第3話 スノーホワイト ver.1.0(前編)
スノーホワイト ver.1.0(前編)
物心ついた頃から、この氷の城に住んでいる。このきらびやかな城は、ただここにずっと永遠にあるわけではなく、放っておけば、表面は白くなり、ひび割れ、汚くなってしまう。だから私は、この城の主として、そっと手を撫でてやる。そうすると、その傷はすっと薄くなっていき、最後にはすっかり元の透明で綺麗な氷になる。私の几帳面な性格のお陰であろうが、この城は一度も、ほんのちょっとだけも、崩れたことはない。
「女王様、今日もご機嫌麗しゅう。」
今日も雪だるまの召使い、アルフが丁寧にお辞儀をしてくる。
「おはよう。みんなの様子はどうかな?」
「今日も皆元気でおります。白くまのジョンは早朝から薪を取りに出ています。白うさぎのマイクは木の実を集めに、国境はカラスのディクシーが見張っています。この国に異常があるはずもありませんが。」
「そうね。…私も今日の仕事をしようかしら。」
大きな扉を開けて、氷の城のバルコニーに出る。
氷の城の周りには一面真っ白の雪のじゅうたんが敷かれているが、最近の気温が高いこともあって、ちらほらと茶色く、黒く、地面が見えてしまっているところもある。
私は右手を大きく上げて、空に向かって円を描いた。
すると、霧がくるくると渦を作り、虹色を発しながら空に上がっていった。
あっという間に雲ができて、そこから深々と雪が降り始めた。
破れていた雪のじゅうたんは少しずつその穴を埋めて、元の白の輝きを取り戻した。
これが私の仕事。生まれた時からの宿命だ。
一方、雪の女王の治める国の隣国では、気象の専門家たちを交えて、重要な会議が執り行われていた。
「…というわけで近年の我が国の飢饉は西から、つまり隣国から流れてくる寒気が原因だと結論づけられます。」
「つまりその元を断てば、問題は解決すると?」
「ええ。」
「だが、相手はあの雪の女王だ。襲いかかる吹雪に我が軍は対応できるのか?」
「その点は心配いりません。現代において彼女の頭脳はいささか古い。最新の軍事技術を駆使すれば、十分に対抗できるでしょう。」
戦いの火蓋は切って落とされた。
激しい吹雪と深い針葉樹林の森の中、東から攻めるのは寒冷地装備に身を固めた人間の軍。
苛立ちを言葉にしてぶつける兵士たち。
「このクソ犬どもめ!」
それは企業の犬だとか、咬ませ犬だとかそういう比喩的な表現ではなく、そのままの意味だった。
彼らの相手は西を固める、白い山犬の群れだ。
さて、ここで一つの疑問だ。
『雪山での訓練を受けた兵士と、雪山に住んでいる山犬の大群はどちらが強いだろうか』
答えはつまらない答えだが、兵士の持つ武器によるだろう。
例えばアサルトライフルを持つ彼、興奮するあまり少し隊から外れてしまっている。
彼の放つ7.62mm弾は雪山をかける白い影に当たらない。
白い影は彼を中心に弧を描いて走る。
無数の針葉樹が盾になり、うまく狙いが定まらない。
それに気を取られている間に背後に回ったもう三体の影に、彼はあっさりと首と両足を噛まれた。
例えば火炎放射器を持つ彼、火炎放射器だけで突っ込むわけにもいかないので他の銃兵と連携している、という点は良い。
森を一斉に焼きはらうというのも、少し強引だが、森という資源に関係なく勝つのが目的ならば悪くない。
しかし、相手が悪かった。
雪の女王は天候を操るのだから。
実際、この吹雪は形を変えた。
山犬にとっては丁度良い追い風に、兵士には全面から襲い掛かる。針のように、刺すような吹雪。
火炎放射器に対しては、火炎が『良い方向』に流れるように。
「あ、あ、消してくれ!消し…」
放った火炎は前面からの風によって味方に伝染した。
例えば、戦車、木をなぎ倒して進めるその重機には確かに山犬も吹雪もどうすることもできない。
そして一定の戦果をあげたのも確かである。
ただし森を越えれば、山岳地帯。果たしてキャタピラで進めるかどうか…。
「戦況はどうだ?」
「森林地帯の守りが固く、少しずつしか戦線を上げれません。このまま消耗戦となるとこちらの分が悪いでしょう。」
「戦闘機による対地ミサイル、衛星ミサイルはどうだ?」
「上空は厚い雲に覆われ、その中も激しい吹雪だと予想されます。戦闘機を飛ばせる状況ではないですし、衛星からも目標の正確な位置がわかりません。もし、適当に打っても氷の城に当たる確率が低く、外すたびに我が国の懐が寂しくなっていくでしょうね。」
「国民の税金から作ったこれが、緊急事態に役立たずか。」
「今回は相手が悪いです。」
「ああ、わかっている。これも想定内だ。ミサイルは今回の作戦に合わなかったというだけの話だ。
さて、その作戦の肝、メイン部隊の進行状況はどうだ?」
「氷の女王の国の『北』。氷の砂漠を誰にも、女王配下の獣にも悟られずに突破。次は山登りですね。」
眼前に広がるは、岩壁。
三人の軍人と一人の技術者兼気象学者が、氷の女王の暗殺任務を遂行していた。
軍人三人は、岩壁攻略の手順を確認している。
この男性二人、女性二人の四人部隊のリーダー、ロドという名前の男が指示を出す。
