“ミライ”へ向かって

みぺこ

“ミライ”へ向かって


 パーク予定地に建設された仮設ラボ。

 仮とはいえ近代的な気配漂うその施設内で、俺は一室の扉を開いた。

 

「元気か、センセー?」


 ノックもせずに踏み入った室内には様々な研究機器と資料棚。そして清潔感のある白いデスクと、その前へ腰かける白衣の女性が見える。

 腰かけていた白衣の女性は俺の声に気付き、こちらへと振り返り様ため息と共に言葉を吐いた。


「センセーはやめなさい。……貴方、あのサーバルキャットのフレンズに似てきたんじゃないの?」


 そう言い切り、女性――センセーはその凛々しい眉目に縦ジワを刻んだ。

 スレンダーな体躯と白い室内へ響くアルトボイスも相まって、妙に絵になる表情だが……、その言葉は聞き捨てならないな。 


「俺がサーバルに? そんなことねぇよ」


「そうかしら、“メガネさん”?」


 おいおい、やめてくれよセンセー。俺はちゃんとヒトの名前は覚えてるぞ。

 覚えてる上で、呼んでるんだ。


「いいじゃないか、あだ名くらい。俺とセンセーの仲だろ」


「仲、ってね……。出身大学が同じなだけで専攻は全く違うじゃない」


「それでも過ごした年月は同じだろ?」


 俺は唇を尖らせ、そう返す。

 “センセー”と俺は、同郷の仲。研究者としては仕事仲間。

 この地に居るヒトでは……、一番長い付き合いだ。 

 

 これぐらいの気安さは許容範囲だろ?

 

「はぁ……、全く……。

 コーヒー、飲むわよね? ちょっと待ってて。今入れるわ」


「あ、顔見に来ただけだから構わなくていいぞ」


「私が気にするの。それに、これも研究の成果確認ついでよ。

 ……砂糖は二つでいい?」


 彼女はそう言いつつ立ち上がり、研究機器に紛れて埋もれたコーヒーメイカーから、黒い液体をカップへと注ぎ込んだ。独特の香ばしい匂いが室内へ満ちる。

 

 飲まずに帰るのも、失礼か。

 苦笑して、俺は彼女の座っていたデスクへ腰をもたれさせる。


「じゃ、お言葉に甘えて……。ミルクもあったらたっぷり頼む」


「ミルクはないわよ。あいかわらず、味覚まで少年ね……」


「あんまり誉めるなよ、照れるだろ」


「……呆れてるのよ」


 ポチャンと角砂糖が落ちる音。カチャカチャとスプーンを鳴らしながら、彼女がコーヒーの入ったカップを差し出す。

 ご丁寧なことにカップは陶器製で、簡素ながら絵柄の入ったお揃いのソーサーまで付いてきた。

 これで熱々と湯気の漂ったコーヒーが並々と注がれているのだ。


「満点だな」


「豆の味は良く見積もっても及第点だけれどね。器にでも凝ってないと飲んでられないわ」


 そりゃ残念なことで。

 そう言って二人して笑いながら、啜る。

 苦々しい味に、ほんのり砂糖の甘さが舌へとしみ込んでいく。温かなものが臓腑へ落ちると同時に、彼女も俺と同じく小さく吐息をついた。

 

「……作業、順調みたいね?」


 彼女がシステムチェアへ腰かけ、カップを置く。

 俺はズズズとコーヒーを啜った。


「お陰さまでな。……開園はまだまだ先だから、これからはわからんが」


「そんなのどこも同じよ。今日も行ってたの?」


「あ? あぁ、サーバルの様子を見にな……。

 そうだ。良かったら映像見るか? アイツ、いつまで経っても俺の名前覚えねぇんだよ! いい加減“メガネさん”は止めろっつってんのにさ」


「ふふっ、いっそコンタクトにでもしたらどう? その無精ひげも似合ってないし」


「げ……、そうなのか……?」


「そうよ」


 ズズズ。――カチャン。

 二人だけのラボに、響く音。

 何の代り映えもしない、俺たちの関係と時間。

 それに俺は笑って――――。 



「――何か悩みごとでもあるの?」



 あまりにいつもながらのその仕草に、思わず頷いてしまいそうだった。

 彼女は凛々しい目を伏せコーヒーを啜る。


「……なんでだ?」


「……最近張り切りすぎなのよ、貴方。はしゃぐのはいつものことだけど……、無理をするヒトじゃないわ」


 カップへ注がれた黒い液体。それを見つめる彼女の横顔。

 いつも見てきた彼女の瞳は黒く、視線を合わせていないのに俺を見通す。


「……よく見てんなぁ、俺のこと」


「わかるわよ。過ごした年月は同じ、でしょ」


 澄まし顔で嘯く彼女に、俺は苦笑しカップを見つめた。

 苦々しい中に、少しの甘さ。

 なるほど。センセーは昔からよく気がつくヒトだった。

 自分の甘さにも、他人の苦さにも。 


 俺はゆっくりと口を開く。

 

「最近、分からなくなることがあるんだ……」


「……“彼女達”のことね?」


「あぁ、そうだよ……。“これで良かったのか”って、思ってな……」


 両手でカップを握る。手の平から伝わるじんわりとした温かみ。

 そして覗き込めばカップに広がる黒い湖面。映り込む自分の顔。

 思い返す、“彼女達”のこと。


 ――“彼女達”のことは好きだ。


 年甲斐もなくわいわいと騒ぐのも、“彼女達”のためにバタバタと徹夜で作業に終われるのも苦にならないほどに。

 

 しかし――――それで、“彼女達”は本当に幸せだったのだろうか?

