第4話 スノーホワイト ver.2.0(後編)
スノーホワイト ver.2.0(後編)
三階の氷の窓。その柵にフックを投げる。フックとそれに取り付けられたロープがくるくると手すりに巻きついて、固定される。グイグイとロープを引っ張って安全を確認する。
「いけそうだ。」
違う窓にもう一つフックを投擲し、ロープを張る。
指差しで合図、まずはロドとエリ博士が同時に登り始める。
三階には左から、窓、バルコニー、窓の順だ。
左側からロド、右からエリ博士が二つの窓へとロープを伝って登り、横移動。まずは二人、バルコニーに侵入した。
ロドが無線を使って下の二人に指示を出す。
「大丈夫だ。上がってこい。」
左からサム、右からアンが登り始める。
氷でできているはずなのに、足元のバルコニーにはなんというか、安心感がある。
「すべて氷でできているとは信じられないな。」
「あら、かまくらだって馬鹿にできない強度なのよ。」
「うむ…。」
子供の時に作ったかまくらを思い浮かべても、氷の城の頑丈さを納得するには至らない。
サムとアンがバルコニーに到着した。
装飾の施された氷の扉をゆっくりと開ける。
「わざと見つかるのが任務なら堂々と行動できるな。」
「だが先にこちらから見つけた方が良い。」
「そりゃそうだ。」
「ここは寝室だな。」
ベッド、ベッド脇のテーブル、観葉植物、絵画、すべてが半透明の氷でできている。
ロドはベッドのシーツを掴んでみる。
手袋の上からなので感触はわからない。
しかし見た目はさらさらのシルクのようだ。
持ち上げても、重力に逆らうことなく垂れ下がる。
試しに息を吹きかけてみると、みるみるうちに溶けてベッドに落ちた。
「冷たいシーツに意味があるのか?」
「人間の真似事だな。」
「ああ、この部屋に『意味はない』し何もない。」
寝室の次には、食堂、書斎を通り抜けた。どれも氷で再現している。
しかし生活感はなく、まるで遊園地の魔法の城、『作り物』みたいだ。
そして廊下に出た。右には上下に続く螺旋階段、目の前にはひと際大きな扉。
「まずはこの階をすべて見るか。…待て、少し開いているぞ。」
右の扉が少しこちら側へと開いている。
まずは右の扉に背中をつけて隙間から、慎重に中をうかがう。
おそらく、円形吹き抜けの大部屋だ。目の前には部屋の壁のカーブに沿って、下へと階段が続いている。
天井にはシャンデリアだ。
左の扉に背中をつける。
そして、
「階下に対象と思われる人影を発見。外だ。この部屋から続く西のバルコニー。俺たちがいる方とは真逆を向いている。姿勢を低くして侵入だ。」
身をくぐらせて中へと入る。
階段はもう一つ、先ほど見たのとは対称に続いているようだ。
階段の柵の間から、氷の女王を肉眼で確認する。
金色の髪、水色と白のドレス。黄色が少し混ざっているが、色白。エリ博士の肌と同じ色だ。
「本物の人間みたいだ。」
「アレは肌の色の光のみを反射させて実現しているの。」
「おい。何してる!頭を低くしろ!」
エリ博士はロープを柵に巻きつけていた。
そして、跳んだ。
階下へ一直線だ。
「なんだってんだ!
