4 驚き求めて生き行くわれぞ:存さん疾走、の時代。これが古希以降。

「(略)小林は、自分から進んで、人のトップに立とうなどという意識はからっきし持っていなかった。むしろ、彼は、自分を一種のアウトロウ的な立場に置くことによって、常民生活と意識を徹底させようとしていたふしがある。それが彼の民俗学者としての矜持きょうじでもあったようだ。

 彼は、いわゆる体制側の御用的な郷土研究家や、歴史学者などから、自分を峻別しゅんべつしようとしていたことは、彼の残した多くの文章の中にもハッキリ言明していることである。」(「小林存伝」P86)


 戦後しばらく経ってからのこと。ある時、若き大学講師が存さんに「歴史学でいうところの庶民と、民俗学でいうところの常民との違いとはどういうものか」と訊ねた。

 存さん、「歴史学でいうところの庶民がどの程度のランクかは分からないが、私は飲んべえだから飲みの話で例示すれば」と前置きし、「酒を飲むにしても二つの階級がある。鍋茶屋なべぢゃやなんかの一流料亭で飲む人は料理の品書きや座敷に呼んだ芸妓げいぎの人数、煙草盆の取替えの回数など、何から何まで帳面に書かれてそれが何年も残る。

 一方で我々レベルならちょっと余裕がある時に屋台の暖簾のれんをくぐり、安酒を2、3杯ひっかけて済ませれば明日は誰も覚えていない。文献がいつでもつきまとう鍋茶屋階級が庶民で、屋台階級が常民ではないか」と解説した。

 これを読むと、歴史学での庶民とは君主レベル、ということになるか。だからこそ常民の諸々を調べるのは大変なのだ、とも思えるエピソードだが、昭和9年に民俗学と出会った存さんは、70歳を超えてなお相かわらずの屋台階級ながらも民俗学の新潟県内の先駆者として活動していた。

 その間には、戦中戦後の苦労もあった。

 太平洋戦争末期、出版物統廃合問題などというものがあった。似たような新聞・雑誌があれば合併あるいは片方を廃刊、という乱暴な計画があって、「高志路」編集部には廃刊が決まった雑誌の編集部から掲載予定だった原稿の束が送られてきたりした。それらをどうしてあげることもできず嘆いていれば出版の業界団体から統廃合の要請を受け、渋っているうちにとうとう内政部長と警察部長の署名で「例の件で懇談したい」との手紙が来た。

 この大ピンチを切り抜けて「高志路」は辛くも生き残ったが、昭和20(1945)年には物資欠乏や終戦直後の混乱のため休刊。混乱していたのは世の中だけでなく、それまでの価値観がすべてひっくり返った中で民俗学はどうあればいいのか、と考えあぐねた存さんもまた同じ、だった。それでも、「近代的行動世界に於いては科学もまた行動的でなければならぬ」(「小林存伝」P182)と、存さんは昭和23(1948)年に「高志路」を復刊させ、戦後の第一歩を踏み出した。

 そんな存さんの頑張りのおかげで中央と新潟の民俗学のパイプができ、柳田やなぎた國男くにお折口おりくち信夫しのぶ渋沢しぶさわ敬三けいぞうなどのビッグネームが新潟へ講演や調査に訪れるようになった。また存さん自身も「県内地名新考」などを著す中で昭和25(1950)年に新潟日報文化賞を受賞、27(1952)年には日本民俗学会の名誉会員となり(全国に存さんを含め4人しかいなかった!)、民俗学の重鎮として認知されるようになる。

 また、昭和28(1953)年には「新潟県民俗学会」を設立した。これは「民俗学関連の文を書く時はどうも自由になりがちで、これでは学問的な貢献の度合いが低くなる。ここはひとつ学会という機構を作り、理屈っぽくない一方で社会貢献もできる、そんな活動をしていきましょう」という思いから立ち上げたものらしい。



 ところで。存さんが立ち上げた郷土研究誌「高志路」の休刊は、戦前戦後合わせて3回を数えた。最初はさっき書いたように戦中戦後の諸々から、3回目(昭和30年~31年)は新潟大火の影響と、その直後に存さんが急病で倒れてしまったためだ。

 が、2回目の休刊(昭和25年春~28年秋)は彼が忙しすぎたため、著書の執筆に充てる時間が必要になったため、という嬉しい理由だった。この間に文化賞受賞のきっかけとなった「県内地名新考」や十日町とおかまちで長期滞在しての調査の末に書き上げた「中魚沼なかうおぬまの物語」、私が存さんについて知りたいと思ったきっかけをくれた「横越村誌」などが書かれている。後で書くように大変な苦労ももれなくついてきて、という状況だったが。