 幸せに、なれるのだろうか?

 

 野生を捨て、パークという囲いに閉じ込め、ヒトと触れあわされ。

 笑顔でいても……、それは、押し付けられた幸せなのではないだろうか?


 そう、考えることがあるのも確かだ。


「――これは俺の……、俺達のエゴじゃないだろうか、ってな……」


 黒い湖面をカチャカチャとかき混ぜた。

 渦を巻く。それは心中そのものだ。


 “彼女達”を好きな気持ちに嘘はない。

 嘘はないが……、そこに研究者としての俺の好奇心が含まれていないと、否定することも出来ない。


 “彼女達”を知りたい。仲良くなりたいという気持ちに、研究者として自分がねじ込んだ身勝手な理由が混じっているのではないか。 


 それは純粋に自分を慕ってくれている“彼女達”を騙しているようで……、後ろめたく、居心地を悪くさせる。


「みっともない話だ。いい大人が……、こんなことで悩むなんて、な……」


 忘れよう。そう思っても、苦さがどうしても喉元に引っかかる。

 砂糖の甘さで誤魔化してみても、やはり苦いものは苦いのだ。

 

 カップをあおって飲み干した。

 彼女は何も言わず、目を伏せたまま静かにコーヒーを啜る。

 

 そのまま無言の時を続けて……、彼女は口を開いた。 


「貴方は真面目すぎるわね」


「そう、だろうか……?」


 視線を向ける俺に、その横顔は微笑みながら「そうよ」。

 言葉を続ける。


「……そんな真面目な貴方が好きよ」


「そうか……、真面目な俺が――って、はぁ!?」


 ガタン! 机を鳴らし、黒い湖面が揺れた。


「な、何言ってんだ、センセー!?」


「そんなに驚くことないじゃない。もちろん変な意味じゃないわよ。

 ……好きなところがあるからこうして一緒にいる。可笑しいことじゃないわ」


 変わらず凛々しい瞳でコーヒーを口にする彼女。

 

「ヒトとヒトとだって……、“彼女達”とヒトだって、仲良くなるのに相互理解は必要よ」


「いや、だけどな――――」


「――不必要に傷つくこともあるかもしれない。傷つけてしまうこともあるかもしれない。相手にとって幸せかどうか分からない。そうね?」


「…………」


 無言のまま頷く。

 彼女は俺へと振り返り視線を合わせた。


「私は、それでいいと思っているわ。……私達はたくさん失敗していく。傷つけて、悩んで、傷つけられて。

 私達の仕事は、そんなことの繰り返しよ」


 だけど――、彼女は続けた。


「私達は、きっと乗り越えられる。

 まだ出会ったばかりだもの。知らなくて当然よ。分からなくて、当たり前なの。

 何が間違ってて、どうして傷ついて、何故悩むのか。

 ……好きだから、知りたいのよ。知りたいから、もっと好きになる」


 言葉を区切り、凛々しい瞳が俺を刺す。


「大事なのは知ることを恐れることでも、好きになるのを止めることでもない。

 ……確かに、好きの一部は私達のエゴかもしれない。そんなことに悩まされて葛藤して、蓋をしたくなるかもしれない。

 でも、知らなくちゃいけないの。もっともっと知って……、“彼女達”にも知ってもらわなくちゃいけない。乗り越えるためにも。一緒にいるためにも。

 私は――――」



 ――いつか、“私達”が何も気にせず笑い合える。そんなミライを、子ども達に残したいの。

 

 

 強く揺さぶる、彼女の言葉。

 表情こそ変わらない。湖面も揺れない。音すら響かない、この一室で。

 その言葉は……。

 そのミライは……、なんて美しいんだろうか。


「…………何も気にせず笑い合えるミライ、か……。来るのかな、そういう日が……」

 

 自ら出た声は小さく。


「えぇ、来るわ」


 返す声は、短く、いつもながらも凛々しいそれ。


 そう……。そうだよな……。

 いつだって彼女は自分の甘さを知っていて、他人の苦さを知っている。

 そして、他人を甘くする方法も、知っている。

 そんな女性だ。 


「そんなミライを、俺も見てみたいよ」


「きっと見えるわ。……そのために、私達は今ここにいるのよ」


 ――“彼女達”と混ざり合う。

 コーヒーと、ミルクのように。

 いつか、彼女達のことも“私達”と呼べるように。


 二人揃って、窓へ視線を投げた。

 そこには四角く切り取られた青い空が広がっている。

 視線はその先。まだ見えない深い青の中へ。


 いつかどこかに必ずある、笑い合える“ミライ”へ向かって――――。

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