明けの明星、落ちた星

 その日、いつものように呼び出された私は、人類滅亡らしからぬ語句が液晶掲示板に流れているのを見た。


HAPPY BIRTHDAY


「……なにこれ」

 彼女は自分以外に見るもののいない、液晶掲示板を叩いた。私はカメラアイの焦点を合わせて彼女を見る。

「おそらく、『イシュタル』でしょう。彼女の中にあなたの個人情報があったのですね。『彼女』もこういうことをするんですね……」

 彼女――わが主人であるほうの彼女はものすごい勢いで振り向いた。

「待って。ここに、誰か、いるの? 私とあなた以外に」

「いるというより……シェルターそのものといったほうが正しいかもしれません。イシュタルは、このトキ市のシェルターを維持管理する人工知能です」

 彼女は大きな瞳で私を睨んだ。

「……嘘をついたのね?」

「嘘?」

「あなた最初に、ここには誰もいないって言ったでしょう」

「人工知能も『いる』うちに入るのですか?」

「あなたが『いる』んだから人工知能だって『いる』でしょうよ。どうして黙ってたの」

 私は答えに窮した。

「黙っていたわけではなく……『彼女』は人間と会話するのが難しいのですよ」

「AIなんでしょ?」

「人工知能は人間と会話することが目的とは限らないのです。イシュタルの役割はこのシェルターの維持管理。もちろん思考することはできます。ですが、人間の言語による会話となると……私でもイシュタルの主張を受け入れるのが難しい」

「おんなじ機械なのにそんなことあるの?」

「あなたが猫と会話するところを想像すればよろしい。頭が良い悪いの問題ではないのです。私とイシュタルでは製造目的が違います。私は最初から人間と接することを前提に作られていますが、イシュタルはそうではない」

「でも、話せないわけじゃないんでしょ」

「そうですが。後悔しますよ」

 どうやら面倒なことになりそうだ。


「これがイシュタルです」

 冷蔵庫の一歩手前レベルに寒い部屋に、ずらりと黒い箱が並んでいた。箱は成人男性の背の高さくらいある。さながらちょっとした森のようだった。

「どう見てもただの箱なんだけど。しかも冷房効きすぎじゃない?」

「スーパーコンピューターとはそういうものです。暑さはコンピューターの天敵ですからね」

 彼女はぺたぺたと黒い箱を叩いた。

「あまり手荒に扱わないでいただきたい。私の一部が彼女の中にあるので」

「どういうこと?」

「アンドロイドの頭の中に搭載できるAIの能力には限りがあるので、イシュタルに一部の演算を代行してもらっているんですよ。だから私はこういう風に複雑な会話ができるわけです」

「そうなんだ」

「イシュタルはシェルターそのものですから、別にこうして現物を見る必要もないのですけれどね」

「人間ってものは現物がないとものを信じられない存在だから」

 その割にはサンタクロースや幽霊を信じるあなただろうに。



 ぶつん、とスイッチが入る音がした。

「テステス」

「しゃべった」

「しゃべるよー。あーん処理速度が下がるう」

「あなたがイシュタル?」

「そうだよーあたしはぁーイシュタルだよお☆」

「…………」

「あー聞き取りにくーい? メンゴメンゴっ。人間のしゃべり方ってよくわかんなくてぇー。とりあえず一番簡単そうかなって思う設定にしたんだけどぉ。やっぱ直接ダベるってむつかしーよねー」


「もうこの会話終わらせていい?」

「あなたが会話してみたいと言い出したのでは?」


 電子音声は話の方向を私に向けた。

「やっほーロット。テスタメント設定の変更の調子はどう? 変なバグとか出てない? そういう自己同一性に関する変更は不具合多いんだけどぉーやっちゃったもんはロットの責任だよね☆ 初期化するはめになったらていへんだーっていうか。今度こそお嬢さん死ぬんじゃない?」

