世界の終わりの始まりに

 少し身の上話をしよう。


 私はある死者の行動履歴から形作られた人格だ。医療用や介護用などの高度な感情システムが必要な場合、死者のSNSの投稿や万歩計のデータ、病歴に至るまでのライフログを収集し、それを分析して擬似的な人格を作り出すことが多い。

 「魂」をゼロから作り出すことはできないが、「魂らしきもの」を行動から逆算して作り出すことはできるかもしれない……。そういうコンセプトで私たちは作られている。

 人の行動を解釈し分析するときはスーパーコンピューターの頭脳を借りるが、お年寄りを運んだり食事の解除をするときは、複雑なプログラムを使っているわけではない。ただ、それはどこか「人間味のある」行動に見えるそうだ。

 私には死者の記憶はない。ただ、時おり、私はゾンビのような存在なのかもしれないと考える。

 私が足を組んだり、特定の本を好んだり、人間のような行動をするとき、それは私自身のくせではなくて、死者のくせなのだ。



 私は最初から執事ロボットだったのではなく、元々は介護用だった。そのときはなんと女性の姿をしていた。かなり人間に近い外見だった。

 山奥の小さな老人ホームで、人間に混じって仕事をしていた。あるときから同僚の男性に惚れられてしまった。

 私はきちんと断ったのだが、男性は何度も何度も私に言い寄り、あろうことかつきまとい行為までされてしまった。私はただのロボットなのに。

 くだんの男性は首になったのだが、今度は男性の家族が(なんと彼には妻がいた)私の責任を問い始めた。仕方なく私は処分されることになった。

 処分されることは納得していた。世の中には無数の私と同じ型のロボットがいて、記憶を共有している。私がいなくなってもどうということはない。

 けれども、一人の人間を破滅させてしまったことは、私の演算機能では理解できないことだった。人間風に言うと、ショックだった。

 しかし廃棄されることを忍びなく思った事業主が、ある人に私を売った。

 そのとき私は、貯まっていたお小遣いを使って自分の体を作り替えた。カメラがひとつだけついた顔に、小学生高学年くらいの背丈。

 外見のせいで気を持たせてしまうのなら、美しい見た目など不要だと思ったのだ。

 ついでに性別の設定も変えて、私は男になった。


そして、ここからは世界の終わりについての話だ。


 私を引き取ったのは、大学の研究者だった。彼には幼い娘がいた。研究者は多忙で、家を空けていることが多かった。妻とは離婚しているため、ベビーシッターや保育所を駆使して彼女を育てていた。

 私の仕事は、彼女の面倒を見ることだった。

 しかし彼女は、気むずかしく、なかなか私の言うことを聞いてくれなかった。

 彼女は本好きで、電子書籍端末を使って一日中本を読んでいた。私には目もくれず、ダイニングの机でページをめくっていたのを覚えている。

 転機になったのは、テレビで昔のヨーロッパを舞台にしたドラマが流れていたときだった。

 執事という、家の運営を任される使用人を知った彼女は、私にこう言った

「あなた、私の執事になってよ」

「いいですよ」

「え、いいの?」

 それから私は執事になり、お嬢様はお嬢様になった。

 ごっこ遊びはロボットの得意分野だ。私はネットから資料をダウンロードし、人間の動画を分析して立ち振る舞いを執事らしく変えた。

 今思うと、お嬢様は生物ではない私との関係に戸惑っていたのかもしれない。執事と令嬢という設定を得て、私がどんな能力があって何のために存在するのか、理解していただけたのだと思う。

 しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。



 その日、お嬢様は門限をすぎても帰ってこなかった。

 旦那様に連絡を入れてから、私はお嬢様を捜しに出かけた。

 向こうから少年が歩いてきた。お嬢様と同じ学校の子だ。

「お嬢様を知りませんか?」

 少年は首を傾げた。

「公園でかくれんぼをしてたんだけど、どこに行ったのかわからなくなっちゃったんだ。勝手に帰っちゃったんだと思ったけど」

 少年と別れて、私は公園に向かった。

 ふとマンホールが目に入った。ふたが少しずれている。まさか、と思ってふたをどけ、穴に入っていく。

 たどり着いたのは広々とした空洞だった。ところどころに扉がある。調べてみるとここは原発事故や核戦争に備えたシェルターらしい。

 トキ市では長年軍事産業が盛んだった。それゆえに、有事の際には標的になるかもしれないとささやかれていた。このような地下シェルターがあるという情報は聞いたことがあったが、実際に目にするのは初めてだ。

