Ⅴ.(6)ノージャンルのおじさん

「とりあえず、ブレーメンに行け」


 ギタリストが言った。


「なんでドイツまで?」

「音楽隊に入れ……とか言うんじゃないですよね?」


 翔と奏汰は眉間に皺を寄せ、聞き返した。


「『ブレーメン』って店の名前だよ。ドイツビールとソーセージが美味いんだ!」


 ギタリストは笑いながら、ビールのジョッキを傾ける仕草をしてみせた。


「とにかく、行けば損はしない」


 ただビールとソーセージを味わってくればいいのだろうか?

 ライヴの仕事のない日に、奏汰と翔は、例の「A列車」に乗り、マンハッタン方面へと向かう。


 大通りに面した、店の中をのぞけるガラス窓には、バイシクルピアノが展示してある。両脇に巨大な車輪を備え付けたアップライトピアノだ。

 開店と同時に入ると、あたたかいオレンジ色の照明に、煉瓦の壁、広い店内が見渡せた。

 店の奥には、パイプオルガンがある。

 オルガンの演奏があるのかと、二人は近くの席を取った。


 壁際に天井まである太りパイプが並ぶ。その前を、ぬいぐるみや人形が並べられ、おもちゃのように小さいシンバル、タンバリンなどの打楽器がところどころに仕込んであった。

 子連れで楽しめるビアホールだ。

 しばらくすると、ぞくぞくと客が入ってくる。

 奏汰と翔は、ギタリストお勧めの生ビールと、ハーブ入りソーセージの盛り合わせ、チーズの盛り合わせを頼んだ。


 時間になると、緑色の服を着た、ぼうぼうの白髪頭が特徴の、頬骨が高く、顔立ちのはっきりとした老人が現れた。老人はオルガンに腰掛け、つまみを操作し、弾き始めた。


 店内を揺るがす音だった。


 聴こえているのはパイプオルガンの音だが、弾いているのはラグタイムジャズだ。

 クラシックオルガンでジャズを演奏するプレイヤーは、少しずつ増えてはいるが、スピーカーを通した楽器音とは迫力が違う。足鍵盤で弾く低音などは地面を伝わる。パイプの威力を身体に受け、圧倒されていると、人形達が音に合わせて動き出した。

 シャンシャンと小さなシンバル、タンバリン、ホイッスルなどが騒ぎ立てる。

 曲に合わせて動物のぬいぐるみが揺れ、人形も首をキョロキョロ動かし、身体を上下させる。


 ジャズの曲はジャズ風になり、シャンソンに変わり、タンゴに変わった。

 拍手の後、マイクで曲目紹介と軽い冗談を交え、その後の演奏では、ジャズもタンゴも混ざった、更によくわからないジャンルへと移っていく。


 ジャズの軽さから、みるみる重みのある情熱的な音楽へ変わっていく様に、奏汰も翔も衝撃を受けたが、聴けば聴くほど、理解しようとすればするほど、不可思議であり、理解不能な音楽だが、迫力や、なんとも言えない引き込まれる力があった。


 1stステージが終わると、「このオルガンを弾いてみたい人は、是非どうぞ!」と言った後でオルガンのがっちりとして横に長い椅子から降り、老人の方から奏汰と翔に話しかけた。


