってください」と、ここに面倒ごとを投げてくる職員が多い。


「違います! 私たちは見捨てられたんです、あなた方に! 娘はどこも受け入れてくれなくて困っているんですよ! 障害者を何だと思っているんですか!?」

「さっき〇〇クリニックに通っている、と言ったのはお母さんですよ。ちゃんと受け入れてくれて、治療をしてくれるところがあるなら、こちらが勝手にやるわけにはいきません。ですから転医を希望でしたら、まずは紹介状を……」

「私の言っている意味が分からないんですか!? さっきの先生を呼んでください! あなたじゃ話にならない!」


 金本に向かって吠える母親の横には、ずっと下を向いて黙っている娘らしき人がいる。

 精神科に来る患者と家族は、当たり前のことだが、いろんな人がいる。本人に問題がある場合、家族に問題がある場合、もしくは両方。

 この母子は、通院している精神科があるにも関わらず、突然予約なしでやまざと精神科病院に来院。転医ならまだしも、本来通院している精神科の主治医の意向や診療の方針もあるため、勝手にこちらが進めるわけにもいかず、それを母親に説明したところ『見捨てられた!』と激怒している。


「障害者」と母に言われた娘の気持ちは?

 母親の言動に娘の意向はどこにある?


 今田はそんなことを感じながら、ケースファイルを手に取り、本日面談の患者の情報を取り出した。



 ◆◆


 夕方の十七時。本日の業務をすべて終わらせた今田は【地域医療連携室】へと戻ってきた。

 連携室のデスクには、金本がグッタリと突っ伏している。


「金本さん、おつかれさまでした」

「ああ、今田さんこそ、入院対応おつかれさまでした」

「さっきの、クレームだったんですか?」

「そう。お母さんばっかり喋るから、娘さんの意向を確認しようとしてたんだけど、『私の話を無視するのか!』って遮られてばかりでね」

「あらあら」

「でも最終的に聞けましたよ。娘さんは〇〇クリニックの先生のことをとても信頼しているし、今後も通っていきたいって」

「そうだったんですね。じゃあ本人さんの気持ちは置いてけぼりにされちゃって、お母さんにここに連れてこられたってわけですか」

「そういうこと。全部終わったのはつい三十分ほど前です」

「ありゃー。大変でしたね」


 今田は自分のデスクに座ると、パソコンを開いて電源を入れた。時刻は十七時過ぎ。本来であれば病院は外来の業務の終了し、早番の職員は颯爽と帰っていく時間なのだが、【地域医療連携室】の職員は、みな真剣に電子カルテにを打ち込んでいた。


 ――ケース記録だ。

 ここの相談員は、関わりを持ったすべてのケースの記録をカルテに残している。嘘偽りのない事実と、どのように対応したのかを残す。そうすることにより、院内だけでなくそれを元に様々な関係機関との連携がとりやすくなる。関わりを文字にして残すことで、自分の対応を振り返ったり、先輩からの指導も受けやすい。そして、もし担当が変わった場合などの引継ぎも記録を見れば、これまでどのように関わってきたのかが分かる。


 今田は本日関わったすべての患者のカルテを開き、相談員の書き込む欄に記録を作成していく。その中に、カケルの記録もあった。

 金本に関しては、クレームを対応した際に記入する『クレーム報告書』をワードで作成している。『クレーム報告書』に関しては、ぶっちゃけどの部署と比べても、ダントツで【地域医療連携室】の職員が書く枚数が多い。病棟でのクレームは各病棟で処理をすることが多いのだが、外来でのクレームはほとんど【地域医療連携室】の相談員が対応している。いや、させられているに近いかもしれない。嫌でも回ってくるのだ。おかげさまでこの部署の職員はみな、傾聴がとても上手くなった。


「あー。終わらない」

 と金本は弱音を吐く。

「あはは。じゃあ僕はお先に失礼しようかな」

 今田は笑いながら言った。


 時刻は十九時半。

 今田とカケルの関係は、まだ始まったばかりである。


「では、お先に失礼します」

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