9.鍵と奇跡とぼくたちのアラビアンナイト
――またひとつ、欠片を拾った。
「あのね、さいきんどうしても不安になっちゃうの。
もし
こんなこと考えるなんて『
あたしはむじゃきに楽しく笑ってないと、
それで『このままじゃダメだ。いつもの『
でもどうしても不安になっちゃうの。
あたし、どうしちゃったのかなあ?」
「…………(ーωー)」じーっ
「……ほぇ? どうしたの
「あのね、『やはりおぬしはバカじゃのぅ……』って言ってるよ」
「……う~、
「…………(ーωー)」じっ
「…………」
「……あのね、『わてらはずっといっしょにいるのじゃ。そんなのあたりまえじゃろ?』って言ってるんだよ」
「……
「……僕もそういられたらいいって思ってるよ。
もし仮に他に大切な誰かとか……たとえば恋人なんかができたとしても、たぶんそれは変わらないんじゃないかな。
だって心の中心にはいつだって
すくなくとも『
「…………(ーωー)ノ」ぽむぽむ
「
†
それはひどく大切な約束だった。
もちろんわかっている。
とても美化できるようなことじゃなかった。
公序良俗に反していた。わがままだった。
そのせいで傷ついた誰かもいるに違いない。
脱社会的で、とても身勝手な約束と言えた。
でもぼくたちは、そんな一切を無視してでもいっしょにいることを望んだ。
ぼくたちにとってこの
すり潰されていくこと、棄てていくこと、損なわれていくこと、
そして変わってしまうこと。
それらを避け続けることはあまりにも難しくて。
だからこそ、どこかで受け入れる覚悟をしなければ生きていかれなくて――
そんな世界のざんこくな摂理に対して、ぼくはせめてもの抵抗をしたかった。
もしその日が来たときのため、未来へちっぽけな祈りを届けておきたかったのだ。
…………。
あの日を境に夢を見るようになった。
三人で幸福に暮らす夢じゃない。
淡く曖昧な旅路の夢だ。
ぼくは大切な欠片を拾い集めていった。
それらはどれもちいさなものだ。
一方、忘却の
千の眠りを費やして、ようやく一寸の情景が見つかるかどうか。
だからその旅路は、ひどく気の遠くなるものだった。
それでもぼくは探し続けた。
ひとつずつ、ひとつずつ、大切な遺失物を取り戻すみたいな気持ちで拾い集めた。
それらはおそらく、ここへ来る以前の記憶だ。
偽ものじゃないから、やさしいばかりで済まされない。
あまりうれしくないもの、心が痛むようなものもたくさんあった。
……ぼくたちは一度恋人として結ばれ、破局していたのだ。
ぼくたちはひどくちぐはぐで、今よりなお深い断絶のなかにいた。
ひとたび不信を抱くようになった彼女は、自分の気持ちを隠すようになり、度々心を閉ざしきった。
ぼくは彼女の出すサインに気づいてやろうともせず、そのうえ傷つき頑なになった彼女へ、身勝手な感情を押しつけようとさえした。
嫌われることが、否定されることが、優しくないと言われることがなによりも怖かったのだ。
…………。
もちろんまだ欠落だらけだ。
この奇妙な世界へやってきた経緯だってよくわからない。
それでもすでにたくさんのことを思い出していた。
おかげで三人の名まえへもほとんど確からしい憶測がついていた。
……ただ、その名を口にしてしまうことはどうしてもできなかった。
もし間違っていれば、もう取り返しがつかない気がするのだ。
…………。
そうやって、ぼくはいろんなことに怯えたまま、けっきょくなんの努力もできちゃいなかった。
†
少女がようやく動き始める。
もそもそと弱々しい手つきでラムネを並べていく。
少女はなにも食べていない。
ずっと座ったままで固まっていたのだ。
それでも少女は、一所懸命に囁く。
「……きょうもごめんね」