「サムが一番上を行く、次に俺だ。その次にエリ博士、最後にアンだ。ロープを結べ…おい!ちょっと待て!」
軍人たちの横をさっと抜けてすでに登り始めているのはエンジニアのエリ・ザキトワだ。
もう2mほど上に登っている彼女にロープの端は取り付けられている。
「だから一般人の、それも学者なんて…嫌だったんだ。…おい!降りてこい!」
だが、返ってきたのは明確な拒否だった。
「早く来なさい。来ないなら置いていく!」
「このっ!」
さらに恫喝しようとしたロドを、サムが制止する。
「もういい、先を進もう。」
「だが…」
サムがロープを自分の装備のフックに取り付け、二番目を登り始める。
三番目の余裕を持たせながら、黒い肌を持つ女性軍人のアンが四番目の位置でロープをフックに取り付ける。
「大丈夫。彼女、経験者よ。私たちよりも登ってるかもね。」
『イラつきは失敗の素だ』。ロドはそう思って深呼吸をする。そして自分にロープを取り付け、数回引っ張って外れないことを確認した。
サムから伸びるロープがちょうど良いたるみになったところで、岩壁に手をかけた。
淡々と手際よく。
しかし、それと同時にロドは自分について『イラつきは外に出さないと、じっくり溜まっていつか弾ける』というのも理解していた。
「これが『山登り』だと!? 頂上どころか天国へ逝っちまうぞ!!!」
「あはは、それうまいね。」
下からのアンの声は、突風にかき消された。その代わりにトランシーバーのスピーカーがボソボソ言っている。
崖と豪雪。ここは地獄で、落ちれば天国だ。
作戦とは言えないようなざっくりとした指示を受けたことを思い出し、ロドは再びイラつきを覚えた。
「氷の『砂漠越え』、『山登り』、氷の城へ『侵入』、そして『暗殺』だ。」
ざっくりとした地形図に、ざっくりとしたルート、そしてクソみたいな目標だ。
「人数は?」
「君たち三人ともう一人。」
「もう一人?」
「紹介しよう。エリ・ザキトワ博士だ。彼女を連れて行け。」
その東洋人と東欧人のハーフだという彼女は異常気象研究の権威で、しかもエンジニア。
日照りで悩まされる土地に雨を呼んだり、逆に嵐を抑えて洪水を抑制する気象操作システムを開発しているらしい。
「しかし訓練を積んでいない者をメンバーに加えるのは…」
「連れて行け。雪の国の異常気象の中、彼女の気象の知識が役に立つだろう。
そして、雪の女王を解体分解できるのは彼女だけだ。」
「解体…?」
エリ博士が口を開いた。
「雪の女王はアンドロイドなの。」
「いいね。魔法使いよりは現実味がある。」
ロドの皮肉は完全に無視された。
この場で最高位の少佐が続けて言うことには、
「人間の暗殺には軍人を使えるが、アンドロイドの破壊には技術者だ。」
「いや、壊せば良いのなら俺たちだけでできる。彼女を連れて行くのはリスクが高い。」
エリ博士が断言する。
「彼女は私にしか殺せない。これは断言できる。」
「ほう。何故だ?」
「彼女の体は厚い氷でできていて、核は数インチのマザーボードだけ。」
「小さいな。俺より頭悪いんじゃないか?」
「このマザーボードはあくまで回路を作るための回路。」
「言ってることがわからないな。」
「彼女は全身の氷で回路を形成している。雪の結晶を緻密につなぎ合わせた回路よ。」
「全身が脳ってわけか。」
「そう、頭まで筋肉のあなたとは真逆ね。」
「ぶっ、ハハ…」
「…アン。それ以上笑うな。」
「そして氷はアーマーの役割も持つ。さらに核はどこにあっても良い。」
「体のどこかに隠されているわけか。君ならそれを見つけられると?」
「そう、彼女は全身で考えられると言っても、意思を統一しているのは核のチップ。全身への情報伝達にはナノ秒単位の差が生じる。
彼女が『魔法』を使えば、その風の向き、左右での微妙な温度の違い、吹雪、突風など気象現象の難易度の違いからチップの位置を特定できる。」
「特定したら、その部分を狙撃すればいいのか。」
「いいえ。彼女は城の中にいるし、あの国を覆うような大規模な気象操作では制御が大雑把すぎてチップの位置を特定できない。」
「うむ…。」
「だから、もっと緻密な制御を間近で見る必要がある。」
そこで少佐が雪の女王攻略の核心を話す。
「軍は二つの陽動作戦を遂行する。
一つは氷の城から西の位置で戦闘を開始し、そちらに女王の注意を釘付けにする。君たちは北から国境を越えろ。北の国とは話が付いている。
二つ目は城に侵入した後、氷の女王にわざと発見されろ。防御主体の戦闘を開始し、君らが攻撃の的になれ。エリ博士のいう『緻密な制御』だ。その間にエリ博士が女王の弱点を特定する。それを破壊してこの作戦は終了だ。」
「そんなに、」
ロドは崖の縁にに右手をかける。
「うまく、」
左手をかけて体全体を持ち上げる。
「いくかっての!!」
岩壁を登り終えた、目の前に現れたのは…
美麗で、繊細で、力強くそびえ立つ。
『氷の城』だ。
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