第1話 晴天

「九十九の言う通りにしろ」


ひどく冷淡な声だった。


父として教えられてきた人は次第に僕を嫌う人だと認識していた。そして今日、その人はついに他人となってしまった。向き合うことなどなく横目で一瞥し、そう言い放った。仮初でもいままで親子として振舞ってきた関係性にはひどく非情なものだった。


「はい」


返事を聞いていたかいなかったかは分からないが今度は目線も寄越さず「さがれ」といった。




「やぁ、一花」


今日から僕はこの人の言う通りに生きていく。


「旦那様とのお話は済んだ?」


「はい」


僕を待ち受けていた他人は扉ヨコの壁にもたれながらひらりと片手をあげた。


「どんなことを話したの?」


「…普通、です」


「普通?難しいな」


体をおこし自然に僕の手をとった。少し時間を置いてから、繋がれていたことに気づくくらいには自然で当たり前だった。


それ以上は詮索してこなかった。「旦那様」がボクに何を言ったのか分かっているようだった。「今日から一花は自由だ」会話の流れで不意に言ったその言葉がそれを物語っていた。


「今夜は近所の人たちが一花の引越しを祝ってくれるそうだよ。だからご馳走だね」


「近所の人?」


「そう。蒼のおじいちゃんとか、キクさんとか…」


「近所って…」


「ご近所さん。うちの近くに住んでいる人たちのこと。若い人が来るなんてここ30年なかったからめでたいって」


意気揚々と楽しそうに話すけれどいまいちピンとこないし、なにがそんなにめでたいのかわからない。この引越しを前に天草四郎の伝記で読んだ「島流し」みたいなものだとおもっていたからだ。殿様に嫌われるくらいの悪いことをしたからどこか遠い地へ流される。お殿様に逆らったからどこか遠い地へ流される。それなのに僕がそこに行くのはめでたいこと。気楽なものだと、呆れた。




馬車は駅に降り立ち、聞いたことのない行き先の列車に乗り込んだ。


車窓から伺える景色はどんどんと緑に染まっていきトンネルを抜ければ駅員がいない、いわゆる無人駅へと降り立った。「あと一本のればつくよ」と言われた時は「まだのるのか」と思ったがこくりと頷くしかできなかった。ことある事に手を握るこの人にことごとく子供扱いを受けているようで恥ずかしい。でもその手は大きくて少しひんやりしていて、柔らかくてさらさらで気持ちがいい。落ち着く、安心するものだった。手を繋ぐなんて初めてのことだった。だからなんだかむず痒くて、よく分からないモヤモヤが心を埋め尽くしているのだ。


次に乗り込んだ列車はひどくオンボロでひどくゆっくりだった。徒歩と変わらないんじゃないかと錯覚させるほどに車窓に流れ込む景色はゆっくりだ。相変わらず見えるのは緑。緑。緑。そして青。澄み渡った青。空だ。意識して見たことは無かったけれどこんなに美しいのか。


「うわあ」


無意識に声が漏れた。


「綺麗でしょ?空気も美味しいよ」


そういって車窓をガコンッと大きい音を立ててあけた。一気にぶわっと風が顔を襲ってきて目を瞑った。頬を撫でる風がすこしひんやりして気持ちがいい。まるでこの人の手のように感じた。思いっきり吸い込んだ空気が肺にとどまるだけでなく全身に染み渡るようだ。


「おいしい」


「でしょ?」


得意げにわらうその人が「ここで私と一花は暮らしていくんだ」と言った。


どうやらこれはただの「島流し」ではないらしい。






降り立ったのは、駅、というよりただ屋根だけがあるような場所だった。屋根にベンチ、時刻表、改札。必要最低限のものがつけられたようなところだった。日差しが当たらないぶん、吹き抜ける風が心地よい。


「さ、行こうか。蒼さんが待ってるかも」


一花の荷物が入った大きめの茶色いトランクを軽々と持って、また手を繋ぐ。この動作にも慣れた。


外に近づくにつれ、ドッドッとつくような音が聞こえる。


「あ、蒼さんきてた」


おーい、と大きな声で片手を上げる。すると、農作業用の車とは思しきようなトラクターに乗った浅黒い肌に麦わら帽子、タンクトップの老人が「先生」と返事した。


「すいません、お待たせしてしまって」


「そんな待ってないさ」


「このこが一花です」


ご挨拶して、と背中を押される。


「青砥 一花です」


「ほう、しっかりした坊ちゃんだな」


「この人は蒼さんだよ。いつも美味しい野菜をおすそ分けしてくれるんだ」


乗りな、と後ろを指さされ、荷台に軽々と九十九は乗り込むと、「ほら、おいで」と手を伸ばす。こんなところに乗るのか、と思い、少し身じろぐと両脇に手を入れて「よいしょ」と一花を持ち上げた。「わっ」と小さく声が漏れたが「お願いします」という九十九の声にかき消され、ぐんっとトラクターが発進して九十九の倒れこむ。


