8.変わることにも変わらないことにも怯えていたんだ




 言葉も想いも、まるで呪いだ。


 突き刺さった言葉は簡単には抜けない。

 差し向けた想いは毒にだってなる。



 それはどこででも繰り広げられる、ありふれた殺し合いだ。


 

 おまえは間違ってると誰かが誰かに言う。

 自分の理想を他人に押しつける。

 気に食わないものは否定し糾弾する。

 意に沿わないことは思い通りにしようとする。

 

 程度は違えど誰もがやっていることだ。



 広大な戦場が網になって俺たちを絡めとる。


 

 どこへ行こうと脱けられやしない――。



 …………。


 


 俺はもう、少女たちのことが嫌いになりはじめていた。

 盲目な信仰の時代は終わってしまったようだ。


 そうして、いつしか復讐みたいな暴力みたいな言葉さえ歌っていた。


 最低だった。

 

 そのうえ馬鹿げていた。

 

 だってほんとうはぜんぶ自分のことだった。

 自分の心を投影してまで、わかったつもりになりたかっただけなのだ。

  


 ――けれど、そもそも「俺」とはいったいなんなのか。


 

 いつだってぐにゃぐにゃのアメーバみたいに生きてきたんだ。


 定まらない、自分がない。そういう意味だ。

 もちろん誰だってそうだろう。


 誰かの言葉を取り入れて、内面化させながら人格を築いていく。

 そしてまた誰かと同調しあい、すこしずつバージョンチェンジを重ねていく。

 そのなかで他者との細かい差異を繕うことで「自分っぽさ」を確保していく。

 

 みんなそうやってごまかしていくのだ。

 それが普通の健全な方策というものなのだ。

 


 でも、そのなぞり方がひどく歪だったから。

 

 今の「俺」へ作用する力があまりにも過剰だから。



 俺はもう、自分の心がどこにあるのかも、鏡に映している姿が誰のものなのかもわからなくなっていた――



 …………。



 こんな支離滅裂な思考さえ、けっきょくは最低の思惑が招いたものに過ぎない。


 

 ……いったいどうしてこうなったのか。



 でも仕方がない。


 この血と涙だらけの戦場では誰もが防衛せずにはいられない。



 そうやって、俺はまたわかった風にごまかすしかなかった。




    ✡



 錯綜した失望を持て余しながらバイクを走らせていた。


 だのに気がつけば穏やかな森を歩いていた。


 すこしするとすぐに開けた場所へ出る。

 

 目の前には大きな屋敷があった。

 庭先のテーブルでひとりの少女が本を読んでいる。


 少女はこちらに気づき、驚いたような顔をした。

 すぐに澄ましたような調子になり、すっと立ち上がって言う。

「ようこそおいでくださいました、ご主人様」

 深々と腰を折る。

 なんとも仰々しいお辞儀である。

「……お、おう……?」

 俺は戸惑うしかない。

 少女はすうっと姿勢を戻し、ふんすと誇らしげな笑みを浮かべる。

「ふふ、どうかしら? なかなかサマになってるでしょ?」


 …………。


 異常な事態の連続で言葉も出てこない。

 少女は軽くため息をついてみせる。

「……ま、私のキャラでもなかったわね。それよりご主人様、せっかく来てくれたんだしお茶でも淹れて差し上げるわ。ちょっと座って待っていてもらえるかしら」

 

 返事も聞かずにさっと行ってしまった。

 

 …………。

 

 少女がお盆にふたり分の茶を乗せて戻ってくる。

 

 ……テーブルの上には先ほど少女の使っていたカップが置かれたままだ。

 

 しかしそんなことは気にも留めず、ただただうれしそうに言う。

「お待たせ、ご主人様。さ、楽しいお茶会といきましょ!」

 

 ……まったく。かわいいやつめ。

 

 ついそんな益体もないことを思ってしまう。

 俺は黙って茶を飲む――

「……うまい」

「ふふ、そうでしょそうでしょ? 私だって、あの子たちといっぱい練習したんだもの」

 少女は椅子に掛けたまま小躍りする。

 それから、自分がどんな風に気を遣ってお茶を淹れたのか、どれだけがんばってうまい茶を淹れられるようになったのかを嬉々として教えてくれた。

 なんだか技術そのものよりも、むしろいっしょに練習した「あの子たち」のことを自慢したくて仕方がないといった様子で。

「……そうか、いい友だちだったんだな」

 少女はこっくんこっくんと忙しなく頷く。

「ええ、そうなのよそうなのよ。ああ、もっと話したくなったわ。せっかくだしあの子たちとの物語をイチから聴いてもらえるかしら?」

 

 そうして返事も待たずに、つらつらと語り始めた。


 


    ✡   



 でもそうね。

 そのまえに、ほんのすこしだけあの子たちと出会う前のお話からしておきましょうか――。


 え、どうしてって?