 きみたちは、音楽をやりにアメリカに来たのか? と。


 ベースとギターのケースを見て、そう見当をつけたのだろう。

 日本から来たと言うと、「遠いところからよく来た! せっかくだから一緒にやろう!」と。

 嬉しい申し出だったが、二人は、ジャズとボサノヴァなら勉強中でも、タンゴはわからないと伝えた。


「大丈夫、大丈夫! ジャズらしくとかタンゴらしくとかは考えなくていい!」


 2ndステージでは、奏汰のベースと翔のギターも交えて始まった。

 二人の知っているジャズのスタンダードだが、老人のアドリブは途中からソロで自由になり、その間、奏汰と翔が見守るうちに、やはりタンゴに切り替わった。


 先のタンゴの記憶に頼りながら、二人がタンゴらしいリズムを刻む。

 人形が動き出し、打楽器も鳴り出した。

 客も歓声を上げ、タンゴを踊り出す老人のカップルも出始めた。要領を得て来た奏汰が、ベースラインを動かし始める。翔も、それらしい飾りの音を挟む。

 オルガン弾きの老人が「good!」と声を上げた。


「楽しかったです! ありがとうございました!」


 二人が口々に言うと、老人は笑った。


「こっちこそ楽しかったよ! また今度もおいで!」


 老人は、頑張ったご褒美だと、二人にビールを一杯ずつおごった。

 その後で、アコーディオンを取り出し、客席の間を演奏しながら歩き出した。


「相変わらず、ジャンルがよくわからない曲だな」


 翔が笑うと、驚いて、奏汰が老人の足元を指差した。

 下駄を履いている。


「下駄でアコーディオン!?」


 二人は、改めて老人を見た。客に声をかけながら、笑いを発生させながら、アコーディオンを引き続ける。

 店員の女性に尋ねると、彼は二世だということがわかった。


「こっちに来てから、一番日本人離れしてると思ったプレイヤーだったけど……」


 奏汰が、老人を目で追いながら、ぼうっと呟いた。


「顔だって、日本人離れしてるしな」


 凹凸のはっきりした老人の顔を遠目に見ながら、翔も、未だに信じられないように、目だけで追いかけた。




 『Sidecar』でのライヴや、街中の路上でも二人で演奏していると、日本人のプレイヤーが話しかけてくることもあり、その場でセッションになることも多い。

 国籍も、プロもアマチュアも関係なかった。

 路上のセッションだから間違えても構わないという気楽さと、だからこそ、良い音楽を作り出したい想いがあった。


 路上で演奏が終わると、進み出てきた女性がいた。

 マークの妹マーシャだった。

 翔は初対面だった。奏汰が誘い、三人でバーで飲むことになった。


「どうして、私の友達の誘いを断ったの?」


 マーシャは、つんけんしながら奏汰に尋ねた。


「恋人はいないんでしょ? 彼女、ライヴで奏汰のこと気に入ってたのに、付き合いもしないで断るなんて、失礼じゃない?」


 翔が静かに奏汰を見た。


「こっちに来る前に別れたばっかりだから」


 いきさつを説明しても、マーシャは表情を変えなかった。


「そんな理由で別れるなんて信じられない! しかも、別の男に托すなんて」


「うん、バカだと思うよ」


 奏汰が淋しそうに答えるのを、マーシャは睨むように見つめている。


「彼女が傷付くと思ったから言えなかったけど、年齢って、やっぱり大きい。彼女の年齢からしたら、結婚して子供とか考える頃だよな。明日香さんや、翔と菜緒さんみたいに。俺がここに来たところで、自立出来るようになるまでどのくらいかかるか。蓮華なら待っててくれるだろうけど、待たせるほどの価値が俺にあるのか……」


「優さんに任せたってことは、頑張ってビッグになったお前を見てもらって、また彼女と再熱する可能性もあったかも知れないのに、自分から潰したってことだろ? なんでそんなことした?」


 翔は責めるのではなく、聞き出すように尋ねた。


「俺だって、もっと早く生まれてたらって何度も思ったよ! もう結果出せてたらって! だけど、好きだからってだけで、彼女の側にいるだけじゃだめなんだ。NYで試したくなった。どうしても、ここで納得するまでやってみたかった。でも、それは、俺の都合なんだ。だから、今、彼女とどうしていきたいかなんて、考える資格はないんだ」


「逃げたんだ? 結局は、女より音楽なんでしょ? だから、ミュージシャンなんて嫌いよ」


 淡々と語り出すマーシャにも、嫌な思い出があったと知る。


「そっか。マーシャも、音楽やってるヤツに、嫌な想いをさせられたのか……」


 謝るように頭を下げてから、奏汰は翔を見た。


「やっぱり、優さんに托すなんて、カッコつけ過ぎたとは思う。正直、未だに葛藤してるよ。自分の音楽を追い求めていくことは、何かを踏み台にしないと出来ない、罪深いものなんだ、そう思っていたけど、……その先は、どうなんだろうな? 誰かを踏み台にして、良い未来なんかあるのかな? だとすれば、音楽は人を不幸にするのか? 幸せにするはずじゃなかったのか?」


 途中からは、ほとんど奏汰の独り言だった。


「ミュージシャンなんか嫌い。カナタも嫌いよ」


 マーシャは顔を背け、泣き続けている。


「もうその辺にしておいてやってくれないか。奏汰は、明後日レコーディングなんだ」


「いや、いいんだ、言い訳はしないよ。蓮華が俺を責めなかった分、罪を受け止めたつもりになれるから。その彼氏の分も、受け止めるから」


 と、翔を止めた奏汰が、溜め息を吐いてから、ロックグラスを傾けるが、顔をしかめる。


「酒さえも、酔わせてくれないのか」


 溜め息混じりに俯く二人を、翔は困り顔で見守りながら、静かに飲むしか出来なかった。


 レコーディング前に、傷口をこじ開けたようなことになり、影響しないか、本領が発揮出来ないんじゃないかと、マーシャの気持ちよりも、奏汰の演奏を案じている。

 翔は、そんな自分のことも、ミュージシャンの常軌を逸した価値観なのかと思うと、少しマーシャに同情した。

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