Ⅱ.(4)ジントニック2

「蓮ちゃんは、今、……感情的になってるだけだよ」


 真面目な顔で、優が告げた。


 蓮華は、ぷいっと背を向けた。


「そうさせているのは、優ちゃんでしょ」


「違うよ、奏汰くんだよ」


 蓮華の真後ろから、優が、耳元に囁いた。


「蓮ちゃんはね、恋をすると、いつも、感受性は強くなるし、ちょっと情緒不安定にもなるんだよ。知ってた?」


「なっ……!」


 蓮華が慌てて振り向くと、優が、すべてわかっているような眼差しを向けている。


「それをさせているのは、僕じゃなくて、奏汰くんでしょ?」


 優は、普段の笑顔になった。


「自分で思っている以上に、奏汰くんのことが好きなんだよ。安心し切ってるくらいにね。だけどね……」


 そこからは、少し真面目な顔になる。


「彼のことを、いつまでも『年下だから』って心のどこかで思ってる限り、きみたちは、うまく行かないよ。僕にも、年上の女性と苦い経験があるのは知ってるでしょう?」


 蓮華は、黙って頷いた。


「奏汰くんは、一生懸命、年の差を埋めようと努力してるように、僕には見えるよ。蓮ちゃんとのことを、一時で終わらせないように頑張ってると思う」


「奏汰くんが?」


「もうちょっと彼を信頼して、もっと対等に付き合ってみたら?」


 しばらく俯いていた蓮華が、顔を上げる。

 その表情からは、吹っ切れた様子がうかがえる。


「そうね。優ちゃんの言う通りかも知れないわ。ごめんね、ありがとう」


 素直にそう言うと、すぐに、にやっと笑った。


「うまく逃げたじゃないの」


 蓮華が肘でつつくと、途端に、優も普段の笑顔になる。


「ははは、バレたか。まあ、誰にも相手にされなくなったら、僕んとこにおいでよ」


 それは、いかにも取って付けたような言い方だった。


「優ちゃんなんかとくっついたら大変だわ。女がいっぱい出て来ちゃって、心労で身が持たないわよ」


 聞き捨てならないとばかりに、優が意地悪な目になり、騎士がするような、わざと大袈裟な一礼をする。


「その言葉、そっくりそのままお返しいたしますよ、女王陛下」


「そう来なくっちゃね!」


 人差し指を立てて笑う蓮華に、「なにそれ!」と、優も吹き出した。


     *


「それにしても、心配だなぁ。さっきみたいにその時の感覚でその辺の男、または男の子、口説いてたら大変だよ。まったく、フラフラしてるんだから」


 私服に着替えた優は、缶ビールを買いに行く蓮華と一緒に、近くのコンビニへ向かう。


「ハガネのような精神力の僕だったから、良かったものの」


「ハリガネの間違いでしょ?」


「他の男だったら、食われちゃってたよ。いいの?」


 心配そうな顔になる優に、蓮華は、ころころ笑ってみせた。


「相手はちゃんと選んでるから大丈夫よ~! もう、そんなこと言われるトシじゃないわ」


「ホントかなぁ。奏汰くん、大変だなぁ。僕も自分の身は自分で守らないと。よく十年間無事でいられたよ」


 優が呆れていると、ベースを背負ったまま走る奏汰が、後ろから追いついた。


「奏汰くん、どうしたの? 今日は橘先生のレッスンだから、うちの仕事の日じゃないでしょう?」


「最近、蓮華、元気ないみたいだったから、……ちょっと心配で……」


「それで、迎えに来てくれたの?」


 呼吸を整えながら、心配そうな奏汰の顔を見上げるうちに、蓮華の瞳には、みるみる感動が現れていった。


「……ありがと」


 と、てのひらが、彼の頬に触れた時――


「Hi,Renka! Kanata! How are you?」


 その声に振り向くと、金髪で長身の外国人マークと、明日香が並んでいた。

 密かに残念そうな顔になった奏汰の横から、蓮華が顔を出した。


「明日香ちゃん?」


「なんか、いろいろお騒がせしちゃって、ごめんね~!」


 明日香が笑いながら、蓮華と優を見た。


「マークったら、ずっと連絡くれなかったのも、私をビックリさせたかったんですって。その方が再会した時の感動も大きいからって。もう! 事故にでも合ったんじゃないかって、すっごく心配してたんだから!」