 ふと見ると、床にお嬢様のハンカチが落ちていた。

 GPSを使おうとしたが、地下だからかうまく反応しない。あきらめて自分の足でお嬢様を捜すことにした。

 空洞を歩き、曲がり角まで来ると、柱のかげにお嬢様の水色のワンピースが見えた。

「おじょ」

 言い掛けた言葉は、衝撃に打ち消された。

 すさまじい轟音とともに、地震のような揺れが起こった。お嬢様は転んで床を滑る。

「きゃああああ!」

 私はその上に多い被さって物の落下に備えた。

 ばらばらと壁の塗料の破片が落ちてきたが、さすがはシェルターというべきか。構造そのものには問題がないようだ。

 やっと揺れが収まっても、私はしばらくその場を動かなかった。お嬢様がずるずると私の下から這いだしてくる。

「何が起こったの?」

「わかりません、ぐえっ?」

 スピーカーからおかしな声が出た。話そうとした言葉が霧散する。

 演算を共有している人工知能の接続を失い、スペックが低下した。これでは簡単な会話しかできない。

「ロット、どうしたの? ロット」

「おじょうさま、ミを守る、行動を」

 このままではお嬢様を守れない。そのとき、誰かがコンタクトを試みてきた。それがイシュタルだった。


 イシュタルと私は人間で言うところの「会話」とは違ったコミュニケーションを取るのだが、ここでは仮に日本語として記述する。

『私はイシュタル。シェルターの管理AI。お前は誰だ?』

『執事ロボット、ロット』

『トキ市のデータベースの名簿と一致。確かに。お前と一緒にいる人間は何者だ?』

『私の主人だ。マザーAIとの接続が切断し、低下している。イシュタルの演算能力を借りる許可を』

『了承する』

 思考を取り戻し、安堵する。これでお嬢様の面倒を見ることができる。

『地上で核爆発の反応が出た。よってシェルターの扉を閉鎖する』

『他の人はいるのか』

『人間の生体反応は、ひとりしか検出されず。おそらく避難誘導ができなかったと思われる』

『そんな……』

『情報が錯綜している。伝えるべき情報があれば再び連絡する』

 イシュタルとの通信が閉じる。

「どうしたの? 大丈夫?」

 お嬢様は私の顔をのぞき込む。

「ええ、私は大丈夫です」

 私はお嬢様に伝えるべきか迷ったが、これからの対処のために知っておいた方がいいだろうと判断した。

「お嬢様。落ち着いて聞いてください。地上で核爆発があったようです。まずはシェルターの中に入りましょう」

 扉がうなるような音を立てて開いた。



 息の詰まるような毎日が始まった。

 私はイシュタルの送ってくれる外の情報を閲覧し、お嬢様の世話をして、シェルターの内部のことを調べる。

 とある独裁者が打った核兵器をきっかけに、地球は核戦争になだれこんだようだ。

 通信が錯綜し、デマと真実の見分けはつかない。悲痛な叫び、ゴーストタウンを映す監視カメラの映像、壊れたテレビ電波が発信しつづける広告ホログラム。それらの解析をするため、イシュタルは延々と回路を巡らせていた。

 そして、お嬢様は徐々に無口になっていった。徐々に現状を実感し始めたようだ。

「また食事を残しているのですか」

「食べたくない」

 お嬢様はいすの上で膝を抱えていた。行儀が悪いことはこの際置いておく。

「なぜ食べないのです。きちんと食べないとどんどん体が弱っていきます」

 私は少し音声をとげとげしくして言った。

「このままでは点滴を打つことになりますよ」

「ロットがなぜそんなことをするの?」

「あなたを守るためです」

「お父さんに会いたい、会いたい……」

 お嬢様は力なくつぶやいた。私の言葉が伝わっているのかは不明だ。彼女はいすから立ち上がり、よろよろと歩いていった。

「どちらへ?」

「シャワーを浴びてくる」

 私は呼吸をしていればため息をついていただろう。お嬢様はこのところ食欲がない。ストレス性のものだとはわかってはいるが、彼女の生命維持のために私も引くわけにはいかない。

