第3話-2

「イルカとのコンビネーション演技だぁ!? しかも練習時間はたったの30分とか、無理に決まってんだろ! なぁ!?」


 胴間声で喚いたのは蒼衣を除けば唯一となってしまった男性受験者。先ほど蒼衣に見当違いの評価をしたあいつだった。名前を戸部とべというらしい彼は、同意を求めるように蒼衣たち全員を見回す。


 現在、ここまで残った受験者4名は海原の指示で、先ほど蒼衣も着替えた更衣室の机を囲んで頭を突き合わせていた。束の間の休憩時間と、最終試験の演技順を話し合う時間を兼ねている。


「そもそも、イルカと同じプールに入ったことさえ初めてだっつの! 普通みんなそうだよな!?」


 彼の言葉に、女性陣2人はしどろもどろに頷いた。


「は、はい。てっきりそういうのは、採用されてから訓練するものだと思ってました。普通そんなの練習する場所も機会もないですよね……例えば、海洋動物専門学校でドルフィントレーナー専攻でもしてる人がこの中にいれば、別ですけど」


 そう言って、女性の1人がちらりとこちらを見た。戸部ともう1人もつられて蒼衣に注目する。期待と疑心の入り混じったような、居心地の悪い視線。


 え、なに、なんですか。


「潮蒼衣君、だったよね。君は、その、大学はどこを出たの?」


「やっぱり海洋学系? もしかしてイルカとの経験もバンバンありますって感じ?」


「それとも海上自衛隊出身とか!?」


 女の子2人が好き勝手めちゃくちゃな経歴をでっち上げようとしてくる。イルカとの経験ってなんだよ。


「いや、俺は……普通に地元の国立です、ほらすぐそこの。ただの文学部だし」


「うっそぉー!? てか頭もいいんだ! すっごーい!」


「じゃあ部活は? 水泳とかすごかったんじゃない?」


「ま、まぁ別に……」


 2人で盛り上がってちやほやしてくる彼女たちに、もうとても帰宅部でしたとは言えない空気だ。


「おい、本題に戻ろうぜ」


 戸部の不機嫌げな声で女性陣が沈黙する。この中で最年長ということもあるが、その威圧的な態度はどうにかならないものなのか。


「まあつまり、この中の全員イルカは初めてってことだな。ちょっと安心したわ。なら上手くできなくて当たり前。技術の是非で落とされるようなことはねえだろ」


「そ、そうですねっ。きっとイルカを怖がらないかとか、物怖じしないで演技ができるかとか、そういうところを見られるんだと思います」


「そっか、後半は精神的な適性も見ていくって海原さん言ってましたもんね!」


 3人の言葉に頷きつつも、本当にそうだろうか、と蒼衣は思った。


 もしそうなら、この試験は徹頭徹尾、網目の粗いふるいと言わざるをえない。現に5人中4人が、この最終試験まで生き残っているのだ。


 最終試験がよほどの難関だと考えなければ、今日まで20人受けて1人も採用されていないという事実が不可解になる。


 つまり、最終試験で海原たち試験官が見るのは、イルカとのコンビネーションにおける技術力、演技力、その他技能的な完成度をおいて他にない。そうでなければ全国から集まったトレーナーの卵が連続で落ちるはずがないのだ。


 やはり足元を見ている、と思った。


 新人の育成に費やす時間と労力、資金は、無ければ無いほどいいに決まっている--こんな考え方をする組織にろくなものはないが、その実ほとんどが当てはまっている。


 この職場も同じだ。海鳴水族館は今回の求人で、即戦力を手に入れようとしている。欲しいのは、イルカとの演技をぶっつけ本番で成功させるだけの地力の持ち主。


 それまでの試験はただの遊びだ。最低限の能力だけ確認して、なるべく多くの分母を最後の篩にかけるための。


 反吐が出る。そんな人材は恐らく、彼女が言ったようにドルフィントレーナー育成カリキュラムを専門的に受けて来た、ほんの一部のエリートに限定される。採用枠が1人だからって欲をかきやがって。


 不意に蒼衣は、いいことを思いついた。


 苦手な手加減でわざと試験に落ちるよりも、簡単で最高に爽快な方法。それは。


 この試験に、合格してやること。


 そしてど素人の蒼衣をそれでも欲しいと奴らに言わせてから、その手を払いのけて辞めてやるのだ。


 これまで20人受けて全滅の試験にぽっと出の素人が合格をかっさらっていくのも爽快だし、そういう前人未到の領域は大好物だ。深海と同じ。蒼衣を強く、滾らせる。わざと落ちるより楽しそうだ。


 仮に落ちたら落ちたで、蒼衣が失うものは何もない。そうと決まればあとは、この理不尽な試験を戦うために、やれる努力は全てやらねばならない。


 蒼衣は笑顔で手を挙げた。


「順番なんですけど、俺最後でいいですか?」


「え?」


 3人が同時に目を丸くした。


「えっと……逆に、最後でいいの?」


「はい。あっ、もちろん他にやりたい人がいたら譲りますよ」


 3人は顔を見合わせて怪訝げにしていたが、蒼衣の他に立候補者が出ることはなかった。思惑通りである。


 この4人の中でも確実に1番イルカショーの知識がない蒼衣にとって、必要なのはイメージする"時間"と"材料"だ。


 本来なら忌避されるトリという順番も、蒼衣にとっては最適解である。どんなことをするのかさえイメージできてない蒼衣には、前3人の演技はとても参考になることだろうし、繰り返しイメージを頭に刷り込む時間も稼げる。


