ドルフィン・デイズ!外伝―Calm Blue―-1
盲目のイルカと盲導トレーナーによる、真夏の、あの魂の蒼く燃えるようなショーから二週間。
先週から職場復帰を果たしていた蒼衣は、苦悩していた。
「おはようございます、蒼衣君」
更衣室から出たところでばったり出くわした凪が、おそろいのウェットスーツ姿で蒼衣に微笑みかける。ぺこっとお辞儀した拍子に、束ねた艷やかな黒髪が揺れる。今日も夏の妖精ような可憐さは健在、いいや、最近は見るたびにまた一段と、可愛い。
「お、おはようございます」
「今日もお仕事、頑張りましょうね」
蒼衣がどうにか返事をする間に、凪はもう、イルカたちの泳ぐプールの方へ足を急がせていた。ウェットスーツに包まれた華奢な背中を見送って、あぁ、とため息をつく。
俺、本当にあの子に、告白されたんだよな……?
蒼衣の記憶が正しければ、確かにそのはずだった。もっともあの夜の直後、蒼衣は地上でブラックアウトに襲われぶっ倒れているので、あれは自分の見た都合のいい夢だったんじゃないか、と最近では本気で思うようになってきた。
というのも、あれ以来、凪とはこれといって中身のある会話をしていない。
二人きりになる瞬間はあった。四日間の入院中、仕事の合間を縫って、凪は海原、黒瀬と交代で病室に顔を出してくれた。
静かな病室で二人きり。蒼衣の気持ちは浮ついたものだったが、結局、凪が振ってくれる他愛のない話に、ぎこちない返事を返すことしかできなくて……しかもだいたい、凪と二人きりのタイミングに限って、涼太だの、凛だの、カツオを担いだ大吉だの、以前の選考試験で一緒になった戸部や女の子たちだのが見舞いに来て、ギャーギャー騒がしくなってしまう。
そうこうしているうちに、蒼衣はイルカチームに復帰して、そこからはまた忙殺される毎日。入水を医者に禁じられた蒼衣と凪では仕事が違いすぎて、まったく交わらない。
こうやって朝や仕事終わりに顔を合わせても、凪は出会ったばかりのころに戻ったようなスマイルを浮かべて、当たり障りのない挨拶をくれるだけだ。
やっぱり、あんなに可愛くて素敵な女性に告白されたなんて、夏に見せられた淡い夢だったのだろうか。
「言い訳並べタイムは以上か? ぶん殴るぞチキンヤロー」
向かいに座ったド派手なアロハシャツに金髪のチャラ男が、こめかみに青筋を浮かべて蒼衣に箸を突きつけた。
その日の仕事終わり。この手の相談はこの男にするのが一番だろう、と、明日が閉館日なこともあって、珍しく蒼衣の方から涼太を飲みに誘った。海沿いの古びた居酒屋の個室に入り、刺盛りやサザエの壺焼きを肴にビールを半分ほど胃に入れたところで、ようやく本題に入る威勢がついた。だが一通り話し終えてみれば、涼太から飛んできたのは辛辣な罵声だ。
「お前はホントにバカだな、バカっつーか、うん、あれだ、ホントもう、バカ」
こんなやつにバカ呼ばわりされるほど屈辱なことはない。
「『お慕いしています』だぁぁ? そんなクソ可愛い告白くらって、そもそもなに一丁前に保留してんだよ殺すぞ? その場で抱きしめてチュー以外に選択肢なんてねーんだよ、死ね!」
暴言の嵐は半分以上がやっかみからくるものだろうが、「抱きしめてチュー」なんてバキバキ童貞の蒼衣にしてみればドラマの中だけの世界である。
「いや、あんときは、頭が真っ白になって……それに、ビビのことでいっぱいいっぱいだったから」
「融通の効かねえ脳みそだなぁ、いいか、頭なんてのは二つも三つも持っとくもんだ! 仕事は仕事、女は女! 秒速で切り替えんだよ分かるか!?」
「ケルベロスかよ。誰しもお前ほど器用じゃないんだ」
「にしたってお前は不器用すぎだ。いいか、凪ちゃんはショーの後だったら、お前を取られちゃうと思って、お前を困らせてしまうと分かってて告白したんだぞ。いじらしいじゃねえか。そんくらい、ビビを導こうとするお前の姿を、熱い眼差しで見つめてたってことだぞ。抱きしめたくなるだろ!?」
それは……なる。
「凪ちゃんにそこまでさせといて、今もまだ受け身でいる時点で男として論外だ。明日にでもちゃんと返事しろ。返事っつーか、仕切り直してお前から告れ」
平手打ちのような言葉に、背筋が伸びた。前にもこんな感覚があった気がする。いつもはノリだけの悪友だが、思えば人生の大事な時は、いつもこの親友が厳しい言葉をかけてくれた。
「……ありがとう、涼太。あんま遅い時間にならないうちに、明日、ちょっと会えないか電話してみる!」
「おう! ……あ、蒼衣」
言い忘れたとばかりに涼太が真剣な顔で身を乗り出すので、立ち上がりかけた蒼衣は慌てて彼に耳を近づけた。
「なに?」
「お前、ゴムのつけ方知ってんのか? ちゃんと練習しとけよ」
前言撤回、コイツはクソ野郎だ。
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