 そんなの決まってるじゃない。

 そのほうがなんとなくそれっぽくなるじゃないの!


 ……そうね、冗談よ。

 ほんとうはそのほうが、ちゃんとあの子たちへの暖かい感情みたいなのを伝えられるかと思って。


 ええ。そういうことよ。

 それじゃあ、始めるわね――。

 



 私はこの広すぎる屋敷で、ずっとひとりだったの。

 

 すくなくとも、その頃の私はそう思っていたわ。

 

 ある日見つけた大きな図書室だけが、そこにあるたくさんのご本だけが、唯一の心の支えだったの。

 その頃はまだ虫食いだらけでろくに内容もつかめなかったけれど、それでも読むととても暖かい気持ちになれたのよ。

 

 だからひとりでも大丈夫だと思っていたわ。

 それでも、やっぱりお友だちが欲しかったのでしょうね。

 

 あの子が迷い込んできたときは、思わず飛び上がってしまいそうなくらいうれしかったわ。

 ……というか、むしろほんとうに飛び上がっちゃったのだったわね。

 そのせいでテーブルをひっくり返しちゃって、あの子にお茶をかけてしまったのよ。

 ……もう冷めていたからまだ良かったのだけれど。

 でもね、あの子はそんなこと気にも留めないで言ってくれたわ。

「ねえおねえちゃん! わたしのおともだちになって!」

 って。


 それから私たちはいっしょに暮らすようになったわ。

 私は毎日魔法を教えてあげて、

 あの子は目いっぱいそれを楽しんで。

 

 まだちっちゃかったあの子は私にずいぶん甘えてきたのよ。

 毎晩おなじベッドで眠って「さみしくならない魔法」をいっぱい掛けてあげたわ。

 

 ……て言っても、ただ抱きすくめて頭をなでなでするだけなんだけどね。

 でもあの子は、それを私の「いちばんの魔法」だと信じきっていたわ。

 ……うふふ。無邪気に甘えてきちゃって、ほんとにかわいかったんだから。


 私たちはそうやって、とても永い間ふたりきりで暮らしていたの。

 

 そのあともうひとりの女の子がやってきたわ。

 その子は迷い込んだんじゃなくて、あの子を連れ戻しにやってきたの。

 ここへ来てあの子を見つけるなりすぐ説得を始めたのだけれど、

 ほとんど会話は成立していなかったわね。

 

 だって互いにこちらとあちらのルールで好き勝手にしゃべるんだもの。

 かみ合うはずがなかったわ。

 あの子はあちらのことをほとんど忘れていたし、自分のほんとうの名前さえ忘れていたの。

 その子はあの子を連れ戻そうと精いっぱいだったし、こちらのことにまだぜんぜん馴染んでいなかったのよ。

 

 それでひとまず私がなだめて、三人でお茶を飲んでいたのだけれど……うふふ、今思えばとってもおかしかったわね。

 私が魔法を使ったら、その子、泡吹いて倒れちゃったのよ。

 

 それですぐ魔法で目覚めさせてあげたらすごい勢いで起き上がってこんなことを言うの。

「おい! こんな怪しいとこ、とっとと出てくぞ! 目を覚ませ!」

 でもあの子は取り合わないわ。

「またそれ? ていうか寝てたのはそっちじゃん!」

 そう言ってプイッてそっぽを向くのよ。

 相手にしてもらえないその子はこっちに矛先を向けてきたわ。

「おまえ、いったいなにをたくらんでる? こいつを返しやがれ!」

 なんてことをえっらそうにのたまうの。とてつもなく無礼な輩よね。

 だから私は立場の違い格の違いというものを存分に思い知らせてあげたわ。

 あのね、

「意志とは無関係に足がうしろに進んじゃう魔法」を掛けてあげたのよ。

 その子はいろいろといかにも三下が言いそうな悲鳴を上げながら、ぬるぬるとヘンタイみたいな動きで遠ざかって言ったわ。

 うっふふ……そのザマったらほんとうにおかしくってね。

 

 あの子もそれを見て笑って、

 その子は「おい! 今笑っただろ!」ってぷりぷり怒って、

 あの子は「だって、おっかしいんだもん」ってますます楽しそうに笑って――。

 

