5.かいぶつのジレンマ

「や、やめるんやぁぁ! わ、わては団子でも大福でも雪見大福でもないんやでぇぇぇっ!!」

「え~っ? でも×××××っていうくらいだしおだんごじゃないの?」

「な、なに言うんやぁ!? それはあやつが勝手につけたなまえじゃろぅ!?」

「ふ~ん? じゃあやっぱりゆきみだいふくだね! あたしもそのほうがうれしいし!」

「な、なんでやぁぁぁ!?」 



 今日も珍妙なぬいぐるみとあどけない少女が空騒いでいる。

 どこまでもばかばかしくて、ただただかなしいばかりの光景――。

 

 

 でもそれは、ほんとうはもっと楽しくて優しい情景のはずだった。


 

 いったいいつからだろう。


 こんなぜんぶが嘘にしか、くだらないままごとにしか思えなくなったのは――。




 「……どうしたの!?」

 少女が駆け寄ってくる。

 今にも泣き出しそうな顔をしている。 


 …………。


 少女は必死に声を掛けてきてくれる。

「……ねえ、どこかいたいの?」

「ごめんね、きっとあたしのせいだよね……?」

「ごめんね……ごめんね……?」


 ああ、なにをしているんだろうか、ぼくは――。


「……ごめんっ、ちょっと、おかしくて……っ!」

 嗚咽の切れ間になんとか搾り出せた言葉はまるで優しくないものだった。 


 ぼくはふらふらとベッドに移動して、そっぽを向いて寝そべってしまう。


 ……少女は取り残される。


 どうして、こんな風にいじめてしまうのだろう。取り返しもなく、傷つけてしまうのだろう――。

 

 ぼくはまだ幸せだった頃のことを思い出す。

 確かにそこに、ちゃんと幸福があった頃のことを。

 


 ………………。


 はじめはただ、楽しかった。


 こんな生活は間違ってるとか、いつまでも子どものままじゃいけないとか、そんなことくらいはわかってたけど、それでもはじめはただ楽しかった。

 

 あの夢みたいな夢だって、はじめはただ憧れていたんだ。

 

 ほんとうにそんな日々が送れたらいいのになあって、ぼくたちはいっしょになってただ純粋に夢を見てたはずなんだ。

 

 でもそれがかなしいやさしさに汚されてしまったのは、いったいいつからだったんだろう。

 空しい気遣いに損なわれてしまったのは、いったいいつからだったんだろう。

 

 今だって、こんな風に少女をいじめて傷つけて。

 それでまた気を遣わせて、どうせまた謝って突っぱねて傷つけるんだ。


 ……あるいはぼくのこんな矮小な決めつけや、いじわるな勘繰りこそが、すべてを汚してしまったのかもしれない。

 そうやって真っ白だったものをきれいだったものを、ぼくが勝手に壊してしまっただけなのかもしれない。


 …………。


 ぼくは激しく後悔する。

 

 そもそもあんな本を読まなければよかった。

 ぼくがあの寒気に黙って耐えることができていたなら――。

 


 そんなことを考えてもなんの意味もないのは明白だった。

 


 あとはひたすら泣き続ける。

 ごめん、ごめん、と頭の中で繰り言みたいに謝りながら。


 

 ――そして次第に意識は薄れてゆき、、、

 

 

 すぐそばで立つ、もそもそと弱々しい物音で目を覚ました。

 

 少女はサイドテーブルに色とりどりのラムネを並べている――。

 

 それは確か、うんと昔、少女が寝る前だとかにかじっていたものだった。

 ぼくたちはもうずっと、その存在さえ忘れていたというのに……。


 ……よほど少女を追い込んでしまったのだと痛感する。

 

「……おはよう。ごめんね」

「あ、××くん……ううん、あたしこそごめんね……」

「……ほんとにごめん」

「……ううん、ほんとにごめんね……」

 

 ぼくたちはいったいなにを謝り合っているというのだろう。

 

 繰り返すほどに、空気は重くなる。心が、痛くなる。

 やがて耐え難いわだかまりが飽和して、ぼくたちを沈黙させる。 


 ほんとうに、終わってしまうのだと確信する。

 さすがの謎生物も、ここまで深刻な状況にはなにひとつ有効な手段を取れないようだった。


 

 

 ……すっと息を深く吸う。



 …………。




 自分でも驚くくらい、それは冷たい覚悟だった。


 ぼくはもうぜんぶを終わらせてしまおうと思った。

 どうせすぐに終わるんだ。だったら――。


 

 それはきっとひどく間違った覚悟だった。



 ぼくは少女にそっと声を掛ける。

「ねえ、今日はぼくの番だったよね」

「あ……うん、そうだね」

「今日は、ぼくのわがままで話を決めさせてもらってもいいかな?」

 先に言質を取るという卑怯な手段を選んだ。

 少女はぼくに気を遣ってこくんと頷く。

 なにからなにまで、冷たい計算のとおりだった。


「じゃあさ、森の屋敷の魔女の話は覚えてる?」

 少女はいっしゅん怯えたように身をすくませてから言う。

「……えっと? そんなおはなしあったかな?」

「……忘れちゃったか。でもまた最初から話すから大丈夫だよ」

「……う、うん」

 少女はまたびくつきながら、それでも頷いてくれる。

 

 ほんとうに、ぼくは今最低のことをしている。


「あのね、これは昔々のことなのかそれとも今のことなのか、あるいは未来のことなのかそれはわからない。そのうえ遠いどこかのことなのか、それともすぐ近くのどこかのことなのかもわからない。これはそんな不思議ないつかどこかの話なんだ」

