第2話-1
翌日、まだ日も昇りかけの午前7時半。蒼衣は父の運転する車の助手席に乗って、猛スピードで視界を横切る白いガードレール越しの海を眺めていた。
いつ見ても思う。早朝の海はまるで一晩ぐっすり休んでリフレッシュしたように、爽やかな輝きをしている。朝、海沿いの公道を久しぶりに再会した父親とドライブというのは、なかなか悪くない。
だが蒼衣の気分は、目的地が近づけば近づくほど盛り下がっていた。ただでさえ大吉経由で面接を依頼したのは昨日なのに、まさか翌日の朝っぱらから呼び出されるとは。
眠い。眠すぎる。蒼衣にとって今朝は、普段の3時間も早起きであった。
「おら、見えたぞ」
豪快な声を上げる運転席の大吉。どうしてこいつは朝っぱらからこんなに元気なんだと、蒼衣は返事代わりに唸った。
大吉の言う通り、まっすぐ広い道路の伸びた先、左側に接するように大きな空色の建物が見えてくる。そのすぐ隣は海だ。というより工事で岸を増築してその上に建てたのがあの建物だから、海に浮かんでいると言った方がいいのかもしれない。
家から車で30分と少し。小学校の4年生だったか5年生だったか、遠足で来た覚えがある。
「蒼衣が2歳のときにも、家族3人で来てるんだぜ」
「母さんが言ってたな。写真も見せられた。全然覚えてなかったけど」
楽しげな父親に気の無い返事をする。蒼衣は海は好きだが、海の生物は別に好きというほどじゃない。羨ましいとは思うがそれだけだ。
結局ドルフィントレーナーとやらの詳細について、大吉からはろくな情報が得られなかった。分かったのはそれが水族館のスタッフとしてイルカの世話をし、そしてイルカショーにイルカとともに出演する仕事であるということぐらい。
泳ぐ仕事と言うからどんなものかと思ったら、動物の世話係である。そのうえ人前でショーも披露しなければならないなど、正直全くイメージが浮かばない。あるのは漠然とした、かつ強力な抵抗感だけ。
イルカショーってどんなのだったっけ。古い記憶だから曖昧だ。まぁ、臨時採用の素人にまさか専門的なことまで任すまい。倍率100倍と言うのだから給料もいいのだろうし、仕事中海水に浸かれるというのは魅力ではある。
大吉に具体的な話を聞く前ほどの期待感はなくなってしまったが。ピザ屋に戻るよりはマシだろうしやってみるか、ぐらいのモチベーションだった。
まもなく目的地に到着した。開館前の駐車場は当然ガラ空きだったが、大吉はそこをスルーして建物を迂回していく。水族館の裏手には関係者用の駐車場があり、そこには既にそこそこの数の車が停まっていた。空いているスペースに駐車する。
「お、あいつだ」
ちょうど車を停めた時、館の裏口から職員風の男がでてきた。車から降りて彼のもとに駆け寄る大吉に、慌てて続く。
「大吉さん! お久しぶりです!」
髪を短く刈り上げた若々しい男が俺たちを出迎えた。大吉の話では30代も半ばの年齢なはずだが、とてもそうには見えない。浅黒い肌に逆三角形の長身。白い歯の光る爽やかな笑顔。
しかし直角を超える角度で勢いよく頭を下げ、思わず耳を塞ぐほどの声量で挨拶する、この大吉に対する態度だけは、朝っぱらから勘弁して欲しい鬱陶しさであった。
「よう
「大吉さんこそ変わらずお元気そうで! あ、そちらが蒼衣君ですか?」
海原と呼ばれた男と目が合った。反射的に会釈する。
「よ……よろしくお願いします」
「こちらこそ。背、高いね。相当泳げるんだって?」
「はい、まぁ、いえ……」
なんでこの男は初対面の相手にこんな自然に話せるのだろう。しどろもどろに応対しながら、海原という上司の馴れ馴れしさに戸惑う。
「俺に遠慮せず、ボコボコに指導してやってくれ。もちろん突っ返してくれても構わねえから」
「分かりました。じゃあ蒼衣君、いこうか」
え、どこに? そう思ったが、蒼衣の貧相なコミュニケーション能力では声に出すまで至れなかった。
「じゃあな蒼衣。また迎えにきてやるから。達者でやれよぉ」
「あ……あぁ、オッケー」
車に向かって去っていく上機嫌な大吉に軽く手を振って別れる。父に背を向けられた途端急激に心細くなった。
「よし、蒼衣君。とりあえず試験内容や合格基準について、また後で説明する時間は設けるつもりだけど。一応歩きながら少し話そうか」
「あ、はい…………はい?」
今なんて?
「え、だから、これから受けてもらうドルフィントレーナー採用試験の説明を」
サイヨウ、シケン。採用試験。頭の中をぐるぐる疑問符が飛び交い、やがて蒼衣は一つの事実に帰着した。
タダでなれるわけじゃ、ないんですね。
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