 思えばその日もほんとうに楽しかったのよね。

 あの子だけは、きっとはじめからそのことに気づいていたのよね。



 けっきょく、それから私たちは三人で暮らすことになったわ。

 でもね、はじめその生活はぎこちないものだったの。

 その子はしばらくの間、ひとり離れた部屋に寝泊りして、私たちはひとつ屋根の下で離れ離れに暮らしていたわ。

 きっとお互いに認め難かったのでしょうね。

 だって私たちったら、あの子を大切に思うベクトルがまるで違っていたんだもの。

 私はあの子とずっといっしょにいることばかり考えていて、

 その子はきっと、あの子を連れ帰ることばかり考えていたわ。

 そんなだから、私たちはなかなか打ち解けられなかったのよ。

 ……それであの子はとてもさみしそうにしていたわね。

 でも私たちはどちらも身勝手で。自分から事態を変えようとはしなかったの。

 


 その子は日に一度は必ず様子を見にやってきて、

 その度に私たちはケンカみたいなことを繰り返していたわ。

 

 だって私が魔法を使う度に目をひん剥いて騒ぎ立てるのよ。

 やれ、超魔術であたしの友だちをたぶらかすのは止せだの、やれ、絶対にタネを見つけてやるだのって。

 それでありもしない糸をうろうろ探しまわったり、

 そこらじゅうをむやみやたらと触りまわしたり、

 ひどいときなんて私の下着をひん剥こうとまでしてくるのよ。

 どうせ放っておいても間抜けな徒労で終わるだけなのだけれど、

 いつもあんまり鬱陶しいんだもの。

 だから毎回その子へ魔法を掛けてやったわ。野蛮で無礼な輩にお似合いの、ありとあらゆるいじわ~るな魔法をね。

 それでその子はいつだって無様な悲鳴を上げることになるのよ。

 ふふ……ほんとうに愉快だったんだから。

 

 そんなときあの子はいつだって楽しそうに笑っていたの。

 そんなあの子を見ているうちに、私たちも次第に毒気を抜かれていったわ。

 気づけば私たちの争いはどこか予定調和めいた、じゃれ合いみたいなものになっていったの。


 そして私たちはどちらからともなく、ふたりきりで話し合う機会を設けたのよ。

 

 ――ふふ……その日のあの子ったらとっても幸せそうな顔で眠っていたわ。きっと私たちがいずれそうなることをもう信じきっていたのでしょうね。

 

 私たちはそんな他愛もない憶測も交えながら、互いの齟齬を埋めるともなく語り合ったわ。

 

 私はあの子がこちらにきてからのことを話して。

 その子はあの子が向こうにいた頃のことを話して。

 

