ドルフィン・デイズ!外伝―Calm Blue―-4

 以前とは趣向を変えて、回らない寿司屋に入った。蒼衣は父の影響で、魚のうんちくには一家言ある。話題に困った場合を考えての選択だった。


「今日は俺が奢りますからね」


 食べる前から言うことかと後で思ったが、いざ会計時となるとまた凪に押し切られると思った。「でも、こんなお高そうなところ」と恐縮する凪を、「前に約束しましたから!」と無理やり言いくるめた。


 予約していた畳張りの個室に通された。寿司は絶品だった。「美味しいですね」「これ、なんの魚ですか?」とたびたび尋ねる凪に、蒼衣は緊張しながら答えていった。結果話題に事欠かなくて、我ながら店の選択は大成功だったと言える。


 それでも、しばしば沈黙があった。なんだか、凪の口数が普段より少ない気がした。普段なら、沈黙になりそうな直前を察知して、凪が世間話を振ってくれるのに、今回はそれがないというか。まるで、蒼衣の方からなにか喋るのを待っているみたいだった。


 ――まるで、もクソもない。凪を待たせているのは蒼衣の方だ。早く言え、言うのだ、あの日の返事を。いいや、涼太の言うとおり、仕切り直して改めて、こちらから告白するくらいしないと、男として失格だ。


「……あ、あのっ、汐屋さん」


「はいっ」


 勇気を振り絞って切り出し、いざ凪の目がこちらを向くと、途端に世界が張り詰める。陸にいるのに、呼吸がうまくできなくなる。言え。言うんだ。言って――



 ……もし、断られたら?



「お、美味しいですね、これ特に」


「あっ、はい! ホントですね」


 笑ってブリの握りに手を伸ばした凪が、一瞬だけ、落胆したような顔をした。


✳✳✳


 ランチで勝負をかけるつもりだったのに、一時間ちょっともすれば店を出る雰囲気になった。目を回すような金額が、追い打ちとばかりに両肩にのしかかった。


 その後は、映画を観に行った。「会話を続ける自信がないならとりあえず映画観とけ」という涼太のアドバイスを参考にしたのだ。凪に観たいものを尋ねた結果、どうやら全米が泣いたらしい動物モノを二人で鑑賞することになった。


 確かに会話はせずに済んだが、海にばかり潜ってきた蒼衣にとって、黙って二時間強もじっと座ってただ画面を見るというのは、少々難しい娯楽だった。徹夜なのも相まって……


「蒼衣君、蒼衣君」


 とんとん、と肩を叩かれて、ハッと我に返ると、暗転していたはずの映画館には明かりがともって、いつの間にかスクリーンも灰色に沈黙し、客席には蒼衣と凪の二人しかいなかった。


「すっ、すみません! 俺寝ちゃって……!」


 最悪だ、最悪すぎる。ヨダレを拭って飛び起きたものの、凪の顔を直視できない。そんな蒼衣にすら、凪はくすっと笑って、


「慣れないこと、付き合わせちゃってすみません」


 と謝るではないか。おい、ふざけんなよ俺、なんで凪ちゃんに謝らせてんだよ。自分のダメさ加減にここまで嫌気がさしたのは久しぶりだった。


 もう、ダメかなぁ……こんな俺がこんな子に告白なんて。


 凪のこととなると、持ち前の尊大な自己肯定感も全く仕事をしてくれない。


「次は、蒼衣さんの好きなことに付き合いますよ」


 こんな自分にまだ「次」をくれようという凪に、瞬間、ふと蒼衣の中に、焼けるような熱い感情がおこった。


 好きだ。この人のことが大好きだ。こんなにいい女性ひとは、この世のどこを探したっていないだろう。この女性ひとだけは、誰にも、渡したくない。


 映画館を出ると、時刻は午後五時前で、日は西に傾いていた。あと二時間もすれば空は茜色に染まるだろう。暗くなるまでには凪を家に返さなければならない。もう、次が最後のチャンス。


 何をする。どこに行く。凪は蒼衣の好きなことに付き合うと言った。俺の、好きなこと……。



 ――ん? 鮎の友釣り。



 初デートの場所を自信満々に答える父の声が、唐突に過ぎった。それで、答えが出た。


「汐屋さん。ちょっと、遠くに行ってもいいですか」


 思わず手を取った蒼衣に、凪はびっくりした顔で、こくんとうなずいた。

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