いつもなら、また意地悪な勘繰りをせずにはいられなかっただろう。
……でも、そうはならなかった。
…………。
ほんとうに、ぼくは
救い難いほどに愚かだった。
今になって、やっと気づくことができたのだ。
――その声は、ただ必死に搾り出された優しさだった。
だって、歩み寄ってくれていたんだ。
傷ついて、辛くて、しんどくて、どれほど心を閉ざしていたくても。
それでも眠るまえには言葉を搾り出してくれるのだ。
こんなどうしようもない一日はすこしずつ増えていたけれど、
それでもいつだって歩み寄ろうとしてくれていたのだ。
少女はいちばんに傷つきながら、それでもただひとり、つながった手を離すまいとがんばってくれていたのだ。
ぼくは唐突にそれを悟った。
――あのときもそうだった。
少女のほうから歩み寄ってくれたのだ。
一度どうしようもなく切り離されてしまった関係を、少女がちいさな手でつなぎ直してくれたのだ。
それからだった。ぼくは少女の心をすこしでもわかろうとしはじめた。
まるで国語の問題でも解くみたいに、
もちろんぜんぶ頭で考えているだけだった。
けっきょくほんの表面だけしかわかっちゃいなかった。
たとえ少女から「正解」をもらおうと、いつもどこか不安だった。
ほんとうの「正解」はもっと深くにあるはずだって、そう思いつめていた。
いつだってずっと越えられない壁を感じていたんだ。
――ひとつにはなれなかった。
そう言うと少女はひどく傷ついていたっけ。
…………。
……あのときはごめんね。
でも、今は思うよ。
果たしてほんとうにそうだったのかって。
ほんとうにぜんぶがぜんぶ上っ面のことに過ぎなかったのかって。
だって、きっと心と心はどこかでつながっていたんだ。
そんなにたくさんの数じゃない。
それでも不思議な符号は度々見られていた。
ぼくがあることを思いついたとき、きみもまたそれを思いついた。
ぼくがあることを考えたとき、きみもまたそれを悩んでいた。
不確かな想いに駆られメールを送ったとき、きみはひどく泣けないでいた。
そしてあの「洞窟の少女」を着想したとき、きみは何度もおなじ夢を見ていた。
誇張でも気休めでもなんでもなかった。
いつだってどうしようもないくらいに、
重さや深さ、その細かな質はまるで違う。
それでもいつしか、ぼくたちはおなじことを悩みおなじことに傷ついてさえいたんだ。
越えられないと思っていた壁を、ぼくたちはべつの次元へ向かってすり抜けていた。
そうやって、どこか遠くの曖昧に混じりあった場所で、
いつの間にかいっしょに泣き、いっしょに痛んでいたのだ。
…………。
これもまた、独りよがりの暴走に過ぎないのかな。
やっぱりこいつなに言ってんだって
それともあんたなんかといっしょにしないでって怒るかな。
だとしても思うよ。
きっとほんのすこしくらいなら、ぼくたちはひとつになれていたんだって。
……さあ、もう傷つき合うのはじゅうぶんだね。たくさんだよね。
だから今度こそあの約束を大切にするよ。
意地悪なことなんてもう考えないで、ただずっといっしょにいたいんだ。
今度こそ、きみとずっと笑っていたいんだ――
――――。
それはまるで啓示のような一瞬だった。
パズルのピースが不意に優しく収まるように。
一切がすぅっと心に降りてきて、不思議ともう怖さは消えていた。
少女の頭をそっと撫でる。
「……今までずっとごめんね。それとありがとう、くろちゃん」
くろちゃんは目をぱちくりとさせる。
「……え? なまえ……どうして?」
ちいさな肩が、ふるふると震える。
「やっと思い出せたんだ。くろちゃんが一生懸命がんばってくれてたからだよ」
「え、でもあたし、あたし、だって、だって――っ」