 最終的に私たちは無期限の休戦協定を結んだわ。

 ただ、あの子の笑顔を大切にしたいがために。

 もちろん、話し合う前からとっくにその答えは出ていたのだけれどね。

 素直になれない私たちには、どうしてもそういう「なんだか格好のつくカタのつけ方」みたいなのが必要だったのよ。


 ……ふふ、私たちったら、思えばどこか似たもの同士だったのよね。 


 それから私たちは三人で暮らすようになったわ。

 離れ離れじゃなくて、おなじ部屋で寝起きして、いつもいっしょに行動を共にするようになったの。

 でもそれを告げたときのあの子のしたり顔ったらなかったわ。

 もう小憎たらしいのなんの、かわいらしいのなんのって。

 やっぱりあの子には、私たちの一向に気づこうとしなかったほんとうの気持ちが丸見えだったのでしょうね。

 私たちはね、とっくの前からもうお互いを好きになっていたのよ。

 あの何度も繰り返したバカみたいな茶番劇をとおして、あの子の笑顔が私たちを結んでくれていたのよね。


 ふふ……せっかくだものね。それからの楽しい思い出のうち、せめてひとつくらいは詳しく話させてもらうわ。



 ――これは三人で過ごすようになってからわりとすぐのことよ。



 私たちはお昼のクッキーをこのテーブルでつまんでいたわ。

 その子が急に今さらなことを言い出したの。

「なあ、つーかなんであたしたちいつも菓子ばっか食ってんだ?」

 私はこう答えるしかないわ。

「愚かね。ここではそういうものなのよ」

 でも野蛮人は納得しないわ。

「ま~たよくわかんねえことを」

 なんて言いながらゴリラが用を足すときみたいな顔をするのよ。

 そのうえ突然奇声とともに立ち上がって、なんだか暑苦しいことをのたまうの。

「あ~っ! 気にしだしたら我慢できなくなってきた。な、おまえらもたまにはちゃんとしたモン食いたいだろ? みんなでパパッと作っちまおうぜ」

 ま、当然総すかんね。

「え~、どうしよっかなあ」 

「いやよ、私は」

 それでも下劣な輩は食い下がったわ。

 えっらそうにこんなことをほざくのよ。

「は~ん、さてはおまえ料理できないんだろ?」

 正直、素でむかっと来たのよね……。

 私たちは矢継ぎ早に言葉を応酬したわ。

「お料理ぐらいできるわ。面倒なだけよ」

「怪しいねえ。口じゃあなんとでも言えるもんな~」

「なによ、あなたこそお料理ができるのかしら? とてもそうは見えないけれど」

「あ~、できるとも! なんなら勝負すっか?」

「あいかわらず野蛮な発想ね。また『十秒に一度先祖返りしちゃう魔法』でも掛けてあげようかしら?」

「うっ……お~お~逃げんのか? そんならあたしの勝ちだよな。なっ?」

 どう思うかしら?

 アイツは卑怯にもあの子へ助けを求めやがったのよ。

 あの子も戸惑いながら頷いたわ……。

 私の怒りはもうド頂点よ。

 だからヤツにびしりと言ってやったの。

 勇ましく立ち上がって、ぱしんっとお上品にテーブルを叩いて見せながらね。

「ちょっとお待ちなさい! あなた、図に乗り過ぎよ。私の本気を見せてあげるわ」

 そしたらアイツはしたり顔でこう言ったわ。

「乗ったな! じゃ、おまえ、審査役頼むわ! おっと、一応言っとくけど魔法はナシな」

 要するに、他ならぬあの子にどちらの料理が上なのかを決めてもらおうって話ね。

 無期限の休戦中とはいえそれはそれよ。私は引くわけには行かなかったの。

 こうずびしっと言ってやったわ。

「もちろんよ。あなた程度、魔法を使うまでもないわ」

 

 ……ええ、当然よ? ぜんぶアイツの見え透いた挑発だってことくらいわかっていたのよ?

 ほんとうは仕方がないから乗ってあげただけなんだから!


 ……ともかく、私たちはもうずっと使っていなかった食堂に場所を移して、お料理対決を行ったの。

 ルールはこうよ――互いに思い思いのものを作って、審査員に食べてもらう。それで評価の高いほうが勝ちってわけ。単純でしょ?

 

 ふふ……もちろん結果は私の圧勝だったわ?

 あの子ね、私のお皿を見るなり目をきらきらさせて、こんなことを言うのよ。

「わあ、きれいなオムライスだ~♪」

 って。ほんとうにうれしそうにね。

 うっふふ……私もとても誇らしかったわ。

 ……ぷぷっ……片やアイツのお皿といえば見るも無残な有様だったのよね。

 それはもう、思う存分勝ち誇ってやったわよ。

「ふふ、どんなものかしら? あらあらあら? あなたのはずいぶんと不恰好ね? 野菜炒めだなんて発想も貧相だし、第一盛り付けが雑なのよ。0点ね、0点」

 なんて風にね。

 ふふ……そのときのアイツの悔しそうな顔ったらなかったわ。

 

 ……でもいざ実食に入ってみるとちょっと意外なことがあったのよね。

 あの子ったら、あの残飯みたいなのを食べてこんなことを言うのよ。

「うん! 見た目はこんなだけどちゃんとおいしいよ!」

 って。

 アイツは野蛮なにぎり拳を作りながらこう吼えたけったわ。

「っしゃ! どうだ、これがあたしの実力だぜ!」

 ま、それでも私の優位は揺るがないわ。

 だから余裕しゃくしゃくで言ってあげたのよ。

「あら、よかったじゃない。恥はかかずに済んだようね」

 ってね。

 そしたらアイツ、自分の立場もわきまえずにえっらそうにこんなことを言うのよ。

「へっ、大した自信じゃねえか」

 ほんと、いい根性をしてるわよね。

 でもさっきも言ったように、当然勝つのは私よ?