アン、狙撃の準備を。サムはついてこい。」
「了解。」
「了解。」
エリ博士が残したロープで、男二人が降りる。
彼女は一直線に氷の女王の方へと歩いていく。
ロドは無線で彼女を制しようとする。
「エリ博士、陽動は俺たちの役目だ。それまで下がっていてもらいたい。」
「その必要はない。」
そこで階段の上から氷の女王を銃のスコープで監視しているアンから通信が入った。
「ちょっと、似すぎだわ。」
「は、どういうことだ?」
氷の女王はすでにこちらを見ていた。
アサルトライフルを向ける。
その先に。
「瓜二つ…。」
その顔と身長はエリ博士と同じだった。
エリ博士と同じ顔が口を開く。
「あなたたちは、誰?」
エリ博士がジェスチャーでロドたちを制止する。
そして、ゴーグルやニット帽をその場で脱いで床に捨てた。
氷の女王と同じ顔と、彼女の茶色い髪があらわになる。
氷の女王の目はエリ博士の顔に注がれる。
両目のまぶたが少しだけ閉じかけて、また元の表情に戻った。
「私と同じ顔をしている、あなたは誰?」
エリ博士が答える。
「私はあなたの姉よ。ナナ。」
最初はただ、欲しかった。
「妹が欲しいの。」
十歳の私はそう思った。しかし、両親はいなかった。
育ての親は叔母で、気象工学の教授だった。
結婚はしておらず、これからもしないつもりだと言う。
「それは無理ね。エリは頭がいいからわかるでしょう?」
もちろん、私なりに理解していたつもりだ。
妹ができる『仕組み』というのは理解していた。
だからボロボロになってしまっている雪のお姫様の人形も妹ではないとも理解していた。
理解していたから、私には何もできなかった。
叔母の影響で、気象工学に興味を持った。
叔母は私が知識を吸収していくのを見て嬉しそうにしていて、研究室の中を紹介したがった。
ある日、ガラスケースの中にある数インチ程度の緑の板を紹介された。
「これは特別なチップ、つまり電気回路でね。周りの環境を少しだけ変えることができるの。見てて。」
「うん。」
ガラスケースの中が一瞬でくもった。そしてそのくもりが晴れると、
「きれい…」
ガラスに張り付くのは雪の結晶の形をした模様。ケースの中に舞うのは雪の結晶そのものだった。
「で、もう一つ。」
叔母は赤い液体の入った円筒形のビンを持っていた。先に金属の蓋が取り付けられている。
「それは何?」
「血液よ。さて、何の血液でしょう?」
叔母はそれを、ケースの隣の機械に取り付けた。
すると再びケースの中がくもって、緑の電気回路の代わりに白ウサギが現れた。
ぴょんぴょんとケースの中を移動する。
「すごい。…それはうさぎの血液なのね。」
「ご名答。遺伝子情報を読み取ってコピーして再現するの。今は企業の支援を受けてこれを開発中。
完成すれば雪を自由に降らせるお姫様が生まれるの。氷の城とスキー場を中心とした複合型テーマパーク。
なかなか夢のある話よね。」
それらは十歳の少女にとって魅力的な話だった。それから毎日叔母の書いた論文を読み漁った。
まず、雪の結晶と雪を自由に発生させる方法。
そして、白ウサギを作る方法。
それから、雪のお姫様が治める氷の国を作る方法。
最終的に思いついてしまった、『妹を作る方法』を。
十二歳。テーマパーク建設が開始されたとき、叔母の研究室に忍び込みあの機械の前に立った。
隣のガラスケースは新調されて、人間の子供の収まる大きさになっている。
雪のお姫様の開発の最終段階、『人間のコピー』をしているのだ。
今まさに、コンピュータが赤い液体の入った瓶を解析中だ。
キーボードを叩き、一時停止をして、血液の入った瓶を取り出す。
蓋を外して、血液をタオルに染み込ませる。そしてすっかり瓶は空になった。
右手に空になった瓶とナイフを持つ。
左手の人差し指ををナイフで切って、瓶に血を入れる。
元の量になるまで、何度も、何度も指を切った。
十四歳。テーマパークの運営が開始された。
雪のお姫様、十歳の見た目のナナのおかげで一年中雪が降るスキー場だ。
冬の夏の避暑地としても人気だった。
私は飛び級で大学に通いながら、初めてできた妹と遊んだ。
「ねえ、氷の階段を作ってよ。」
「うん。」
ナナが両手をかざすと氷の結晶が舞い、階段が形付けられる。
クリスタルの階段が時間を早送りしたように床から生える。その階段を私は登ったり、降りたりした。
ナナは日中、雪のお姫様として連日押し寄せるお客さんたちの相手をしなければならないし、営業時間以外も雪を発生させてスキー場や氷でできた施設を整えなければならないので一緒に遊ぶ時間は限られていた。
