Ⅴ.(7)イメージの掛け合い

 に、あまり身構えなくなった頃、ベニー・ホワイトが、戻ってくる。


 マスターから知らされると、奏汰は喜んだ。

 いつもと変わらないように、翔には見えた。


 昨日は、アパートに戻ると、ろくに話もせず、二人とも寝てしまった。

 レコーディング前に、蓮華のことを思い出さされ、マーシャに罵倒された奏汰を、翔は、慰めたり、言葉をかけるようなことは出来なかった。

 マーシャに対しても、狩りのように女を口説いていた頃の自分を責められているように後ろめたく、本当は、奏汰だけが責められたことではないと思っていた。

 しばらく奏汰を見ていた翔は、やはり、何も出来なかった。


 レコーディング前日もライヴがあったが、ベニーは現れなかったので、本当に帰国しているのか心配になった二人だが、ギタリストも、内気なドラマーも、マスターも、別段どこも変わらずにいた。


     *


 艶のあるフローリング、防音の壁と扉。

 音響の仕事をしていた奏汰には、知らないレコーディング室であっても、懐かしさを覚える。最も、仕事では、主にミキサー室にいたため、スタジオ内で演奏することは当時の憧れだった。


 ヴィオラ奏者のゆかりと翔と、初めてレコーディングした時のことも、思い起こされた。

 床には、巻かれたケーブルの束があちこちに置かれ、奏者はヘッドホンをして、同時に演奏する。

 一度録ったものをスタジオに流し、奏者がチェックしてから、次のテイクを録るか、満足すれば、次の曲を録る。通常は、せいぜい1曲につき2テイクほどだが、数テイク録ることもある。


「さあ、皆、調子はどうだ?」


 白い毛の混じった金髪の白人男性が、朗らかに言った。

 日本で会って以来のベニー・ホワイトは、二人には、もはや懐かしかった。


「ところで、カナタ、ショウ、昨日まで有意義に過ごせたか? このレコーディングまでの時間をどう潰せたかが音楽に現れる。これまでの間に、見たり聴いたりしたことがイマジネーションとなる。何が養われたか、何が培われて来たか、それを音にしろ」


 親し気な笑みの下には、五〇代の貫禄が隠れていた。


「じゃあ、今まで留守にしてたのは、……俺たちのためでもあった?」


 尋ねた奏汰に、ベニーは微笑んだ。


「NYには馴染んだか、二人とも? まだお前たちは若く、吸収が良い。悪い意味でのから脱皮していればOKだ!」


 奏汰と翔は、気を引き締まっていった。


 ベニーは、オーストラリアの写真をメンバーに見せた。都心から、田舎のだだっ広い自然を写したものもある。

 それらの風景に触れ、曲を作っていた。レコーディング室で、僅かなメロディーと簡単なコードを添えたCメロ譜を配る。


「これらの風景を見て、これを演奏してみろ。どんなイメージが浮かぶか? オレの書いたメロディの後は、各自がそれを音にしろ」


「ちょっと待って、即興でってこと?」


「そうだ、カナタ。お互いがアドリブ、回し合う。各ソロパートを順番に即興で演奏する。ジャズのアドリブじゃなくて、美しいメロディーを紡ぐことを考えろ。次のヤツにつなげられるように、親切に、イメージしやすく、だ」


 穏やかに、ゆっくりと話しながら、ベニーが全員の顔を見回す。


「でも、俺たちは実際には、オーストラリアでベニーが感動した風景を見てない」


 ベニーは、翔を見た。


「風景を曲にしたいんじゃない。これは、だ。オレのイメージから、皆が膨らませていくんだ。『イメージの掛け合い』、それをやりたいんだ!」


 かなり高度な要求をされているように感じ、二人は顔を見合わせたが、ギタリストは「面白そうだ!」と、早くもやる気になっている。ドラマーも、さっそくスネアを調整し、シンバルを加減しながら慣らす。既にイメージを作り始めている。「今のそれ、いいじゃないか!」とベニーも親指を立てる。


 追いていかれないよう、奏汰と翔も、とにかく弦をはじいた。


「タイトルは『虹の向こうに見える街』だ。そこには、いろんなcolor——そうだな、虹の色だけにしよう——waterの流れる音——川かも知れないし、湧き水? 雨音? 丘や鳥の声、風が吹くと樹々や葉の擦れる音が鳴り、身を潜める小動物——どんな生き物がいる? 自然と調和する街だ。どんな街? ほっとするだとか賑わっているだとか、いろいろ……」


 皆でイメージする言葉を挙げていき、ホワイトボードにベニーが書いていき、奏汰と翔は譜面に写し取る。


「出て来た数あるイメージを音にするには、どう表現するか、考えてくれ」


 ピアノで和音を押さえながら、ベニーが振った。


 翔が、ちらっとアコースティックギターを鳴らし、それに合わせ、奏汰もベースを鳴らす。


「いいね! その感じで、オレの後に続いてくれ」


 ベニーがピアノでソロを弾き始めた。楽譜にはない、曲への導入部分だ。

 それで、曲のイメージを伝えようとしていた。

 長いソロの後、ベニーの合図でギタリストが入り、翔と奏汰、ドラマーの順に、音を重ねていく。 


 行ったことのない場所であっても、ベニーの弾くコードが、メロディーが、親しみ易い場所へといざなう。

 一輪だけ美しく咲いている花から、風の心地良い丘を抜け、街中へと移り変わる。

 賑やかな表通り、カフェ……


 ピアノが遊んでいる。

 ドラムが勝手を知ったように付いて行き、ギターはピアノを追いかける。

 翔のギターと奏汰のベースは、控えめに付いて行く。


 それぞれのソロでは、その楽器が主役になる。

 打ち合わせをしなくても、他の楽器はうまくバックに回っている。


 翔も奏汰もソロが終わり、全員のソロが終わると、ベニーの合図でエンドとなった。


 ピアノのペダルを切った数秒後、ベニーが笑顔になった。


「良かったぞ、二人とも! 皆も!」


 ギタリストが拍手をすると、ドラマーもスティックを置き、頷きながら拍手をする。


 奏汰と翔の緊張した顔は、徐々にほぐれていった。


「この曲は、これで行こう!」


 ベニーの早い決断に、驚く二人だが、もう一度録り直しても、初めて合わせた緊張感と集中力、新鮮さは失われる。

 そればかりか、一度弾いたものにとらわれ、似せようとしてしまうかも知れない。

 そうなると、先までの怖いもの知らずというわけにはいかないだろう、という彼の判断だった。

 

「イメージの掛け合いが楽しそうだから、やってみたかったんだ、最高のミュージシャン達と!」


 大喜びのベニーが、全員の背を叩いて回った。


 外国人は大袈裟だと、奏汰も翔も顔を見合わせ、笑った。

 だが、その大袈裟が心地良い。


「とりあえず、俺たちの目指してた方向って、合ってたのかな?」


「ああ。間違ってなかったと思う」


 すべての曲を一日で録り終えた後、打ち上げは後日改めることになり、奏汰と翔は、飛び跳ねる元気はなく、全精神力を使い果たしたというように、地下鉄のホームの壁を背に、脱力して座り込んだ。


 数本電車を見送ってから、アパートに戻ると、それぞれのベッドに倒れ込んだままの体勢で朝を迎えていた。

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