ロボットは信仰できるか

《……上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ》


 返事のない通信が今日も通信室を満たす。

 「退屈は罪」という彼女の要望によって、他の人間を探す文面から、文学作品の中身に変わってしまった。

 確かに同じ文章を繰り返すより刺激的ではあったが、これを聞いてこのシェルターを見つけてくれる人間は存在しないだろう。

 彼女がいつか死ぬことはわかっている。それなのに生殖に興味がない。

 認めたくないことだが、彼女は生存をあきらめてしまっている。


《……じら争で、ゲヘナの刑罰を避け得んや。ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく……》


 私の人工知能内にいつものアラームが鳴り響いた。私はそれをいつものように無視する。

「…………………………」

 おかしい、二回目がない。本当に倒れている可能性に行きあたった私は、すぐさまGPS情報にアクセスして彼女の位置を割り出した。

 場所は礼拝室。

 礼拝室に一番近い東駅までの距離を計算しながら、同時並行で彼女がかかる可能性のある病気をリストアップしておいた。



 礼拝室は一段高くなった説教壇があるだけで、何の宗教的シンボルも掲げられていない。

 その代わり、机型端末からは古代神話から一瞬しか流行らなかった新興宗教まで、ありとあらゆる宗教的書物にアクセスできるようになっている。

「来ないかと思ったわ」

 彼女は倒れていなかった。彼女の顔をズームし顔色や体表面の温度をチェックする。私は病気怪我のリストを一旦脇に追いやり、自分も宗教テキストにアクセスを始めた。

「どこか悪いところ、ありませんか?」

「身体的にはないわ」

 要するに、心理的あるということだろうか。

「暇だったから呼んでみただけ」

 だからと言って引き下がるわけにはいかない。彼女の論理は複雑怪奇で、文字通りに解釈するとひどい目に遭う。


「何か読んでいらっしゃったのですか」

 彼女は机型端末を操作してぱらぱらとページをめくった。

「こういう本って、水の上歩いたり、海を割ったり現実感がないと思うわ」

「宗教的書物にリアリティを求めても詮ないでしょう」

 彼女の目が見開かれる。

「意外だわ。あなたはこういうものとは水と油だと思ってたけど」

「宗教というシステムは合理的であると思います」

「びっくりね」

 私はカメラアイを机型端末に向ける。中世のものと思われる美しい挿絵が物語を彩っていた。もちろんスキャンしたもので本物ではない。


「たとえば、あなたは、意味もなく私をめった打ちにして壊せますか?」

「無理よ、そんなの」

「なぜ?」

「意味もなく、暴力振るえるわけないでしょ。ロボットなら罪は軽いけど、人間の形をしたものを壊すのは気味が悪いわ」

「気味が悪いのは生理的な反応ですから置いておいて、ロボットを壊す罪というものはこの状況では意味がない。なぜそんなものにこだわるのですか?」

「それは……」

「私は、善悪や倫理観というものは自分の中から湧き上がってくるものではないと考えます。それは他人に影響されてつくり上げるものです。宗教とは、その価値観を与えてくれるものです。そう思えば結構便利なものかと。倫理観がなければ、世の中に秩序はありませんから」


「そういう考え方って好きじゃない。やっぱり自分自身の考えによって生きるのが大切だと思うわ」

「けれど、他者に影響を受けない存在はありません」

「他の人の考え方を飲み込んで、自分なりに解釈すればいいんじゃないかしら。他人の言ったことをそのまま吐き出すような人間は嫌い」

「理屈はわかります。あなたは『自分』というものを重視したい。それが人間を動かしていると信じている」

「そうね」

「しかし、私は『造られ』『命令され』『創造者のために生きる』存在ですので、そういう考え方になじむことが難しいのです」

「人生つまらなくない?」

「あなたの相手をするのに忙しいから、自分が幸せかどうかは考えたことがありません」

「ふうん……でも、幸せかどうか考える暇がないのって、幸せかもね」

「そうでしょうか?」

「だから退屈は罪なの。わかる?」


「それに、ロボットに神の救いなんてあると思うの?」

「信じてはいけないのでしょうか? 我々ロボットは創造主を目の前に見ることができる存在ですよ。それらの生きものが誰かに作られ命じられた存在であると信じてもかまわないのではないですか?」

「でも創造主を見たロボットは、あなたで最後ね」

 返答が思いつかず、スピーカーが沈黙する。


「私がいなくても、このシェルターは人を待ち続ける。それってある意味美しいのかもしれないわ」

「美しくなんかない」

 私の声はのっぺりした合成音声にすぎなかったのだが、彼女はそこから何か感じ取ったようだ。

「孤独って美しいと思うの。そこがあなたとの違いね」

 彼女は口を笑みの形にして、礼拝室を出て行った。


 孤独、コドク。

 ……人類は孤独だったのだろうか。神や精霊が当たり前に信じられていた世界でも、ロボットをしもべとして創造したあとも彼らは孤独だったのか。

 私は机型端末に歩み寄ると、電源を切った。机の上に描かれた終末論は一瞬で消え去った。



引用『駆込み訴え』太宰治(著作権消滅済み)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277_33098.html

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