 私はあいかわらず余裕しゃくしゃくで言い返してあげたわ。

「うふふ、私にはまだ秘密兵器が残っているのよ」

 ふふ……アイツったらまた悔しそうな顔をしていたわ。

 そして私はあの子に言ってあげたの。

「さ、今からこのケチャップであなたの好きなものを描いてあげるわ。なにがいいかしら?」

 ってね。

 ……そしたら、あの子ったらひどく健気なことを言うのよ。

「じゃあ、わたしたち三人の似顔絵を描いて~♪」

 って。

 ようやく三人で歩き始めたばかりの私たちだったのよ。

 私も、アイツも、なんとも言えない気持ちになったわ。

 ……うふふ、そうね。端的に言うとふたりしてうるっと来ちゃってたのよ。

 それでね、いっしょにわざとらしく目にゴミが入ったフリなんかしちゃって……。

 なんとなくもう勝負なんかどうでもよくなっちゃったわ。


 ま、わりとありきたりかもしれないけれど、これはそういうお話よ。


 え? けっきょくどうなったかですって?


 もちろん私の圧勝に決まってるじゃない。

 

 ……だって、あれはイレギュラーに過ぎないんだもの。


 

 え? もうっ、仕方ないわね。

 せっかくだから最後まで話してあげるわよ。

 

 あの子は私がデコレーションしたオムライスをうれしそうに食べ始めたわ。

 するとすぐにこんなことを言い出したの。

「あの、これなんか……すっごくヘンな味がするよ」

 ……そしておもむろに倒れてしまったの。

 わ、悪い冗談だと思ったのよ。だから私もまるで警戒せずに食べて見たわ。

 ……ええ。そうよ。もう白状するわ。

 ……私もあまりのひどさに卒倒しちゃったのよ。

 

 で、でも私は悪くないのよ?

 誰がやったのか知らないけれど、ケチャップの容器に血のりなんか入ってるのが悪かったんだから!



 

 ……ともかく、そんなことがあったの。


 

 思えばそれがきっかけだったのでしょうね。

 私たちはどんどんいろんなことをやってみるようになったわ。

 魔法の力をあまり使わずに、とにかく三人でいろいろなことへ挑戦していったの。

 お料理もそうだけど、それだけじゃなくて、キャンプに、日曜大工に、お屋敷のお掃除に、家庭菜園に、きのこ狩りに、バーベキューに……ほんとうに、三人でいろんなことをしたんだから。


 ええ、そうね。はじめはなにをやっても散々だったわよ。

 アイツはいつも言い出しっぺになるくせにわりと不器用だったし、

 あの子もまだまだちいさくて、それにあまり物覚えのいいほうでもなかったようだしね。

 そのうえ、いつもなにかひどいイレギュラーが起こって、最後はしっちゃかめっちゃかになっちゃうのよ。

 ……ねえほんと、どうしてかしらね?



 ……でもそれはそれで楽しかったのよ。

 

 みんな笑っていたの。

 あの子もいつだっていっとう楽しそうに笑っていたわ。

 こんな風にずっと過ごせたらって……いつしかアイツでさえそう思っていたのよ。


 でもね、私たちだっていつまでもずっとポンコツだったわけじゃないわよ。

 あの子もすこしずつ大きくなって、ちょっとずついろんなことを身に着けていって、

 それぞれ得手不得手はあっても、三人で補い合えば大体のことは上手くやれるようになっていったの。

 お茶とお菓子ばかりだったテーブルにはすこしずつ多彩なお料理が並ぶようになって、

 私もあの子も、魔法を使わずなにかを成し遂げる楽しみや喜びをひとつずつ噛み締めていったわ。


 そうやって三人で日々成長していくこともまたうれしくて、

 それにそんなあの子の姿を見られるのがなによりもうれしくって、

 私たちはあいかわらずこんな日々がずっと続きますようにって思っていたの。



 でもね、けっきょくそうは行かなかったのよね。

 終わらない日常なんてなかったのよ。

 あの子は次第に体調を崩していったわ。



 そうして、あの子はもうめったに床を出られないくらいになっていたの。

 そんなある日、私はふたりが言い争うのを聞いてしまったわ。


 ――そうね。やっぱりこのことも説明しておいたほうがよかったかしらね。


 あの子と私は、はじめお互いに名まえをつけあっていたの。

 私のは……仮に「M子」としておくわ。

 あの子のは……そうね、「T」としておこうかしら。

 あの子は私が魔女だからって「魔女の女の子」という意味の名まえを、

 私はあの子がさみしくならないように「友だち」を意味する名まえをつけたのよ。

 