 そしてトリを希望するのは、人気であろう2番目と3番目が埋まってからでは遅かった。なぜならトリ以上に、全員トップバッターが嫌に決まっているから。


 イルカとの演技が初めてなのは全員同じだ。トップかトリの2択になってしまったら、とてもすんなり蒼衣にトリを譲ってくれる者はいなかっただろう。


「じゃあ俺、ちょっとストレッチしてきます」


 残りの順番ぎめで控えめに揉めていた3人にそれだけ告げて、蒼衣はさっさと退室した。もうこの場所に用はない。次は--パートナーであるイルカの選定だ。


「海原さん」


 プールサイドに立ちイルカたちに魚を食わせていた海原に声をかけた。


「おっ、蒼衣君。順番はもう決まったのかい」


「ええ。僕は最後です」


「あらら、そりゃ責任重大だね。緊張するかもだけど頑張って」


「はい。ところでこのイルカたち……名前ってあるんですか?」


 プールのへりに立つ海原の前に、行儀よく横一列に並ぶ4頭のイルカ。きゅるんと潤んだつぶらな瞳で、海原の手にある魚の入ったバケツを凝視している。


 さっきはすごい存在感だと思ったが、今はなんてことない哺乳動物だ。そんなに賢そうにも見えないし、これと一緒に演技なんてそう簡単にできるのか。一抹の不安がよぎる。


「もちろんあるよ。右からモモ、トト、ララ、それからビビちゃんだ」


「見分けつくんですか!?」


 まさか即答されるとは思わず素で驚きの声が漏れた。4頭は見た限り全て同じ種で、恐らくはポピュラーなバンドウイルカ。サイズ感もほとんど一緒だし、こんなのを一体どうやって見分けるというのか。


「簡単だよ、みんな全然違うじゃないか。ほら、僕と蒼衣君だって全然違うだろ?」


「そういうものですか……」


 釈然としないながらも納得しておく。


「4頭いるってことは、丁度1人1頭ずつのペアができますよね。俺のパートナーはどの子なのか、もう決まってるんですか」


「あぁ、そういえばまだだね。みんな揃ってから適当に割りふろうと思ってたけど……まあ、なんなら早い者勝ちで選んでもいいよ。トリは大役だし」


 思惑通りの展開に蒼衣はほくそ笑んだ。どのイルカがパートナーになるかは最も重要な問題。下手なイルカをつかまされてはそれだけで大きな遅れをとることになる。


「いいんですか? じゃあそうだな……海原さんのオススメは?」


「うぅん、みんなかわいいのに選べないよ」


 かわいさを聞いてるんじゃないんだよ! 蒼衣がどうにかその言葉を堪えていると、断腸の思いとばかりに海原は左端のイルカを手で示した。



 それがビビだった。



「ビビちゃんはみんなのリーダーで、賢くてとにかく優しい子だよ。初めてイルカに触れるなら、最初は彼女にフォローしてもらうのが1番じゃないかな」


 フォローというのは不可解で不愉快な言葉だ。蒼衣は確かに素人だが、指示を出すのは蒼衣で演技をするのはイルカ。


 蒼衣が望むのは指示通り完璧な演技ができる、優秀な運動能力と知能を持ったイルカで、そこに性格の良さなんてなんの足しにもならない。


 だがビビがこの中のリーダーだというなら、その点で申し分はないかもしれない。他の3頭がビビに勝る保証もないし。


「じゃあこいつに決めます。よろしくな、ビビ」


 海原の後ろを回ってビビの真正面につくと、蒼衣はかがみこんでビビに挨拶した。ビビは一瞬だけ蒼衣を見ると、すぐにプイッと海原の持つバケツに向き直ってしまった。


 こ、こいつ……男前が挨拶に来てんのに色気より食い気かよ!


 イルカは人懐っこい性格をしてると聞いたのに、まったく懐かないじゃないか。憤慨しつつも、どうせ今日限りの関係だと思い直す。


「……期待してっからな」


 つれない横顔に吐き捨てて立ち上がると、戸部たちの順番ぎめもようやく終わったらしく3人が歩いてくるところだった。


「よし、全員揃いましたね。それじゃあ今から、最終試験のエキシビションを始めます」


「……エキシビション?」


 元の隊形に整列した蒼衣たちが、口を揃えて疑問符を発する。


「いきなり演技をしろと言われても難しいと思いますので。まずはウチの両エースが見本を見せます。参考にしてください。じゃあ凪ちゃん、あらし君、よろしくー!」


 海原が背後に向かって手を振る。それで気づいた。いつの間にかプールの対岸に汐屋と黒瀬が並んで背筋を伸ばし立っている。4頭いたイルカたちも、やがて2人のすぐそばの水面に顔を出した。


 イルカたちの表情が、先ほどと打って変わって精悍に引き締まっているような錯覚。汐屋と黒瀬が同時に右手を掲げる。そして、汐屋の口にくわえたオレンジ色の笛が、鋭く高らかな音を響かせた。

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