ある日ナナと一緒に小さなかまくらを作ったあと、私のその不満をつい口にしてしまった時があった。
「あーあ。もっと一緒にいれたらいいのに。」
「私もお姉ちゃんとずっと一緒にいたい。」
「ねぇ、ここから逃げちゃおうか?」
「ダメ。私はこの国を守らないといけないの。」
ナナは、このテーマパークのことを『国』と呼ぶ。そういう風になっているのだ。そうプログラミングされている。
「そうね…。じゃあ、もっと仕事を減らしたらどう?人の見えないところまで綺麗にする必要ないでしょ?」
「ダメよ。見えないところまで気配りをする。それがこの国を治める私の仕事だもの。」
「でも…」
口をつぐんでまった私の困った顔をして、ナナはこう提案してくれた。
「もっと夜中に遊びましょう。ほら、朝まで8時間はあるわ。私もその間中ずっと仕事をしているわけではないもの。」
私たちの一緒に遊ぶ時間はさらに増えた。
私は大学に行きながら、夜中ずっとナナと遊んだり、おしゃべりをしたりした。
ちょっと眠かったけれど、それよりもナナとの時間を優先した。
「学校っていうのはね--」
「楽しそうなところね、私も行ってみたいなぁ。」
「ナナは行く必要ないわ。」
「なんで?」
「あなたは、その…頭がいいから、大丈夫なの。それに私が全部教えてあげる。」
「ありがとう!お姉ちゃん。」
楽しい日々だった。とても楽しい…
しかし、睡眠時間を削った代償は思ったよりも早く来た。
研究に集中できない日が続き、ついに風邪を引いてしまった。
「お姉ちゃん?」
ナナと遊んでいる間にウトウトしてしまった。
「あ、ごめん。今日はちょっと…。もう遊ぶのやめよう?」
「なんで?」
「ちょっと疲れちゃった。」
「そう。すぐ『直る』よね?明日も遊びましょう?」
私はアンドロイドのように、ナナのように、メンテナンスですぐ体の調子が良くなるわけではない。
私はクスッと笑いながらこう答えた。
「治ったらね。ナナとは違うからわからないけど、じゃバイバイ。」
「うん…」
氷の城の玉座の間から私は出る。
ナナは右手に雪のお姫様のぬいぐるみをだらんとぶら下げながら、私の方をずっと見ていた。
事故が起きたのは翌日だった。
五月の連休の二日目、最大の動員数を記録したその日、氷の城とスキー場で雪崩が起きた。
死者、1024人。
もともと、雪が降る気候ではない。
人工雪での雪崩だ。原因はナナにあるかもしれない。
つまり、調査結果によってはナナが処分されることもある。
いや、原因など関係なく世論によって壊される可能性すらある。
さらにこれほどの事故では経営破綻は確実だ。
「ナナ!大丈夫!?どうなってるの!?」
体のだるさはもう感じていなかった。
崩れた氷の城。
冬用の重装備で、ナナと私しか知らない隠し通路を私は走った。
レスキュー隊員よりも早く玉座の間に着いた私はその中心で膝から崩れ落ちるナナの姿を見つけた。
「お姉ちゃん…『治らない』の。お城が…山が…湖も…こほっ、こほっ。」
ナナはまるで風邪を引いているように咳き込んだ。
次の妹の言葉にゾッとした。しかし、同時に感動したのかもしれない。
「私も治らないの。これで私もお姉ちゃんと一緒だね…?」
「うん。そうだね。」
私はナナを抱きしめた。
冷気が登山装備を通して伝わってくる。
この感触をいつまでも感じていたいが、時間はない。
「ここから出なくちゃ。ごめん、ナナ。必ず迎えに行くから。」
事故の日、私はナナの電源を切った後、プログラムを変更して再起動した。
私のことを忘れるように、そして西の山脈地帯に隠れるように。
ついに私は今、妹を迎えに来た。
あれから十年、妹は私と同じくらいの背の高さだ。
けれどもあの日に、私がガラスの中の血を入れ替えたあの日に、混ざった血のせいか、私よりも美しく育っていた。
『私はあなたの姉よ。ナナ。』
この一言の後、氷の女王はしばらくフリーズした。
私の声をトリガーにして記憶を呼び覚ましているのだ。
そういう風にプログラミングされている。
そんな姉妹の感動の再会に、水を差す輩がいる。
「動くな!手を挙げろ。」
「突然どうしたの? ロド。」
私はゆっくりと手を挙げる。
軍人が二人、私の背中にアサルトライフルを向けている。
軍人が一人、ナナの頭にスコープで狙いをつけている。
「突然もなにもあるか。エリ博士。君には作戦外の行動が多すぎる。
そいつが妹なら、つまり『制御下にある』というなら作戦はもっとシンプルに、リスクなしに行えたはずだ。
東で戦っている俺たちの仲間。おそらく戦死者が出ている。…君がそれの開発者というならば、その必要があったか!?