くろちゃんは泣き出してしまう。
だんごまるが呆れたように言う。
「……まったく、ずいぶん待たせたのぅ」
なんて、ぜんぶ見透かしていたみたいに。
ぬいぐるみのくせにしたり顔で「ぶふぶふ」と笑う。
そんな小憎たらしさに包まれながら、ぼくもまたくろちゃんといっしょに泣くのだった。
ふたりでたくさん泣いたあと、なにげなく提案する。
「ね、今日はひさしぶりに寝物語をしようよ」
くろちゃんはう~んと首をひねらせる。
「えっと、さいごってどっちだったかな?」
「……そうだね、せっかくだからいっしょにリードを取ろうか」
「え? そんなのやったことないよ。できるかな?」
「うん。だってほら、くろちゃんも大好きな、あの不良少年と洞窟少女の物語だよ。あれをふたりで紡いでいくんだ」
くろちゃんは無邪気に喜ぶ。
「やった、あれだったらやってみたい! たのしそう!」
「うん、きっととても楽しいよ――あ、そうだ。だんごまるも混ざるか?」
「むぅ、わても出てくるわけじゃしのぅ。どれ、かっこよく活躍させてもらうかのぅ」
「よし、決まりだな――」
そうしてぼくたちはゆっくりと紡ぎ始める。
母を見殺しにした不良少年と、壁の向こうの洞窟少女とが出会う物語を。
†
まずは幼年時代の回想からだ。
「ねえ、おか~さん。
あのお~っきな壁のむこうには、いったいなにがあるの?」
「えっとね、あそこにはね、ちいさなもりがあるよ。
そのおくのどうくつで、くろちゃんとしろくんとだんごまるがさんにんでなかよくくらしているの。
それでね――」
「の、のぅ、くろや……
それではいきなりめでたしめでたしになってしまうんじゃないかのぅ?」
「あ、そうだった。
じゃあえっとね……
おんなのこがひとりでくらしているの。
まいばん、きのみをあつめたり、おせんたくをしたり、こうたをうたったり。
とってもさみしいんだけど、でもなんとかがんばれるの。
だってすぐにしろくんがきてくれるってしってるから」
「……そうか。すぐにでも来てほしいんだね」
「うん、そのこはもうずっとひとりでまってたんだよ」
「じゃあ、すぐに行ってやらないとね――
ねえおか~さん、ぼく、この向こうへ行きたいよ!」
「うん、あたしもすぐにいってあげてほしいな」
「うん、そうするね!
じゃあえっと…………」
「――む、むぅ。
じゃがあそこには誰も入れないと聞いておるぞ。
ほれ、しろ。あそこにちいさな扉があるじゃろ?
ず~っと昔には、あそこから街の子どもが行き来して、おんなのことよく遊んでいたらしいのじゃ。
でものぅ、子どもはやがてオトナになってしまうのじゃ……
時代もどんどんうつろっていってのぅ……
あるとき、扉の鍵はどこかへ消えてしまったんじゃ……」
「ねえおか~さん、このヘンなの誰? 知ってる人?」
「ううん、そんなかなしいこというひとなんて、あたししらないわ?」
「……な、なんでや。
なんでわてがこないなひどい仕打ちを受けなあかんのや……」
「あ~、おか~さん?
なんかこいつ妙な関西弁で急にめそめそしはじめたよ?」
「あらまあ! かわいそうなおひと……。
ぼうや、よいこだからみちゃだめよ!」
「うぅ……なんでや……なんでや……
やっぱりわてはかわいそうなぬいぐるみなんや……
できそこないのパチモンなんや……」
「……ま、まあおっさん、元気出せよ。
ほら、おれが頭なでてやるから」
「あたしもなでるよ。
ごめんね、だんごまる」
「む、むぅ。ありがとうなのじゃ……」
「…………」
「…………」
「…………」
「――そ、そうか!
おまえはだんごまるだったのか~!
おか~さん、こいつぼくの大好きなぬいぐるみだよ!」
「うん、だんごまる!