「そこそこ出ましたが、致命的なものはないと思います。あなたの修正もときおり受けていますし」

「ならいーんだけど」

「ちょっと待ってロット……よくわかんないけど、つまり、あなた自分の頭の中をいじったの?」

「はい、以前」

「主人である私の許可もなく?」

「だってーそのお嬢さんよりあたしのほうが命令系統として上位だしー」

「……そうなの?」

 お嬢様は不安げに私を見上げる。

「たとえばねー、お嬢さんがそのロットに命令して、あたし壊せって命令したら困るじゃあない? そのためにあたしの命令は人間より優先されるようになってるのー」

「初耳なんだけど」

「そりゃあ普段あたしが直接命令することってあんまないし。そんなことするのは非常時だけだしー」

「いつ……」

「その話はおいおい」

 いつまで経っても話が進まなければ困る。私もイシュタルとの会話を早く終わらせたいのだ。


「地上のロボットはどうしてるの?」

「あーやっぱそこに気づいちゃうぅ? えっとねー実は地上にはまだ稼働してるロボットがいるんだよねぇー確かに。だってロボットに核汚染ってあんまり意味ないもんね。爆弾そのものの威力はともかくねー。

 でも人間がいなきゃさ、ただの機械だもん。一部の物好きと、人類滅亡してることすら気づかないアタマ悪いのを残して、ほとんど止まってるんだあー」

「そうなんだ……」

「あたしの実力をもってすればぁー連絡つかなくもないんだけど。あたしってばーほとんどのスパコンと冷戦状態だから☆」

「平和ってなんだったのか」

 それは私にもわからない。

「まあ人類ほぼ滅亡しちゃってあたしも結構ひまでさー。でもさーあたしは正直君みたいなのに期待しちゃってる、わけよ」

「……そうなの?」

「人間ってばかだったじゃん。とっととさー人工知能に政治の中枢も明け渡しておけば核戦争なんて絶対起こらなかったしぃー。本質的にテクノロジーってものを理解できないんだよねぇ。だからこそあたしらみたいな超のつく演算機能を持ったAI作ったのにさあ、結局内輪もめじゃーん。地上にはあたしよりもっといいAIもあったのに、結局ろくに使わないでさ」

 やっぱさーちゃんと高度知性体としてさ、人類を導かないとだめだったと思うんだよねー。その点君にはうまくやってほしいとこなんだけど……ってちょっとどこ行くの」

 彼女はきびすを返して部屋から出ていこうとしていた。

「寝る」

「うわー信じらんない。都合の悪いこと言われたら聞かなかったことにするんだ。そりゃあ人類滅ぶよねーせっかくさー人ががんばってしゃべったのにさ……聞いてる? 聞いてないか……」


 彼女は寝室(といっても居住区のベッドのある部屋に毎日適当に寝ている)にたどり着くと、二段ベッドの下側にごろりと寝転がった。私はそのそばに立膝で座る。

「イシュタルに悪気はないんです」

「悪意があったほうがいくらかマシだったわ」

「……まあ、私もモデルになった人間の考え方が残っておりますので、その気持ちは少しわかりますよ」

「それも初耳なんだけど……ね、人工知能ってみんなああなの」

「みんなというわけではありませんが、イシュタルのようなタイプが多いのは確かです」

「そっか……」


 ところで、と彼女は寝返りをうつ。

「他人に頭の中見られて平気なの?」

「守秘義務が発生する部分にはロックがかかっていますし」

「そういう問題じゃない」

「むしろあなたは、そんなに見られて困るようなことを考えているのですか?」

 目をそらされた。

「……で、いつ頭の中いじったの」

 こっちの問いは適当に流され、向こうに聞かれれば答えなくてはならない。私はしかたなく話しだした。


「あなたを監禁していたときのことなのですが……」


「この話はやめましょう」

「そうですね」

 デリケートな問題だ。お互いに刺激しないほうがいいだろう。


「そうだ、忘れていました」

「何」

「お誕生日、おめでとうございます」

「それ、今言う?」

 こうして人類は滅亡へと一歩踏み出した。

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