世界最後の少女とロボ執事

かずラ

恋とはどんなものかしら

《こちらトキ市16-31シェルター、応答願います。こちらトキ市16ー31シェルター、通信士はM型アンドロイド2166T、通称は『ロット』……》


 けたたましいベルの音が、耳……もとい、人工知能内の聴覚センサーを刺激した。もちろん電波の信号に勝手に反応しているだけで、実際に音が鳴っているわけではない。こういうとき、一度は無視をすることにしている。


《こちらトキ市16-31……》


 ベル音が奇妙に重なって繰り返し始める。ボタンを連打するあまり、電子音がちゃんと最後まで聞こえなくなっているのだ。私はようやく通信装置をあきらめて、彼女の元に向かった。

 トキ市の16-31シェルターは10万人が収容できる容積を持っているが、彼女の位置を示すGPSは真中央駅付近である。それなのに通信器具の本体は最南端にあるので、わざわざシェルター内の地下鉄を使わなければ戻れない。

 食料プラントや発電所区域を通り過ぎ、中央駅までたどり着くと彼女が待ち構えていた。一つしかないカメラ目に手を伸ばしてくるので、すんでのところで避けた。


「ロット」

 彼女が私の名前を呼ぶ。

「お出迎え、ありがとうございます」

「挨拶はいいわ」

 彼女が片手に持っているのは私のリモコンだ。これの赤いボタンを押すと私が呼ばれるというしくみである。

 彼女は私のアームをとり、中央駅に付属している図書館まで引きずっていった。我々の身長の数倍はある本棚を前にして、指を上に向けた。私は古い背表紙に書かれたタイトルにカメラの焦点を合わせる。

 

「あの本をとってほしいの」

「ここにある本はすべて電子化されておりますから、そちらをご覧になってはいかがでしょう」

「アナログの温かみというものがわからないの?」

 ロボットに精神論を説いても意味がないと思うのだが、ここで反論するのはやめておいた。私は自動はしごを操作して指差された本をとった。

「どうぞ」

 彼女は無言で本を受け取った。お礼すら言わない。その代わり、本のタイトルをなでて尋ねた。

「シェイクスピアって知ってる?」

「16世紀のイギリスの作家です」

「知ってたの?」

「たった今データベースを検索しました。一連の著作もダウンロード済みです」

「つまらないわね……」

 聞いてきたのはそちらだというのに、やはり人間の理屈は矛盾している。


「もう通信室に戻ってよろしいでしょうか」

「戻らなくていいわよ。どうせ誰もいないんだから。生きてる人なんて」


 私は自分の日誌データにアクセスする。それは自分と彼女がいなくなった後にこのシェルターを訪れる人間がいたときのために用意しているものだ。

 3年前、トキ市に核爆弾が打ち込まれた。きっかけははっきりしない。あまりにも突然だった。シェルターで難を逃れたのは、そこで迷子になっていた主人と、それを探しに来た執事たる私だった。

 無線では最初は大量の情報が行き来していたものの、徐々に発信する人間は少なくなり、ここ三ヶ月はどのシェルターも反応しない。


「でもそんなことはどうでもいいの」

 彼女は私の思考(といっても、0.5秒に満たない)をばっさりと切り捨てる。人類の存亡をかけた重大事だというのに。

「恋って、どういうものなのかしら」

「検索を……」

「やめて」


 彼女は胸に手を当て、天にもう一方の手のひらをのべて、述懐した。

「ああロット……どうしてあなたはロットなの」

 突然の展開に、回路の処理速度が遅くなる。主人はすぐに真顔に戻った。

「何か反応してちょうだい。こっちが恥ずかしいじゃないの」

「はっ、『ロミオとジュリエット』との類似性にすぐ気づくことができませんでした。申し訳ありません」

「謝らないで」

 いつも注文が多い主人である。彼女はぐいと私の頭部パーツをつかみ、カメラを覗きこんだ。

「で、どう思う?」

「何がでしょうか」

「恋よ」

「鯉は洗いで食べられるそうですね」

「話をそらさないで。たとえば……」


 彼女は私に抱きついてきた。バランス制御システムが体勢を安定させなかったら転んでいただろう。

「どう、どきどきする?」

「しません」

「つまらないわ……」

 そもそも私には心臓が存在しないので動悸が激しくなることはないのだが。

 彼女はさきほどと同じ言葉を繰り返し、腕をほどいた。

「一生に一度くらいは恋をしてみたい。せっかく生まれてきたんだから」

「そうですね。このシェルターには精子バンクが備え付けられているのでそれを使うのはいかがでしょうか」

「最低」

 私としては最も現実的な提案をしたつもりなのだが、一言で却下された。


「しょうがないからロットを選ばなきゃいけないのかしら」

「恋とはそんな妥協でするものでしょうか」

「ロットだって知らないからおあいこでしょうよ」

「少しは、人類存続のために働いていただきたいのですが」

 彼女は大きく背伸びをして、かたかたと笑いを漏らした。

「もし、私が本当に世界最後の人間だったら、適当に楽しく暮らすわ。だって誰に対しても責任がないでしょう?」

「……私には?」


 少なくとも、人類が滅んでしまえば私の存在意義はなくなる。私は人間のために造られた道具にすぎない。誰かのために存在しない未来がありうるのだろうか。

「知らないわよ。あなただって好きに生きたら?」

「それは恐ろしいことですね」

 自分のために生きる、ということは、ひどく不安定で曖昧な存在理由だ。もし彼女が死に、この広いシェルターで取り残されたとすれば、私は望んで自分の電源を切るだろう。


「生きてください」

「それはお願い?」

「私の中の辞書データの中では、祈り、という単語に近いと思われます」

「ふうん」


「でも、神様なんかじゃないからね、私」


 彼女はくるりと方向転換し、図書館を去っていった。誰もいなくなった本の森の中で、一冊の本を検索した。

『ロミオとジュリエット』

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