俺は信頼している仲間とここに来た。だが君は別だ。怪しすぎるんだよ君は。
隠していることをすべて話せ。」
「あなたたちの協力、軍の協力は必要だったわ。
私の妹は『制御下にない』し、暴走していた。
作戦の話だけど、ここまでうまくいっている。
誰も怪我していないのは私がルートを選んだおかげでしょう?」
「いいや、それは関係ない。当初の予定とは大きく違うことが問題だ。そして今、氷の女王は君の声に反応してフリーズしたように見える。
これなら囮は必要ないだろうし、そうだな、俺たちも五体満足で帰れそうだ。このまま君が裏切らなければの話だが…。
何故隠した?」
軍人というものを過小評価していたかもしれない。
ロドは保守的で、そして経験のある軍人だった。
「もちろん、軍の上層部の意向よ。彼女、氷の女王は私たちの国が産んだものなの。それが地球の1/16の気候を変えてしまった。
外に漏れれば世界中から批判を受けるのは確実。
軍はそれを隠しつつ、氷の女王を制御下に置きたいと考えている。」
10、9…
「軍事転用か。」
8、7…
「そう、彼女は物理的に神風を起こせるわけだから、あなたたちのお偉いさんが欲しがるのも無理はないわね。」
もうこれ以上隠すのは無理だ。
6、5、4…
「待て。それは軍内部の俺たちに言わない理由にはならない。
俺たちは情報の危険度について理解している。そういう教育をしたのは当の上層部だ。
漏らすなんてヘマはしない。」
ほら、こうなる。
3、2…
ロドが続ける。
「もういい。お前の嘘には耐えられない。氷の女王から離れろ。
お前と女王を拘束する。」
時間だ。
もうごまかしはいらない。
「ここまで私を連れてきてくれてありがとう。さようなら。」
「どういう…」
その瞬間、無線から叫び声が聞こえた。
アンの声だ。
『上! 避けて!』
シャンデリアが落ちてきた。
女王がフリーズし、シャンデリアを繋ぎ止めていた氷の縄が溶けたのだ。
ロドとサムは回避行動をとらざるを得ないだろう。
私はナナの側に寄って、そのままキスをした。
記憶を取り戻して再起動した妹の口を塞いだ。
「お姉ちゃ…」
これがナナを制御するためのスイッチだ。
私たちの周りにドーム状に突風が吹き、シャンデリアを吹き飛ばす。
氷の城の上部も崩れ落ち、玉座の間はあらわになった。
ただし、すべてを吹き飛ばしたわけではない。
それらをしっかりと確認したかったからだ。
地面から生えた氷の木。
そこにはモズのはやにえのように突き刺さり、宙に浮く死体が三つあった。
「…行きましょう。ナナ。」
湖畔にたたずむ木造の家に、私と、十歳の姿の妹はずっと住んでいる。
「ナナ、こっちにおいで。」
妹を抱きしめる。
ナナの体はひんやりと冷たくて気持ちいい。
そして姿はあの頃と一緒にしたから可愛らしい。
嫌な記憶は補正したし、少し私に似過ぎていたところも変えた。
ひとつの国を敵に回したって、世界を敵に回したって、もう決して妹を渡したりはしない。
私は大好きな妹とこれからもずっと、一緒だ。
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