 でもね、先に言ったようにあの子には向こうでの名前もちゃんとあったわ。

 そうね、仮に「C」としておくわね。

 千里せんりという言葉を意味する名前よ。

 ついでにアイツの名前だけれど、仮に「H」としておこうかしらね。

 すごく遠いって、そんな感じの名前よ。


 それでアイツあの子のことをずっと本名でCと呼び続けていたわ。

 アイツなりの譲れない一線だったのでしょうね。

 それが優しいことかどうかなんてわからないわ。

 でも、すくなくともアイツはアイツなりにいつだってあの子に優しくしようとしていたのよ――。


 ま、前置きはこのくらいにしておくわ。こんなことあまり長々と語っても仕方がないものね。

 

 私が聞いてしまったふたりの会話を再現するわね。


「なあ、もうここを出よう」

 突然、アイツのやけに真剣な声が聞こえてきたの。

 あの子はひどくかなしそうに囁いたわ。

「……なんで?」

 でもアイツは心を鬼にして言ったわ。

「なんでって、やっぱりいつまでもこんなところで暮らすわけに行かなかったんだよ。そのわけのわからねえのも、きっとここを出りゃすぐに良くなるって」

 あの子は今にも泣き出しそうな声で言ったの。

「なんで? なんでそんなこと言うの? なんでこのお屋敷が悪いみたいに言うの? せっかくM子ちゃんとも仲良くなったのに、なんでまた昔みたいなこと言うの?」

 それから、言い争いは平行線のまま終わってしまうわ。

「べつにあいつのせいっつってるわけじゃね~だろ。ただC、おまえはもうここにはいられないんだよ。そのお腹も、たぶんそういうことなんじゃねえか?」

「……ちがうもん! ちがうもん! Hちゃんの言ってること、ぜんぜんぜんぜんわかんないよ! Cって誰!? お腹がこんなになったのだって、Hちゃんが来てからだもん! M子ちゃんはなんにも悪くないもん!」

「だ~から、べつにあいつがどうこうって話じゃねえだろ。おまえの話なんだよ、これは」

「だったらもう放っといて! なんにも知らないくせに保護者面しないで!」

「……いいよ。無理すんな」

 あの子は立ち上がって出て行こうとしたのでしょうね。

 アイツはせめてそれをやめさせようと先に部屋を出てきたわ。


 それから私はアイツの肩を叩いて、「あとは任せて」って、目で伝えて、

 アイツは「……さんきゅ」って、首の動きだけで答えたの。

 なぜだかそれが妙に印象に残っているわね。


 私は部屋に入って、あえて素知らぬ顔で読み物を始めたわ。

 私たち三人の思い出を記録したアルバムをぱらぱらと眺めていたのよ。

 しばらくしてあの子も言ってきたわ。

「……ねえ、M子ちゃん。アルバム取ってくれる?」

 私は何冊かを取ってあの子に渡してあげたわ。

 あの子はたんと見入ってから、ひどくさみしそうな声を上げたの。

 私もただそれにそっと答えたわ。

 そうしてゆっくり言葉を紡ぎ合いながら、私たちはとても大切なお話をしたのよ――



「……いろんなこと、あったね」


「ええ、いろんなことがあったわ」 


「……いろんなこと、したね」


「そうね、いろんなことをしたわね」


「……楽しかったね」


「ええ、楽しかったわ」


「あのね、わたし、ひどく幸福だったの」


「ひどく?」


「うん、失うのが怖くてたまらないくらいに。そんなのって、ひどいよ」


「そうね。ひどいことね」


「……わたしね、ほんとうはわかってたんだ。

 Hちゃんの言ってること。それに、わたしのことも。

 それなのに、さっきはあんな風にごまかして……Hちゃんを傷つけて……

 でもね、いったいどうしたらいいの? わからないよ。

 せかいはざんこくだよ。戻りたくないよ。

 でも袋小路だよ。行き詰ってるよ。お腹に石が詰まってくよ。

 でも戻れないもん。上手に歩けないもん。目が覚めたら落っこっちゃうよ。

 選べないよ。選びたくないよ。こっちのわたしとあっちのわたしが混じってわけがわかんなくなるよ。こんなになって今さらどうしたらいいの? わかんない、わかんないよ。

 だからね……やっぱりわたしはここにいるの」


「……バカね。選ぶんだったらもっとちゃんと選ばないとダメじゃない」


「だって、M子ちゃんをまたひとりぼっちになんて、したくないもん」


「いいのよ、私のことは。だってもう慣れているのよ……」

 