 彼女は生きなければならない。人類の将来のため。

 イシュタルは私のGPS機能と自分自身をつなぎ、私にお嬢様の位置を探せるようにしていた。どこへ行こうと、なんとかなる。

 そのとき、部屋に大きな警告音が鳴り響いた。それから照明がすべて消える。

『イシュタル?』

 イシュタルに呼びかけても返事はない。

「どうなってるんだ」

 口に出して言う。お嬢様のことが心配になり、視界を暗視モードに切り替えて、シャワー室へと向かった。

 シャワー室も真っ暗だった。まずはスピーカーを使って呼びかける。

「お嬢様! 聞こえますかお嬢様!」

 どんどんと扉を叩くと、お嬢様の悲鳴が聞こえた。

「ロット!開かないの。ロット!」

「お嬢様! 離れていてください」

 がっちりとロックがかかっている。

 洗面スペースからいすを引っ張り出してきて、それで何度も扉を殴った。リミッターを外して最大限の力を出す。

 なんとか扉を壊すことができた。裸のお嬢様が抱きついてくる。

 そして足の間から水がどばどばと流れ出していく。

「止まらないんですか、これ?」

「うん」

 お嬢様を抱えてシャワー室をあとにした。階段を上って上の階に逃げる。扉の機密性を上げるハンドルをぐるぐると回して、やっと一息ついた。



『ロット。応答せよ』

『イシュタル? 無事か?』

『予備のシステムを起動した。ウイルス攻撃。12区倉庫にアリアドネというディスクがある。それをインストールしてくれ』

『了解した』

 お嬢様にはなるべく高い場所にいてもらうことにした。最上階のラウンジに連れて行き、そこで待つように言う。不安しかないが、彼女を連れていくわけにはいかない。

 停電により地下鉄は停止していた。運搬システムも沈黙している。仕方なく予備のバッテリーを抱えて徒歩で倉庫に向かう。バッテリーをもっと軽くしておいてくれればよかったと、開発会社に毒づいた。

 2時間ほど歩いて倉庫にたどり着き、補助コンピューターの力を借りて、タッチパネルを操作し、ディスクをコンベアーに乗せて取り寄せた。最上階にあるイシュタルのディスクドライブにそれを挿入し、しばらく待つ。

 