 苦労はありつつもとにかく精力的だったのが、この時期の存さんだ。

 執筆やそれに備えた調査の合間に、存さんは本格的に和歌に取り組もうと「新潟短歌」というグループに参加している。その数年前から趣味的によんではいたが、ある時グループの主宰者を訪ね「私のは歌にはなっていないかもしれないが、いいのがあったら同人誌に掲載してほしい」と頭を下げたんだそうな。

 忙しいんじゃないんですか、と答えたくなってしまうところだが、存さんの謙虚さ、真摯さや向上心は古希を過ぎたお爺さんとは思えないものがあった。「新潟短歌」誌の随筆欄に、こんな一文を寄せている。


「感覚の驚きだけで、歌の出来ぬことを初めて知った。真に驚くのは、感覚でなくて魂である。(略)私の魂がそれに乗りおくれているためまだ本質の表現が浮き切っている。思うだけの言葉が得られない。何というざまだ。勉強、勉強、もっと勉強。本月の分は特に拙い。」(「小林存伝」P239)


 こう書いた時、存さんは75歳だった。もはや「カッコいい」と申し上げるしかない。こういう年寄りになれるのか、それ以前にこんな年寄りが世の中に何人存在するか。

 さらに「県内地名新考」の序説にはこんなことを書いていた。


「私の平素の心願は、物を知るというよりは、物の不思議にず驚きたいということだ。然るに脚下の大地、そこにはあらゆる不思議の溜り場で、一切の不思議はそこから生まれ、そこに生きている。(略)」(「小林存伝」P184)


 知識人、博覧強記と言われ続けていながら、まだ足りない。何が足りないかといえば、きっと自分が知らなかったことあるいは知りたかったことへの驚き、だ。もっと楽しみたい、もっと感動したい。で、その次には多分、もっと成長したい、という言葉が出てくる。


 知ることを今は願はずひたすらの

  驚き求めて生き行くわれぞ



 そんな中で、存さんは後継者作りにもきっちり取り組んでいた。彼本人にさほど自覚がなかったにもかかわらずいつの間にかいい方向に向かっていたんじゃないか、という気も、なぜかしてしまうが。

 昭和28年頃。十日町とおかまちで高校の教壇に立っていた男性は、「中魚沼なかうおぬまの物語」執筆に向けた調査のために当地を訪れた存さんと出会った。女性職人が腕をふるう珍しい寿司屋さんに案内したりと何度か顔を合わせる中で、この若き男性教師は存さんに「中魚沼の年中行事のこととか、ちょっと調べてみれば」と勧められた。

 彼のほうは曖昧に返事をしていたが、存さんから「調べたか」などと頻繁に連絡が来るようになり、よく分からないうちにそういう原稿を書くことになった。二人の間にはいつの間にか、せっつく側・せっつかれる側、という関係ができあがった。

 存さんの矢の催促に押されて調査し、書いた原稿は「高志路」の誌面を飾るようになり、気がつけば彼は「中魚沼の年中行事」という本の著者、になっていた。存さんはその著書を「新人とも思えぬ立派な採集ぶり」と絶賛したんだそうな。

 あれよあれよと思っているうちに、という感じだっただろうが、どこかの段階で存さんは後輩に「楽しいもの、やりがいがあるもの、実現できそうなもの」という意識を植えつけることに成功しているのかもしれないし、言われたほうも「存さんが言ってくれてるんだから」とモチベーションが上がる。こういう構図ができあがる秘密がどうしても分からないけど、とりあえず存さんマジック、みたいなものがあったのだろう。

 彼は後に、新潟県史の編纂へんさんに携わるなど県内民俗学の第一人者として活躍することになる。彼のように存さんマジックで民俗学に目覚め、究めて一目置かれる存在になった人は多いそうで、一時期ほとんどの市町村史の編纂には必ず「高志路」のメンバーが名を連ねていたらしい。

 そして「中魚沼の物語」執筆に向けた調査の際、津南つなん町で存さんが発見した幻の布・アンギン(カラムシなどの植物から取った繊維を編んで作った布。縄文時代からあったとされるが織る技術が一般化してから廃れ、姿を消したも同然となっていた)の研究は存さんの没後、後進が引き継いだ。彼らがその歴史や作り方、編む時に使う器具など数々の謎を解明した結果、昭和38(1963)年にアンギン編み機が県の文化財に、48(1973)年には製作技術そのものが国の無形民俗資料に指定された。

 目覚めさせるところから、究め、結果を出させるところまで。「民俗学って、けっこう楽しいもんなんだよ」。そんな一言が、存さんの顔に書いてあった。そういうところから始まっていたのかもしれない。

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