 ――そのとき、私はとても大切なことを思い出したの。


 気がつけば、私はひどく暖かい気持ちであの子の頭を撫でていたわ。

 そうしてもう一度そっとあの子に言い聞かせたの。


「あのね、私のことなんて、もう気にしちゃいけないのよ。私はあの頃からずっと幸福だったのよ」って。


 あの子はただ怪訝そうな顔をしていたわね。

 でも、すくなくとも私のことを心配しなくていいということだけはちゃんと伝わったみたいだったわ。

 そして私はあの子の両肩をぽんと叩いてこう言ったの。

「それより、眠るまえにHと仲直りしましょ。すぐ連れてくるから、ちょっとだけ待っておいてね」



 それから先にアイツがごめんなさいをしたわ。

 そしてあの子も真剣に謝ったの。

「Hちゃんの言ったこともほんとうはわかってるんだよ」って。

「でも、今はまだどうすればいいかわかんないの」って。

 

 アイツはなんでもないことみたいに笑って言ったわ。

「ま、今はそれでいいんじゃねえか」って。

 それですこしだけ、あの子の心も軽くなったみたいだったわね。


 そうしてやわらかな静寂しじまに包まれながら、私たちは眠りについたの。

 どうしてか三人でやけにたっぷりと眠ったのよね。

 お昼過ぎになって、みんなようやく目を覚ましたわ。

 

 その日はあの子も調子が良さそうだったの。

 それで私はある思いつきを口にしたのよ。

「ね、みんなでハイキングに行きましょ」って。

 

 私たちは魔法のじゅうたんに乗ってひとっ飛び、最果ての丘まで出かけたわ。

 丘の向こうには、ただ白いがらんどうだけが広がっているの。

 果ての先にはなんにもなくって。

 私たちは飽きもせずただその光景を眺めていたのよ。

 

 やがて、夕焼けがどこかから滲んで湧いたわ。


 そのときのことを、あの子はあとでこう言っていたわね。


「それは涙がじんわりと染みていくみたいに広がって、

 あかくて、あかくて、ほんとうに泣いているみたいでね。

 

 その涙が、あんまり暖かくて、優しくって。

 だからやっぱりひどいくらいに幸福でね。

 

 あ~、もうおしまいなんだなあって、なんとなくそう思ったよ」



 お屋敷に帰ってからは、みんなでご馳走を囲んだわ。

 なんとなく、そんな雰囲気だったのよ。

 あの子はまるで昔に戻ったみたいに、不思議なくらい元気だったわ。

 た~んと食べて、うんと楽しそうに笑っていたの。

 そうして、やけにすっきりしたような声で言ったのよ。

「うん! わたし、明日ここを出て行くよ!」


 それから私たちはすこし早めに床に就いたわ。

 ……ええ、そうよ。決まってるじゃない。

 けっきょく夜通しおしゃべりを続けていたわ。

 ……だって、やっぱりさみしいじゃないの。

 みんなが黙っちゃうと、私ったらすぐに情けない声を上げずにはいられなかったわ。

「ね、まだ起きているかしら?」って。

 そうして私たちはまたおしゃべりを始めるの。


 ……ふふ、アイツがこんなことを言っていたのよ。

「ちょっとあべこべだけどさ、なんだかアラビアンナイトみたいだな」

 って。らしくもなく小洒落ているわよね。


 

 ほんとうに、いつまでもいつまでも続いていくような、そんな気がしていたの。


 けれどもいつまでも終わらない物語なんて、どこにもありはしないわ。

 

 やがて夜は明け、空は白んでしまうのよ。


 だから、私たちはこの場所までやって来て、お別れをしたの。


 …………。


 ……ええ、そうよ。


 もう二度と会うことはないのよ。


 でも、思い出だけは私が永遠に守り続けるわ。

 あの子たちが忘れてしまっても、私がずっとここで大切にし続けるの。

 魔法もひどいくらいの幸福も、いつまでもここに在り続けるのよ。



    

    ✡



「ありがとう。最後まで聴いてもらえてうれしかったわ」

 

 それはどこか懐かしい心地のする物語だった。

 俺はただ黙って頷く。


「……ほんとうはもっとたくさんお話したかったのだけれど、もうあまり時間が残っていないみたいだわ。この本もちゃんと戻しておいてあげたいし」

 魔女は静かに席を立った。

「いや、こちらこそありがとう。うまい茶をご馳走になった」

 魔女は俺のそばまで来て、なぜか頭へ触れながら言う。

「ね、あなたにはあなたの役割があるようだからあえてなにも言わないわ。でもね、せっかくだからもうひとりのあなたにだけ伝えさせてもらうわ――」


 


     ✡   



 ごきげんよう、ご主人様。


 あのね、もう一度よく考えてほしいの。

 

 私はそもそもどういう想いから生み出されたの?

 なぜ私はここに残されることになったの?

