第2話 満月

 一花と暮らしだして二年がたった。元から一花はあまり喋らない子だと、屋敷の使用人だった三好は言っていたが、にしてもほとんど喋らない子だった。どうしても一花の話が聞きたくて、やたらと話しかけてはみたが、必要最低限の言葉しか返ってこなかった。粘り強くいこうか。とも思ったが、しつこくしてもよくない、気を長くして待とう。と、決心した。


そんな矢先だった。


自室で締め切りが近づいた原稿にペンを走らせていた時だった。


カタンと小さな音に顔を上げた。

音の方に目を向ける。


「どうした?」


深夜、草木も眠る丑三つ時。

物音に集中力は張り詰めた糸を軽く切ったかのようになくなり、そちらに顔を向けると、自分がたてた物音に驚いたのか肩を強ばらせた一花が扉から顔をのぞかせていた。


「眠れない?」


遠慮がちにこくりと頷く。「おいで」と手招きすると、これまた遠慮がちにこちらによってきた。一花を抱き上げ、膝にのせた。


「重くなったな」


「ごめんなさい…」


「謝らなくていいんだよ。重くなったってことは一花が大きくなった証拠だから」


寝癖のついた後頭部を撫でてやると肩に頭を預けて、ぎゅっと胸あたりの羽織を握ったのが分かった。その様子に何かあったのは明確だった。



「怖い夢でもみた?」


「…うん」


「そうかそうか。もう大丈夫。私がいるからね」


鼻水をすする音が聞こえて、泣いているのがわかった。怖い夢、というのは大人になってから見ても、涙が出るほど怖い。夢だから現実では有り得ないのに夢だと認識できないからえも言われぬ恐怖に苛まれてどうしようもできなくなるのだ。


とん、とん、と背を優しく叩く。


「大丈夫、大丈夫」


だんだんと羽織を握る力が弱まるのを感じた。どうやら眠ってしまったらしい。ふと、時計に目をやると既に午前3時を超えていた。寝るか、と卓上の灯りを消し寝室へとそうっと、一花を起こさないように立ち上がる。縁側に目をやると今夜は満月だった。なるほど。月は恐ろしい力を持っている。

一花が九十九と暮らし始めて二年が経とうとしていた。最近、やっとわがまま言うようになった気がする。まだ8歳だ。普段めったに泣かない一花が泣いたのだから、相当恐ろしい夢を見せたのだろう。月め、と悪態をちいてみたが、その反面感謝もした。一花は泣かない。まだおさない。夜1人で寝る、転んでも泣かない、そもそも親に甘えたい年頃なのに親もいない。親代わりの九十九にも甘えない。それは九十九にとってひどく心配事だった。しかし、今夜は満月のおかげで一花は怖い夢を見て、泣きながら甘えてきた。そのくらいは感謝してやる、と笑いながら床へついた。






「つくもさん…」


「ん?どうしたの?」


「だっこ、してく、ださ、い」


「よーろこーんで」


最近、夜になると一花は遠慮がちに訪れてだっこを強請るようになった。


「眠い?」


目を擦った一花は少し瞼が重そうだ。


「…すこし」


「眠りな。眠るまでだっこしていてあげる」


「眠っても、抱っこしていてください…」


「分かった。ずっと、抱っこしていてあげる」


あの日の夜から一花は少しずつワガママを言ったり、甘えたりするようになった。それは決まって怖い夢を見た時だけだったが、「だっこ」してほしいと強請る。

それが可愛らしくて、愛しくて、一花を甘やかしてしまう。だが、それは年相応の行動で今までがあまりにもそういった事をしてこなかったのだ。


やさしく背をリズムよく叩くと、一花は九十九の肩に頭を預ける。

こっそり一花の顔を覗くと今にも眠りそうだった。顔にかかった髪を優しく耳に優しくかけてやる。それと同時に目をとじて、次第に規則正しい呼吸が聞こえてくる。


癖なのか、一花の胸元の羽織をきゅっと握る。その力も緩まり、ずしりとおもさがます。一花が完全に眠ってしまったのを見計らって、机の上の原稿にペンをはしらせる。

ずっしりとした重みは心地よく、暖かく、安心感のあるものだった。心が満たされていくのが分かる。そうか、これが幸せというものか。合点がいく。この、私に幸せをもたらしてくれる存在、一花をずっと抱きしめていたい。手放したくない、と思う。それは間違いなく一花を愛しい、と思っているからだ。そうか、これが愛というやつか。その答えが生まれた時、何か胸のつかえがとれたように思えた。まるでラムネのビー玉を下に落とすしたように。そして同時に吹き出す泡のごとく胸いっぱいに広がる心地のいい締め付け。力一杯に締め付けられて苦しいが、それはとても心地よく、ずっとそうしていてほしい。そう願ってやまない。これが、愛だ。確信した九十九は寝息をたてる一花の頭に唇をよせた。




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花と雨 ふかい うみ @mikichamp39

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