 少女はなんの横やりや合いの手も入れることなく、ただ黙って聞いている。

 

 ぼくはただ残酷な物語を紡いでいく――。



    †   


 あとね、そこには今も魔女が住んでいるんだ。いつまでもずっとそこにいるんだ。いつからそこにいたのかはわからない。魔女自身にだってわからない。魔女は気がつけばその屋敷にひとりでいたんだ。そう、ひとりきりだよ。でもね、魔女ははじめ寂しいとは思わなかった。はじめはただ、安らかだったんだ。

 

 きっとそれまでによっぽど疲れていたんだろうね。誰にも気を遣わずゆったり羽を伸ばすことのできる毎日に、魔女はただただ安心することができたんだ。

 だって、お菓子もお茶も魔法でいくらだって作れる。他のどんなことだって魔法を使えば好き放題だ。屋敷のなかにひたすら篭もりきって、あとはのんびりしていればそれでいいんだよ。つらいことを我慢したり、嫌なことを無理してまでしたり、誰かにおびえたりする必要もないんだ。ね、すてきだろ? (少女はなにも答えない)

 

 ……でもね、魔女はある日、屋敷の外に出てみることにしたんだ。すっかり疲れの癒えた魔女はまだ見ぬ世界のことが楽しみで仕方ない。周りは暗くうっそうとした森で、間近で見るとやっぱりとても怖い。それでも、魔女は勇気を振り絞って先へ進むんだ。えらいよね(少女の頭を撫でる)(手が触れる瞬間少女はびくっと身をすくませた)


 ……でもその結果はとてもかなしいものだった。

 外にはやっぱりよくないことばっかりが待っていたんだ。

 

 熊さんが がおっと怒鳴る。

 蜂さんが ぶんぶんと威嚇する。

 狐さんは くすくすとあざ笑う。

 うさぎさんが べっとりとねめつける。

 ミミズクさんは しーんとなにも答えない。


 みんなみんなちっとも優しくない。てんで優しくしてくれない。

 魔女はがんばったよ? とてもたくさんがんばったよ? だのに傷ついてしまうばっかりなんだ。

 そうだよ、世界は魔女に残酷だったんだ。

 あ、でも大丈夫。心配はいらないよ。だって魔女には魔法があるからね。なんだって思い通りだ。世界が優しくないならやさしく作り変えればいいんだよ。

 魔女は魔法を使う。全力で使う。そりゃもう力の限りさ。なんてったってそれだけ怖くて辛かったんだからね。痛くて痛くて仕方がなかったんだからね。けっきょく周りのものはみ~んなみ~んな魔女の忠実な召し使いになった。ほら、これでもうなんにも怯えることはないんだ。やさしい世界だろ? (少女はいつしか寝息のようなものを立て始めていた)(歯止めを失くしたぼくは壊れたみたいにしゃべり続ける)(その声ばかりが醜悪なほどに甘ったるい――)

 それからね、魔女はひとり気ままに遊ぶんだ。森の中を探検してみたり、疲れたらハンモックを作って揺られてみたり、飽きたら動物たちを呼んでお茶会や音楽会を開いてみたり。けれどどうしてだろうね? ちっとも楽しくないんだ。いや、はじめはまだ楽しかったのかもしれない。でもすぐに空しくなっちゃうんだ。ほんとどうしてだろうね? あはは……どれだけ遊んでも笑ってもちっとも心が満たされないんだ。むしろ空虚な気持ちはいや増すばかり。とてもかなしいことだよね。

 でも大丈夫。魔女はそのあとたったひとつの楽しみを見つけるんだ。ん? いやいや魔法じゃないよ。魔法じゃ孤独や虚しさは消せないんだ。反ってこじらせることならいくらでもあるだろうけどね。……とにかく、魔女には魔法以外にたったひとつの――ううん、ちょっと違うね。やっぱりこうだ――魔女にはたくさんの大切なものがあったんだよ――。


(そのとき、世界が切り替わり、ぼくはようやく我に返った)



    †


 


 ……暴力だ。こんなのは。もはやそれ以外の何物でもない。

 

 不意に少女の言葉を思い出す。


 ――あたしのことなんにも知らないくせに、二度とわかった風なこと言わないで


 それは遥か昔に聞いたはずの、血を吐くような叫びだった。



 …………。


 

 ほんとうに真っくらな時間だ。

 どろどろと淀んだ、冷たい瘴気がじわじわと身体を蝕む。

 ぼくはそれに耐えてみる。

 頭がすぐぐちゃぐちゃになる。

 なにもかも、気持ちが悪くてたまらない。

 ぜんぶわからなくなる。

 ただ、自分のことばかりがひどく醜い――。


        、     。


 斬りつけてしまう。何度も何度も。


 はじめてのはずなのに、どこか懐かしい感触。すこしだけ心が安らぐ。


 ……でもそんなものはほんの一瞬だ。

 すぐにまたわからなくなって、ぼくは縋りつくように本を取る。

 ――もう、少女の名の刻まれたチャームを見ることもしないで。


 ただ、貪るように読み始めた。

 

 搾りつくすようにページをる。

 優しくなりたいと、ケダモノみたいに嘆きながら。

 あんなことは二度としないよと、ニンゲンみたいに叫びながら。


 ああ、そうだね。


 とても歪んでる。

 ほんとうはずっと前からわかってたよ。

 

 きっとこんなぜんぶこそが、ただの暴力でしかなかった――。

 

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