3.SOSの背景

「統合、失調症ですか……」


 統合失調症――

 初めて耳にする病名に、両親は返す言葉も思いつかず、その場で二人黙り込んでしまう。


「はい。ただ、それをハッキリとした診断にしたいので、これからカケルさんのことをいろいろ教えてくださいませんか?」


『統合失調症』が頭に引っかかってしまい、混乱してしまう両親。新井の次の話が全く入って来ず、どうすればいいのか分からない様子に見受けられる。

 それを見た今田は、すかさずフォローをした。


「お父さん、お母さん、すみません。病気についての説明は、また後程先生からお話があると思います。今はまだ、の段階ですが、カケルさんの診断を確定のものにして治療を進めていきたいので、お話を伺ってもよろしいですか?」

「あ、はい……。すみません。動揺してしまって……。そんな病気聞いたことがなくて……」

「知らないことを聞かされるのって、とても怖いことですよね。でも治療をすれば、悪化せずに一般の人と同じ生活を送ることができます。そのためにも、ご本人さん――カケルさんのについて教えてほしいのです。精神科の治療において大事なところです。。分かる範囲で大丈夫です。お話しできそうですか?」


 両親は、ひとつひとつ丁寧に説明をしてくれた今田のおかげで、新井の話を理解することができ、「はい、大丈夫です」と力強く答えた。



 ◆


 ――カケル 三十五歳。

 生まれは東京都だが、父の転勤でこの田舎の土地へと引っ越しをしてきた。

 家族は、父、母、兄、カケルの四人家族。父はIT関連の会社に勤め、母は専業主婦。兄は結婚して他県にて生活中で、カケルは現在無職。今は父、母と共に三人で生活をしている。


 父のしつけが厳しいこともあり、小学生の頃から勉強を強要されていたため、成績は決して悪い方ではなかった。友人はとても少なく、基本的には内向的。ひとりでおもちゃ遊びをして過ごすことが多かったという。

 中学校・高校と特に部活動には所属せず、勉強ばかりしていた。教科書を開けば、一日十時間以上はのめり込み、母の声掛けがないと食事を摂るのを忘れてしまうほどの集中力はあった。


 大学は社会学部に入学。福祉を学びたいという強い目標を持って入学したものの、大学を休みがちとなり、二年で退学。その後自宅に引きこもるようになり、コンビニへ出掛けるくらいの外出しかしなくなっていく。

 父、母はカケルの今後を心配し、せめてアルバイトでもするように、と言い聞かせてきたが、なかなか行動化に至らず、そのままずるずると十年以上が経過。兄も帰省するたびに、カケルに説得を試みたが、何か状況が変わることはなかった。


 カケルが三十三歳になった頃、ある日カケルの部屋のカーテンが閉めっぱなしになっていることに両親が気付く。開けようとすると『やめろ! 開けるな!』と、怒鳴られ、に怯えるように、布団を被り、自宅のみならず、今度は部屋に引きこもるようになる。食事も家族と一緒に摂らなくなり、部屋の前に母が置いたものしか食べなくなっていった。部屋から出てくる姿をほとんど見なくなり、その期間も一か月、三か月――と日に日に伸びていった。


 それから一年後――

 買い物から帰宅した母は、惨憺さんたんたる光景を目にした。

 それは、家の周りに設置された、とてもおびただしい数の監視カメラ。いったい何台取り付けられているのだろう。ざっと見るだけで、玄関だけでも十台以上はある。母は絶句し、持っていた買い物袋を地面に落とすと、玄関のドアを開けるなり、今日もひとりで家に居るカケルの元へ、真っ先に走って行った。


「カケルッ! あんた、何かしたの!?」と、ドアをこじ開け中に入る。「あぁ……、母さん」と、久しぶりに聞く息子の声を耳にした。


 母はカケルの表情を見て、血の気が引いた。ふくよかだった体はすっかり痩せこけ、目の下には真っ黒なクマを作っている。いったい何日お風呂に入っていないんだろうという、とてもきつい体臭。部屋はゴミ屋敷のように物で溢れかえっており、足の踏み場なんて到底見当たらない。引きこもり始めた十年前と同じ服を着ているが、その服は穴も開き、至る所が破れ、黒くくすんでおり、まるでホームレスのよう。とてもじゃないが、まともな人間が生活できるような状態ではなかった。

 母はそんな変わり果てた息子の姿を見て、言葉を失う。


「母さん……、、見た? これでしばらく安心だよ。いっつも俺らを変な奴らを捕まえることができる。これで証拠を残して、警察に突き出してやるんだ」

「カケル……? あなた、何を言っているの……?」

「え? 母さん、知らなかったの? あんなにが廊下に響いているのに?」

「何のこと……? そんな、足音なんて聞こえたことないわよっ!」

「母さん……。俺らの家が。どこかの国家機密事項を、この俺が握ってしまったから。大事な情報を取り戻そうとして、軍隊をここによこしているに違いない」

「何を、何を言っているの、カケル!? 頭おかしくなっちゃったの!?」

「母さんっ! これは一家を守る俺の重要な任務なんだ! こうしている今でも、やつらは物陰から俺たち一家を殺そうとしているんだ。その証拠に今日はアメリカからが飛んできて――」

「もうやめてっ! アメリカ? 電波? 何を言っているの!? お祓い……そうよ、お祓いしてもらいましょ! きっと何か悪いものにでも取り憑かれちゃったんだわ!」


 その日、父が帰宅するとともに、監視カメラはひとつ残らず取り外され、更にその翌日、この辺りでは有名な霊媒師に来てもらい、お祓いをしてもらった。


 大量の監視カメラや、霊媒師が家の中に入る様子を近所の人に見られたようで、カケルの家は変な悪評が回るようになってしまった。

 そのため、父が出勤するときには、近所の人に挨拶をする前に、避けられるように逃げられ、母が近所のスーパーで買い物をしている時も、ひそひそ話で『あそこのお宅変よ』と噂され、両親ともに、だんだん参ってしまっていた。


