7.Re:0

 いつも誰かの振る舞いを参照していた。 

 いつも間違えることに怯えていた。

 いつも頭のなかには支配者がいた。


 ずっとからっぽだった。


 そんな僕もいろいろな経験を経て、すこしずつ変われた気でいた。

 教養小説の主人公にでもなったつもりで、生まれ直しの日々を過ごしていた。


 そして「ニーナ」と名乗る少女に出会った。 

 

 彼女は自らの生き辛さと世界への憎しみを叫んだ。

 僕もまた、彼女を傷つける世界を憎んだ。

 優しくなりたいと思った。

 でなければ彼女を傷つける世界とおなじになると思った。

 今まで積み重ねてきたぜんぶが、生まれ直しのぜんぶが嘘になると思った。


 僕たちは手を取り合った。


 ひとつになれると思っていた。

 でも無理だった。

 あっという間に破局した。


 けれどそれからがほんとうの始まりだった。

 僕たちはぬいぐるみのだんごまるも混ぜて、ふたりのセカイをつくり直した。

 そこは家庭でも世間でもない安息の場所――僕が秘かに「聖域」と呼んだ場所だった。

 僕はこ~くんではなくなり、彼女もニーナではなくなった。

 新しい名まえと思いつきで詰めた設定、そしてぬいぐるみの優しさに守られながら、僕たちはゆっくりと信頼関係を築いていった。

 

 ――今度は恋人じゃなく、まるで不揃いの仔どもたちのように。





 あれから十年が経とうとしていた。



 …………。


 

 通夜にも告別式にも呼ばれなかった。

 すべては親類の間だけで執り行われたようだ。


 彼女の言葉を思い出す。

 

 ――お葬式にもしたくさん人が来てくれたら、お父さんもあたしのこと認めてくれるのかなあ……。


 けっきょく、そんないじましくもささやかな願いさえ叶うことはなかったのだ。


 涙は出ない。

 空はこんなにも泣いているのに、僕の目からは一滴の涙も零れない。


 当然だ。

 もうずいぶんと前に、彼女への好意的な気持ちは失っていた。

 初めはあんなに切実だったのに。

 僕にはただ想うというだけのことさえ、持続することができなかったのだ。

 けっきょく大切なものなんて、なにひとつなくて。

 僕はずっとからっぽのまま、なにも変わっちゃいなかった。


 …………。


 あの頃、優しくなれなかった僕はもう生きていてはいけないと思った。


 でも死ぬことはなかった。

 彼女を置き去りにしたままのうのうと生き続けた。

 そんな自分を嫌悪する気持ちさえやがては風化していった。


 そのあとに残るのはただ抜け殻のような毎日だった。

 

 もはやしたいこととてなく、今さら誰かを愛せるはずもなく、

 それまで棚に上げ続けてきたあらゆる問題が一気に圧し掛かった。

 でも死ぬほどの痛みも苦しみもないから、いつだって生きることを選んだ。

 だからただ決めたとおり機械のように生き続けた。ほんとうにただそれだけの毎日。


 心はどこまでも、からっぽだった。


 ――その空虚は思春期を貫いたそれよりもずっと深く、重いものに思えた。


 …………。


 なんでもいい。僕は自分の帰属するなにかが欲しくなった。

 せめて自分は不幸だったのだと認めてしまいたくなった。そのための名まえが欲しかった。

 たとえ無能でも優しくなくても、ただ生きて働いてるだけでも偉いのだと、自分に言い聞かせられるなにかが欲しかった。

 でもどんなフィクションのなかにも、いかなる現実のなかにも、自分とおなじ姿は見つけられない気がした。

 かつてあれほど共鳴したはずの物語にも、精神科医の使う言葉にも、ネットの混沌や音楽のなかにも、自分をやさしく守ってくれる隠れ蓑は存在しないように思えた。


 ――そうして、すべてから逃げ出した果てに実家に引きこもった。


 どうやら、僕は怪物でも傷ついたままの子どもでも人格破綻者でさえもない、単なる身勝手な負け犬に過ぎなかったようだ。


 

 それが十年後のシンジツ。

 

 0のひとつの結末きっとありふれたゲームオーバー


 気づけばもう、アラサーと呼ばれる年齢になっていた。



 …………。


 ザーザーと雨が降る。

 涙は出ない。

 彼女の死がこれっぽっちもかなしくない。

 だのに自分のみじめさばかりがかなしくて泣きたくなる。

 

 でも最低過ぎるから泣けない。


 ザーザーと雨が降る。

 部屋の中はすっぱい匂いだ。

 外から聞こえる中学生の声が人生への悔いを掻き立てる。

 僕はまた逃げるように、異世界チート小説を読み始める。


 やり直したい。


 そう切に願っているのだ。

 そんなことなどできるはずもないのに――。

 

 

 そのときコトンと、天井からなにかが落ちた。


 いったいどこから入り込んだのか。


 透明でからっぽの玉。


 ――根拠はない。それでも……


 いつもなかなか泣けなかった彼女の、最期の涙なのだと思った。


 僕はそれを拾い、形だけでも追悼することにした。


 そうして、意識はすぐに、どこか遠いところへ吸い込まれていった。




    †



 すさまじい勢いで再生された永い自己神話ナラティブの果てに、僕は世界が再構築されるのを感じていた。

 

 やり直せる。

 

 そう確信していた。

 

 また薄れゆく意識のなか、魂から誓った。


 ――もしまだ少女がひとりで泣いているのなら。

 

 今度こそ、ずっとそばにいてやるのだと。


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