 明日香の赤くなっていた瞳の端から、ポロポロと涙がこぼれるのを、マークは、やさしく指で拭い取った。


 誰にも入れそうにないその空間を遠巻きに見ながら、奏汰も蓮華も、呆気に取られている。


「良かったですね」


「ええ。優さん、本当にありがとうね」


 優は、いつもと変わらない笑顔で言い、明日香は少し頬を染めていた。


「大人って、深いんですね」


 呟いた奏汰が感動していたのを、蓮華が横から服の袖を引っ張る。


「普通は修羅場よ。あの人たちは普通じゃないの。危険だから、絶対真似しちゃダメだからね」


 確かな関係だと思っているのなら、何も言わずに、どーんとして待っていればいい。そこで、男の度量が試されるのだろう。


 マークと明日香を見ていて、奏汰は、ぼうっと、そんなことを考えながら、ちらっと、隣にいる蓮華を見た。


 自分も、どーんとして、待っていればいいのだと思ったが、すぐに思い直した。


 自分たちの場合、まだ確かな関係とは言い難いから、やっぱり、俺が努力しないと、いけないんだろうな。


 気が引き締まる奏汰に、涙を拭った明日香が、向き直った。


「ところで、奏汰くんは、例えるなら、どんなカクテルなの? 差し詰めジントニックってとこかしら? 成長させると、ギムレットになったりして」


 魔性の女は、目に見えるかのようなあでやかなフェロモンを振りまき始めた。


「だめーっ!」


 蓮華が、横から奏汰の首にしがみついた。

 よろめきそうになった奏汰が、困ったような、恥ずかしいような顔になる。


「ふふふ、冗談よ。もう、は取らないから」


 明日香が、蓮華に、意味深な微笑みでウィンクした。

 蓮華は、何も言えないでいた。


「優ちゃんは、良かったの? 明日香ちゃんが、元の鞘におさまっちゃって」


 帰り道、奏汰と腕を組みながら、蓮華が多少気遣うように、普段と変わらない様子の優を覗き込んだ。


「ああ、全部わかってたからね。明日香さんが不安で淋しかったのは、マークさんに気持ちがあるからで。僕は退屈しのぎ程度の役で構わなかったし」


 奏汰は呆気に取られたが、感心するように優を見た。


「女の気持ちがわかり過ぎるのも不幸よね。自ら都合のいい男を買って出るみたいで。まあ、明日香が他の知らない男に走るよりは、ずっと良かったけど」


「あれー? 人のことが言えるのかな?」


 今度は、優が蓮華を覗き込むが、蓮華は知らん顔だった。


「魔性の女と、無自覚天然タラシ、興味深い組み合わせね!」


「その呼び方、なんとかならない?」


 少々うんざりした顔の優に、蓮華がくすくす笑う。


 奏汰が、ふと振り返ると、仲むつまじく、寄り添いながら歩く、明日香とマークの後ろ姿が、遠くに見えた。

 蓮華と優も立ち止まり、同じ後ろ姿を見守る。


「なんだか、魔性の女も、健気でかわいいところがあったんですね。きれいでカッコいいイメージでしたが」


 奏汰が呟いた。


「そうだね。確かに可愛いかったよ、いつもは強いひとだからこそ」


 微笑みながら、優が言った。


「あたしも男だったら、明日香ちゃんにホレてたかも。いつもの彼女じゃなくて、さっき、マークと再会した時の、そのまんまな彼女にね」


 素直な笑顔で、蓮華は、そう言った。




 その後、奏汰のアパートでは、蓮華と二人で缶ビールを開け、ポップコーンと漬け物を肴に飲んでいた。


「さっきの話じゃないけど、奏汰くんは、カクテルに例えるなら、ジントニックみたい」


 うっとりと、蓮華が言った。


「爽やかな好青年てこと?」


「そう。成長させると、ジンライムやギムレットになる可能性もあるかも」


「ギムレットだと、俺は優さんみたいになれるのか?」


「優ちゃんがギムレット? ああ、確かに、自称ギムレットとかなんとか言ってるけどね、あの人、あれで結構辛口なのよ。あたしから言わせれば超淡麗辛口の吟醸酒ね」


「どっちにしろ、手の込んだ酒だな」


「ギムレットってね、作り手によって味が変わるのよ。もともとは甘口だから甘く作る人もいれば、超辛口にする人もいて。優ちゃんは辛口に作るわよね」


「優さんには、いろいろ敵わない気がするよ」


「あたしも敵わないかも」


 蓮華は苦笑した。


「でもね、勝手に完成されたギムレットをただ飲むよりも、自分好みのギムレットを造り上げる方が、バーのママらしいと思うの。ジントニックには、『強い意志』『いつも希望を捨てないあなたへ』っていうカクテル言葉もあるのよ。ジントニックならジントニックのままでもいいのよ」


 蓮華の瞳と、奏汰の瞳が絡む。


「それって、『J moon』のこと?」


「まっ、トボケちゃって! お店のこともあるけど、あなたのことよ」


 指で、奏汰をつつく。


「優ちゃんは、昔っから、あたしとは『男の友情』だって言ってるの。あたしのことは友達とは思ってくれてるけど、女としては、ずっと対象外なのよねぇ」


 仕方のなさそうに、蓮華が笑う。


「だったら、良かった」


 心からホッとしたその一言に、蓮華は顔を上げ、すぐ近くにある奏汰の瞳を見つめた。


 十年間築いた『男の友情』とは言いながらも、それだけではない気もする奏汰だったが、それを追求しても、おそらく、まだそのような経験のない自分の理解を越えたものなのかも知れない、と思った。


「奏汰くんが、一番好きよ」


 蓮華の瞳が、きらめいている。


 魔性の女から守ろうとした時の彼女は、奏汰には本心からに見えた。

 今は、目の前の彼女の表情とその言葉が、ただ愛しい。


「俺の、蓮華への気持ちは、変わらないから」


 蓮華の瞳が嬉しそうに輝きを増して、奏汰に抱きついた。


「かわいいっ! 大好きっ!」

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