 しかしカケルはそれらの行動が、終息することなく続いた。ある日には、『盗聴器を仕掛けられている』と言い、家中のコンセントのカバーを取り外し、中の配線を切断して回った。また、日本国内のいくつかの米軍基地に対し『今すぐ俺を付け狙うのはやめろ!』と抗議の電話を入れることもしょっちゅうだった。

 そんな生活に両親は疲労困憊。近所の人からは遂に『あの家の住人は頭がおかしい』『みんなに入っちゃえばいいのにね』など言われ続け、家族みんな地域から孤立してしまうようになってしまった。

 両親はとてもつらい毎日を過ごした。理解不能なことを口にする息子と、近所から邪険に扱われる日々。カケルに関しては、もう一切の訂正は効かない。『それは違う』といくら言っても聞く耳を持たない。『あの時もっと寛大にしていれば……』『あたしたちの育て方が間違っていたのかしら……』と涙を流す夜もあった。


 そして、更に半年後――


「やめろ……。俺を見るな……。うるさいっ! 消えろっ! 笑うなっ!」


 カケルの独り言が増えた。なのに、誰かの声が聞こえているようで、『うるさいっ!』と言って、腕を振り回している。

 両親と話をしている時も、突然話が止まったかと思うと、で、思いっきり振り向くこともある。


「カケル? どうしたの……? もうこれ以上、変なこと言うのはやめてちょうだい……」

「俺……、狙われている……。どうしよう。『殺す』って、聞こえる……っ」

「何を言っているんだ? 何も聞こえないよ」

「俺には聞こえる! 何人もいる! 声が聞こえる! みんなそれぞれ『殺す』って……っ」

「カケル! いい加減にしなさいっ!!」

「どうしてっ! どうして信じてくれないのっ!? ほら! ここからも……あそこからも……っ!」

「カケルッ!!」


 ついに堪忍袋の緒が切れた父は、カケルの頬を殴った。初めて息子に手を上げる父親と、それを見て悲鳴を上げる母親。


 もはや状況は最悪だった。家族円満な現実など、夢のまた夢。父は仕事が終われば、自分の息子とともに愛する妻の待つ家に帰る。毎日楽しく、毎日笑って、そんな理想的な暮らしを夢見てこれまで頑張ってきたはずなのに、どこで間違ってしまったのだろう。いっそのこと泣いてしまった方が楽になる、そんな気持ちを抱えながらも必死に堪えているカケルの父。


 そして固まる三人。父は、少し冷静になったところで自分の行いにハッと気付く。

 さすがにマズイと思ったのか、恐る恐るカケルに近付くが、時はすでに遅し――とはこの事なんだと、強く実感した。


「ああああああーっ!!」っと耳を塞ぎたくなるほどの絶叫。

 父母は、体に電気が走った感覚に襲われ、全身の五感を通じて〈やばい〉という信号を察知する。

 カケルはダイニングのテーブルを声を上げながらひっくり返した。テーブルの上に置いてあった、花や果物、リモコンや新聞などが音を立てあちこちに散らばる。母はそれらから自分の身を守るように、「きゃー!」っと叫びながらうずくまった。

「カケルッ!!」と言いながら、狂ったように暴れている息子の体にしがみつく父親。殴った俺が悪い、きっとその事でカケルはこんなに怒っている――と思い込んでいた父の耳に、思いがけない言葉が飛び込んで来た。


「お、俺を殺しに来たのか!? 父さんの皮を被ったアメリカ兵めっ! 毎日毎日俺の部屋を覗きに来て、何もせずに帰っていたのは、こんな仕打ちをする計画を練っていたんだなっ! に、逃げなきゃ! みんな殺されてしまう……っ! 俺が国家機密事項を握ってしまったばっかりに、俺の家族まで……っ! 母さん、早く! ここから逃げないと、アメリカの軍隊がもうそこまで押し寄せてきているっ! ほら、もうこんな近くに伏兵が……っ! 逃げようっ! 殺される……、殺されてしまうっ!!」


 その時、両親は思った――


 あぁ、これはなのだ――と。


 そこからは一瞬の出来事だった。母は家の固定電話まで走ると、に電話を掛けた。『息子が暴れている! アメリカとか言っていて……、とても手に負えないっ!』

 そしてその電話先からの的確な指示が入り、すかさず警察へ電話を掛ける。父はその間も必死にカケルにしがみついている。どんなに暴れようとも、どんなに手を振りかざし殴られ、蹴られようとも。およそ五分後、次々に家に警察が押し入ってくる。大勢の警察官に取り押さえられながらも、大声で周りに助けを求めるカケル。カケルを外に連れ出す警察官。男性の叫び声とたくさんのパトカーに囲まれている非常事態に、もうかなりの数の野次馬が集まってきていた。そこには、顔なじみの近所の人々の顔もあり、『やっぱりここのお宅は!』と言っているように聞こえる。しかし、両親はそんなことは、もうお構いなしであった。


 そしてパトカーに乗せられたカケルと、自家用車に乗り込んだ両親は、大急ぎでに向かった。

 それが、先ほど電話を掛けた先――やまざと精神科病院である。



 ◆◆


 話し終わる頃、両親は声に出して、泣いていた。

 まるで――子供のようにわんわんと。そして、自分たちを責めるかのように父は、自分の太ももに何度も何度も拳を叩きつけていた。

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