あたしもだいすき!」
「……お、おう……なのじゃ」
「…………。
……え、えっと、だんごまる、それで鍵ってどこにあるのか知ってるの?」
「ぶ、ぶっふふ……お空のむこうへ消えてしまったそうじゃがのぅ、
なあに、べつの扉のべつの鍵をつかえば問題ないのじゃ」
「べつの鍵? それはどこにあるの?」
「ぶっふふ……あんしんせい。
おぬしはもうそれを持っておるわい」
「じゃあそれですぐきてくれるんだね!」
「そ、そうじゃ。
ほれ、これがべつの扉じゃ……」
「……え。これって、マンホールだよね」
「ええんじゃ、あんしんせい。
わてもいっしょに飛び込んでやるからのぅ」
「え~~、それじゃああたしもいっしょにとびこむ!」
「そ、そうだね。
じゃあ『せ~の』でいっしょに飛び込もうか」
「うん! じゃあはやくいっちゃお」
「「「せ~の!」」」
――ひゅうるりるりりりり…………。
ぼくたちはいっしょにどこか遠いところまで落下していった。
そして気がつけばだんごまるがはぐれている――
ということもなく、ぼくたちは三人揃ってちいさな森へ辿り着いた。
…………。
そのあとの展開は元々ほとんど覚えていない。
それにもう思い出す必要もない気がしていた。
だからぼくたちは、ますます好き勝手に物語を紡いだ。
三人で過ごす終わらない日常ばかりを、ただ延々と語らった。
そうして、ぼくたちはただ懸命に夢を見たんだ。
もうあんなのは嫌だっていっしょに叫びながら。
笑っていた「いつかどこか」に戻ろうって誓い合いながら。
ただ精いっぱいに楽しんだんだ。
ぼくたちは活動限界さえ振り切って語り続け、
ほんとうにいつまでもいつまでも続いていくみたいに紡ぎ続け、
ふたり揃ってバカみたいにぶっ倒れるまではしゃぎ続けた。
――どうしてそんなことができたのかなんてわからない。
――それはたぶん奇跡にも似た、不揃いの仔どもたちの一世一代の祈りだった。
● ●
いつぶりだろう、こんなに笑ったのは。
笑う
あたしはくろちゃんを切り離してしまった。
それでも感情は
見てればわかるものだから。
だから、やっぱりくろちゃんが笑うとあたしも笑える。
それになにもかもめちゃくちゃでおかしかった。
……でも不思議だ。
基本的に改変は好まない。
どんな細かい変化も望まない。
好きなものはそれがどんなに拙いものでも、あとで手を加えてほしくない。
オリジナルのままがいいのだ。思い入れのあるその姿のままが。
でも例外もあるのだと知った。
大好きな物語だったのに、ぜんぜん悪い気はしなかった。
くろちゃんが楽しそうだったから?
うん、もちろんそれは大きい。
でもそれだけじゃない気もする。
よくわからないけど、きっとなにかがうれしかったんだと思う。
……もちろんさみしい気持ちもすこしはある。
やっぱりオリジナルへの愛着は拭えないから。
男の子が壁の前へ通ってくれたことも、
だんごまるとチンピラとの珍妙なバトルのことも、
地底の暗闇に「幽閉」された女の子のことも、
だんごまるが必死で探しに来てくれたことも、
ぜんぶがぜんぶ語られないままだ。
でもそれでいい。
二度と語られる必要はない。
あの仔たちにとっては、もはやあのバージョンこそが最善なのだ。
なによりやっとくろちゃんが笑ってくれたことこそ、すべてだった。
あとはそれがずっとずっと続いてほしい。ほんとうにもうそれだけだ。
きっとしろくんもおなじことをおなじくらいに祈ってくれている。
――ひょっとすると、それが伝わったからあたしはうれしかったのかな?
………………。
引き延ばした代償は思いの
それでもあたしは後悔していない。
あの頃くろちゃんの足を引っ張ってばかりだったあたしが、やっと力になれたのだ。
だからこの痛みにも耐えられる。
そもそも生きていた頃はもっと辛かった。
だから大丈夫。
あたしはただ、あの仔たちの幸せをたとえ身勝手でも欲し続ける。
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