 私が選んだとかそういうことを言ってるんじゃないの。

 もっとメタなレベルで言ってるのよ。

 

 わかっているわ。確かに暴力もあったのかもしれないわね。

 

 でも見失わないで。

 なにも私のことだけじゃないのよ。

 あなたの心はどこから来てどこにあるの?

 ほんとうに自分たちでつけた名まえさえ思い出せないの? 


 ねえ、千々ちぢに散ってしまった思い出の欠片を、もう一度丁寧に拾い集めて。

 配列なんてね、きっと自分にとって都合のいいやり方でいいのよ。

 

 歴史はいつだって、語る主体にとってやさしくなるように語られるんだから。

 なんて無学な私が知ったかぶっちゃうのもアレなんでしょうけどね。



 でもね、すくなくとも「きみとぼく」の物語なんてそれでいいのよ、きっと。



    ✡



 しばらく黙っていた魔女が「ふぅ……」と息をつく。


「お待たせ。もう済んだわよ」

「そうか。なんか、わりとお疲れみたいだな」

「そうね。でもまだ仕事が残っているのよ」

 なぜか俺の頭に触れたままだった。

「なあ、仕事っていったいなん――」



 っ…………。



「さようなら、ご主人様」



    ✡



 気がつけば、またバイクに乗って走っていた。


 …………。


 薄れゆく意識のなかで聞いた声を思い出す。


 あの魔女は、やはりひどくさみしそうだったのだ。


 

 俺はちらと胸の玉を見やる。


 今も青くきんきんと軋みを上げている。



 …………。

 

 

 ……そうして危うい均衡を保ちながら、まだなお旅は続くのだった。




    ● ●



 こ~くんと別れたあと、あたしには何度かあたらしい恋人ができた。

 

 でもそんなときもくろちゃんは、ちょくちょくしろくんと会っていた。

 オトコとかオンナとか、そんなことあの仔たちには関係なかったのだ。


 なにを置いても、くろちゃんにはしろくんが必要だった。

 なにに代えても、しろくんとだんごまるが必要だった。

 そうしてときどき羽を休められる場所が、あたしにはどうしても必要だった。

 

 こ~くんの代わりはいても、しろくんの代わりなんていなかったのだ。

 

 あの仔たちはずっといっしょだった。

 くろちゃんもずっといっしょにいたがっていた。

 だんごまるもいつまでも三人でいることを望んだ。

 しろくんだってそう言ってくれていた。



 だから勝手に終わりを作っておいて美化するようなあのお話が、あたしはどうしても好きになれなかった。

 

 ……ううん、べつに好きになる必要なんてない。

 けっきょくまた裏切られたのだから。


 

 ……でも仕方がないのもわかってる。

 それにそのことはまるでべつの話。


 あのお話が終わりを意図して作ったものじゃないのも、ほんとうはわかってる。


 でも理屈じゃない。


 あたしは理屈じゃなくあのお話が気に入らないのだ。

 

 

 ――ただそれを措いても納得できないのはまじょ子ちゃんだ。



 あの子がその気になれば、ずっと三人で暮らしていけたはずなのに。

 

 まじょ子ちゃんが自分で選んで魔女になったというのなら、友ちゃんだって魔女になれたはずなのだ。

 そうすればもうなにも問題はなくなる。成長痛痛いのだってなくなるはずだ。

 

 そのことを、どうしてあのときふたりに教えてあげなかったんだろう?

 

 それでみんなが幸せになれたかもしれないのに。

 まじょ子ちゃんはもう二度とさみしい思いをせずに済んで、

 友ちゃんだって辛い選択をしないで済んで、

 はるかちゃんだってそれを受け入れてくれたかもしれないのに。



 ……ううん。終わってしまった物語にこんなことを言っても意味がない。



 それにあたしだってほんとうはわかってる。


 

 けっきょくあたしは逃げたのだ。

 

 だからここにいるのだ。

 そうやって大切な誰かを巻き込んでまで、ずっとずっとここにいるのだ。

 

 きっとあたしは、ただただそれを正当化したいだけなのだろう。



 ――死ぬならひとりで死ね。



 いつだったか心中のニュースを見てそんなことをつぶやいた気がする。


 でもあたしが今やっていることはそれとまるでおなじだ。同罪だ。



 …………。



 ほんとうにあたしの業は深い。

 こ~くんのよりもずっとずっと救い難い。



 それでもやはり祈らずにはいられない。



 あの仔たちだけは、どうか、どうかいつまでもずっと幸せに暮らしてほしい――




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