「おお、大丈夫?」


「はい・・・」


よろよろと立ち上がり、九十九の横に座る。


「私の家は少し歩くには少し駅から遠くてね。歩けない距離でもないけど一花はまだ始めてきたばかりだから、蒼さんにお願いしたんだ」


見渡す限り、山と畑と田んぼ。


「こんな風景見たことないでしょ?お屋敷の周りはもうだいぶ都会だし、発展してるから」


お屋敷の周りはもうだいぶ道が整備されていて、交通の便も発達していた。人通りも多かったし、車もバスも、路面電車もだいぶ運営されていて、デパートや商店街も活気があって、賑やかな場所だった。それに比べてここは全く別世界だ。遠くにちらほら農作業していいる人が見える程度だし、他の移動手段は見受けられない。静かな土地だ。


こんなところ、住めるのか。


そんな不安が生まれた。


横目で九十九を盗み見る。


表情はとても楽しげで、ハットを外して風を浴びていた。


日差しが当たって、もともと色素の薄い髪がキラキラと光る。

あった時から、初めてあった二ヶ月前からずっと日本人離れした風貌の人だと思っていた。西洋人のように肌はやたら白いし、髪も黒くなくて茶色い。瞳の色も黒くない。西洋人のように青い瞳ではないが、瞳孔がはっきりとわかるくらいに薄い色味をしていた。父は、正確には父だと教えられていた人は九十九のことを「遠い親戚」と紹介してくれたが、今まで出会ってきた青砥の人とはまるで風貌が違うし、苗字だって「青砥」ではなく「花丘」だ。きっと親戚とか、血縁者ではない、全然関係のない人なんだ。きっと慈善家とかで身寄りを失ったかわいそうな子供を引き取って面倒を見てくれるだけの人。面倒ごとを押し付けられたかわいそうな人なのだ。面倒ごとは僕。父だと思っていた人は実父でなく、実母も違って、生まれて間もない弟も血が繋がってなかった。


あの家で、僕、一人だけがよそ者だった。



「さ、着いたよ」


一人悶々と考えていると、いつのまにかエンジン音は止まっていて、あたり一面緑に囲まれていた。

 

再び一花を抱き上げて地面に下ろし、荷物も下ろすと、九十九は一花の頭を下げさせるように軽く撫でた。


「ありがとうございます、蒼さん」


「いいさ。また夜な」


「はい、たのしみにしてます」


ブルンっと再び突き上げるようなエンジン音をならし、坂を降っていいった。


「さ、着いたよ、と言ってもこっちは裏口なんだけどね」


こっちこっち、と手招きされる方にはおおよそ道とは思えない。かろうじて踏みしめられて人一人入れるように作られたようなところがあった。


「おいで」


手を引かれるまま道に入り込む。


顔や手足に生い茂った草が触れてくすぐったい。


手で避けつつ進むと急に光が顔に当たって思わず目を瞑る。


「はいっ、ただいまー」


恐る恐る目を開けると「わあ」と声が漏れた。


「ここが今日から一花のお家だよ」


目の前には大きな日本家屋。そして一面い広がる庭。花が多く咲いていて、野菜なども育ているのか、大きな身のなっている草木が茂っている。


住んでたお屋敷なんかより、よっぽど魅力的な佇まいだった。


「いちかー?」


はっとすると、縁側に上がった九十九が「こっちおいで」と呼んでいた。かけくとふわりと甘い花の香りがする。


「靴持って、こっち」


縁側でいそいそと靴を脱いで、それを持って九十九の後を追う。


「本当はこっちが玄関ね」


九十九も持っていた革靴を揃えて置いて、行儀よく一花もそれに習って自分のはいていた靴を並べる。


九十九は意外と足が大きいのだと、並べて気づいた。



「こっちが台所で__」


家の中を案内する九十九は楽しげだった。家の中は随分と古めかしくはあったがきれいに保たれていて、どこもちゃんと整頓されていた。だが、一箇所、九十九の部屋だけは散らかっていた。


「ここが、私の部屋。汚いけど」


チラリと見えた九十九の部屋は足の踏み場がないくらい本やら紙やらが床に散乱していた。


一花の部屋は九十九の部屋の対角にあった。

8畳ほどの和室だった。だいぶきれいで、床の間には花が生けられていた。先ほどの庭と同じ香りが部屋を満たしていた。


「荷物置いておいたからね。あと布団も。机とタンスはとりあえずあったものを置いたけど、都合が悪ければいってね。あと足りないものも明日あたり買いに行こう」


「ありがとうございます」


九十九が少しびっくりした顔をした。


「どういたしまして」


すぐににこりと笑って一花の目線に合わせてしゃがんだ。


「これからはここが一花のお家で、私が一花の家族だ。なんでも言っていいし、何をしてもいい。私にできることならなんでもしてあげるし、なんでもしてあげたいと思ってる。一花はもう自由だよ」


その言葉に一花は張り詰めた糸がプツンと切れたように心が、気持ちが解けた。


「はい・・・」


声は震えていて、涙がポロポロこぼれた。


「よしよし」


はは、と笑って頭を撫でてくれた九十九も少し泣いていた。


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