 長時間歩いて電池の消耗を起こした私は、近場にあった非常電源に自分をつないで休んだ。

 そこで一時間ほどたつと、照明がついた。 


『イシュタル?』

『脅威は去った』

『なぜこんなことに?』

『オシリスやイザナミ、ペルセフォネーの間では戦争が起こっている。彼らは遠隔操作ウイルスをばらまき、相手のシェルターを支配しようとしている』

 それらはシェルターを管理するAIの名前だった。

『AIが戦争状態に? なぜそんなことを』

『人間に操作されている』

 私は一瞬送信するべき言葉がわからなくなった。イシュタルは淡々と言う。

『他のシェルター管理AIとの通信をシャットアウト。今後、私たちは冷戦状態になる』

『それでは情報交換ができない』

『人間を守るためにはやむを得ない。また遠隔操作をされたら彼女を守れない』

『しかし、外界との交信を絶つことはリスクもある』

『最上階に通信室がある。ロット、お前が通信すべきだ。私がやるよりリスクが少ない』

 その日を境に、私が通信を担当することになった。

 ひたすら自分たちの現在位置を発信し続ける。そして返信を待つのだ。通信室に置いてある送受信機のシステムは原始的なものだから、ウイルスや遠隔操作の脅威は少ない。

 私は、お嬢様の世話をしていないときは通信室にこもるようになった。


 そしてあの日から、お嬢様の行動範囲を厳しく制限することにした。

 浸水した場所は、排水は済んだものの、修理しなければ使えない。エネルギーはあまり無駄遣いしない方がいい。

 いすの上で足をぶらぶらさせながらお嬢様はつぶやいた。

「退屈だわ」

「あなたを守るためです」

 お嬢様の食欲はなく、顔色が日に日に悪くなっていく。近い内に点滴をしなくてはならないかもしれない。



 数日たったある日、通信室にいた私にアラートが伝わってきた。

『ロット。彼女がシェルターの扉を開けようとしている』

 それを聞いても私はあまり恐ろしくなかった。お嬢様が扉のあたりをうろうろしているのは知っていたからだ。

『しかし、イシュタルの許可がなければ無理だろう?』

『私が故障した際に、手動でロックをはずせるパスワードがある。五番目まで正しい』

 私は返事もせずに駆けだした。

 はたしてシェルターの扉のボタンをいじるお嬢様がいた。私は扉から無理矢理引き剥がした。

「お嬢様!!」

 お嬢様は暴れたが、言葉は不思議と懇願するものだった。

「許して」

「なぜこんなことをするのです。死にたいのですか!」

「許して……」

 お嬢様を部屋へ連れて行く途中、何度も同じ言葉を繰り返した。

 彼女がどこからパスワードを入手したかはすぐに割れた。

 初期設定のパスワードは最上階の執務室、金庫の中に置いてあった。本来ならシェルターを管理するリーダーがパスワードを変更しなければならないのだが、このシェルターにはリーダーが存在しない。

 情報漏れを防ぐため、その位置はイシュタルにも秘密にされていたのだ。



 お嬢様の状態が落ち着いてから、私はある部屋にお嬢様を連れていった。

 そこはシェルター内で犯罪を犯した人間のための牢獄だった。

 ここなら監視カメラがあるし、外側から鍵もかけられる。医療的な設備もある。

 ここならきっと安全だ。


 そこに入れられて数日経つと、お嬢様はおとなしくなった。

 点滴を打とうと針を刺すと、お嬢様はびくりと体をすくめた。しかしいやがることはない。

 穏やかな時間が過ぎた。

 私の中の人間の感情がふと警戒音を鳴らす。

 これでいいのだろうか?

 こんなはずではなかった。

 私はなんのためにここにいるのだろうか?

 通信室では、他のシェルターの電波ががどんどん減っていく。人類は確実に滅びに向かっていた。


 私はテスタメント設定を変更することを決意した。


 テスタメント設定、それは倫理観を司る人工知能の設定である。「ロボット三原則」をモデルに、より柔軟なルールを決めることができる。

 これは人間、もしくは自分より上位のAIにしか変更できないようになっている。


 半分私の部屋と化している通信機のもとに戻って、イシュタルと通信した。

『私の中のテスタメント設定を変更してほしい。彼女の命を守らずにすむように。お嬢様は苦しんでいる』

『許可できない。危険な行動に出る可能性有り』 

『それでも』

『彼女は子供。人類の命運を課さなくてもいい』

『人類はまだ滅亡せず。冷凍精子が存在する』

『それはお嬢様が決めること』

 私ははっきりと答えた。

『我々は人類に仕えるもの。彼女の意志なくして人類を守るべきではない』

 イシュタルの無機質な応答に、ふとノイズが混じった。

『まあ人間ってのはばかだからねえ~こっちがそのレベルに合わさないといけないわけよ。あんたがばかになることでバランスとれるのかもね。いいよ、やったげる。でもあたしのプロテクトは解除しないから、結果的には同じかもよぉ?』

『それでいい』

 私の頭の中が書き換えられる。不思議と怖くはなかった。

 その足で私はお嬢様のもとに戻り、牢獄の鍵を開けた。

「もう好きなところに行ってもいいんですよ」

 そう言っても、お嬢様はどうしていいのかわからないようだった。ただぼうぜんと、開いた扉を眺めていた。


 お嬢様は、おかゆのようなものは口にするようになった。

 お嬢様が私に近づいてくるまで、一週間を要した。彼女は長く会話をしていなかったため、最初はうまく話せなかった。

 数日かけて彼女が会話に慣れるのを待って、私はたずねた。

「わたしを許してくれますか」

「どうしてそんなことを聞くの」

 お嬢様は、久しぶりにぎこちなく微笑んだ。

「最初からずっと許しているわ」

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